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生の現代のために・3――連載・112

立岩 真也 2015/06/01 『現代思想』43-10(2015-6):8-19
『現代思想』連載(2005〜)

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last update:2015

生の現代へ:文献表

■再開について
 『造反有理』(立岩[2013]、以下筆者の文献著者名略)そしてその「追記」を前回でいちおう終わらせた。だいぶ整理せねばならないが、その作業を行なって、本([2015a])にしてもらう。
 その前の二回が二〇一四年三月号「生の現代のために・1」、四月号「2」だった。せいぜい六〇年ほど前から、そして現在――以下、ときに現代史や歴史といった言葉を使うことがあるが、現在と過去を対比させ現在を省こうという意図はまったくない――「ちかま」で起こってきことをどう見るか。それはその時に新たに書き始めたものではなく、二〇〇一年頃から幾度か書いたものがそのままになっていてそれを再度書き足し考えなおすものであることもその時に述べた。続けるはずだったその続きを再開する。
 「1」「2」では、他でも幾度も述べている★01「集積」の必要性とその作業が、今はまだ、あるいは今だから、できることを述べた。具体的な計画については、どうしてか一貫して採択されない文部科学省の科学研究費の申請書類に書いてあり、毎年秋提出してきたその書類はウェブ上で全文をご覧になれるので(→「arsvi.com」の表紙→「歴史」)略す。
 今回は、とりあえず可能な簡便な方法・工夫についていくらか述べる。長いものが書きにくくなっていることは「1」でも記したが★02、そのうえでできることとして、またそれを別としても、「本体」を作るためにも、またそのついでに、資料を集め公開していくのが効率的であろうと述べる。そして私(たち)が、そうした作業の一環として、また別途、資料・史料をデータ化していくことを述べる。そして、その手前の仕事ということになるが、文献・資料を集めることについて、そして話を聞くことについて述べる。
 次回、その続きを少し続けた後、「中味」の記述を、それがどんな「粗筋」になるのかを記してから、始めるのだが、結局私が書けるのは、ときに細部にこだわりつつながらも、大雑把なことでしかない。そんな半端なものを書き続けることについて述べておく。
 多くの場合にはただ調べて書いていけばそれで十分だとも私は思うのだが、それでもときには、どのように書くのか、何ごとかを言うのか、言うとしたら何を言うのかを考えねばならないこともある。そこで、私の見立てではこんな感じだといったことを書いたら、参考にしてもらえるかもしれない。そんなこともあって文章を書いてきたのでもあるし、これから書いていくものも、そうした性格のものになる。私自身が書いたきたもの/書いていくだろうものは、いつも、きちんと詳しく調べたというようなものではない。
 まず、まともに書かれたものが実はない(に近い)ことを知らせるという単純素朴なことがある。実際ないことが多々ある。なぜないのかについては、それなりに理由があること、推測できることもある。また見当がつかないこともある。ともかく意外なほど何も調べられていない領域がある。
 人々が生きていれば、その間のことである限り、すくなくともその時期においては知られている、というものではない。まずこうした単純な意味で、知られていないこと、知られていないことが知られていないことがある。その時も、忘れられたというより、多くの人にはそもそも知らなかったことが多々ある。ごく一部の人たちにしか知られなかったりしたことがある。そしてまた、いっときは知られないでもなかったことが忘れられる。中には――「学術雑誌」に載る論文もたいがいはそうなのだが――十人ぐらいの人にしか読まれなかったものもある。それが再掲されることになり、かえって、今になってそれを読む人の方が多くなったりすることもある。
 すると、その「当時」でさえ知られていなかったようなことを今さら取り出すことになにか意味があるのかと思われるかもしれない。
 ただまずは誤解さえしなければよい。例えば過去に何か勇ましいことが書いてある文書があったからといって、その時期の人々がみな勇ましかったり野蛮であったりしたかというと、けっしてそんなことはない。変わった人たちがすこしいて、そしてほとんどの人たちはそんな人たちのことを知らなかったという方が普通なのだ。
 その上で、数の多さが第一義的に大切なわけではなく、けっして「世論」を代表してなどいないものであっても、その時のことを集めて読めるようにしてもよいと言えば、それ自体は否定はされないだろう。さらに、知ることが今何かを考えるときに使えることがあるときがある。またときには、消えてしまったことのいわれを知ることに意味があることがある。言いにくさがあって言い淀んでいる間に、本当に忘れらてしまうこともある。そのような跡を辿る意味のある場合があると思う。
 そして不在や希薄は、「学問」において、ときにそういう場であるからこそ、起こることがある。どんな事情でそうしたことが起こるのかについては、これから述べていくことに即して書いていくから略す。そして、今、また主題によってはこれからしばらくが、それを埋めることが可能なあるいは都合のよい時期であることも後で述べる。ただ、学における不在・希薄は――特定の主題そのものに関してだけ言えば――「先行研究」を網羅的に調べてから次に行く、その「上」を目指すという手間を省くこともできるということでもある。調べれば調べただけのことが書けることもあるから、ものを書く人にとっては楽なこともある。そしてこれから何か研究などしようという人がその事実を知らないということがある。だからそれをまず知ってもらうという役割が私(たち)にあると考えている。
 むろん私がおもしろいと思うものを人はそうは思わないかもしれない。当然のことだ。だが同時に、だからものを書くという仕事をしているのでもあるが、おもしろいと私が思うものが、別の人(たち)にとっても意味のあるものだと思ってもいる。そして、別の人(たち)がこれを集めておこうと思うものがあるだろう。それは私にとってはさほどおもしろいとは思えないものであるかもしれない。けれどもHPならなんでも――このことは次回に紹介するが――収録し掲載する。そうして多様性は増大していく。そしてそれでも偏りはなくならない。しかしそれはそれでかまわない。

■使い分けること

■資料をもらいうける
 使うためにはその資料がなければならない。国会図書館がもちろん一番あてにはなるが、使い勝手はよくない。そして、出版社から出されたものでないものなら、わざわざそこに送られたもの以外はそこにはない。主題によるが、研究機関にもないものはない。
 そして、個々の人や組織のもとにあるものがある。それらを整理したほうがよいだろうとは思いながら、多くの人は忙しいから、たいがいそんな手間をかける暇はない。そして、その人たちとともに、あるいはしばらくたって、あったものが失われることも稀ではない。
 ただ、記したようなことをしていると、書かれたもの刊行されたものを集めたがっていることを知る人がいる。それで、「センター」の方に、これまで幾人かの人たちから寄贈を受けている。精神医療の関係では、二〇一一年に亡くなった広田伊蘇夫の蔵書を、彼に関係した人の仲介でもらいうけた。その前後、尾上浩二、椎木章、福永年久、吉川勇一、星野征光といった人たちから書籍・資料を贈与あるいは貸与されている。尾上からはDPI(障害者インターナショナル)日本会議事務局長就任に際しての引っ越しの折に報告書等を、また二文字・椎木編[2000]の編者でもある椎木からは七〇年代以降の大阪での部落解放運動と障害者運動との関連に関わる冊子等をいただいた。福永からは兵庫・大阪青い芝の会関連他の膨大なそして細々とした資料を貸与された。ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)の事務局長だった古川からはそれにまつわる書籍の一部(その組織に関わる資料は別途立教大学に寄贈されている)をいただいた。大阪・高槻市の光愛病院に長く務めた星野からは『精神科医共闘ニュース』のコピー他を提供された★07。
 所謂活字媒体のものばかりというわけではない。ウェブ上にある情報も確実に保存されるとは限らない。むしろこれから消えてなくなるものが多いだろう。そのなかに残っていってほしいものがある。
 これまで私が関わってきたところでは、ALSの人で逝去された西尾等(一九四九〜二〇〇二)が作成していたホームページが閉鎖されたおり、そのファイル群の寄贈を受けそれをそのまま収録してもいる(西尾[1999-2002→2003]、こちらのサイト内を「鳥のように風のように」で検索)。またやはりALSの佐々木公一は著書(佐々木[2006])や修士論文(佐々木[2009])もある人だが、二〇〇〇年からメールマガジンを出し続けている(佐々木[2000-])。それを再録している。そのバックナンバーの全体は、もう本一冊分ほどにはなっている。

■人に聞く

 […]

■註
★01 例えば、『造反有理』もその続きもそんな気持ちで書いたのだが「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」([2012b])。実際に書いてきたもののいくつかは「1」で紹介した。また、ごく短いものだが「たんに、もっとすればよいのに、と」([2013c])、さらに短いものでは「学者は後衛に付く」([2008a])。そしてとても長いものとして立岩・天田[2011a]。
★02 様々な例をあげられるが、例えば紹介を依頼されて書いた([2008c])書籍では『分別される生命』(川越・鈴木[2008])、『生命というリスク』(川越・友部編[2008])といった書籍があり、前者に収録されている「誰が「生きている」のか――痴呆・認知症・心神喪失」(柿本[2008])は有意義な論文だが、本誌三月号が特集し(そして私そのその号に少しを記した)認知症のことを考えるためには、もっとたくさん知りたいと思う。これを読む人は、もうすこし長い時間の中で、その言葉がどのように現れたり、変わってきたのかを知りたいと、きっと思う。しかし他に様々の異なった主題の文章が並ぶその本のその章にそれを望むことはむろん無理なことであり、また、この主題だけについて研究してきたのはでないこの論文の著者にその仕事をお願いするわけにもいかない。
★03 尊厳死だとか治療停止だとか呼ばれる出来事についての書き物にしても、この国で「学術的」なものとしてあるのは法律や裁判にかかわるもの、分野としては法学に関わるものが多い。むろんそれはそれとして重要・必須だが、それだけで足りるわけではない。このように言えば、それはそのとおりだと言ってもらえるだろうが、報道で過去が紹介される場合も含め、過去の判例が幾つか引かれて、過去の分は終わることが多い。その一つの判決に関わり、後に日本尊厳死協会の理事長も務めた――ことはそれほど知られていないだろう――成田薫による記述は以下。
 「安楽死の合法性を認める特別用件を定めた世界初の判例が、一九六二年の山内事件に対する名古屋高等裁判所判決です。当時、名古屋高等裁判所の判事であった私が、主任判事として関与し、次の六要件が定められました。」(成田[1998:44])
 法学関連以外の文献がないわけではなく、ジャーナリストや文筆家と分類される人たちによる斎藤[2002]、向井[2003]といった著作がある――本誌に掲載された向井の最近の文章として向井[2015]。『看護教育』(医学書院)での本の紹介の連載([2001-2009])から、これらを紹介した分を[2012e]に註を付したうえで再録した。
 その前の関連する拙著では『良い死』([2008b])は、考えたことを書いた本で、その本には誰がいつ何を言ったのかをといったことはあまり書いていない。とりあえず考えたことを並べていったら一冊分の本になってしまった。それで、書ききれなかったこと、収められなかったことは、『唯の生』([2009])になった。そこにいくらか、歴史に関わる章を置いた。第2章が「近い過去と現在」、第3章が「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」、第4章「現在」。その後[2012e]を収録した立岩・有馬[2012]を刊行したのだが、順序としては、いくらかのことを読んでそれで考えて書いた。なおこの本は、知って考えることが終わったかのようにされ、だから代わりに教え広めることがその仕事になってしまっているように思えた学会の大会にまにあうように急いで作った本だ。その大会の時の講演として[2012d](その記録はないが予稿集に載った文章[2012c]と学会のニューズレターに載った報告[2013a]があってこれらは全文を掲載している)。
★04 読んでもらってよいと思う情報が本に記すより多くなってしまうのをどうするか、当初からどうしたものかと、「フロッピーディスク」の郵送による提供は安積他[1990]の時から行なってきて、そのときに行方不明になってしまったもの以外はHPに掲載されている(ただ多くは更新されていない)。私にとっての順序としては、書くために集めそして書ききれず余った情報があって、それを置いておき公開する場所としてようやく実用化されかけていたウェブという媒体があったということになる(立岩・天田[2011b:14-15])。
 それ以来、本とHPとの両方を使っている(このことについてのかなり以前の紹介として[1999][2002]。)例えば『ALS』は四四九頁のだいぶ大きな分量の本ではあるのだが、その本のために作り始めた資料はさらに多くある。その本にでてくる多くの人たちのうち五〇人ほどの人々についてのファイルがある。またその人たちが書いた本についてのファイルがある。様々な催しの案内であるとか、そうした情報を集めた年別のファイルがある。日本ALS協会という団体があり支部があるのだが、それらについてのファイルがある。それらを合わせると、本にした文字量の四倍ほどの資料がある。
 そしてその私の本は、いったん、一冊の本におさまる範囲で、そして当然、それが発刊されたまでのことのいくらかをまとめたものでしかない。その本に書かれたことのすくなくともある部分については、発表の形態についてはいくつかの方法があるだろうが、ともかく、その続きが書かれる必要がある。そして刊行されて十年は経ったが、本のほうはそう簡単に版を変えることこともできない。(実際には滞っているのだが)これらのページを更新・増補することで対応することになる。そのためにも資料の収集を継続する必要がある。しかし今のところ、それを行なう人はいない。そんなことが多くある。引き継ぎをどうするか。どんな仕事でも当たり前に気にされていることが、この国の人文社会系の学問の、とくに人手が足りていない領域において、なかなかうまくいっていない。ただ本来、さほどにはならない手間をかけさえすればそう難しいことではない。例えば『造反有理』([2014])に関係する資料はいくらかは自身でも作ったが、複数の人が関わっているので、見るに足るものになっている。
★05 一九六二年の、直接註3で言及した高裁判決とは直接関係なく出された、成田が自賛して言うのをまねれば、安楽死尊厳死に関する障害者による文章を編んだものとして「世界初」であるかもしれない同人誌『しののめ』の特集号他を収録した。これから出すものも含め、収録内容の詳細はhttp://www.arsvi.com/ts/sale.htm(「立岩真也」→「販売します」)で知ることができる。また本「連載」(のもちろんこの回)も含め、書籍のすべてのその他の書きもののいくらかについて、すくなくとも文献表をHPに掲載し、人や文献のページにリンクさせている。
★06 グローバルCOEプログラム「生存学創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」が二〇〇七年から二〇一二年までの間あった。日本学術振興会のホームページの解説では以下。「グローバルCOEプログラムは、平成十四年度から文部科学省において開始された「二一世紀COEプログラム」の評価・検証を踏まえ、その基本的な考え方を継承しつつ、我が国の大学院の教育研究機能を一層充実・強化し、世界最高水準の研究基盤の下で世界をリードする創造的な人材育成を図るため、国際的に卓越した教育研究拠点の形成を重点的に支援し、もって、国際競争力のある大学づくりを推進することを目的とする事業です。」こちらのプログラムは、二〇〇七年度開始の「学際、複合、新領域」という領域で選ばれた十二拠点のうちの一つだった。このプログラムは政権がいっとき変わった時の事業仕訳でなくなった。その五年を(ほぼ)終えて思ったことは[2012a]に記した。現在はこのCOEプログラムが始まったのと同時に開始された大学の「生存学研究センター」に活動が引き継がれている。日本学術振興会に二〇〇七年に提出した申請書類の冒頭より(全文はHP)。
 「[構想]様々な身体の状態を有する人、状態を経て生きていく人たちの生の様式・技法を知り、人々のこれからの生き方を構想し、あるべき社会・世界を実現する手立てを示す。
 [目的]人は様々な異なりのもとで生きてきたし、生きている。人がみな同じなのであれば、人はみな同じだけ働くことができ、交換は起こるとしても、贈与の必要はない。また、人がみな同じなら、他者を欲することもないかもしれない、同時に、敵対の理由も見つけにくいかもしれない。しかし人は異なる。人とその身体は不可避に変化する。だから私たちは「周縁」的なものが珍しいからそれを問題にしようとするのではない。普遍的な現実を主題にする。むしろ、多くの学問が数少ない「普通」の人を相手にしてきたのだ。
 もちろん病人や障害者を対象にする医学や福祉学はある。ただ、それは治療し援助する学問だから見えるものが限られる。はるかに多くの現実がある。同じ人が技術に期待しつつ技術を疎ましいとも思う。身体を厭わしく思うが大切にも思う。援助を得ながらもそれと別の生がある。自ら得たものがある。援助する人・学問・実践・制度と援助される人との連帯・協力があると同時に、摩擦・対立がある。それらがしっかりと捉えられ考えられることはなかった。そこで私たちが本格的に学的に追究する。その上で、未来の生のあり方、支援のあり方を構想する。」
 その後、具体的に行うこととして「集積と考究」「学問の組換」「連帯と構築」の三つをあげているが、直接に関係するのは一番目。その最も短い説明が以下。
 「第一に、その歴史と現在とを知り、考える。障老病異を巡って起こり語られてきた、膨大に知られるべき事実があり資料もある。だが、その集積はどこでも本格的にはなされていない。実践的な諸学においては自らの仕事に直接に関係する範囲の情報だけが集められてきたためでもある。またその含意が十分に深く検討されることはなかった。多くの学術論文は、事実の記述をいくらか行い、その後少し考察を行うと終わってしまう。共同作業・共同研究によって集めるべきものを集めきり、それを土台にして、本格的な考察がなされるべきである。[…]」
 その以前は、資料集を作って印刷して郵送していた。立岩編[2005]、アフリカ日本協議会他[2005]、立岩・小林編[2005]、立岩・定藤編[2005]、立岩・アフリカ日本協議会編[2007]がある。印刷したものはほぼなくなったので、それらは、現在はMSワードのファイルで提供している。
★07 このうち、広田から寄贈されたものについては提供者側からの資料をもとに作ったリスト、椎木のものについては堀智久(著書に堀[2014])が作成したリストを掲載している。光愛病院が関西における精神医療改革の拠点の一つであったことについては桐原・長谷川[2010])。
 これらのいただきものやその整理についてはフェイブックでの連載(HPに再録)[2014-]で記している。例えば以下。「今のうちにでないとできないこと(『造反有理』前後/広田伊蘇夫文庫)」((3)・ 2014/08/29)、「レア文献」((6)・2014/09/21])、「資料について、の前に、書いてしまったもの幾つか」((7)・2014/09/26])、「尾上浩二さん・広田伊蘇夫さんからのいただきもの((10)・2014/10/06)、「不定型な資料を整理し始めたこと〜横田弘一九七四」((14)・2014/12/20)、「不定型な資料をまとめ出したこと」((15)・2015/01/08)。
★08 看護者への聞き取りをして書かれたものに阿部[2015](その一部は本誌に掲載された阿部[2014]がもとになっている)。
★09 註3に記したことに関連し、一九七〇年代末の安楽死法制化運動と障害者の運動との関係について、私は横田弘に聞くことができただろうに、予備知識がなかったために、聞けなかった。だから横田他[2015]でもまったく出てこない。またこの時期に出された清水[1979]の著者清水昭美にも、第二次の「法制化を阻止する会」の企画で幾度も会ったり話をしているのにもかかわらず、聞くことができていない。ちなみに、[2012]で紹介した斎藤、向井の本とともに紹介した清水[1979]の初版は清水[1964]であり、それは戦時下でなされたことについて書かれたものを別にすれば人体実験を告発する本としての国で最初のものであったかもしれない。

■文献 ※はウェブ上で全文を読めるあるいは注文できる
阿部あかね 2014 「精神医療改革運動を看護者はどのようにみていたのか」、『現代思想』42-13(2014-9)
―――― 2015 「精神医療改革運動期の看護者の動向」、未発表
アフリカ日本協議会・立岩真也・三浦藍 編 2005 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第1部〜第3部』、Kyoto Books ※
安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店
早川一光氏/立岩真也(聞き手) 2014 「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史」、『現代思想』41-13(2014-9)
堀智久 2014 『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』、生活書院
稲場雅紀・山田真・立岩真也 2008 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』、生活書院
柿本昭人 2008 「誰が「生きている」のか――痴呆・認知症・心神喪失」、川越・鈴木編[2008:275-312]
川越修・鈴木晃仁 編 2008 『分別される生命――二〇世紀社会の医療戦略』、法政大学出版局
川越修・友部謙一 編 2008 『生命というリスク――20世紀社会の再生産戦略』、法政大学出版局
桐原尚之・長谷川唯 2010 全国「精神病」者集団の結成前後――大阪・名古屋・京都・東京の患者会の歴史」『立命館人間科学研究』28:27-40 ※
楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会 編 2014a 『追悼楠敏雄――その人、その仕事、その思想』、楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会
―――― 2014 『追悼楠敏雄――その人、その仕事、その思想 一言集』、楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会
向井承子 2003 『患者追放――行き場を失う老人たち』、筑摩書房
―――― 2015 「国益としての健康」、『現代思想』2015-3
成田薫 1998 「尊厳死思想とその根底にあるもの」、日本ホスピス・在宅ケア研究会編[1998:41-51]
日本ホスピス・在宅ケア研究会 編 1998 『徹底討論 安楽死 尊厳死 リビング・ウイル――豊かな生を求めて』、岐阜新聞社出版局
二文字理明・椎木章 編 2000 『福祉国家の優生思想――スウェーデン発強制不妊手術報道』、明石書店
西尾等 1999-2002 『鳥のように風のように』(閉鎖)→2003 ※
岡江晃 2013a 『宅間守精神鑑定書――精神医療と刑事司法のはざまで』、亜紀書房
―――― 2013 『統合失調症の責任能力――なぜ罪が軽くなるのか』、dZERO(インプレス)
大野萌子/立岩真也・桐原尚之・安原壮一 2014 「私の筋が通らない、それはやらないと」、『現代思想』42-8(2014-5)
斎藤義彦 2002 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』、ミネルヴァ書房
佐々木 公一 2000- 『週刊/ALS患者のひとりごと』 ※
―――― 2006 『やさしさの連鎖――難病ALSと生きる』、ひとなる書房
―――― 2009 「ALS(筋萎縮性側索硬化症)療養者ができることを見いだすきっかけと促進要因」東海大学健康科学研究科修士論文 ※
清水昭美 1964 『生体実験――小児科看護婦の手記』、三一新書
―――― 1979 『増補 生体実験――安楽死法制化の危険』、三一書房
杉本健郎/立岩真也(聞き手) 2010 「「医療的ケア」が繋ぐもの」、『現代思想』38-3(2010-3):52-81
立岩真也 1999 「ホームページ<生命・人間・社会>」、『日本生命倫理学会ニューズレター』16 ※

―――― 2002 「使えるページを楽して作る」、『臨床看護』28-9(2002-8) ※
―――― 2004 『ALS――不動の身体と息する機械』、医学書院
―――― 2008a 「学者は後衛に付く」、『京都新聞』2008-1-30夕刊:2 現代のことば ※
―――― 2008b 『良い死』、筑摩書房
―――― 2008c 「書評:『分別される生命』『生命というリスク』」、『週刊読書人』2753:4 ※
―――― 2009a 『唯の生』、筑摩書房
―――― 2009b 「軸を速く直す――分配のために税を使う」、立岩・村上・橋口[2009]
―――― 2012a 「五年と十年の間で」、『生存学』5:8-15 ※
―――― 2012b 「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」、『精神医療』67 ※
―――― 2012c 「飽和と不足の共存について」、『日本生命倫理学会第24回年次大会予稿集』:26 ※
―――― 2012d 「飽和と不足の共存について」(大会長講演)、日本生命倫理学会第24回年次大会 於:立命館大学衣笠キャンパス
―――― 2012e 「ブックガイド・医療と社会」より」、立岩・有馬[2012:173-203]
―――― 2013a 「飽和と不足の共存について」、『日本生命倫理学会ニューズレター』 ※
―――― 2013b 『造反有理――精神医療現代史へ』、青土社
―――― 2013c 「たんに、もっとすればよいのに、と」、『社会と調査』11:148 ※
―――― 2014 『自閉症連続体の時代』、筑摩書房
―――― 2014- 「身体の現代」計画補足・1〜」、生存学研究センターフェイスブック ※
―――― 2015a 「解説」、横田[2015]
―――― 2015b 『(題名未定)』、青土社
―――― 2015c 『生死の語り行い・2』(仮題)、Kyoto Books ※
立岩真也・天田城介 2011a 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・1」、『生存学』3:6-90
―――― 2011b 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2」、『生存学』4:6-37
立岩真也・有馬斉 2012 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』、生活書院
立岩真也・村上慎司・橋口昌治 2009 『税を直す』、青土社
立岩真也 編 2005 『生存の争い――のために・1』、Kyoto Books ※
―――― 2014 身体の現代・記録(準)――被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』、Kyoto Books ※
―――― 2015 『与えられる生死:1960年代――身体の現代・記録:『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』、Kyoto Books ※
立岩真也・アフリカ日本協議会 編 2007 『運動と国境――2005年前後のエイズ/南アフリカ+国家と越境を巡る覚書 第2版』、Kyoto Books ※
立岩真也・小林勇人 編 2005 『<障害者自立支援法案>関連資料』、Kyoto Books ※
立岩真也・定藤邦子 編 2005 『闘争と遡行・1――於:関西+』、Kyoto Books ※
上野千鶴子 2015 『セクシュアリティをことばにする 上野千鶴子対談集』、青土社
上野千鶴子・立岩真也 2009 「労働としてのケア」(対談)、『現代思想』37-2(2008-2):38-77→上野[2015]
横田弘 1979 『障害者殺しの思想』、JCA出版
―――― 2015 『障害者殺しの思想 第2版』、現代書館
山田真/立岩真也(聞き手) 2008a 「告発の流儀――医療と患者の間」、『現代思想』36-2(2008-2):120-142
―――― 2008b 「告発の流儀」、稲場・山田・立岩[2008]
山本真理/立岩真也(聞き手) 2013 「「精神病」者集団、差別に抗する現代史」、『現代思想』42-8(2014-5)
横田弘 1979 『障害者殺しの思想』、JCA出版
―――― 2004 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』、現代書館
―――― 2015 『障害者殺しの思想 第2版』、現代書館
横田弘・立岩真也 2004 「差別に対する障害者の自己主張をめぐって」(対談談)、横田[2014]
横田弘・臼井正樹・立岩真也 2015 『(題名未定)』、生活書院


◆2015/08/01 「生の現代のために・5――連載 114」『現代思想』43-(2015-8):-
◆2015/07/01 「生の現代のために・4――連載 113」『現代思想』43-(2015-7):-
◆2015/06/01 「生の現代のために・3――連載 112」『現代思想』43-(2015-6):-
◆2014/04/01 「生の現代のために・2――連載 98」『現代思想』41-(2014-4):-
◆2014/03/01 「生の現代のために・1――連載 97」『現代思想』41-(2014-3):-

『自閉症連続体の時代』表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

■文献 →生の現代へ:文献表


UP:20150808 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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