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裁判における損耗

(『自閉症連続の時代』補章より)――「身体の現代」計画補足・73 立岩 真也 2015/10/13
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last update:2015

 『自閉症連続体の時代』
http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm
の補章「争いと償いについて」のはじめのところから引用を始め、9回めになる。
これまでの8回については
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
をご覧ください。今回の(いくつかリンク付の)HP版は
http://www.arsvi.com/ts/20152073.htm

本文を順番に載せていくというやり方は無理があるように思った。高くてすみませんが買っていただくよりないようだ。あと数回、その補章の註を掲載してこの続きものは終わりにする。
 なお勝村久司については近年の情報をまったく増補できていないが
http://www.arsvi.com/w/kh02.htm

『流儀』 (Ways)表紙    『自閉症連続体の時代』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 以下に引用する註は
 「医療過誤の裁判では、原告は多く真相が明らかになること、そして謝罪が行われることを求めている。金銭的な補償は、原告側の思いとしては第二義的なことであることがある☆08。けれども、経済的な困難が生じている場合もある。」を受けている

 「☆08 山本・北村編[2008]に収録されたシンポジウムの報告者の一人でもある勝村久司がそのことを語っているし、著書(勝村[2001])で述べている。また山田真が次のように語っている。
 「僕が関わった範囲、例えば医療事故による個別の裁判で言えば、被害者は実際に賠償金を請求するという形でしか裁判ができないから、金を請求しているけど、金をいくらもらっても済む話ではない。要するに、手をついて謝ってほしいということで始まるわけだよね。でも示談である程度のお金が出ることはあっても、ほとんど手をついて謝ってもらえる光景には出会えない。
 裁判なんて本当に悲惨なもので、被告なんてほとんど出てこない。全部代理人で、代理人同士が遣り取りすることで終わってしまって、それで、原告が出てきても被告にいっぺんも会えないままで終わってしまうとかということがよくあった。そうすると、例えば弁護士の利害から言えば、謝ってもらったってしょうがないというか、実質的に取るもの取らないとしょうがないわけだよね。確かにお金を払わないでただ謝るという形になることはあり得ないといえばあり得ないから、しょうがないのだけれども。とにかく患者さんの思いというものが裁判の早い段階で抑えられてしまって、裁判はこういうものだからこういうふうになるんだよ、と言われて、なんとなく納得できないままに裁判が終わるということが多かった感じはする。」(山田・立岩[2008b])
 裁判という仕組みがうまく機能しないことが多いこと、その意義を否定しないとしても、それに加えて別の仕組みがあった方がよいことを多くの人が感じており、例えば和田・前田[2001]など様々な提案がなされ、その一部は実現してもいる。その多くは意義あるものだと思う。ただここではその手前のところを考えておこうと思った。そしてその上で、なされている様々な提案を評価することもできると思う。例えば医療過誤訴訟のために産科医になる人が少ないといったことが言われる。まず、こういった話がどの程度事態を正確に捉えているかが問題なのだが、それでもいくらかは当たっているとしよう。だとして次に、提案されたり実行されたりする仕組みをどのように評価するか。むろんこの補章に述べたこと以外に考えておくべきことはあるが、それを加え、評価することができる。」


UP:20151013 REV:
自閉症連続体の時代』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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