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立岩 真也 20150725







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last update:20150827



◆立岩:斉藤さん、ありがとうございました。
 特に今日は、アフリカの話と障害者の話、一緒というか、そこのつながりみたいなところをしゃべってもらったんですけど、皆さんがどういう関心もたれているのかとかわかりませんけど、両方のことに通じている人ってあんまり日本はいないはずで、この人が誰だみたいなそういうことも聞いていただいたら答えられる範囲で答えてもらえるだろうし、そういうごくごく具体的なところも含めて議論していきたいと思います。
 その前に、聞きながら思った補足をちょっとします。僕らは生存学研究センターというセンターをやっていて、地域的にはもちろん日本の国内のことが多いんですけれども、グローバルCOEというのはとにかく世界でなんかしろみたいな、そういうことはやらなきゃいけないということはあったんです。やんなきゃいけないというだけではなくて、どういう形で関われるかなということは考えていました。
 その時に、いわゆる欧米、ヨーロッパとか北米とかオーストラリアとか、そういうのはいろんな情報も入ってくるし、研究交流とかも盛んだから、それはいいやという感じがあったんです。そうすると残るのはどこかということになりますけれども、アジア、アフリカあと中南米とかですか。3つともやれればそれはそれでけっこうなんだけれど、そんなお金もないし、手勢もいないという感じで、アジアはやっぱり落とせないというか、韓国とか中国とか、そういう人たちと連携というか交流というか、そんなことをぼつぼつとこの何年か、でも7年ぐらい、8年ぐらいやっています。
 ではなんで中南米じゃなくてアフリカなのかというと、これはあまり説得的な答え出せないというか、ただアフリカはこれから重要だぞという感じはずいぶん前からしていたし、僕が斉藤さんを知っていたというか、アフリカ日本協議会のこと知っていてということもあったりしたんだと思います。今皆さんが手に持ってもらっているその報告書(新山編[2015])の編者をしてくれている新山智基さんは、ここで博士論文書いて、それからそこにも書いていると思いますけど、生存学研究センターの副センター長の小川さやかさんという人類学者もアフリカのことをやっていて、この2人は現地に行っているんです。それはそれでけっこうなことでというか、大変大切なことであるに決まっているわけです。他にもそういう人たちが出てくるといいなと思っているんですけど、斉藤さんはアフリカに行ったことがないアフリカ日本協議会事務局長という人なんです。僕も行きたいなという気持ちはあるんだけども、体というか、時間的にも無理だというのも目に見えていて、そうすると日本にいたまま何ができるかということを考えるんです。
 それは、多分あるんです。今日も斉藤さん話してくれた中で言ってみれば、バックアップというんですかね、学者というのは、後ろにいて、後衛として働く、そういう仕事って、さきほども斉藤さん言っていたけれども、意外と大切で、前向いて走っている人たちはそこまで手が回らないということがけっこうある。その分、研究機関とか研究者とかがやれることはあるんじゃないかなというようなことは思ったりするんです。もちろん、それプラス、現地であるいは現地の人とどういうふうにということと、組み合わせていくといい。


 そういうことと関わりながら一つ、支援という領域、捉え方があります。支援っていいもんだという、それはいい、定義上いいものなわけです。ためになることをするというのが支援ですから。ただ、そこから考えなきゃいけないことはいくつかあるという話を斉藤さんはしたんだけれども、僕もそういうのはちょっとクールに考えてみるというのは大切なことだと思っている。たとえばさっきの一番目にしゃべった話とも関係あるんですけども、現地に行って支援する、これはいいことだと思うわけです。だけど、これは日本から何十時間もかけてお金も払って、何かやって戻ってくる。往復する金もいるわけです。そういったことを考えてみると、そのお金があるんだったら、現地の人にその分なにかして、お金出して働いてもらった方がいいじゃないか、そういう考え方もありうるわけです。
 そうすると、支援ならいいというわけじゃなくて、どういうふうにどういう形で支援というものをしていく方がいいのか。これはべつにアフリカの話だけではなくて、たとえば東北で震災がありましたけど、最初の数日とか数週間とか、場合によっては数カ月とか、とにかくするべき仕事のわりに人がいないわけだから、働ける人が誰でもでも行って、とにかくやれることをやるというのがいいことかもしれない。ただひと段落ついたら、あとは現地の人に働いてもらって、その働いてもらうためのお金を出すとか、そういうふうになってらいいかもしれないです。これは「かもしれない」なので、そうじゃないかもしれないんですけど。そんなことを考えるというのも、一つ研究としてはおもしろいというふうに思ったりします(cf.立岩[2015])。そういう意味で言うと、斉藤さんが紹介してくれた、こっちに誰か呼んでリーダーになってもらって、その人が現地戻って仕事することをバックアップするというのは、わりとお金の使い方としては効率的、そういうやり方があるのかなということも思うんです。
 それに話をつなげていくと、さっき日本財団という財団の名前出ましたけど、この財団は昔からハンセン病に関する活動を昔からやったきたところがあって、伝染病とかそういうところに目を向けてきた財団でもあるので、関係あるかもしれません。そちらは僕はよく知りません。日本の場合で知っているところだと、もう30年以上前からダスキン、ミスター・ドーナツが日本のリーダー育成みたいな形で、アメリカとかそういうところに障害者を派遣するということが始まって〔公益財団法人ダスキン愛の輪基金により1981年に開始、当初の名称は「ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学派遣」〕、今でも続いています。我々の院生にもその研修をしてきたのが何人かおりますし、僕と一緒に本を書いた安積純子であったり、それから障害学会という学会の最初の会長やった石川准もそうです。そういう意味で、なかなか成果は上がったとはいえる。ただ日本のリーダー派遣も最初は身の回りのことは自分でできる人みたいな条件があったんです。今はそれはとっぱらわれていて、かなり重い人もそういったなんか援助する。まず簡単なところというか、できそうなところというか、そういうところから始まりました。そして、やがて日本への受け入れも始める。そういう海外からの受けいれは他の団体もやるようになりっています。
 すると、どこからどこに、何を伝えていくかということになります。国際的な目標、アフリカこれからどうしていくか、障害者のことは、まず教育と労働という話になって、これは大変よくわかる話なんです。勉強して学歴をつけて、働けるようになる。これはまさに普通の意味での社会開発につながっていく。大変よくわかる話でありながら、でも、これって、日本も辿ってきて、その後、どうなの?ということになった話でもある。学校に行けるようにするというあたりが一段落ついた時に、それだけでよかったのかということを考えて、それでもって、そこの中にとりこぼされている人っている、重度の障害者っている、働ける、勉強できるって方向のことだけとはなにか違うんじゃないのっていうことを、日本の場合は45年ぐらい前に体験した。そういうものを、今いわゆる国際支援だとか、開発援助であるとか、そういうものにどうつなげていくのかという、そういうことも考えどころというか、おもしろいところなんじゃないかなというふうに私は今斉藤さんの話を聞いておりました。

◆立岩:これ〔PCの画面〕は生存学のホームページなんですけれども、そこの中でページ内の検索っていうのがあるんです。そこからも行けますし、表紙の「Africa」ということろからも行けますが、斉藤さんが、本格的には2005年から、ずっとアフリカに関する新聞報道とか量の多いテキストのデータベースを作ってくれていて、この中に入っています。それから、特にアフリカとエイズの問題、HIVのその治療、薬の問題が大きかった時に、2005年ぐらいから資料集を作って自家製本して、しばらく売っていました。今はワードのファイルだけで提供しています(アフリカ日本協議会・三浦[2005a][2005b]、アフリカ日本協議会・立岩編[2005]、アフリカ日本協議会編[2007]立岩・アフリカ日本協議会編[2007])。もし関心があるのだったら、見てください。
 モデルという話でいうと、「アハマット」というので検索してみてください。ザッキー・アハマット(Zackie Achmat)という男性が出てきます。南アフリカ政府は、長いことHIVの治療に積極的じゃなかったんです。彼はそれに業を煮やして、薬ハンストというのかな、政府が態度変えない限り、薬を飲まないということをやった。もちろん、薬を飲まないと状態は悪化していくわけです。アフリカでそういうことして政府を動かしたんす。僕はけっこう好きです。そういうのでも、多分日本人のほぼ全ての人知らない。彼がノーベル賞をとるという話が一時期あって、あの時本当にとっていたら、世の中けっこう変わったと思うところもあります。そういう、知られざる英雄というか、そういう人がいたりするんです。そういうのって、我々にとっても、気持ちというか勇気というか、そういうのももらえたりする。その人に関わる記録もさきの資料集に入っています。僕らは英雄にはなれないけれども、知らせていくというか、そんな仕事はやってきているというようなことを、ちょっとおまけで付け加えておきます。

◆立岩:我々が思うよりはいろいろな活動があったり、国際交流みたいなのが実はけっこうあったりします。むしろ、学者の方がさぼっているというか、そんな印象を私は持っています。

◆立岩:ありがとうございました。たとえばこれからアフリカいろんな企画があって、そういったものもできるだけお伝えしたいなと思いますし、ホームページに載せたりしてお知らせしていきたいと思っています。いろいろな形で情報提供できるかと思いますので、そんなふうにこれからも使っていただければいいかなというふうに思います。
 今日は参加者数は少なかったですけれども、よいやりとりができて、斉藤さんもだいぶ言いたいこと言った、まだ言いたいことあると思いますけれども、多分きりがないと思うので、ここらへんで終わらせていただきます。皆様どうもありがとうございました。斎藤さんどうもありがとうございました。




◆アフリカ日本協議会 編 2007 『アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第4部 課題は克服されたのか? 南アフリカの現状報告を読む』,<分配と支援の未来>刊行委員会
◆アフリカ日本協議会・三浦藍 編 2005a 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第2部 先進国・途上国をつなぐPLWHA自身の声と活動』,<分配と支援の未来>刊行委員会
◆―――― 2005b 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第3部』,<分配と支援の未来>刊行委員会
アフリカ日本協議会立岩 真也 編 2005 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争――第1部 アフリカのエイズ問題』,立命館大学大学院先端総合学術研究科立岩研究室
◆立岩 真也 2015 「田舎はなくなるまで田舎は生き延びる」,天田・渡辺編[2015:188-211]
◆立岩 真也・アフリカ日本協議会 編 2007 『運動と国境――2005年前後のエイズ/南アフリカ+国家と越境を巡る覚書 第2版』Kyoto Books(アフリカ日本協議会編[2007])の第2版)
◆天田城介・渡辺克典編『大震災の生存学』,青弓社
◆新山 智基 編 2015 『アフリカの病・医療・障害の現場から――アフリカセミナー『目の前のアフリカ』での活動を通じて(生存学研究センター報告23)』,立命館大学生存学研究センター23


UP: 20150827 REV:20151206 
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