last update:2015
『自閉症連続体の時代』
http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm
の補章「争いと償いについて」のはじめのところから引用を始め、6回めになる。
これまでについては
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
をご覧ください。今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20152069.htm
では以下、の前に「薬害スモン」については
http://www.arsvi.com/d/d07smon.htm
(古賀照男頁にリンク含む)、「山田への私のインタビュー」は『流儀』所収
http://www.arsvi.com/b2000/0811im.htm
いい本だと思っています。
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
「★06 例えば、スモンの訴訟において古賀照男という人がいて、他のすべての人たちが高裁での和解に応じた中、1人だけ裁判を継続し、負けて――彼の身体状態がスモンによるものであることが証明されないとされた――2003年に亡くなった。彼はものを書く人ではなかったが、短い文章として古賀[1986][1999]が残されている。また高山俊雄のインタビューに答えた古賀・高山[2000]がある。さきにもあげた小児科医の山田真の著書でも言及されている。
「被害者のなかで、ぼくたち「支援する医者」にも鋭く批判をするのは古賀照男さんくらいでした。古賀さんはスモンの患者さんでしたが、病気になる前は労働者で、病気になった後で加害者である「田辺製薬」を追求(ママ)するときも作業衣のままだったりしました。二〇〇三年に亡くなられましたが、最後まで製薬会社の追求(ママ)をやめず、その姿勢にぼくは深く感動し、また多くのものを教えられたと思っています。[…]
古賀さんの闘いでは古賀さんが主役で、医者も黒衣にすぎませんでしたから、スッキリした気持ちでかかわることができましたし、古賀さんの言葉からあらためて日本の医療の問題点を見直すことにもなったりしました。
しかし、被害者の人たちと医者とがこんな関係になれるのはめずらしいことで、医者が医療被害者運動の先頭に立ってしまうこともしばしばあったのです。」(山田[2005:242-243])
そして山田への私のインタビュー(→注03)でも山田はこの人に言及している。他に田中百合子[2005:93-98]に言及がある。
「わたしたちは、古賀さんに愛情をもっている仲間であり、古賀さんの気持ちは十分理解できると思ってはいたのだが、古賀さんに鋭く批判され、怒りをぶつけられたとき、体の具合が悪いわたしたちは、寛容の心をもってそれを聞き、ともに闘うということができなかった。
私も電話をもらい、あまりに理不尽なことを言われて大げんかをしたことがある。同じ病で死ぬか生きるかのときに、こちらも古賀さんのわがままをわがままとして受け止め続けることができなった。/古賀さんは私たちを見放した。古賀さんは、自分の怒りを受け止めてともに闘ってくれる仲間と田辺に対する抗議行動を続けた。」(田中[2005:96]、もう少し長い引用他をHPの「古賀照男」のページに掲載)
和解に応じた人たちよりも古賀が正しかったといったことを言いたいのではない。少数派が好きな少数の人たちはそんな人を覚えているだろうが、そうでない人もいる。私にしても、共感するところはあるにしても、結局は無駄なことをしない側に行くだろうとも思う。ただ、こうして分かれてしまい別れてしまうことをどう考えたらよいのかについて、いくらかのことを知っておいた方がよいと考えている。幾つかあった路線の差異についての分析・考察がなされてよい。主流の側は、批判されているし、またその批判が小さいなら、それを無視する。他方はもちろん主流派に言及する。ただそれは限られた人しか知らない。それはよくない。容易に集められるところから情報を集めていくことを少しずつ始めている。」