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抑えるために有料にすることについて

(『自閉症連続の時代』補章より)――「身体の現代」計画補足・76 立岩 真也 2015/10/20
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last update:2015

 『自閉症連続体の時代』
http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm
の補章「争いと償いについて」のはじめのところから引用を始め、12回めになる。
これまでの11回については
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
をご覧ください。今回の(いくつかリンク付の)HP版は
http://www.arsvi.com/ts/20152076.htm
本文を順番に載せるのは諦め、その補章の註を掲載することにした。註だけになってますます何がなんだかわからなくなったと思うし、ちょうど補章の註はこれで終わりだから、次から別の続きものにします。
 ただにすると使いすぎるから料金を課すというのが、いつも「効く」わけではないということは何度も述べてきた。むしろ使わせすぎる動因は供給側にあると述べてきた。それが最もはっきり見えるのは精神医療においてだがこのことを新刊の本でも述べていることはまた紹介する。
 他方、負担させることにおいて消費を適正な規模に抑えるというのであれば、そもそもの持ち分をあまり大きく違わなせない方がよいということは、多分、『ベーシックインカム』などで述べているはずだ。これらの本へのリンクは
http://www.arsvi.com/ts/20152076.htm
にある。

『弱くある自由へ』表紙    『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』表紙    『自閉症連続体の時代』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

「☆11 自らが負担しなくてよいとなると人は健康に留意しなくなるから、自己負担を課すべきだといった話も同種のものである。その可能性はないではない。しかし、例えば医療については、自己負担を気にしなくてすむなら、ためらわずに早く医者にかかるから結局は費用も少なくてすむ、そう気にすることはないと言われる。それはもっともだと思う。また、(その場での)自己負担がいらなくなったぐらいで、効果もないのにより多くの注射を打ってもらいたいという人はそうはいない。
 私たちは、何かを抑止・抑制するためには料金や罰金を課すしかなく、また基準・上限を設定したりするしかなく、何かを促すためには褒美を出すしかないと考えがちである。それはまったくもっともな考えではある。しかしそれは好ましくないことも引き起こす。そんな手段を使わなくてすむ場面では使わない方がよい。ではそれはどんな場面なのか。すくなくともその手段を使うことの得失を考えた方がよい。すると福祉サービスのかなりの部分についても、自己負担を求めたり基準を設定したりすることがそう当然のことではないことがわかる。→第7章註18
☆12 貧乏人にとってと金持ちにとって、同じ額は同じ意味をもたない。このことは罰金というものを存続させたいとして、それを効果的にまた公正に運用したいのなら――そして収入に応じて罰金を変えるといった面倒なことをするのでなけれは――格差を小さくする方がよいことを示す。個別の補償の場面だけを考えるなら、支払い能力に応じて支払い額を変えることができなくはないから、これはそうたいしたことではないように思われるかもしれないが、そうでもない。これは当たり前のことなのだが、実はかなり重要なことでもある。罰というのでなくても、よくないことを抑制するために、むだを減らすために、料金を課すことがある。例えば天然資源の消費を抑制するために、生産・消費が環境に与える害を大きくしないために税をかけるといった手段を使うことがある。しかし、その税は富裕な人たちに対してさほどの抑制効果を与えない。だから、製品の価格を調整したり税をかけたりして望ましい状態を作り出したり維持したいのであれば、人々の持つものにあまり大きな違いがない方がよい。私たちが一つめに提示した方向――それはおおまかには平等の方に向かうものだ――を行く方がよいということである。
☆13 たとえばC型肝炎特別措置法ができたことはよかったことであるとされる。ないよりよかっただろう。ただ同時にこの法が対象としない人が残されることになった(北村[2008a][2008b])。」


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