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「社会防衛」「反社会的」(今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛・2)

「身体の現代」計画補足・80
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1659029674364013

立岩 真也 2015/10/28

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last update:2015


『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙    『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』(青土社)に長い続きものをさせていただいている(11月号に載るのが第117回)。その連載から今度の本もいれて5冊の本が出ている。その5冊目が『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』。
http://www.arsvi.com/ts/2015b2.htm
 もう書店に出ている11月号(「大学の終焉」という特集号)
http://www.arsvi.com/m/gs2015.htm#11
では「今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛」というものにした。最近出たその本を広告しつつ、一つそれと直近のことに関わることを知らせ、そしてわりあい長い歴史の中にどう位置づくのかについて考えてみようとした。青土社にとっても不利益なことではないと思うから、何回かに分けてそれを分載し、いくらかを加えていく。
 なお以下で引いている有吉玲子の『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』(2013、生活書院)
http://www.arsvi.com/b2010/1311ar.htm
は私の勤め先の研究科に提出された博士学位論文がもとになった本。そこに付した拙文「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う」
http://www.arsvi.com/ts/20130039.htm
もお読みいただければと。  もう一つなお。前回・今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20152079.htm
http://www.arsvi.com/ts/20152080.htm


■「社会防衛」「反社会的」
 現在は、地域・在宅・福祉…はまったく否定されず、共生だとか様々よいことがいくらでも言われながら、その中で、既得のものを確保しようという努力がなされている。その分いささか複雑になっている。だからこそ、過去を辿る意味もあるということだ。どのように露骨なことが言われたか、そしてどのように露骨なことが言われなくなってきたかを見ておく必要がある。
 今回は引用だけしておく。『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』(有吉[2013:176])に引用されていたのを、その本になったもとの論文に関わったはずであるにもかかわらず、このたび――正確には一度偶々見つけ、忘れ、また――発見したものだ。一九七〇年四月六日、第六三回国会参議院予算委員会一六号における厚生大臣内田常雄の答弁。

 「スモン病というものはむずかしい病気ではありますけれども、必ずしも結核でありますとか、あるいは精神病患者、さらにはまた、らい病のように、何といいますか、反社会的な要素をおびておるものということにも断定をいたしておりませんので、したがって、公費でこれだけの病気を対象にして診療するという制度は、なかなか確立いたしにくいところでございます。ガンのようなものでも、患者にとりましては非常に大きな負担でございますけれども、研究には力を入れておりますが、公費負担の制度をとっておりませんことは御承知のとおりであります。そうではありますが、いま中沢さん(議員)からお話のとおりの悲惨な家庭の状況もございますので、研究費の中におきまして薬剤費のごときものは、実際はまかなっておる。したがって、本人あるいは家族の負担というものも、さような限度におきましてはできるだけ研究費の中でかぶる場合もある」

 一九七〇年のことである。所謂「難病」政策はスモン病から始まっている。それはキノホルムによる薬害だったから、それが今でいう難病、そして難病対策の始まりであったと、今では想像できない。何があったのかを探ればまた別の長い話になるが、当時、当然に政府の責任が問われた。政府は自らの責任を認めないながらも、何ごとかはせざるをえないと考え、その対応策としてまずスモン病が難病対策の対象にされたとも考えられる。そしての時期、スモンの会他幾つかの疾病・障害別の患者会ができており、公費負担が求められる。引いたのはその件に関わる質疑に対する応答である。その仔細は調べたらよい、ぜひ調べるべきだと思う。ただ、ここで見ておきたいのは第一文だ。
 ここに列挙されたものがどのように防衛されるべきであるのか。幾つかの契機があるのだろうが――それがここのところ述べている第一点に関わる――それはここでは説明されず、三つが列挙される。そして、防衛というからには直接に本人に利益を与えるものではないのだが、それでもその人に介入することは自明にされている――これが第二点に関わる。そして実際、ハンセン病、結核は国策による収容の対象とされ★01、精神病院の多くは民営だったが、前回いくらか紹介したように、多くの人・家族関係者には経済的負担のない入院・収容がなされた。その後…、といった話はどこまでも続いていくからしない。ここでみておきたいのは一つ、「防衛」がまず単純すなおに言われたことがあったということだ。
 「社会防衛」「反社会的」★02は率直に堂々と、まだこの時も言われている。それはいつのまにか表立っては言われなくなる。「反社会勢力」は別の範疇の人たちを指す言葉になっていく。だから変化はあったとも言えよう。しかし、実際にいかほど変わったのかとさらに問うこともできる。そしてその事実がどうであったかという問いとともに、「防衛」のことをどう考えるかという問題もまた残される。防衛はよいことではないか、すくなくとも仕方のないことではないか。この反問にどう応えるか。まずここまでにしておく。」

「★01 前二者の被収容者たちの運動が大きなものとしては最初のものであったこともこの連載で述べた。そしてその後、結核の入院者は減り、減らされ、そのあるものは筋ジストロフィーの子たちや所謂重症心身障害(重心)の子たちを入所させる施設に性格を変えていくといったことが起こる。その過程を追う必要がある。
★02 これを見つけた後、その有吉の本を見ると他にもある。七二年三月一七日、第六八回国会衆議院本会議一三号。斉藤昇厚生大臣の答弁(有吉[2013:178])。「社会防衛」の語がある。
 「公費負担は、御承知のように社会防衛的に必要な疾病、あるいは社会的な事柄が原因になって起こってくる疾病、そういったようないろいろな観点から、どういうものを公費負担にすべきかということをきめてまいらなければならないと考えます。公費負担制度は逐次拡張をいたしてまいっておりますことは御承知のとおりでありまして、ことに公害に基づく疾病等につきましては、これは一種の公費負担という制度も確立をいたしてまいりました。今後も社会的原因に基づくような疾病に対しましては、公費負担の原則を拡充をいたしてまいりたい、かように考えます。」


■この文章への言及

◆2015/10/29 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/659572793072156672
 「「社会防衛」という語は私を含むある人たちにとって予め批判的・否定的な意味が込められているのだが、1970年、国会で厚生大臣は堂々と結核・ハンセン病(発言においてはらい病)・精神病を「反社会的な要素をおびておるもの」と言っている→FB→http://www.arsvi.com/ts/20152080.htm」

◆2015/10/28 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/659215591446700032
 「「社会防衛」「反社会的」(今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛・2)」で有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』とそれに付した拙文「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う」を紹介https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1659029674364013」


UP:20151028 REV:20151029
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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