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原田正純/イヴァン・イリイチ/ユージン・スミス…(『自閉症連続の時代』補章より)

「身体の現代」計画補足・66

立岩 真也 2015/09/28
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1651680915098889

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last update:2015

 『自閉症連続体の時代』
http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm
の補章「争いと償いについて」のはじめのところから引用を始め、3回めになる。  『現代思想』の連載で同じようなことに触れていることは前回にも記した。そしてまた、以下にも書いてあるように、もっと前の別の本に記したことの続きのようなところもある。いかがなものかと、我ながら思うのだが、いつも、分量のこともあって本格的にはふれないまま、しかしやはり必要だと思って、また新たに知ること見つかることもなくはなく…、という次第だ。
 では、以下。「これらのこと」とはなんのことか、わからないはずだから、それは前回の分を読んでもらわねばならない。前回のFB掲載版は
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1650741741859473
 なお、今回のHP掲載版は
http://www.arsvi.com/ts/20152066.htm


 「これらのことは知られている人には知られている。ただどれだけの範囲に知られているのだろう。だから語る人は繰り返し語らねばならないことになる。二〇〇五年の六月、原田正純「尊厳死法制化を阻止する会」の集会でもそのことを――その集会に合わせた話というよりは、水俣病に関わることごとの歴史の概説といった内容の話の中で――語った。彼はその会の代表にさせられてしまったのだ★04。その時に「阻止」の主張に賛同者を募ったのだが、そこには例えば宇井純も名を連ねている。
 そのことを不思議がる人がいるかもしれない。公害・環境破壊と連続して生起する科学技術批判、現代医療批判は、「自然」を肯定する。するとその批判は、医療という技術に支配されない「自然な死」を肯定してもよいのではないかというのである。実際、そのような流れも存在しないではない。例えば、イヴァン・イリイチの思想は、その時代に大きな影響を与えたのだが、その「脱病院化社会」の思想をそのように受け止める人、利用する人たちがいる。
 すると私たちはいったい何を肯定し何を否定するのか。その答は単純なもののはずだという予感はあるのだが、それでもいくらか考え、説明する必要があるように思える。それで、『良い死』[2008b]の第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」でこのことについてすこし述べた。そこでは、ユージン・スミスが撮った有名な胎児性水俣病の子とその子の母親の写真が与えたもの、そしてそれが「封印」されることになった経緯などにもふれている。それでこの論点については、ここでは論じない。ただ、このような様々があるにはあったのに、忘れて、あるいは知らずに、なにか新しいこととして、昨今流行し出したテーマとして、こうした主題を論じようとするのは、あまり格好のよいとことではないように思う。これらで言われたことはたしかに、「脳神経倫理(ニューロエシックス)」や「エンハンスメント」といった最近流行りであるらしいテーマとまるで同じではない。しかし関係はしているはずだ★05。」

★04 2005〜2008年年の尊厳死に関わる運動については『唯の生』[2009b]第4章で、そのときに出された各組織の声明などは『生死の語り・行い 1』(立岩・有馬[2012])に再録されている。また原田は熊本大学に勤めた後熊本学園大学の「水俣学」の企画に関わった(原田[2007])等)。
★05 エンハンスメントについて第7章1節6(209頁)にすこし記した。脳神経倫理についての本も幾冊かあるが、そのなかで美馬[2010]。


UP:20150928 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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