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十全会病院/堀川病院(早川一光『わらじ医者の来た道』補記2)

「身体の現代」計画補足・58

立岩 真也 2015/09/03
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1644093082524339

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last update:20150903

『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』表紙

 →今回のHP版(リンク付)
http://www.arsvi.com/ts/20150098.htm

◆早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015/09/10 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
http://www.arsvi.com/b2010/1508hk.htm
 の紹介の第2回めです。1回目は
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1642545222679125
 でした。その本の第3章は「早川一光インタビューの後で」という章で、私が書いている。今回はその書き出しの部分。
 ちなみに以下で立岩[2015b]とある本の支度は今日はほぼ終わり。またお知らせします。2013年の『造反有理』は
http://www.arsvi.com/ts/2013b2.htm
 そして十全会病院事件/闘争については本1冊分ぐらいの巨大頁(ファイル)があります。
http://www.arsvi.com/d/m01h1967.htm


 「■十全会病院/堀川病院
 『現代思想』の特集(二〇一四年九月号・特集「医者の世界」)の企画で早川一光氏★01(一九二四〜)にお話をうかがう機会を得た。今から七〇年前のことをじかにうかがって知ることを、ずいぶん前のことであるがゆえにというよりむしろ今でもなお語り難いことがあるという意味において、なかなか難しいものだと思った。わからないところも残った。そこで私が何かをわかっているわけではないのだが、その補遺のようなものを書くことにした★02。
 それは同じ雑誌の連載の二回分がもとになっている。その連載から近いところでは『造反有理――精神医療現代史へ』(立岩[2013)が出て、その刊行の後も精神医療に関して書いてきて、それも本になるはずだ(立岩[2015b])。そこではとくに京都十全会病院をめぐる出来事についていくらかを書いてきた。
 ここに記すことにも十全会(のようなもの)との関係はある。まず、その連載(→本)に記したように、早川らが設立と運営に関わった堀川病院に勤め、「呆け老人をかかえる親の会」(現在は社団法人「認知症の人と家族の会」)を一緒に始める三宅貴夫(一九四五〜、八〇年から堀川病院勤務)は十全会二法人の三つの病院の一つである双岡病院の近くに住み、また京都の医療行政に関わり、そこに多くの高齢者が送られていることを知ったことがその会を始める一つのきっかけであったと記している(三宅[2012])。そして一九七七年に京都新聞社社会福祉事業団が開設した「高齢者なんでも相談」で早川が担当していた「ボケ相談」のコーナー(cf.早川[1979:256-257]等)を三宅が訪ね、相談の役を自らも受けることになり、そこで始めた家族の集まりが京都での集まりになり、そして全国組織になったという(三宅[1983])★03。
 そして早川はその著書で、その活動にあたって京都の医師会や行政――京都では蜷川革新府政が長いこと続いた――と幾度もぶつかりもし、またその政策に翻弄される部分があったことを記しながらも、それらに支えられてきたことも記す。そして京都府・市の医師会は行政からの独立を強く主張しながら、同時にそれを強く支持する母体の一つでもあった★04。そして、その京都の医師会や行政は十全会病院については及び腰であってきた★05。そして、先述の三宅もまた早川も認知症の高齢者を精神病院に送ることに反対なのだが★06、それでも、早川が関係する地域からもその病院に送られた人たちはいたはずである。(加えれば七〇年前後からの――拙著の使った言葉では――「造反派」は、双方とつながりはなく非妥協的な立場にあって、あるいは立たされて、現実的な力を及ぼすことが困難だった★07。)
 一九五〇年に設立された白峰診療所、それが発展して一九五八年に開設された堀川病院は先駆的な地域医療を実践したと言われ、住民主体の運営がなされたと言われる。同じ頃、一九五一年、五五年、六三年に十全会の三つの病院ができている。そしてその三病院の病床数は堀川病院の一〇倍を超える。後者の、明らかに悪辣であった病院について書いてきたのだったのだが(→立岩[2015b])、両者をどのように並べて見たらよいのか。
 両端に位置する二つは、共通する構造から、問題を抱えたりまた商売を繁盛させたりしたのでもあること、その上でなお、ある時代の理想像として語られる(いっときの)堀川病院の組織・運営の形態は、保険医療体制のもとでの採りうる一つの解であること、また、そのままにでないとしても使える方向を示していると考える。」


UP:20150903 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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