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自分らしい私の死の本:死生本の準備8

「身体の現代」計画補足・24

立岩 真也 2015/02/28
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1565714123695569

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 「私(わたし)の死」「自分の死」「自分らしく」「人間らしく」といった語のある書籍を、発行年順に、ただ、並べてみる★01

『「自分の死」入門』(近藤裕[1982])
・『終末期医療――自分の死をとりもどすために』(大井玄[1988]、その「自分」について大井[2005:88-94]に言及がある)
『自分で決定する、自分の医療――治療の事前指定』(Molloy[1989=1993])
・『尊厳ある死――最期まで人間として生きるために』(沖種郎[1991])
『癌にかかった医者の選択――残りのいのちは自分で決める』(竹内文良[1992])
『人間らしく死にたい』(尾崎雄[1994])
『自分らしく死にたい――人生の完成を援助する医師の記録』(神代尚芳[1994])
『「自分の死」にそなえる』(近藤裕[1994])
・『私が選ぶ、私の死――終末期宣言のすすめ』(西村文夫[1995→1999])
『僕のホスピス1200日――自分らしく生きるということ』(山崎章郎[1995])
『自分らしく生き、自分らしく死ぬための哲学入門――ニーチェからギリシャへ遡る人生哲学』梅香彰[1996])
『人間らしく死ぬということ――ホスピス医療の現場から』(山形謙二[1996])
『自分らしく死にたい』(佐久総合病院編[1996])、
『わたしの生命(いのち)はだれのもの――尊厳死と安楽死と慈悲殺と』(星野一正[1996])
『「私」が決める死の迎え方――尊厳ある最期を貫くためのヒント』(斉藤弘子編[1997])
『人間らしく死にたい!――在宅死を見つめて20年』.鈴木荘一[1998])、
『自分らしい終末「尊厳死」――尊厳死を受け入れる医師ガイド・付』(日本尊厳死協会監修[1998])
『人間らしい死をもとめて――ホスピス・「安楽死」・在宅死』(生井久美子[1999])、
『自分のいのちは自分で決める――生病老死のバイオエシックス=生命倫理』(木村利人[2000])
『自分で選ぶ終末期医療――リビング・ウィルのすすめ』(大野竜三[2001])
『いつ諦めるのか――最期を人間らしく生きるために』(熊沢健一[2001])
『おまかせ臨終から自分死へ』(福永宣道[2004]□)
『自分らしく死ぬ――延命治療がゆがめるもの』(Callahan[2000=2006]、原題はThe Troubled Dream of Life: In Searh of a Peaceful Death)
『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の具体的提案』(日本尊厳死協会東海支部 編[2007])
『自分らしく生きて、死ぬ知恵』(斎藤茂太[2007])

 そしてその死は(私によって)選択される死でもある。

『癌にかかった医者の選択―・―残りのいのちは自分で決める』(竹中文良[1992])
『最期の選択――大往生するための本』(Molloy, William・川渕 孝一[1995])
『生と死の選択――延命治療は患者にとって幸せなのか』(川渕孝一[1997])
『インフォームド・チョイス――成熟した死の選択』(鎌田實・高橋卓志[1997])
『在宅死――豊かな生命の選択』(玉地任子[2001])
『私、延命治療はしません――ガンで余命告知された妹・智子の選択』(戸田和子[2003])
『「人工呼吸器をつけますか?」――ALS・告知・選択』(植竹日奈・伊藤道哉・北村弥生・田中恵美子・玉井真理子・土屋葉・武藤香織[2004])
『病院で死なないという選択――在宅・ホスピスを選んだ家族たち』(中山あゆみ[2005])
『安楽死問題と臨床倫理――日本の医療文化よりみる安らかな生と死の選択』(石谷邦彦編/日本臨床死生学会監修[2009])

 探せばまだまだあるのだろう。お知らせいただければありがたい。
 さて。普通に現実に存在し、そして自分でどうにかなる可能性があるのは死の手前の生の時間である。その時間、どこにいたいとかどうしてほしいとか、自分の希望がかなえられるのはよいことであると思う。そして、どこまでの思いを込めてのことかはともかく、誰それといっしょの墓はいやだとか、そんな思いも実現されたらよいだろうと思う。これらの意味で、自分らしい死、私の死はよいことであるだろう。このことをすこしも否定しない。
 ただ、これらと連続しながらも、それらを超えて――連続と不連続の両方をどのように言えるのかは「理論的には」おもしろい問題だが、それについてはいずれ考えてみることにする――強く「私の死」が望まれることがある。これは、私は、素朴に不思議だ。
 『現代思想』2015年3月号の特集は「認知症新時代」。私はそれと別にその雑誌にもう長く連載をさせてもらっていて(この号のが第109回になる)、近くは『造反有理――精神医療現代史へ』として本になったその後も精神病院の話を続けていて(「精神医療現代史へ・追記」)、その3月号掲載の「認知症→精神病院&安楽死)」(立岩[2015/03/01])はその「追記」の第12回になった。
 実際、いま認知症が精神病院の顧客として注目もされ実際にすでに客になっている。他方で、精神病院よりはまし、ということではないにせよ、認知症者は安楽死尊厳死の対象・主体になっている。認知症は「末期」の状態ではないから、安楽死尊厳死を末期の状態の人に限るなら――例えば日本尊厳死協会はずっと終末期に限るから「障害者」はその対象ではないといった発言を繰り返してきた――それはおかしなことだが、世界的に、実際には末期でない認知症の人に対する安楽死尊厳死が行われてきた。もう一つは、認知症でありかつ末期になった時にという条件にすることによって「末期」という条件を維持するという手がある。けれども、わざわざそんな二つの条件の掛け合わせが必要にされるのかという問題が一つ、他方に「事前指示」のことなど忘れている人をその事前支持に従って死なせてよいのかという問題が一つ残る。だからこれはそんなに簡単な問題ではないのだが、その原稿では以上については論点を示すだけにして、日本でも認知症の人の安楽死尊厳死がじつは以前から問題になってきたこと、「欧米」では餓死自殺――というとなにかおどろおどろしいが――がこのごろ言われそしてなされていることを紹介した。それはそれで読んでいていただければと思う。
 ここでは、そうした行いを駆動する欲望が強く存在する場所があることだけを記しておく。いま紹介した、『現代思想』の認知症の特集号に掲載された拙文の「計画に対する偏執」という項より。

 「〔認知症の人への安楽死尊厳死を〕妥当だとする考え方のもとにあるのは、認知症の前の状態、というより認知症でない状態を、認知症の状態より、というより認知症で生きることより優位に置こうというのである。そしてそのことと、企図し計画することへの価値付与とはつながっている。
 昨年の秋、ブリタニー・メイナード(Brittany Maynard)という人が世間に予告し実行された医師幇助自殺において、日本ではまったく報道されることはなかったが――私も取材に対して話はしたが、その部分は採用されなかった――「C&C」という団体がその人の死を支持・支援し、死んだ人やその関係者はその活動を支持するといった具合になっているようだ。「C&C」は「Compassion & Choice」であり、その団体が支持するVSEDが〔この回の〕冒頭に述べた餓死自殺であり、「(planned death by) voluntarily stopping eating and drinking」の略語である。またすぐ後に紹介する『死を処方する』の原題も「Prescription Medicine: The Goodness of Planned Death」である。この人たちは計画することに取り憑かれている。
 思うようになることは一般によいことであることは認めたうえでのことだが、計画された死、というか死を計画することが、生きていることを、死んでいなくなることを上回るというのは、すくなくとも私にはわからない。だが、広くそのような価値と行ないは存在するようだ。日本ではそれほど明瞭にその根拠は示されることは多くない。ただ、「欧米」にしてもこの国にしても、認知症が初期から死の主体・対象になってきた。
 安楽死尊厳死について懐疑的・否定的なことを言うと、すぐに、痛みに苦しんでいる人のことを考えているのかと言い返される――もう一つは「コスト」に関わることだか、ここでそのことを巡って幾度も書いてきた話は繰り返さない。痛みにひどく弱い私は、軽視しているつもりはないのだがと返すしかないのだが、もう一つ、もう長いこと、身体的な苦痛は、安楽死尊厳死が語られる時にもさほど重要な位置を占めておらず、行なわれるのもそれが理由であることは多くはない、その点に誤認があるかもしれないとは言う。他方、認知症は最初から位置を与えられている。
 例えば「ドクター・デス」として知られたジャック・キヴォーキアンが一九九〇年に自ら開発した機械「マーシトロン」で最初に行なった自殺幇助は、末期の痛みに苦しむ人に対してではなかった。その人の本は『死を処方する』(Kivorkian[1991=1999])、原題はさきに紹介した。法廷やメディアで自説を強く主張し有名になった。立岩・有馬[2012]で紹介したその本はその人が自殺幇助を始めて一年後に出版され、主には死刑囚に臓器提供を勧める彼の主張が展開されている。そこにもさきほどの信仰が吐露されている。

 「多くの(おそらくは殆どの)死刑囚がその選択肢を歓迎するだろう、と私は確信している。少なくともそれによって、ほんの僅かではあるが、当面の状況と自分の死のプロセスを自分自身で統御することが出来るのだから。」(Kivorkian[1991=1999:323])

 安楽死について書かれているのは全一七章中の第一三章以降で長くはない。一九九〇年に最初の幇助した人はアルツハイマーの初期の状態の五四歳の女性だった。そのことは第一五章に書かれている。
 こうして始まりの頃にすでに認知症はその対象になっている。そして冒頭に記したように、意思の表明を要件とし、幇助自殺を認める米国のようなところでは――最後の一服を医師から渡されて自分でというのと、医師がというのとどれほど違うのだろうと思うのだが、ここでも「自分で」か重んじられるようだ――その条件を満たさない認知症のなどの人たちのために飢餓自殺が推奨される。
 それに対する反対・抗議の運動もある。ただ、かの国では「尊厳死」「自然死」はすでに認められている。加えて、かの地の障害者運動に医療への否定的な感覚が――日本にもあるが――あり、その拒否を肯定する。するとその反対は積極的安楽死、幇助自殺に限った反対に向かうことになる。するとそれは論理的に一貫していないと「生命倫理学」の方から言われたりもして、なかなか難しいことになっているようだ。だからいくらか争いが起こっている平面が異なる。それをどう解するか。そのことは最後にすこし述べる。」

 死ぬまでの時間を自分の思うようにというのはあるだろうと述べた。けれどもそれを超えて、死ぬことについて「Choice」「Planned Death」「Voluntarily Stopping」「Control」という言葉が頻出する。これはどういうことなのか。私にはわからないとだけ述べてきたのだが、もっとわかるべく努力し、そして「わかった上で」なにごとかを言うべきなのかもしれないと思ってしまうほど、その人たちはまじめなのだ。
 次回は、私たちがなにごとかの主体・客体になってしまうことの機制について書いた人のものを紹介する。

■註 

★01 その事態を分析しようとする試みとして、『死の文化の比較社会学――「わたしの死」の成立』(中筋由起子[2006])がある。


■ここまでの「死生本の準備」 →総合?文献表連載一覧

◆2015/02/24 「死/生の本・4増補:死生本の準備7――「身体の現代」計画補足・23」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1564184703848511
◆2015/02/21 「死はタブーの本・死生本の準備6――「身体の現代」計画補足・22」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1562898630643785
◆2015/02/18 「死/生の本・3増補:死生本の準備5――「身体の現代」計画補足・21」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1561271757473139
◆2015/02/15 「死を見つめる本・良い死の本:死生本の準備4――「身体の現代」計画補足・20」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1560017074265274
◆2015/02/09 「死/生の本・2増補(小泉義之の本)――「身体の現代」計画補足・19」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1557205197879795
◆2015/02/03 「死生学の本――「身体の現代」計画補足・18」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1554364208163894
◆2015/01/31 「死/生の本・1増補――「身体の現代」計画補足・17」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1553411651592483

■そこまでの「「身体の現代」計画補足」

◆2015/01/30 「いまさら優生学について――「身体の現代」計画補足・16」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1552887091644939
◆2015/01/08 「不定型な資料をまとめ出したこと――「身体の現代」計画補足・15」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1542932532640395
◆2014/12/20 「不定型な資料を整理し始めたこと〜横田弘1974――「身体の現代」計画補足・14」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1532834723650176
◆2014/12/10 「安楽死・日本・障害者の運動(予告)――「身体の現代」計画補足・13」
 [English]https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi.en/posts/1500472513573729
 [Korean]https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi.ko/posts/674499219334578
◆2014/11/27 「韓国の人たちと・続――「身体の現代」計画補足・12」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1522712254662423
◆2014/10/12 「これからの課題としての障害者運動と在日・被差別部落…解放運動との関わりに関わる研究――「身体の現代」計画補足・11」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1502938869973095
◆2014/10/06 「尾上浩二さん・広田伊蘇夫さんからのいただきもの――「身体の現代」計画補足・10」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1500213176912331
◆2014/10/01 「『そよ風のように街に出よう』/『季刊福祉労働』――「身体の現代」計画補足・9」
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◆2014/09/28 「『精神医療』という雑誌――「身体の現代」計画補足・8」
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◆2014/09/26 「資料について、の前に書いてしまったもの幾つか――「身体の現代」計画補足・7」
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◆2014/09/21 「「レア文献」――「身体の現代」計画補足・6」
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◆2014/09/06 「『現代思想』9月号特集:医者の世界・続/勧誘――「身体の現代」計画補足・5」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1484426548490994
◆2014/08/31 「『現代思想』9月号特集:医者の世界+『流儀』――「身体の現代」計画補足・4」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1479236585676657
◆2014/08/29 「今のうちにでないとできないこと(『造反有理』前後/広田伊蘇夫文庫)――「身体の現代」計画補足・3」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1477360962530886
◆2014/08/28 「調査について(『生の技法』の時)――「身体の現代」計画補足・2」
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◆2014/08/27 「『自閉症連続体の時代』刊行他――「身体の現代」計画補足・1」
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UP:20150228 REV: 

立岩 真也 
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