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病者障害者運動研究・2

「身体の現代」計画補足・90

立岩 真也 2015/12/05
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1668679896732324

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last update:2015


『現代思想』2015-12 特集:人工知能    『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙
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 『現代思想』(青土社)12月号(特集:人工知能――ポスト・シンギュラリティ)
http://www.arsvi.com/m/gs2015.htm#12
掲載の連載第118回は「病者障害者運動研究」。それを、いくらかずつ補足しながら分載していくが、長くかかる。まずは『現代思想』買ってください。今回は2回め。
 この回は、研究費関係の応募書類ほぼそのままというものだ。前回=1回めはその書類冒頭の一番短く計画の概要を記した部分を再掲した。
 その前回分は
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1667658580167789
 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20152089.htm
 「概要の概要」。5つの相があると述べている。あとでもっと詳しく説明するが、まず列挙されている。


 「■概要の概要
@背景・経緯
 これから一〇年も経てば証言がまったく得られなくなるだろう時期から始まり、現在に至る、障害や病に関わるこの国での社会運動についての研究の重要性は認識されてはおり、とくに一九七〇年代以降の身体障害者の運動についての研究は幾らかなされるようになってきた。だがなお広大な未踏の部分が残されており、さらに考察すべき部分を多く残している。そしてその手前で、より広い範囲の人々の利用に資するための資料・情報の収集・整理・発信を行う必要がある。新たなインタビュー調査とその記録、その公表も重要である。ただ満遍なく全てを集めるのはもはや不可能だ。重要と考えられる部分に当たり、その検証から新たに調査すべき場所を見つける。その繰り返しの作業を速く進める必要がある。調査・研究を効果的に遂行できる体制を組み込み、個々の研究を随時まとめながら、個々に独立しているかに思われる事象の連関を確かめ、この時代の全体像を描く必要と有効性がある。それがこの計画が実現するなら可能であると考えた。
A明らかにしようとすること
 第一に、必要でこの研究で可能なのは、基本的・具体的な事実を明らかにし、記録・記述し未来に残すことそのものである。種々の障害や病を巡る社会運動やそれを担う組織・人についてのこうした研究はなされるべき一割もなされていない。私たちが約三〇年間蓄積してきた資料に加え、新たに資料を渉猟し、証言を得、研究成果に繋ぐ。史料・資料を集中させ散逸を防ぎ、文字化されていない記憶を文字にする。現在入手困難な文献の一部については電子書籍等電子媒体での保存、公開を進める。第二に、事態を捉える視点として、身体の状態が、何――苦痛/死/不便/差異/加害、とまず分けられる――をもたらすか、それらが誰――本人/家族等の関係者/医療等の供給者/より広く「社会」…――に対して、いかなる利益/不利益をもたらすのかに着目する。この視点をとることによって複雑な歴史過程と現在とをよく捉えられると考える。詳細は◇から説明するが、とくに以下の5つの相を取り出し研究する。
 【T】「社会防衛」のために結核、ハンセン病等の療養者の収容がなされたことから、共通の利害が生まれ、集合的な運動が、戦前を引き継ぎ戦後すぐに始まった。その運動の事実の記録はなくはない。ただ、そこに生活する人は、その処遇に不満を持ったから運動を組織したのだが、その施設・制度は生活を支える場・資源でもあった。この部分を捉えた研究、この時期の運動が後にどのような影響をもたらしたかを捉えた研究は僅かである。そして社会防衛は、定義によるが感染からの防衛に限られない。衛られることを願うのはまずは家族だ。その願いは切実で、それが1960年代初頭の重度心身障害児(重心)施設、筋ジストロフィー児の施設・施策に繋がる。またこれらの施設には結核療養所が転用されていくという具体的な場の連続性もある。それは親たちの願いに発し、当時善いこととされたから、施設を求める親たちの組織の側の記録は一定存在するが、例えば精神病院について家族会側の推進の動きのあったことは表には出てこない。多面的・多角的な調査によって、防衛の対象とされた側と防衛を求めた側双方の運動を明らかにする。

 【T】「社会防衛」のために結核、ハンセン病等の療養者の収容がなされたことから、共通の利害が生まれ、集合的な運動が、戦前を引き継ぎ戦後すぐに始まった。その運動の事実の記録はなくはない。ただ、そこに生活する人は、その処遇に不満を持ったから運動を組織したのだが、その施設・制度は生活を支える場・資源でもあった。この部分を捉えた研究、この時期の運動が後にどのような影響をもたらしたかを捉えた研究は僅かである。そして社会防衛は、定義によるが感染からの防衛に限られない。衛られることを願うのはまずは家族だ。その願いは切実で、それが1960年代初頭の重度心身障害児(重心)施設、筋ジストロフィー児の施設・施策に繋がる。またこれらの施設には結核療養所が転用されていくという具体的な場の連続性もある。それは親たちの願いに発し、当時善いこととされたから、施設を求める親たちの組織の側の記録は一定存在するが、例えば精神病院について家族会側の推進の動きのあったことは表には出てこない。多面的・多角的な調査によって、防衛の対象とされた側と防衛を求めた側双方の運動を明らかにする。
 【U】1960年代前半から、加害者として社会を名指し社会に対する動きが前面に現れた。つまり公害、薬害の健康被害が大きく問題化される。これは世界的にも生命倫理学や医療社会学といった学問領域の誕生に関わり、日本社会にも大きな影響を与えた。だが例外的に水俣病について一定の記録が残され研究が組織的になされている以外、いくつか事件当時の資料集等の刊行物がある以外、ほとんどまとめられ分析されていない。そしてそこから受けとるべきはただ加害に注意深くしていこうといったことではないはずだ。加害の償いと生活の保障とをどう関係させるべきか、そこにほぼ必然的に現れる病・障害の悲惨の表象をどう解するかということもある。
 医療・福祉の大きな政策動向を紹介する文献は相対的には多く、大まかなことは知られている。ただ【V】どこまでをどんな理由で社会的支援の対象にさせ、またしてきたのか。病気でもあり障害でもあるような領域、「難病」「特定疾患」に関する運動・政策の推移から見えてくるものがある。Tの一部、親や子に対する同情から、医療と福祉、児童と成人の境界に、法外の、また複数の法に根拠をもつ制度が現れていく。さらに、Uに関わりスモン病に対する対応として始まり、研究のためとして医療費の負担を免除するという説明で徐々に難病対策が始まり、その後対象を増やしてきた。しかし、そうして拡大しますます複雑になった制度がそのままでよいと思っている人はどこにもいない。そして何を基準にどのような公的支出をなすかは普遍的な主題でもある。
 【W】Uの動きとも連続しつ、一九七〇年前後に新たに現れた運動がある。それは社会を糾弾するが、その糾弾は障害を悲惨とすること自体に向かうのでもある。これには一九六〇年代末からの社会運動との関係がある。その時期、本人たちに自らの位置と主張を転換する動きがあり、研究者・専門職者集団の一部にも自らの営為を問い直す動きがあった。それは日本では左派内部での対立が絡んでもいた。社会改革を肯定し志向した上での対立を受けてなされる主張(の一方)は、時に「極端」なものともなる。例えば(なおせても)「なおさなくてもよい」と主張する。ゆえにその脆さを突くことは容易だが、同時にそれは――時に欧米の同じ領域の言説より――主張しうることの「限界」まで行こうとしたと見ることもできる。その動きを跡付け、理論的に考察する。
 【X】厳しい対立もあった運動は現在、おおまかには「障害者権利条約」を受けた国内法・制度の整備という方向に収斂しつつある。それは、様々の困難に遭いながらも前進をもたらすだろう。ただその運動はより困難な局面に遭遇してもいる。運動が、Tの時期から抵抗し、Wにおいて自覚的に対象化し批判してきた「社会の都合」が、身も蓋もない資源・経済の問題として現れている。すると例えば、医療・福祉に関わる社会運動において対置されてきた「自律」を言い続けるだけではうまくいかない。そしてこれは世界的な問題であり、W〜Xが国際的にどのように捉えられてきたかを見る必要もある。国によっても差異がある運動と主張とその背景を比較検討するために、催の共同企画等既に研究協力関係を築いている[…]らの協力を今後も得て互いに議論し、成果を多言語で発信する。
B意義
 学問の意義の一つは記録することにある。この研究は今しかできない。本申請の年にもその前の数年も、運動で中心的な役割を果たした人たちが数人ずつ亡くなった。その中の数人に存命中の聞き取りが実現し、現在その書籍化を進めているが、その速度を上げる必要がある。多くの人たちが語ろうとしているが、自らそれを文字にして公けにできる人は少ない。それは公正でない。そして惜しい。つまりもう一つ、この研究は実践的な、人々に有益なものであろうとする。私たちは技術や人を使って生きていくし、それを使える専門家も、金も政府も必要であり、それを引き出しうまく使っていく必要があり、そのために自らが活動・運動しようともする。人々がどのように自らとその身体を了解し、技術を使い、政治に働きかけ、組織や人を使っていくか、そのためにも、そのことを巡って何があったのか、どんな工夫がなされてきたのか、どんな困難があってきたのかを知る必要がある。得られた事実・資料は原則HPに公開し、必要な部分は多言語化し、誰にでも利用してもらう。ここにも本研究の大きな意義がある。
 同時に理論的な貢献も期待される。本研究は、社会学にある「範疇化」「医療化」「専門家支配」といった言葉に、この国におけるその内実を与えるものであり、同時に、それらの言葉で何がどこまで言えるのかを吟味し、確定する作業でもある。そしてまた、障害者運動・障害学の知見も踏まえつつ、そこにあった「障害者は病人ではない」といった主張をどう捉えるのか、「社会モデル」という標語をどの水準で捉えるのか、これらを考察し確認する作業でもある。
 そして研究を組織的に進める意義がある。これから本格的に研究を進めようという人達の力も得て、日常的な研究体制を整備・確立し、個別の研究の集積以上の効果を産み出す。研究・成果発信の速度を加速させ、研究成果の塊を作り出す。この体制が恒常的な国際発信を可能にする。」

 続く。


UP:201512 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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