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死/生の本・1増補

「身体の現代」計画補足・17

立岩 真也 2015/01/31
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1553411651592483

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▽第17回からしばらくは『生死の語り行い・1』(立岩真也・有馬斉、2012)に当初収録するつもりでできなかった関連する本の紹介――そのもとは『看護教育』での連載、そして本への収録を計画していた時に作った本のリストやその解説である――をしていく。そのうちハイパーリンクがたくさんついた電子書籍『(題未定)』で出版予定。まずは、『生死の語り行い・1』――に出てくる本には重要な本が多いから――を読んでおいてもらえれば。△

『生死の語り行い・1』表紙


 前回(昨日)、
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1552887091644939
 「優生学」についてすこし書いた。今回はそれを今さら問題にすることの意味について記すとした。ただ、それはとりあえず簡単にしておいて、やり残している仕事をしばらくこの場を借りて行なうことにした。
 そこで簡単に言う。優生学に対する批判は、一つにそれが遺伝的な要因の規定性について間違った認識をしていたこと、一つに国家その他による強制としてなされたことを批判した。そしてそれは当然の批判ではあった。しかしでは、間違いでもなく、強制でもないとなったらどう考えればよいのか。これが基本的な問題である。このことを少し長くは、『私的所有論』
http://www.arsvi.com/ts/2013b1.htm
第6章の第3節3「優生学の「消失」」で書いた。またそれは出生前診断・選択的中絶について考えた第9章「正しい優生学とつきあう」で考えたことでもあった。出生前診断については最近ようやくいくらかずっと放置してあった頁に少し手をいれた。ご覧いただければと。
http://www.arsvi.com/d/p01.htm
 と簡単にすませて、これから『生死の語り行ない・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』
http://www.arsvi.com/ts/2012b2.htm
の続きを書く。この本は、共著者の一人有馬斉さんにも書いてもらうこととともに、主には、私が『看護教育』という医学書院刊の雑誌で2001年から2009年にかけて計101回書かせてもらった本の紹介
http://www.arsvi.com/ts/2001000.htm
などを使ってそしてそれ以外にもずいぶんな量の下書きがあって、関係する本を紹介するつもりだった。
 ただ一つ、この本が出た2012年は、1970年代末の時期、そして2004年からのしばらくに続いて3度めに――2000年代に入ってからの動きは連続したものだから後2者を区切る必要はないのだが――尊厳死の法制化の動きが現れた時期だった。私は2004年からの推進の動きに賛成しない立場でものを言ったり書いたりしてきたのだが、この時にもその立場は同じだった。そしてこの同じ年、日本生命倫理学会の大会が勤め先の立命館大学を会場に開催され私はその「大会長」というものをつとめることになっていた。(2007年と2009年の障害学会の大会長のときはいささか働いたという記憶があるが、この2012の年は調子がわるくて、ほとんど何もできなかったが、それでも大会長講演というものをすることにはなっていたし、この学会の会員の人たちに知ってもらいたいとも思った。
 それで一つ、その時までに出されていた様々の団体の意見書や声明の類を集めて読めるようにしようと思った。そこには法案等も入れたが、あまり広くは知られていない反対・慎重の立場をとる組織のものを収録した。そして他方で、生命倫理学会なのだから、会員は当然倫理学の言説に関心はもっているだろうから、有馬さんによる功利主義による安楽死の正当化論の紹介と見当は当然関心をもってもらえるだろうと思った。
 そしてこの二種類の言説の間にある違いと関係について考えてみてもらいたいものだと思った。(このことに関わってはその大会長講演というものでも話している。その「要旨」として送ったもの
http://www.arsvi.com/ts/20120045.htm
しか残っていませんがご覧ください。)障害者運動(のすくなくともある部分)と(すくなくとも一部で主流の)生命倫理学はどのようにすれ違ったり対立したりするのか? それは私自身が述べるべきことだとも思ったが、時間もなかった。その大会はその年の10月27日・28日で、本の発行日は31日、実際には本は奥付に記してある発行日よりはいくらか早くから販売されることがほとんどだが、書店売り出しは24日とぎりぎりのところだった。そしてなにより、薄くて安い本にしたいと思った。その方がいくらかでも売れると思ったからだ。(そして学会当日はそこそこに売れた。ただその後についてはなかなかに難しいものだと思った。私が関わった範囲内でも、こんな本が売れてほしいと願うものほどそんなことが多いように、さえ思うことがある。)
 そのために、最初に考えていた本の紹介――多くは直接に安楽死尊厳死がどうというとは直接にはつながらない本の紹介――の部分が少なくなった。それで残った部分があった。それを早く、2013年にはというつもりで、ときどき作業はしたのだが、幾度も途切れて今日にいたった。このままでは時間が経つばかりだ思って、今日、このフェイスブックという場でその続きの準備をさせてもらおうと思ったのだ。
 ただその文章は、最初からセンターのページにリンクを張った電子書籍での刊行を考えていることもあり、たいへんたくさんリンクがある。そこで「本文」の方はセンターのHPhttp://www.arsvi.com/の私の書きものなど載っているページから見られる文章とすることにした。ということでこの続きは
http://www.arsvi.com/ts/20150057.htm
でどうぞ。

■死/生の本・1(連載42・2004/10)に加筆
 *本文への加筆は〔〕
 *注を新たに加えた。
 *『良い死』『唯の生』『生死の語り行い・』『2』総合文献表

 様々な本を紹介してきたが、これまでを近く一冊にまとめる予定もあって〔→それは考えなおし、『生死の語り行い・1』(立岩・有馬[2012])と今こうして書いているもの等、主題別にいくつかに分けて使うことになった〕、とりあげた本の書誌情報をホームページに掲載した。行き方はHP→「本」→「本のリストのリスト」→「医療と社会ブックガイド」、等。今回ごく簡単に書名だけ記した本も含め、100冊〔→○〕余の情報がある。
 多くの主題があるなかで世間の関心が集まると思われているものとなると「先端医療」ということになるだろうか。原稿を依頼されるのもその方面が多い。よくは知らないながら書くには書くが、この傾向はあまり好ましくないと思う。この連載でも、そのうち取り上げるが、まだ取り上げていない★01。今一番大切なことは、とくにアフリカの、エイズのことだと思っている。海外医療援助についての本は何冊かあるが、この主題についてまだまとまったものはない。今出ているのは小説や子ども向けの本になる(これもHPで紹介している)。どんどん状況は変わっていくし、この主題については細かな込み入ったところが大切で、そうした情報は必ずしも一般向けではない。だから本を出すのは難しいのだが、それでも工夫して本が書かれる必要がある。私自身もお手伝いできることがあれば、お手伝いして、出していく必要があると考えている。ただそれは、残念だがもう少し先になるだろう★02
 その代わりに、ではないが、民間による情報提供を促すため、だけではないが、資金提供の企画。アマゾン、ビーケーワン(bk1)といったオンラインの本屋に、ホームページを経由して注文した場合、そのホームページの運営者が購入額の3%から5%をポイントや現金で得られるというアフィリエイト・プログラムとかアソシエイト・プログラムと呼ばれる仕組みがある。それを使い、得られた全額を(とくにアフリカのサハラ砂漠以南の)HIV/エイズの人たちを支援するNGO「アフリカ日本協議会」の活動に寄付することにした。じつは1昨年の秋から始めていたのだが、まだ年間10万円には達していない。もっと増えたらよいと思い、いろいろ工夫してみようと思って、各種の本のリストを作り、そこから直接に注文できるようにもした。もちろん、オンラインの本屋を贔屓するつもりはなく、近所の本屋さんも栄えてほしいと思っている。「どうせ」オンライン書店で買おうという場合に御協力ください★03
◇◇◇

 上記の企画のために、また自分用の文献データベースにあったものをそのままにしておくのももったいないと思ったから、そして私が務める大学院の院生の研究領域の利用も考えて幾つか作った本のリストの一つに、死ぬことに関する本のリストがある。
 おびただしい数の本が出版されている。本に収録された個々の文章の書誌情報をいちいち入力していた時期が一〇年以上前の一時期〔一九九〇年頃からしばらく〕あった。近所の図書館から借りた一般読者向けの本が主である。それら三〇〇冊〔→●〕ほどの本を発行年順に並べた。さきと同様、「本のリストのリスト」等からどうぞ。
 なぜデータを入れていたのか。一つは看護学校で非常勤講師をしていて、いちおうチェックしておこうと思ったから★04。それとともに、このように似たような本がたくさん出されるというのはどういうことなのだろうという、また、たしかによいことではあろうこの傾向をそのまま受け入れてよいのだろうかという、醒めた、あるいはうがったところもあった。
 そのように真面目な気持ちに欠けていたせいもあるだろうが、いくつか目を通して、何かを得られたということはなかった。では、死について何が書かれればよいのか。それもわからないまま放置してあったのだが、この機会にいくつか取り上げてみようと思った。
 例えば写真家の藤原新也の写真と文章『死と悲しみの社会学』(Gorer[1965=1986])。
 著者は一九〇五年生、社会学者として記憶されているが、文化人類学も学びその方面の著作もある。この本は、英国での質問紙調査、面接調査に基づいて書かれている。これが本体なのだが、略。付論として「死のポルノグラフィー」という論文が収録されている。これは一九五五年に発表されたもの。ある人や本が、一つの言葉で知られるということがある。死と喪がタブーとされている(他方で、殺人等による横死がとくにフィクションに頻出する)という事態を現わす言葉として、この言葉は残っていくフィリップ・アリエスの著作がある。アリエスは「日曜歴史家」を自称していたフランスの歴史家。一九一四年生、一九八四年没。子どもという時期は近代に現われたのであり、その以前には子どもは小さい大人として扱われていたことを示したというので有名な『<子供>の誕生』(Ariès[1960=1980])が最初の著作。『死を前にした人間』(Ariès[1977=1999])はその次の大著ということになる。有名な本だが翻訳が長いことなかった。それ以前に邦訳が出された本は『死と歴史』(Ariès[1975=1983])。これは『死を前にした人間』の出版の前に、その本に書いたことを紹介する内容の講演などを集めたもので、その時点での彼の仕事を要約的に知ることができる。またこの本の中で、一九六五年頃、ゴーラー(彼は一九〇五年生)の著書によって「突如、死に対する態度の社会的大変化に気づき」、それが彼の研究を促したと記される等、幾度かゴーラーに言及され、評価されている。そしてもう一冊、死の前年に出された『図説 死の文化史――ひとは死をどのように生きたか』(Ariès[1983=1990])。これがアリエスの遺著ということになった。これもとても大きな本で、古代の墓から現代の映画の場面まで、多くの写真が掲載されている。
 ゴーラーの本にしても、現代の、といってももう四〇〔五〇〕年前だが、英国の人たちの行動や思いが具体的に記されている。また、とくに歴史ものは細部がおもしろいというところがあるから、そんな楽しみ方をしたい人は、直接読むしかない。ただ、その長い記述を通して言われていることは、あるいは私たちが今その記述をまとめて受け取っていることは、近代になって、人々が死を避けるようになった、隠すようになってきたということだ。
 死が隠されている。死を避けている。すると、隠さず、もっと正面から受け止めたらよいということになる。論理的にはそうならなければならないと決まってはいないとしても、過去と対比して現在を批判するのは、以上の著者たち自身の立場でもある。
 そうかもしれないとは思う。しかし、そう言われても、さてどうしよう。彼らの本からだけでなく、そんな思いが残ってしまうのだが、その辺をどんなふうに考えたらよいのかを考えるためにも、すこし混ぜっ返しのようなことから言い始めてみよう。
 第一に、「隠されている」と言われるが、そのようにして、死について語られるようになってきた。それは、「死が語られていない」、「死を隠している」というように語る。そのようなことが始まって、少なくとももう三〇〔四〇〕年ぐらい、ゴーラーの論文からなら四〇年〔五〇〕ほどが経っている。そのことをどう捉えるか。
 第二に、こうした言説は、その著者たちが思いがどうであったかと別に、現代人の死に対する「いさぎの悪さ」を言うような方向に作用しうる。今のこの社会の人たちでない人たちは死を遠ざけようとしなかった。死を受容し、死んでいった。それに引き換え、私たちは死を恐れている、それはいけない、「徒らな延命」は問題だ。こういう筋の話に組み込まれることがある。さきにあげた本に書かれていることを概ね受け入れるとして、それはそれとして、この筋に乗ってよいのかである。
◇◇◇

 こんなことが私には気になるのだが、それで、表紙写真を載せてもらった〔その連載では毎回一冊の本の表紙を掲載した〕のは以上の有名な本たちではなく、斎藤義彦の本『アメリカ おきざりにされる高齢者福祉――貧困・虐待・安楽死』(斉藤[2004])である。
 毎日新聞の記者である斎藤の本は第三〇回でも『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』(斎藤[2002])を紹介した〔『生死の語り行い・1』に注を足して再録〕。今回の本は二か月半米国を取材して書かれた。米国のこの状態はまずいというはっきりした主張と、ジャーナリスト的に抑制した部分と両方がある。そして、ここに描かれるのもまた、現代的な米国的な死の忘れ方だとも言えはしよう。ただ事態はもう少し複雑なようにも思う。この続きをもう少し続け、そして別の本に移っていこう。

■註
★01 結局――むろん何が「先端」なのかということがあるわけだが――その連載でとりあげることはなかった。依頼によって当時書かれたものに、『希望について』(立岩[2006])に収録された「遺伝子情報の所有と流通」等。
★02 二〇〇五年に岩波ブックレットとして林達雄の『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』(林[2005])が刊行された。またこの年、アフリカ日本協議会(AJF)・三浦藍とともに三つの冊子を作成し、第一部から第三部の報告書(アフリカ日本協議会・立岩・三浦編[2005]として印刷し販売し、AJFの活動費にあてた。また二〇〇七年にはその第四部が刊行され(アフリカ日本協議会編[2007]、立岩の文章を加えた第二版が立岩・アフリカ日本協議会[2007])、同様の目的に使われた。この資料集は後に新山智基によって整理され、『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動――生存の視座から』(新山[2011] )として刊行された。そしてAJFで活動する稲場雅紀へのインタビュー(稲場・立岩[2007]は、『流儀』(稲場・山田・立岩[2008]に収録された。
★03 他についてはアフィエイトが停止されたり収入がなかったりしたため、現在はアマゾンのアフィエイトだけが残っている。二〇一四年までの収入の累計は二七〇万円ほどになっている。
★04 『私的所有論 第2版』(立岩[2013])の「いきさつ・それから――第2版補章・2」に以下。
 「本書〔『私的所有論』〕では、第3章で生殖技術の話が、第6章で優生学の話が(とくに注で)、第9章で出生前診断の話が不釣り合いに長々と書かれているが、それは、当時働いていたのが看護師他を養成する医療系の学校(信州大学医療技術短期大学部、一九九五年四月から二〇〇二年三月まで勤めた)で、「(そういう仕事をすることになるのであれば)そのぐらい知っておいてよ」と、話す時に使ったのだった。またそれ以前、非常勤で看護学校で社会学を教えていた時、昼寝せず起きてくれている人のために、資料を作った。作るためにいくらか本など読んだ。(そんな動機があってそれらの部分を長く書いたような気もするが、はたしてどこまでそんな気持ちがあったのか、記憶は定かでない。)」(立岩[2014:824])
★05 『東京漂流』(藤原[1983a])、『メメント・モリ』(藤原[1983b])。
★06 「死のポルノグラフィー」や「隠蔽」については別に、これから、記していくことになる。
 死に関わって社会(科)学が言ってきたことの解説と解釈として澤井敦の『死と死別の社会学――社会理論からの接近』(澤井[2005])、それ以前に鈴木・澤井編[1997]所収の澤井[1997]。
 「社会はいわば、一方で具体的な他者の死を隠蔽すると同時に、他方では死を商品として利用し、情報として流通させることによって、死の荒々しさを殺ぎ、死の脅威を手なづているといえよう。そして、情報化され商品化された死のイメージと人びとはなじみになり、そのことが「死のタブーからの解放」として追認される。しかしながら、情報空間に死のイメージが蔓延することとは裏腹に、具体的な他者の死はますます後景に押しやられていく。」(澤井[1997:179])
 やはり社会学者によるものとして中筋由起子の『死の文化の比較社会学――「わたしの死」の成立』(中筋[2006])。キューブラー=ロス、ゴーラー、アリエスといった人たちへの言及がある(中筋[2006:48-61])。
 それ以前の社会学における著作として『死の社会学』(副田義也編[2001])がある。以下のように書かれている。
 「この書物の標題は「死の社会学」である。私が知るかぎりでは、日本の社会学の分野において、この標題を冠する書物が出版されるのは、はじめてのことである。」(副田義也編[2001:v])


■紹介・言及



UP:20150131 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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