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『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』

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立岩 真也 2015/10/01 『現代思想』2015-10
『現代思想』連載(2005〜)

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last update:2015

立岩 真也 201510 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社 ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 [amazon][kinokuniya] ※ m.

『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

 ※以下章の題等に一部変更があった。

■新刊・2、より今回は「病院化についての覚書」から
 先月号で『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』が九月に出たことを知らせた。その後、『認知症の時代に精神病院体制を終わらせる』〔→『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』〕が、これは単著になるが、十月半ばに出る。
 構成としては『造反有理』の後に書いた「精神医療現代史へ・追記」十四回分のうち『わらじ医者』の方にもっていった二回分を除いた分が中心になる。そのときどきのことを報告し、繰り返しながら進んだから、かなりの直しを入れ、第1章から第4章とした。
 まず、いつも長々とどういう話であるかわからないと言われるので――実際にはもう長いことそういう工夫をしているのだが――最初に「この本の読んでもらいかた」を置き、第1章「いま+何が言えるか」ではこのごろどんなことが起こっているのかを示した後で、その本で何を言うのかを述べた。
 第2章「京都十全会――告発されたが延命したことから言えること」が一番長い。『わらじ医者の来た道』にも書いたことだが、その病院はわらじ医者早川一光が活動した病院とは対照的なものだったが、前者の方が成功した。他の悪徳病院に比べれば、十分に長い間、問題にされたが、それは立派に生き延びた。その事情を考えることによって、ではどうするのがよいのかを述べている。
 第3章「地域移行・相談支援」では、経文のように地域地域と唱えられているにもかかわらず、それに金も人もかけられていないこと、それはたんに金を惜しんでいるというだけのことではないこと、そしてここでもではどうしたらよいのかについて述べている。
 第4章「認知症→精神病院&安楽死」では、認知症者が精神病院の顧客となっていること、他方では安楽死・飢餓自殺の主体・対象ともなっていることを紹介し、自分自身を含む人がその状態になった人のことを決めることについて考え、そして第3章に続いて、たんに本人の支持に従い行為・生活の手段を提供すればよいとも言えない部分の「支援」について、そしていくらで対立・衝突の場面にどう処するかについて述べた。こうして、繰り返しながら各章で言えることを足していった。ごく基本的なことは述べられたと思う。
 そして[補・1]に「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」という文章と「病院と医療者が出る幕でないことがある」という講演(を文字したもの)を置いた。[補・3]は「精神」関係そして/あるいは認知症に関わる本を紹介した文章を並べた。この分野はよく知らない領域だが、かなり以前に書いたものを含めて集めるとそれなりの数になった。ゴッフマン、A・ヤング、大熊一夫、出口泰靖、天田城介、べてるの家、「精神病」者グループごかい、…。そして医療社会学や臨床社会学を名乗る書籍、等々を紹介した。加えて、佐藤幹夫『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』の書評、他。
 [補・2]は「病院化についての覚書」。今回はこの部分を三分の一ほどに圧縮・変更し、引用・註をなくし、文献もごく一部を除いて省いたもの。もとはさきに記した「精神医療現代史へ・追記」十四回分の初回「『造反有利』はでたが、病院化の謎は残る」他に記したことを大幅に書き換えた部分だ。以下「前書」は『造反有理』を指し【 】はその頁を示す。「本書」は『認知症の…』を指す。
 それは、この「連載」では、ごく簡単には既に示し、そしてもうすこし先の方に述べること、つまり、損得の両方を、そして様々な場にいる人によって異なる得失を考えようということに関わる。そして、ここ数回記してきたこと、つまり病・障害と呼ばれるものに複数の契機があるとしたことにも関わる。例えば、すくなくとも日本語では精神病(疾患)・精神障害と二つは呼び名があることもこのことと関係しているだろう。
 そしてさらに、五つのうちの五つめ、まだ述べていない「加害」をどのように捉えたらよいかということにも関わる。私は今のところ加害を狭くとらえようとしている。ただ、本書(『認知症の…』)で「厄介ごと」等と言う時、それはもっと広い部分を指している。例えば世話・扶養させられるが――そのことを家族は法によって定められてしまっている――しきれないといったことがある。現実にはむしろそうした「害」のほうが大きいこともある。「社会防衛」もただ犯罪からの防衛を目指してなされてきたのではない。それでも、むしろだからこそ、今のところ分けながら話を進めたよいとは思っているのだが、考えておく必要はあると思う。
 以下、「病院化についての覚書」大幅圧縮版。

■予め押さえておきたいこと

■救済は最初にもってこられる

■防衛は精神病院化のもとにあった

■かなり遅くになっても言われ、気づかれぬように後景に退いた

■家族・家族会も支持した

■脱病院化を肯定しつつ状態は維持され拡大した

■需要側・供給側要因は概ね把握されていた

■ゆえに変えられなかったが、それでも変わる

■しかしナーシングホームよりよいと言う

■病棟転換・退院支援施設・老人保健施設…

■にもかかわらず可能であること


■文献
早川一光他・立岩真也・西沢いづみ 2015 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』、青土社
後藤 基行 2012a 「戦前期日本における精神病者の公的監置――精神病者監護法下の患者処遇」,『精神医学史研究』6-2:126-133
―――― 2012b 「戦前期日本における私立精神病院の発展と公的監置――「精神病者監護法」「精神病法」下の病床供給システム」,『社会経済史学』78-3:47-70(379-402)
後藤 基行・安藤 道人 2015 「精神衛生法下における同意入院・医療扶助入院の研究――神奈川県立公文書館所蔵一次行政文書の分析」,『季刊家計経済研究』108
立岩真也 2015 『認知症の時代に精神病院体制を終わらせる』、青土社


UP:20150909 REV:20151003
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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