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『良い死』コリア語版訳者あとがき:死生本の準備17

「身体の現代」計画補足・56
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1641751796091801

立岩 真也 2015/08/27

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last update:20150825

 『良い死』(2008)のコリア語版を出していただいた。前回はそのために私が書いた「序」を掲載した。今回は鄭孝雲氏・「寛紋氏による「訳者あとがき」を掲載させていただく。(いただいた日本語の文章にすこしこちらで手をいれさせてもらった。)
 コリア語版についてのとりあえずの日本語版は
http://www.arsvi.com/ts/2008b1k-j.htm
それに対応するコリア語頁は
http://www.arsvi.com/ts/2008b1k.htm

 この本の出版を巡る経緯も以下に記されている。メールでやりとりさせてもらったのは ベ・カンムン(BAE Kwan-Mun・「寛紋)さん。BAE Kwan-Munで検索すると最初に博士号をとった東京大学のHPに出てくる。ハングルだと文字化けするので、化けない方法がわかったらお知らせします。それでもハンリム(翰林)大学生死学研究所のサイトにスタッフのページがあってそこに名前が見えるのでまずはそれを。
http://www.lifendeath.or.kr/index.php?mp=2_1_3_2
 上から七番目の方。論文に「「皇國」の物語のための「外國」――『古事記伝』が作った「古事記」」「日本思想史學の方法と「宣長問題」」等ある、とある。
 研究所ののHPの表紙は
http://www.lifendeath.or.kr/


■訳者あとがき  「良い死」とはどのような死を言うのか。人々はなぜ尊厳死を「良い死」と言っているのだろうか。尊厳ある死、品位ある死のために、自ら死を選択することが本当に「良い死」なのか。
 この本の著者は、一般に尊厳死を「自然な、他人に迷惑をかけない、自分の決める死」と捉える認識に含まれている問題を暴き出す。そして、ただ「無駄な延命」の中止を押し付けるのではなく、「生きたければ生きていくことのできる」社会を作るように努力しなければならないと主張している。この本では、日本において尊厳死を法制化する前に、まず考えるべきことについてきちんと考えようとする。つまり、「良い死」というタイトルは、「良い死」といわれていることに対して疑問を提起する、逆説的な意味をもつのである。
 この本の背後には、主に西欧において展開されてきた、いわゆる生命倫理学の有力な議論がある。それに対し、著者は、一つ一つの議論を批判的に検証していく形をとっている。とくに、その批判は、多くの欧米の研究者が主体の自律を根拠にして尊厳死を当然視する点に向けられている。ところが、自己決定を誰よりも強く主張している人たち、たとえば重度の障害を抱えている人たちがいる。これまでの長い社会運動のなかで、彼らは常に「自己決定」を訴えてきたわけだが、それにもかかわらず、彼らは決して死の自己決定を簡単には肯定しない。まさにこの辺りに、自己決定を持ち出す尊厳死の主張に対して著者が疑問を抱くようになった一つのきっかけがあるようだ。障害者運動に長くかかわってきた、そして今でも活発に関与している著者らしい発想というかアプローチの仕方である。
 著者は、正統な社会学者でありながらも、統計や数値をもって根拠を示す普通の方法からはいったん距離を置く。むしろ、尊厳死をめぐって現に議論が起こってきたのだから、それについて哲学的・倫理学的に問い続けることが必要ではないかと提起する。著者自身は社会学者として、この社会の現状はしかじかであるため、しかじかの価値や言説が受容されやすいのだと分析しつつも、一方で哲学者・倫理学者に事態を原点から考え直すその本務に立ち戻ってもらいたいと言うのである。
 人間の生死にかかわる処置に対し、殺すか殺さないかを定める正当な理由があるだろうか。日本では、1980年代以来、臓器移植・脳死、また高齢者には過剰の医療が不要だという主張などをめぐって、さまざまな議論が行われてきた。著者は、そういった議論を一々取り上げ、本当にそうなのかと問い返す。どこまで納得でき、どこから賛同できないか、実はどこかで議論がずれてしまい、まったく別の議論に変容したのではないか、議論は議論として成り立つのかを徹底的に問うのである。
 韓国でも最近「無意味な延命医療」という言葉が流行している。それは、ある治療が延命に無駄であることを意味すると同時に、「無駄な延命のための医療」という意味までを含意するものである。ほとんどの場合、問題はコストと利益にかかわる制度の問題としてある。「良い死」「尊厳死」を無条件に肯定し賛美する前に、それは価値観の問題なのか、それともこの社会が優先的にやるべきことを覆い隠す論理に同調してしまうことはないか、この本を読みながら考えてもらいたい。
 この本『良い死』と次の本『唯の生』は、タイトルだけでなく、内容においても一つの構成から出発して対をなしている。一言でいえば、「良い死」を強要せず、「唯の生」を認めようということになるだろう。この二冊の本は学術書に属するものであり、著者は、最初から非常に明瞭な要旨を提示しておき、また各章・各節のはじめには、必ず前述の議論を繰り返しながら、次の議論に進んでいく。とはいえ、生命倫理学をめぐる緻密な言説批判を追っていくことは正直容易ではなかった。さらに、時に本文を圧倒する膨大な注は、訳者を困らせた。それでも、著者の言葉通り、おそらく極めて単純で当然であるその主張が、裏側にどれほど多くの議論につながっているのかを察するに、少しは役立つかもしれない。こう言ってみると、いつの間にか、著者の言い方を真似しているようにも思える。
 この本の翻訳は、翰林大学生死学研究所の叢書の一冊として企画された。生死学研究所が韓国研究財団の支援で開催した2013年6月の第一回国際学術会議に立岩真也先生を招聘したことが縁になり、翌年2014年2月には京都にある立命館大学生存学研究センターを訪問し研究交流会を開いてもらった。以後、両研究所が正式に研究交流協定を締結するまでご尽力いただいた立岩先生に深く謝意を表したい。立岩先生は、私たちの翻訳の提案を喜んでご承諾した上で、翻訳の過程で何回もメールのやりとりが必要な時に、いつもご丁寧に応じてくださった。最後に、この本の企画段階から後援を惜しまなかった生死学研究所のオ・ジンタク所長、荒い翻訳原稿を一緒に読んでくれた韓国外大講師のイ・プヨン氏、そして読みやすい本の形に編集してくれた青年社のイ・ヨンリム氏に感謝申したい。この本が微力ながら、韓国社会でも尊厳死に対して真剣に考える契機になることを願っている。

     2015年 5月
     鄭孝雲・「寛紋

cf.
◇立岩 真也 2013/06/05 "On Boundaries",於:韓国・ハンリム(翰林)大学
◇立岩 真也 2014/02/12 開会挨拶・司会,翰林大学生死学研究所×立命館大学生存学研究センター研究交流会,於:立命館大学衣笠キャンパス
◇立岩 真也 2014/02/12 韓国での自殺研究・対策等に関する質問,翰林大学生死学研究所×立命館大学生存学研究センター研究交流会,於:立命館大学衣笠キャンパス


UP:20150827 REV:
安楽死尊厳死  ◇安楽死尊厳死・2015  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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