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死/生の本・4増補:死生本の準備7

「身体の現代」計画補足・23

立岩 真也 2015/02/24
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1564184703848511

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▽第17回からしばらくは『生死の語り行い・1』(立岩真也・有馬斉、2012)に当初収録するつもりでできなかった関連する本の紹介――そのもとは『看護教育』での連載、そして本への収録を計画していた時に作った本のリストやその解説である――をしていく。そのうちハイパーリンクがたくさんついた電子書籍『(題未定)』で出版予定。まずは、『生死の語り行い・1』――に出てくる本には重要な本が多いから――を読んでおいてもらえれば。△

『生死の語り行い・1』表紙

 ※今回は2005年の「死/生の本・4」に註を加えたもの。

 前回〔増補→「死/生の本・3増補」〕の最初にふれた「尊厳死法制化」の動きはどうもまじめなものであるようで、新聞等でもときどき報道されている。〔2005年〕2月23日には「尊厳死法制化を考える議員連盟」が結成されたという。
 この今回の動きには、今や会員数10万人を超えるという「日本尊厳死協会」が大きく貢献しているようだ★01。この協会、この協会の前身の「日本安楽死協会」という団体、その団体が一九七八年に作った法案のことについては、やはりこれも前回お知らせした『Webちくま』(筑摩書房)での連載(「良い死」という題にした)の第2回で短くふれた〔→『唯の生』▽頁〕。今出されている案は27年前とほぼ同じものである。むろんその時は法律にならなかった。今度はどうなるのだろう。法案が通ったとしたら、27年前に私たちは間違っていたのだろうか。それとも何か、例えば善悪の基準が、変わったのだろうか。とにかく過去が振り返られないのは困ったことだと思って書いた★02
 また同じ3月の14日には、昨年ALSの息子の呼吸器を外して死なせた母親に対する裁判の判決が横浜地方裁判所であった★03。息子から外してくれ、殺してくれと頼まれて実行した「嘱託殺人」だとされた。懲役3年、執行猶予5年。またその前、1月28日の『読売新聞』では厚生労働省の研究班で呼吸器を外すことの是非の検討が始められたと報じられた。この報道に、研究の意図が伝わっていないと主任研究者がコメントを出したりもした(私の〔現在は生存学研究センターの〕HPに掲載)★04
 さて、例えばこの呼吸器の着脱のこと――拙著『ALS』(医学書院)の多くの章に呼吸器のことは出てくるのだが、外すことについても第12章2・3節で少し記してある――と尊厳死法との関係はどうなっているのか。関係していると思われている。そのように解釈されうるということ、そうした解釈が流通していること自体が、実はなかなかに深刻な問題を含んでいる。このぐらいの法律なら心配ないと考えたいし杞憂だと思いたいが、そう言い切れないことをこのつながり方が示している★05
 そんなこともあって、4月16日に東京で「尊厳死っ、て何?」と題した集会が行われることになった。ALS等の人たちの在宅生活を支援している「さくら会」という小さな組織の人たちが考えついた。私も呼びかけ人ということになってしまっている。案内をやはりホームページに掲載している。よろしかったらどうぞ★06
◇◇◇

 さて、かような「時事問題」の方はこちらでは扱わないことにすると言って、歴史ものの方に撤退すると前回述べたばかりだった。そして、アリエスそしてエリアスという人たちの書いたものをすこし紹介してきたのだった。
 エリアスは、かつての時代の死への対し方を美化しているとアリエスを批判した。批判には当たっているところがある、しかしどっちもどっち、両方がある程度は正しいということだと述べた。
 問題は、近代(化)をどう捉えるかだ。ゴーラーの「死のポルノグラフィー」という話は紹介した。アリエスの場合には、「飼い慣らされた死」から「荒々しい(野性化した)死」と訳される死に移行したと捉えられる。エリアスはどうか。彼の基本的な理解が「文明化」というものであることは前回述べた。ならば死も文明化されてめでたしという話かというと、そうでもない。むろん、文明化のことも書いてはある。
 「中世の社会では、人の一生は今より短く、手に負えぬさまざまな危険はいっそう多く、死はもっと苦しいものであった」(p.24-25)
 「他者と自己とを同じ人間として考える態度が、今日では昔より広がっていることは否めない。罪人の打ち首、八つ裂き、車裂きの刑を見物しに行くのが日曜日の娯楽であった時代ははるか昔のことになった。」(p.4)
 だが孤独が現われたと言う。
 「今日では、臨終の苦痛は緩和できることが多いし、罪の意識からくる怖れはかなりの程度まで抑えられている。しかし、ひとりの人間の死にほかの人間が居合わせ、関わりを持つということはずっと乏しくなった。」(p.25)
 「死を間近に控えた人が早々と孤独に陥ってしまう現象が、とくにそう意図したわけではないのに、発達した社会の中でこそ頻繁に起きている」(p.4)
 「これから死んでゆこうという人々が、かくも衛生的に健康な人々の目の前から姿を消し、社会生活の舞台裏へと追い払われるようなことは、人類史上未だかつてなかったことである。」(p.36)
 今は誰もが知り、語ることである。なぜそうなったのだろう。幾つか指摘されてはいるが、十分な説明と思われない。例えば「死の病院化」という言い方はすぐ思いつく。これ自体は事実だ。しかしそこからすぐ孤独を言うのは短絡ではないか。死は瞬間のことであっても、それに至る時間は長くなっている。その長い時間に本人も他人たちも面していて、その意味では近くなっているとは言えないか。さらに私は、死を避けることと死の「受容」を語ることとが同じ場に発することがあるようにも感じる。このことはまた別の機会に述べる。エリアスの本にはそうした視点は見当たらない。現在では典型的な語りが語られている。
◇◇◇

 むろん間違っていないのであれば、そこに止まり、同じ話を繰り返していけないことはない。ただ、もっと先に何かあるはずだ、と思えることもある。
 松原洋子・小泉義之編『生命の臨界――争点としての生命』という本が最近〔2005年2月〕出た。筆者は、私が務めている大学院の<生命>というテーマ領域の専任教員である編者の二人と遠藤彰〔2011年11月逝去〕、そして大学院生の大谷いづみ〔現在は立命館大学教授〕。他に私と市野川容孝が対談相手で出てくる。私のは小泉との「生存の争い」という対談(小泉の本については連載第43回)。市野川は松原との対談。いずれも初出は『現代思想』
 こうして、既に雑誌に掲載されたもの7つ。うち文章が4、インタビュー1、対談2。加えて遠藤、大谷へのインタビューのようなもの(「語りおろし」となっている)が2。計9つ。安直な作りの本ではある。傍で見ていたから知っているが、とても手早くできてしまった本でもある。しかしそのわりには、と言ってよいかよくないか、わるくはないと思う。
 テーマは多岐に渡る。目次等をホームページに掲載した。多くの場合、何かが積極的に、明瞭に語られているというのではないが、その先に(あるいはその「もと」に)もっと何かあるはずだという気持ちでは書かれている。
 そして意外にも、というかむしろこのように書かれたから、入門書として使える。というのも、それなりに長いこと、見て考えてきた人たちに今のところの状況がどう見えているかがわかるからだ。入門書や概説書なるものの多くは、結局、ある部分を閉じられた形で提示する。結局その部分が何であるかはわからない。それに距離をとる、そのとり方のようなものを知ることの方が、かえって相手がよくわかることがある。むろんそうした読み物によって、読者が事態から距離をとれた気になった分偉そうな気分になるという害がもたらされうるのだが、それについては、何かに言及する人は言及される相手より偉いのだといったまるで愚かしいことを信じないよう気をつけろと諭すしかない。
 ただ、状況を見るその見立て方がおかしなものであったら、かえってことを混乱させ、見通しをわるくさせるから、それは困る。しかし、この本に出てくる人たちの多くは標準的な人たちではないと言われたとして、それを認めたとして、その人たちが言っていること自体はいちおう筋は通っており、おおむね理に適った話にはなっているから、だいじょうぶだ。使えるものになっている。
 そして具体的な主題を追った論文もある。そしてここで今回の最初の話に戻ることになる。大谷いづみ「「いのちの教育」に隠されてしまうこと――「尊厳死」言説をめぐって」。初出は『現代思想』2003年11月号、特集:争点としての生命。この号のことは〔『看護学雑誌』連載の〕第34回(2004年1月号)で紹介したが、そこでもこの論文はとりあげた。(それからの変化といえば、筆者が高校の教員をやめてしまい、大学院生だけの身分になってしまったことだ。)これだけ読みたいなら、私は、今度の単行本でなく、『現代思想』の購入の方を薦める。まだ売っている。価値のある文章がいくつも収められている。
 この大谷論文には、日本安楽死協会について、日本尊厳死協会について、そしてその中心人物であった太田典礼という人物のことについて、関係して、「尊厳死」という言葉の始まり方や広まり方について、そう長くはないが、記述がある(長いものは今後発表される)。「尊厳死法制化」に共感する人もしない人も、わからない人も、まずはこれを読んだらよい★07

■註

★01 ただ近年では会員数が減少しているという。「臨時社員総会を開催いたしました。」(「日本尊厳死協会 トピックス」2014・9・25)。
 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/topics/202.html
 「[…]岩尾理事長は、会員数の減少や国会における法制化運動の停滞など、組織運営上の課題が顕在化しており、これらを抜本的に解決するためには協会組織を見直し、時代の要請にこたえられる運動体となる必要がある、また、社団から財団に組織が変わっても、会員の権利、協会との関係に何ら変更は生じず、社団での業務は全て引き継ぐ方針であると述べた。」
★02 これが日本における第二次の法制化運動ということになるが、結局法案が提出されることはなかった。ただそう時を置かずして、2012年、もう一度法律案が公表され、尊厳死協会や議員連盟の動きが活発化し、それに対する反対の動きも起こった。『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(立岩・有馬[2012])はそうした動きを受けて刊行されたものであり、その法案、それに対する各種団体の声明などを収録している。
★03 「相模原事件」。この後、子を殺してうつ状態になった妻から殺してくれと依頼されたとして、夫が妻を殺す事件が起こった。それから10年ほどたって、スイス等における精神障害の人に対する自殺ほう助の事例が報告されている。
★04 以下、「安楽死尊厳死・2005」に収録されている中島孝――『末期を超えて――ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』(川口有美子[2015])に収録されている――による文章からその一部を引用。
 「具体的には、研究班のテーマとして、ALSと診断され、告知された時点から、インフォームドコンセントとして、どのような治療法、対症療法があるのかの情報を患者と家族に十分に伝えて、自律的に自分の治療法、対症療法をとらえ選択していくことが療養にとり必要であると考えています。そのためには、患者自身が医師に対して事前指示(書)という形式でインフォームドコンセントの内容を記録していくことは、診療プロセスとしても患者の療養の質を高めるために必要と考えています。したがって、事前指示書は、人工呼吸器療法の中断の条件を記載するために書くものではありませんし、医療現場で使われる事前指示書は一方向的でインフォームドコンセントの無いリビングウイルと異なり医師との対話に基づき作り上げていく療養のプロセスと考えています。今後、事前指示書の内容や作成の仕方などについて詳細な研究が必要であり、研究を行っています。読売新聞の記事の中の「呼吸器を外して患者が死亡すると、現行法では殺人罪に問われる可能性が高いが、研究班は容認する場合、どのような条件があれば違法にならないか指針作りを目指す。」と書かれていますが、研究班ではこのような人工呼吸器の中断に対する違法性阻却の条件を探る目的での研究をおこなっているわけではなく、誤解と思われます。」
★05 推進する側は一方で「終末期」ではないからそのような人は法の対象ではないと言う。けれどもこうした場合も含めて「終末期」とは言わないだろうものが頻繁に議論の対象にされてきたのはまったくの事実だ。『現代思想』の2015年5月号が認知症の特集で、私は特集と関係とはない「連載」をずっとさせてもらっているのだがその号に載る分(第109回)は「認知症→精神病院&安楽死(精神医療現代史へ・追記12)」とした。そこで日本尊厳死協会が認知症を尊厳死の対象とする案をいったん出し、反対にあってそのときは取り下げたことを紹介している。
 他方で、そもそも、さきの「精神疾患」の場合も含め、「終末期」と言えないような場合でも死なせても、死ぬのを手伝ってもかまわないという主張がある。そうした主張の一部を有馬斉が『生死の語り行い・1』所収の「功利主義による安楽死正当化論」で紹介している。
★06 このときに作った資料集が『生存の争い――のために・1』。データ販売をしている。またこれに収録された川口[2005a][2005b]は『逝かない身体――ALS的日常を生きる』(川口[2009])が書かれ出版される一つのきっかけともなった。
★07 『良い死』『唯の生』で幾度か紹介してきた。その後に書かれたものとして、『メタバイオエシックスの構築へ――生命倫理を問いなおす』(小松・香川[2001])所収の「「尊厳死」思想の淵源」(大谷[2010])、『はじめて出会う生命倫理』(玉井・大谷編[2011])所収の「「自分らしく、人間らしく」死にたい?――安楽死・尊厳死」、「犠牲を期待される者――「死を掛け金に求められる承認」という隘路」(大谷[2012])。


■ここまでの「死生本の準備」 →連載一覧

◆2015/02/21 「死はタブーの本・死生本の準備6――「身体の現代」計画補足・22」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1562898630643785
◆2015/02/18 「死/生の本・3増補:死生本の準備5――「身体の現代」計画補足・21」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1561271757473139
◆2015/02/15 「死を見つめる本・良い死の本:死生本の準備4――「身体の現代」計画補足・20」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1560017074265274
◆2015/02/09 「死/生の本・2増補(小泉義之の本)――「身体の現代」計画補足・19」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1557205197879795
◆2015/02/03 「死生学の本――「身体の現代」計画補足・18」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1554364208163894
◆2015/01/31 「死/生の本・1増補――「身体の現代」計画補足・17」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1553411651592483

■そこまでの「「身体の現代」計画補足」

◆2015/01/30 「いまさら優生学について――「身体の現代」計画補足・16」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1552887091644939
◆2015/01/08 「不定型な資料をまとめ出したこと――「身体の現代」計画補足・15」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1542932532640395
◆2014/12/20 「不定型な資料を整理し始めたこと〜横田弘1974――「身体の現代」計画補足・14」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1532834723650176
◆2014/12/10 「安楽死・日本・障害者の運動(予告)――「身体の現代」計画補足・13」
 [English]https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi.en/posts/1500472513573729
 [Korean]https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi.ko/posts/674499219334578
◆2014/11/27 「韓国の人たちと・続――「身体の現代」計画補足・12」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1522712254662423
◆2014/10/12 「これからの課題としての障害者運動と在日・被差別部落…解放運動との関わりに関わる研究――「身体の現代」計画補足・11」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1502938869973095
◆2014/10/06 「尾上浩二さん・広田伊蘇夫さんからのいただきもの――「身体の現代」計画補足・10」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1500213176912331
◆2014/10/01 「『そよ風のように街に出よう』/『季刊福祉労働』――「身体の現代」計画補足・9」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1498119143788401
◆2014/09/28 「『精神医療』という雑誌――「身体の現代」計画補足・8」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1496630793937236
◆2014/09/26 「資料について、の前に書いてしまったもの幾つか――「身体の現代」計画補足・7」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1495845864015729
◆2014/09/21 「「レア文献」――「身体の現代」計画補足・6」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1493567090910273
◆2014/09/06 「『現代思想』9月号特集:医者の世界・続/勧誘――「身体の現代」計画補足・5」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1484426548490994
◆2014/08/31 「『現代思想』9月号特集:医者の世界+『流儀』――「身体の現代」計画補足・4」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1479236585676657
◆2014/08/29 「今のうちにでないとできないこと(『造反有理』前後/広田伊蘇夫文庫)――「身体の現代」計画補足・3」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1477360962530886
◆2014/08/28 「調査について(『生の技法』の時)――「身体の現代」計画補足・2」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1476388215961494
◆2014/08/27 「『自閉症連続体の時代』刊行他――「身体の現代」計画補足・1」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1476171985983117


UP:20150224 REV: 

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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■■ 立岩真也「死/生の本・4増補:死生本の準備7――「身体の現代」計画補足・23」
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死/生の本・4増補:死生本の準備7

「身体の現代」計画補足・23

立岩 真也 2015/02/24
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1564184703848511

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▽第17回からしばらくは『生死の語り行い・1』(立岩真也・有馬斉、2012)に当初収録するつもりでできなかった関連する本の紹介――そのもとは『看護教育』での連載、そして本への収録を計画していた時に作った本のリストやその解説である――をしていく。そのうちハイパーリンクがたくさんついた電子書籍『(題未定)』で出版予定。まずは、『生死の語り行い・1』――に出てくる本には重要な本が多いから――を読んでおいてもらえれば。△

『生死の語り行い・1』表紙

 ※今回は2005年の「死/生の本・4」に註を加えたもの。

 前回〔増補→「死/生の本・3増補」〕の最初にふれた「尊厳死法制化」の動きはどうもまじめなものであるようで、新聞等でもときどき報道されている。〔2005年〕2月23日には「尊厳死法制化を考える議員連盟」が結成されたという。
 この今回の動きには、今や会員数10万人を超えるという「日本尊厳死協会」が大きく貢献しているようだ★01。この協会、この協会の前身の「日本安楽死協会」という団体、その団体が一九七八年に作った法案のことについては、やはりこれも前回お知らせした『Webちくま』(筑摩書房)での連載(「良い死」という題にした)の第2回で短くふれた〔→『唯の生』▽頁〕。今出されている案は27年前とほぼ同じものである。むろんその時は法律にならなかった。今度はどうなるのだろう。法案が通ったとしたら、27年前に私たちは間違っていたのだろうか。それとも何か、例えば善悪の基準が、変わったのだろうか。とにかく過去が振り返られないのは困ったことだと思って書いた★02
 また同じ3月の14日には、昨年ALSの息子の呼吸器を外して死なせた母親に対する裁判の判決が横浜地方裁判所であった★03。息子から外してくれ、殺してくれと頼まれて実行した「嘱託殺人」だとされた。懲役3年、執行猶予5年。またその前、1月28日の『読売新聞』では厚生労働省の研究班で呼吸器を外すことの是非の検討が始められたと報じられた。この報道に、研究の意図が伝わっていないと主任研究者がコメントを出したりもした(私の〔現在は生存学研究センターの〕HPに掲載)★04
 さて、例えばこの呼吸器の着脱のこと――拙著『ALS』(医学書院)の多くの章に呼吸器のことは出てくるのだが、外すことについても第12章2・3節で少し記してある――と尊厳死法との関係はどうなっているのか。関係していると思われている。そのように解釈されうるということ、そうした解釈が流通していること自体が、実はなかなかに深刻な問題を含んでいる。このぐらいの法律なら心配ないと考えたいし杞憂だと思いたいが、そう言い切れないことをこのつながり方が示している★05
 そんなこともあって、4月16日に東京で「尊厳死っ、て何?」と題した集会が行われることになった。ALS等の人たちの在宅生活を支援している「さくら会」という小さな組織の人たちが考えついた。私も呼びかけ人ということになってしまっている。案内をやはりホームページに掲載している。よろしかったらどうぞ★06
◇◇◇

 さて、かような「時事問題」の方はこちらでは扱わないことにすると言って、歴史ものの方に撤退すると前回述べたばかりだった。そして、アリエスそしてエリアスという人たちの書いたものをすこし紹介してきたのだった。
 エリアスは、かつての時代の死への対し方を美化しているとアリエスを批判した。批判には当たっているところがある、しかしどっちもどっち、両方がある程度は正しいということだと述べた。
 問題は、近代(化)をどう捉えるかだ。ゴーラーの「死のポルノグラフィー」という話は紹介した。アリエスの場合には、「飼い慣らされた死」から「荒々しい(野性化した)死」と訳される死に移行したと捉えられる。エリアスはどうか。彼の基本的な理解が「文明化」というものであることは前回述べた。ならば死も文明化されてめでたしという話かというと、そうでもない。むろん、文明化のことも書いてはある。
 「中世の社会では、人の一生は今より短く、手に負えぬさまざまな危険はいっそう多く、死はもっと苦しいものであった」(p.24-25)
 「他者と自己とを同じ人間として考える態度が、今日では昔より広がっていることは否めない。罪人の打ち首、八つ裂き、車裂きの刑を見物しに行くのが日曜日の娯楽であった時代ははるか昔のことになった。」(p.4)
 だが孤独が現われたと言う。
 「今日では、臨終の苦痛は緩和できることが多いし、罪の意識からくる怖れはかなりの程度まで抑えられている。しかし、ひとりの人間の死にほかの人間が居合わせ、関わりを持つということはずっと乏しくなった。」(p.25)
 「死を間近に控えた人が早々と孤独に陥ってしまう現象が、とくにそう意図したわけではないのに、発達した社会の中でこそ頻繁に起きている」(p.4)
 「これから死んでゆこうという人々が、かくも衛生的に健康な人々の目の前から姿を消し、社会生活の舞台裏へと追い払われるようなことは、人類史上未だかつてなかったことである。」(p.36)
 今は誰もが知り、語ることである。なぜそうなったのだろう。幾つか指摘されてはいるが、十分な説明と思われない。例えば「死の病院化」という言い方はすぐ思いつく。これ自体は事実だ。しかしそこからすぐ孤独を言うのは短絡ではないか。死は瞬間のことであっても、それに至る時間は長くなっている。その長い時間に本人も他人たちも面していて、その意味では近くなっているとは言えないか。さらに私は、死を避けることと死の「受容」を語ることとが同じ場に発することがあるようにも感じる。このことはまた別の機会に述べる。エリアスの本にはそうした視点は見当たらない。現在では典型的な語りが語られている。
◇◇◇

 むろん間違っていないのであれば、そこに止まり、同じ話を繰り返していけないことはない。ただ、もっと先に何かあるはずだ、と思えることもある。
 松原洋子・小泉義之編『生命の臨界――争点としての生命』という本が最近〔2005年2月〕出た。筆者は、私が務めている大学院の<生命>というテーマ領域の専任教員である編者の二人と遠藤彰〔2011年11月逝去〕、そして大学院生の大谷いづみ〔現在は立命館大学教授〕。他に私と市野川容孝が対談相手で出てくる。私のは小泉との「生存の争い」という対談(小泉の本については連載第43回)。市野川は松原との対談。いずれも初出は『現代思想』
 こうして、既に雑誌に掲載されたもの7つ。うち文章が4、インタビュー1、対談2。加えて遠藤、大谷へのインタビューのようなもの(「語りおろし」となっている)が2。計9つ。安直な作りの本ではある。傍で見ていたから知っているが、とても手早くできてしまった本でもある。しかしそのわりには、と言ってよいかよくないか、わるくはないと思う。
 テーマは多岐に渡る。目次等をホームページに掲載した。多くの場合、何かが積極的に、明瞭に語られているというのではないが、その先に(あるいはその「もと」に)もっと何かあるはずだという気持ちでは書かれている。
 そして意外にも、というかむしろこのように書かれたから、入門書として使える。というのも、それなりに長いこと、見て考えてきた人たちに今のところの状況がどう見えているかがわかるからだ。入門書や概説書なるものの多くは、結局、ある部分を閉じられた形で提示する。結局その部分が何であるかはわからない。それに距離をとる、そのとり方のようなものを知ることの方が、かえって相手がよくわかることがある。むろんそうした読み物によって、読者が事態から距離をとれた気になった分偉そうな気分になるという害がもたらされうるのだが、それについては、何かに言及する人は言及される相手より偉いのだといったまるで愚かしいことを信じないよう気をつけろと諭すしかない。
 ただ、状況を見るその見立て方がおかしなものであったら、かえってことを混乱させ、見通しをわるくさせるから、それは困る。しかし、この本に出てくる人たちの多くは標準的な人たちではないと言われたとして、それを認めたとして、その人たちが言っていること自体はいちおう筋は通っており、おおむね理に適った話にはなっているから、だいじょうぶだ。使えるものになっている。
 そして具体的な主題を追った論文もある。そしてここで今回の最初の話に戻ることになる。大谷いづみ「「いのちの教育」に隠されてしまうこと――「尊厳死」言説をめぐって」。初出は『現代思想』2003年11月号、特集:争点としての生命。この号のことは〔『看護学雑誌』連載の〕第34回(2004年1月号)で紹介したが、そこでもこの論文はとりあげた。(それからの変化といえば、筆者が高校の教員をやめてしまい、大学院生だけの身分になってしまったことだ。)これだけ読みたいなら、私は、今度の単行本でなく、『現代思想』の購入の方を薦める。まだ売っている。価値のある文章がいくつも収められている。
 この大谷論文には、日本安楽死協会について、日本尊厳死協会について、そしてその中心人物であった太田典礼という人物のことについて、関係して、「尊厳死」という言葉の始まり方や広まり方について、そう長くはないが、記述がある(長いものは今後発表される)。「尊厳死法制化」に共感する人もしない人も、わからない人も、まずはこれを読んだらよい★07

■註

★01 ただ近年では会員数が減少しているという。「臨時社員総会を開催いたしました。」(「日本尊厳死協会 トピックス」2014・9・25)。
 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/topics/202.html
 「[…]岩尾理事長は、会員数の減少や国会における法制化運動の停滞など、組織運営上の課題が顕在化しており、これらを抜本的に解決するためには協会組織を見直し、時代の要請にこたえられる運動体となる必要がある、また、社団から財団に組織が変わっても、会員の権利、協会との関係に何ら変更は生じず、社団での業務は全て引き継ぐ方針であると述べた。」
★02 これが日本における第二次の法制化運動ということになるが、結局法案が提出されることはなかった。ただそう時を置かずして、2012年、もう一度法律案が公表され、尊厳死協会や議員連盟の動きが活発化し、それに対する反対の動きも起こった。『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(立岩・有馬[2012])はそうした動きを受けて刊行されたものであり、その法案、それに対する各種団体の声明などを収録している。
★03 「相模原事件」。この後、子を殺してうつ状態になった妻から殺してくれと依頼されたとして、夫が妻を殺す事件が起こった。それから10年ほどたって、スイス等における精神障害の人に対する自殺ほう助の事例が報告されている。
★04 以下、「安楽死尊厳死・2005」に収録されている中島孝――『末期を超えて――ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』(川口有美子[2015])に収録されている――による文章からその一部を引用。
 「具体的には、研究班のテーマとして、ALSと診断され、告知された時点から、インフォームドコンセントとして、どのような治療法、対症療法があるのかの情報を患者と家族に十分に伝えて、自律的に自分の治療法、対症療法をとらえ選択していくことが療養にとり必要であると考えています。そのためには、患者自身が医師に対して事前指示(書)という形式でインフォームドコンセントの内容を記録していくことは、診療プロセスとしても患者の療養の質を高めるために必要と考えています。したがって、事前指示書は、人工呼吸器療法の中断の条件を記載するために書くものではありませんし、医療現場で使われる事前指示書は一方向的でインフォームドコンセントの無いリビングウイルと異なり医師との対話に基づき作り上げていく療養のプロセスと考えています。今後、事前指示書の内容や作成の仕方などについて詳細な研究が必要であり、研究を行っています。読売新聞の記事の中の「呼吸器を外して患者が死亡すると、現行法では殺人罪に問われる可能性が高いが、研究班は容認する場合、どのような条件があれば違法にならないか指針作りを目指す。」と書かれていますが、研究班ではこのような人工呼吸器の中断に対する違法性阻却の条件を探る目的での研究をおこなっているわけではなく、誤解と思われます。」
★05 推進する側は一方で「終末期」ではないからそのような人は法の対象ではないと言う。けれどもこうした場合も含めて「終末期」とは言わないだろうものが頻繁に議論の対象にされてきたのはまったくの事実だ。『現代思想』の2015年5月号が認知症の特集で、私は特集と関係とはない「連載」をずっとさせてもらっているのだがその号に載る分(第109回)は「認知症→精神病院&安楽死(精神医療現代史へ・追記12)」とした。そこで日本尊厳死協会が認知症を尊厳死の対象とする案をいったん出し、反対にあってそのときは取り下げたことを紹介している。
 他方で、そもそも、さきの「精神疾患」の場合も含め、「終末期」と言えないような場合でも死なせても、死ぬのを手伝ってもかまわないという主張がある。そうした主張の一部を有馬斉が『生死の語り行い・1』所収の「功利主義による安楽死正当化論」で紹介している。
★06 このときに作った資料集が『生存の争い――のために・1』。データ販売をしている。またこれに収録された川口[2005a][2005b]は『逝かない身体――ALS的日常を生きる』(川口[2009])が書かれ出版される一つのきっかけともなった。
★07 『良い死』『唯の生』で幾度か紹介してきた。その後に書かれたものとして、『メタバイオエシックスの構築へ――生命倫理を問いなおす』(小松・香川[2001])所収の「「尊厳死」思想の淵源」(大谷[2010])、『はじめて出会う生命倫理』(玉井・大谷編[2011])所収の「「自分らしく、人間らしく」死にたい?――安楽死・尊厳死」、「犠牲を期待される者――「死を掛け金に求められる承認」という隘路」(大谷[2012])。


■ここまでの「死生本の準備」 →連載一覧

◆2015/02/21 「死はタブーの本・死生本の準備6――「身体の現代」計画補足・22」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1562898630643785
◆2015/02/18 「死/生の本・3増補:死生本の準備5――「身体の現代」計画補足・21」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1561271757473139
◆2015/02/15 「死を見つめる本・良い死の本:死生本の準備4――「身体の現代」計画補足・20」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1560017074265274
◆2015/02/09 「死/生の本・2増補(小泉義之の本)――「身体の現代」計画補足・19」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1557205197879795
◆2015/02/03 「死生学の本――「身体の現代」計画補足・18」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1554364208163894
◆2015/01/31 「死/生の本・1増補――「身体の現代」計画補足・17」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1553411651592483

■そこまでの「「身体の現代」計画補足」

◆2015/01/30 「いまさら優生学について――「身体の現代」計画補足・16」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1552887091644939
◆2015/01/08 「不定型な資料をまとめ出したこと――「身体の現代」計画補足・15」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1542932532640395
◆2014/12/20 「不定型な資料を整理し始めたこと〜横田弘1974――「身体の現代」計画補足・14」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1532834723650176
◆2014/12/10 「安楽死・日本・障害者の運動(予告)――「身体の現代」計画補足・13」
 [English]https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi.en/posts/1500472513573729
 [Korean]https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi.ko/posts/674499219334578
◆2014/11/27 「韓国の人たちと・続――「身体の現代」計画補足・12」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1522712254662423
◆2014/10/12 「これからの課題としての障害者運動と在日・被差別部落…解放運動との関わりに関わる研究――「身体の現代」計画補足・11」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1502938869973095
◆2014/10/06 「尾上浩二さん・広田伊蘇夫さんからのいただきもの――「身体の現代」計画補足・10」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1500213176912331
◆2014/10/01 「『そよ風のように街に出よう』/『季刊福祉労働』――「身体の現代」計画補足・9」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1498119143788401
◆2014/09/28 「『精神医療』という雑誌――「身体の現代」計画補足・8」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1496630793937236
◆2014/09/26 「資料について、の前に書いてしまったもの幾つか――「身体の現代」計画補足・7」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1495845864015729
◆2014/09/21 「「レア文献」――「身体の現代」計画補足・6」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1493567090910273
◆2014/09/06 「『現代思想』9月号特集:医者の世界・続/勧誘――「身体の現代」計画補足・5」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1484426548490994
◆2014/08/31 「『現代思想』9月号特集:医者の世界+『流儀』――「身体の現代」計画補足・4」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1479236585676657
◆2014/08/29 「今のうちにでないとできないこと(『造反有理』前後/広田伊蘇夫文庫)――「身体の現代」計画補足・3」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1477360962530886
◆2014/08/28 「調査について(『生の技法』の時)――「身体の現代」計画補足・2」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1476388215961494
◆2014/08/27 「『自閉症連続体の時代』刊行他――「身体の現代」計画補足・1」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1476171985983117


UP:20150224 REV: 

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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