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「研究」の位置(今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛・6)

「身体の現代」計画補足・84
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1661225040811143

立岩 真也 2015/11/07

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last update:2015


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http://www.arsvi.com/m/gs2015.htm#11
掲載の連載第117回は「今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛」。最近出た本を広告しつつ、一つそれと直近のことに関わることを知らせた。前々回と前回はその「直近のこと」について、「今般の認知症業界政治」について。その前々回・前回分は
http://www.arsvi.com/ts/20152083.htm
http://www.arsvi.com/ts/20152082.htm
 それに続く今回は、まともなジャーナリストが書くよりたいがい学者の書くものはだめであること、しかし、(とりあえず)「受けなくてもよい」という「自由」はそれなりのものであることを述べている。
 ちなみに、以下に紹介している大熊一夫の本の紹介の「はいり」の部分は
http://www.arsvi.com/ts/2002005.htm
にあります。

 「■「研究」の位置
 これが今般起こっていることである。ではどうするか。様々「実証的に」検証され報告されるべきことがあるだろう。どんな処方がどれほど使えるものか、効果があるものなのか、実際どのような処遇を受けているのか、調べられ言われるべきことが多々ある。そこのところは、本では、認知症に精神医療が効いていないこと、効くことがあるとしても向精神薬の多くのように鈍麻させるというぐらいのものでしかないことは、もう皆が日々のこととして知っている、という簡単な記述になっている。実際には、さほどでもないかもしれない。意外に期待しているのかもしれない。どのようなことが実際に行なわれているのか、代わりにできることとしてはどんなことがあるのか。それを示すのは私にできる仕事ではない。ただそのような事実を知ることによって気づき、考えを変えることは多々あるから、それは必要なことだ。
 私は私のできる範囲のことを述べた。政治家に金を贈ること全般がいけないとは言わないことにする。しかし、この件については金を贈ることによって影響力を行使することを「含め」、決定の全般から業界を除外すべきであるとともに、個々の施設・事業の経営・運営に誰もが干渉する権限を保障するべきであることを述べた。
 私が書いていることの多くがそうしたものだが、それはすぐに実現するといったことではない。ただ、それでも基本的なところを確認しておくことは必要だと思う。これからも露骨な不正のいくらかは問題にされ、ある人は辞職したりすることにはなるかもしれない。しかしそれだけに終わることは多々ある。京都十全会のかつての理事長も辞めさせられたが、それはただそれだけのことだった。
 さきにも述べたように、私はジャーナリストの仕事の方が「研究」なるものよりしばしば優れたものであることを当然に認める。その上で、それでも「学問」の方に利点があるとすれば、それはすぐに「受けない」ことを言ってもよいという自由をいくらか許容されていることにあると考える。大熊一夫が、学者の書くものがつまらないこと――「味も素っ気もないものになっている。つまらない文章ばかりだし、こんな研究して何で障害者のためになっているのかわからないようなものばかり目立つ」と述べた部分を引用した――ことをその通りと受け、その上で学問の少ない効用について私が述べた文章が今度の本にに再録されている。
 「もちろん、統計的な調査がこうしたルポルタージュと並存し互いに補って意味があることはあるだろう。では、前回取り上げたゴッフマンの著作のような質的調査、フィールドワーク、エスノグラフィー、エスノメソドロジー…、などど呼ばれたりするものはどうだろう。私は、ジャーナリズムの作品とこれらの間になにが違うというほどはっきりした違いはないし、またある必要もないと考える。ただ、大熊の批判を肯定しながら居直るような妙な言い方になってしまうのだが、衝撃・感動・…をとりあえず与えなくてもよいという自由が「研究」にはあって、それがうまくいった場合には利点になるとも思っている。このことについてはまた別の機会に書こう。」
 補章3「ブックガイド」の05「大熊一夫の本」より。この補章3はこの十五年ほどの間に書いた二十余りの文章(その多くは『看護教育』に一〇一回連載したものの一部)をそのまま再録した。その中でこれは二〇〇二年に書いた文章。その後「別の機会に書」いたりはしていないのだが、今でも同じことは思っている。」


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