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補足したうえでざっと見取り図を書いてみる

立岩 真也 2015/06/10 『賃金と社会保障』1635:13-19

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■フォーラム補足――横田弘と横塚晃一関連他
 本誌とこの連載がどんな性格のものであるかはいくらかわかっているつもりだ。だが以下、即効性が期待できない、本誌本号に掲載された昨年のフォーラムでの発言――それがこういうかたちで残るとは思ってなかった――の補足、そして、それに関わり年中には出される出版物についてまず簡単に紹介させていただく。次に、認知症者、精神病者・障害者に関わるこのところの動向の幾らかを紹介し、ではどうしたものか、やはり年内に出る本に書くつもりのことを簡単に記すことにする。
 まずフォーラムのごく短い時間で話したのは、日本で安楽死尊厳死の合法化を容認しないという動きがずっと長く続いてきたこと、それによってともかく止めてきたということだった。
 このことにより詳しくふれた文章を昨日とりあえず書き終わった。神奈川県の青い芝の会で活動し、2013年に亡くなった横田弘の著書、長く品切れになっていた『障害者殺しの思想』(1979)が現代書館から再刊されることになり、その「解説」を依頼されて書いた。400字詰めて60枚程。横塚晃一の『母よ!殺すな』(初版1975、現在出ているのは生活書院からの第4版、2010――こちらの「解説」も私が書かせてもらっている――とともに「殺すな」とはっきり言った人たちの本がこれで2冊また読めるよになったということだ。
 その横田の本の解説にも記したことだが、『しののめ』という雑誌が安楽死を特集したのは1962年のことである。これはよその国と比べてもかなり早いと思う。そしてサリドマイド剤を飲んだ親から生まれた子どもが「あざらしっ子」などと呼ばれていたこの時期、『婦人公論』といった大きなメディアで、障害をもった子どもが生まれたら政府の審査会が生かすか殺すかを判断すべきだといったことが堂々と言われている。しかも、そうした発言をした作家水上勉には二分脊椎の娘がおり、その発言をした同じ年、総理大臣宛ての書簡を『中央公論』に掲載し重度心身障害児施設への政府の援助を増やすことを訴えてもいる(そしてその訴えはいくらか実現する)といった具合になっている――さらにその水上は1970年代には「安楽死法制化を阻止する会」の発起人にもなっている、という次第だ。△013
 こうした動きにいらいらしつつ付き合っているのは『しののめ』を主催した花田春兆なのだが、花田自身にも揺れているところがある。フォーラムで「この約50年間、なんだかんだいって日本の障害者運動は、いわゆる安楽死ではなくその手前の尊厳死の水準で、なんとか70年代末の第1期、そして2004年前後の第2期、それから2010年を越えて今第3期[…]、その間、法制化を阻止してきました」と発言しているのはそのとおりではあるのだが、1960年代から1970年代、言論はかなり揺れているでもある。そういう状況において、端的に「殺すな」と言ったのが横田や横塚たちだった。その主張をみながそのまま全部受け入れよということではない。しかしその時に言われたことをふまえてそこから幾度も出発する必要があると思う。だから読んでもらいたいと思う。『障害者殺しの思想』の解説は予定の2倍を超えた分量になったのだが、それでも、いま一部を略記したその本の背景にあったことの全部は到底記せなかった。そこでまず60年代の言説をそのまま収録して年代順に並べた資料集を電子媒体で作成している。もうすぐできると思う。これは直接販売になる(→「立岩真也」で検索→「販売します」)。
 さらに宣伝を加える。横田に/と私は2002年に2度、2008年に1度、計3度、インタビューというか対談というか、させてもらっている。2度めのものは横田の『否定される命からの問い』(2012、現代書館)に収録されている――この本出版社品切れでアマゾンのマーケットプレースだと今8000円の値段がついている。その1度めと3度めものを収録し、そして神奈川県の職員として横田の敵でありやがて友であった臼井正樹(現在神奈川県立保健福祉大学教員)の文章とで構成される本がやはり年内に出る。そして岩波書店から「ひとびとの精神史」全9巻の刊行が始まる。その第5巻『万博と沖縄返還――一九七〇前後』に横塚のことを書いた私の文章が――締切を過ぎてまだ書けていないのだが――載る。
 今のことこれからのことが大切なのだが、そのためにもこれらを読んでほしい。ちなみにこれまでの安楽死尊厳死に対する各障害者団体の声明などは立岩真也・有馬斉『生死の語り行い『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(2012、生活書院)に収録してある。実質的には、障害者運動がこの件について組織として表立ってものを言うようになるのは上記した区分で言うと第2期からである。言い方は、医師たちや親たちが言うのとまた違う言い方になってくる。これらもまた見ておいてほしい。また所謂「安楽死」と所謂「尊厳死」がどのように「陸続き」になっているのかについては、右記の『生死の…』の他『良い死』(2008)、『唯の生』(2009)に記した(いずれも筑摩書房、後者は現在はこちらで直売)。

■認知症→精神病院&安楽死
 もう一つは、というほど切り離せないのだが、精神障害・認知症に関わることだ。このところ「病棟転換型居住系施設」が問題にされてきたことは知られていると思う。こちらのHP――グーグルで「病棟転換型居住系施設」で検索すると最初に出てくる――でも各種集会やそこでの発言や雑誌の特集などの案内はしている。説明の要はないと思う。
 そして今「顧客」として期待もされ、また実際に精神病院の入院者の大きな部分を占めつつあるのが、認知症の高齢者である。そして、同時に、認知症者は安楽死尊厳死の対象としてされつつある。というか、ドクター・デスと呼ばれたジャック・キヴォーキアンが最初に自らが作った自殺幇機械で最初に死なせたのは認知症の初期の人だったのだから、最初△014 から対象になっている。そして日本でも日本尊厳死協会が認知症者の――その人たちの言葉に従えば――尊厳死を言い、それに「呆け老人を抱える家族の会」(現在は「認知症の人と家族の会」)から抗議があり、いったん沙汰やみになったということもかつてあった。
 こうして、認知症者――私の両親もその「障害当事者」なのだが――に対して、病院(あるいは病院内の病院でない称される場所)、あるいは安楽死尊厳死をという流れができてきている。『現代思想』(青土社)の三月号の特集が「認知症」だった。その号に書いた私の文章――後で紹介する連載(→単行本化予定)の一部で特集用の原稿ではない――の冒頭部より。文献表示など一部変更した。[…]は略した部分。

 「認知症が最初から関わっていたこと
 本誌今月号の特集は認知症だという。この「補記」では京都十全会病院のことを長く記してきたのだが、いっとき約三千床と全国一の規模であったその病院が積極的に受け入れ、その入院者の大部分を占めたのが、高齢者、今でいう認知症の高齢者だった。精神病院には「精神科特例」として許容されている入院者数あたり他より少なくてよいとされる人員をさらに少なくして、拘束する人は拘束しつつ、許諾など関係なく様々な「医療」をなし、節約しつつ、おおいに保険点数を稼いだ。その処遇・経営は、1970年代から80年代、批判がなされ、大きく報道されもし、国会における論議もあり当時の大臣等大臣等も非難し、それは85年の医療法改定にも関わったとされる。その糾弾の運動は評価されようし、それでいくらかはましになった部分もあった。しかし全体としては大きくは変わらなかった。どうしてか、代わりにどうすればよかったのか。それを考えようとしてきた。今回はその一連の追記を終わらせる回だったが、これまで幾度か触れてきた部分も含め、認知症に関係する昨今の動きについてやはり書いておいた方がよいように思った。
 認知症の人に何が起こってきたか起こっているか。一つには、精神病院への取り込みである。一つは安楽死尊厳死の勧めである。この二つについてわりあい最近のことを紹介する。(以下、情報を圧縮せざるをえないので、「認知症/安楽死尊厳死/精神病院/…」という頁を作った――「生存学」→「認知症」で検索)。
 精神病院にいる人が多いのはその通りだ。日本だけ異常に精神病院の入院者数が多いことが指摘され、その「遅れ」が指摘される。にもかかわらずというか、減少させるべきことが言われ、その傾向が予想されるがゆえに、認知症が精神病院の客として期待され、実際に取り込みが積極的になされていることを紹介する。このことについてはこれまでにいくらかはふれたので一部繰り返しが含まれる。
 入院者が多いこと、長期間の入院者が多いことには当然批判がなされるし、私も批判されるべきだと考える。ただ精神病院でなければよいというものでもないと思う。精神病院に起こったことは日本に特殊で、いったんできた構造がそれを維持させた。他の国でどうなっているのか。私は知らないから比較はできない。認知症の人のせよそれ以外の人にせよ「精神の人」――いかにも変だがそのように言うことにする――はおおまかに世界中にだいたい同じぐらいの割合でいるのだろうが、どうやって暮らしているか、生きて死んでいるのかわからない。ただ精神病院という名前のものでなくても、ナーシングホームにという人がたくさんいることを――脱精神病院化がうまく行っていないことを言いたい△015 日精協(後述)の人たちによってだったが――記していたことは「追記」3・連載第一〇〇回(二〇一四年五月号)で紹介した。また、『唯の生』(2008、筑摩書房)では、北欧・西欧の福祉の先進国で、動けなくなったら、とくに自分で食べられなくなったら生きる(生きさせる)のを終わりにするという流れがあることが、八〇年代、「福祉のターミナルケア」といったことが言われた頃、日本の一部に紹介されたことを紹介した。さらに事態は進んでいるようだ。幇助自殺、積極的安楽死の主体・対象になっている。近いところでは、児玉真美が、事前に餓死を選び行なう(行なわせる)こと(VSED・後述)を正当とする人・組織が米国にあり、実際にそうした行ないがなされていることを報告している[…]
 他方、日本で主張されているのは「尊厳死」で、それは「終末期」に限るものとされるから――実際にはそれを主張している人たちも言うことは一定でないのだが――より穏健であるとは言えるかもしれない。ただ「前もっての」意思表示により栄養や水分の補給が止められるという点では変わりはない。そして、変わりはないからより早く行なってもかまわないというなかなかにもっともな主張がなされ、既に日本で言う「尊厳死」は「先進国では認められている状況下で、それに反対する主張もなかなか厳しい状況に置かれている。
 踏みとどまることをよしとすれば、この国は「持ちこたえている」とも言える。ただ、繰り返しになるが、控えることと積極的に死ぬことの間に距離はそうないのでもある。そして日本でも認知症の人たちのことがもう四〇年以上は前から安楽死尊厳死論議で大きな論点であってたきたことはたぶんあまり知られていない。「先進国」での様子とこの国での経緯の両方を一度はおさえておく必要がある。」

■供給側の影響力を削ぐこと
 この動きにおいても影響力を行使してきたのが業界団体であることは見ておく必要がある。私は2013年に『造反有理――精神医療現代史へ』(青土社)という本を出してもらった。それは主に、1960年代以降、精神医療を変えようとした医療者たちの動きに書いた本だ。それでその動きはうまくいったかと言うと――いろいろとがんばりはしたのだし、そのことは忘れないほうがよいと思いもして、その本を書いたのではあるが――なかなかうまくいかなったところも残った。その要因の一つは、日本の精神病院の多くが民間の精神病院で、そこで(都合のよい)人たちを病院に残して、放置するそして/あるいは大量の薬物投与など無用というより加害的なことを行なって費用を抑え、利益を得てきた病院があった。そのような経営が可能であるような制度になっていた。既存の体制に造反し改革を志した人たちはこの仕組みを変えるだけの力をもっていなかった。「日本精神科病院協会(日精協)」という組織があるが、この組織をどうにかすることができなかったし、また政策を変えることができなかった。それは結果論としてだけ言うのではない。かなりいろいろと工夫をしてみたとしても、その時にできあがってしまっていた構造を崩すことはきわめて困難だったと思う。
 『造反有理』の後、性懲りもなく、私はその続きを書くことになった。二〇〇五年からずっと『現代思想』(青土社)で連載をさせてもらっていて、『造反有理』になった部分の後、その続きを二〇一三年末から十五回もまた書いたしまったのだ(この六月号でいちおう終わった)――さきに引用した文章もそこに収録される。京都に十全会という医療法人があり、三つの病院があって最盛期は約三〇△016 〇〇床、日本で最大の規模だった。そしてその精神病院が顧客にし続けたのが高齢者だった。そこは幾多の事件を起こし、京都で、また国会でも、六〇年代末から七〇年代、そして八〇年前後もだいぶ問題にされ、大臣も怒り、改善が求められ、法律もいくらか変わった。ただそれでよくなったかというと、やはり、そうでもない、という話をしている。またそんなさえない話をして本になるかと思われるだろう。ただ、だいぶ整理しないとならないが、本にするつもりだ。そこでいくつか「前向き」のことを書く――なんでうまくいかなかったかを見ていくと、うまくいくかもしれない方向もまた見えてくる。
 うまくいかなかった要因の一つは、業界団体の力が強く、今に至ってもそれを弱めることができなかったことにある。「医療観察法」と略される法律の制定の時もそうだった。さきにふれた「病棟転換型居住系施設」についてもそうだった。そして、この一月に出た所謂「新オレンジプラン」の制定にあたってもその直前に業界から議員へ、議員から厚労省へという力が働いて、原案がごく短い期間に変更され、「認知症対策」にあたっての精神医療・精神病院の役割が急遽大きく書きこまれることになった(このこともその三月号に載った文章→近刊の本に記した)。
 だから一つ、それを変えることである。供給側の影響力を弱めることが必要なのは、たんに利用者が「主役」だからということではない。一つには強制・強制医療という厄介な問題が関わるからだが、もう一つには支払いのあり方に関係する。ここでは後者について。供給側が実質的に供給のあり方を決定できる場合、供給は過剰になりうる。過剰でも無害ならよいが、加害的なことがある。それを抑制するとして自己負担と定額制を導入することが言われ、前者は実施され、後者も医療全般においては上限の設定といったかたちで実質的には行なわれている。だが、これらはとくに予算を減らすべきだとされる流れのもとではよくない方向に作用する。代わりに、保険点数の設定等を含めた政策全般から供給側の影響力を基本的に除外する必要がある。これは途方もなく困難なことではないはすだ。
 そしてそれは、政策決定全般にだけでなく、個々の組織・病院への経営への関与にも関わる。問題が起こっているらしい機関に行政が立ち入るといった、十全会事件も受けて取られるようになった体制「だけ」では足りない。連載でも病院の実態についてのいくつかの民間組織による調査報告書を紹介した。例えば大阪で行われてきた(精神病院への)「ぶらり訪問」といった活動がある。そうした活動がいつでもできること、妨げられないことが必要となる。理由があるときに立ち入る(ことを認める)のでなく、格別の理由がなければ誰の立ち入りをも拒絶できないようにするのである。この件に限らず、入院や退院他について「特別の理由」を示さねばならないのは、それを本人に対して行なう側である。
 だからまずは「野放し」にすることだと言ってもよい。ただそれは何もしないということではない。社会は、その傾向として、閉鎖し排除するからである。排除は一般論としてはいけないことであることを認めるとしても、自分のところでは困るという対応がなされる。多数はいくらかでも問題が起こる能性があるとして排除し、他方差別しないところには排除された人たちが集まるから、つらくなる。だから、差別を別禁止法のような規則によって認めないことにするということである。それだけで根本的な解決になどなるはずがない。しかし必要なものは必要である。そして専用の場所を作ることを控えめにすることである。そんな場や催はそうおもしろくないことがある。そしてそんな場には「責任を負う人」(とみなされる人)がいてしまうことになる。△017 苦情そのほかはそちらに向かうことになる。そうした人はいない方がよい。

 それが基本の基本である。

■仕組みについて
 次に、これは論理ではなく事実によって、「資源」における問題はないことを言う。認知症の基準を拡大することによって算定された七〇〇万人とか八〇〇万人といった数字を無視して、すべての人がなることにする。そしてその分その期間をいくらか短めに設定して、平均すれば人生の十分の一程度とする。その一人にやはりもう一人の人の人生の十分の一を要するとする。足して全人口の全時間の二〇%になる。そうして生きたいと思い、死なせることもできないと思う人が、そのためのことをするというだけのことである。
 それをどのような仕組みに乗せるか。みなに所得があるそのうえでなら、こうした「上乗せ」の部分は保険の仕組みでというのでもかまわない。ただ実際はそうなっていないた。これからその方向に向かって行くというのはもっともな案ではある。しかしこの時勢ではそう容易なことではない。すると、今とれる策としては、基本的な所得の保障と社会サービスの両方を求めていくこと、そして両方は――これも幾度となく言ってきたことだが、便宜上の区分でしかないのだから――払ったものが戻ってくるという仕組みでなく、累進課税による財の移転・(再)分配の仕組みのもとでなされることを求めることになる。
 そしてこの両方を求めていくこと――つまり、認知症関係など社会サービスに金がかかるからそれ以外の公的扶助といった部分にはかけられないという流れと真逆のことを主張し、実現させること――は、とくに精神病・障害、認知症の場合に必要なことである。
 ある種の身体障害の場合のように、生活のための手段としての必要が可視的で定まっており、それを提供するというかたちで関わるだけで対応しにくいところがある。としたときに、一つは、雑多な仕事に応じて払うようにすることである。一つは、そうした「対人援助」の仕事に乗りにくいものを得られたり供したりできるだけ人が暮らしていける余裕があるようにすることである。つまり、一方では不定形・無定形な必要に職としての社会サービスが対応するようにするという方向とともに、他方では、本人や周囲の人たちの全般的な対応力・生活力を高めるという方向があり、現況下では後者、「救貧」に力を入れるようにした方がうまくいくだろう。私たちは、数えやすいものにしか金を出さない流れになっていることを批判し、もっと不定形なものに出すべきことを主張するが、それでも覆うのが難しい細々としたことが、本人と周囲に起こる。私(たち)は家族により大きな義務が課されることを否定するが、実際そういう場所に様々なことが起こる。その個々に支払うというより、そんなことがあっても暮らしていけるようにした方がよいことがある。
 介助に関わること関わらざるをえないことによって、貧乏な人はさらに貧乏になっていくし、その結果、それらの人々に関わる老人たちは辛い目にあっている人が多いという構図になっている。それは「ケア」の方に今までよりいくらか多めに使うぐらいでどうかなるというものではない。世話をする人もされる人も、そのような立場にいるといないとにかかわらず、余裕をもって暮らせるようにした方がよい。
 同時に、社会サービスとしての提供のあり方の改革。これまでの既得権を保持して特権的な振る舞いと支払われ方を維持している医療との違いを変更する。間違った金の使い方を維持させているのは、この国の特殊事情もあってその業界が得た力による部分もあるの△018 だから、その影響力を排する。そのことをさきに述べた。
 そして、その医療においては出来高払いが維持されている。せめてその程度のことは他でもしてよい。私たちの社会がかろうじて許容するのが手段の提供である。認知症と精神障害全般と、違うところもあるが、似たところもある。機能を代替するという形があまり通用しない。身体の場合であれば、指示を受け必要な部分を代替すればよい。その必要はわかりやすくたいかい計算しやすい。そしてそれはだいたい一人ですむから一人が交代しながら対応することになる。行政的なアカウンタビリティといったものに接合しやすい。そんなこともあっていくらかは実現してきた。しかし必要なものは、指示する人と指示を受けて決まった時間動く人という関係ではしばしばない。また一対一という形は本人にとってもうれしくない場合がある。それでどうしたものか、いくらか難しい。
 そんなこともあって金が出ない。出るとすると、場所であり組織の事業になってしまう。場が設定され、機能が付与される。しかしその場とその形はわざとらしいものなので、よほど他にいるところがないのであれば繁盛しない。すると、評価されず、やめさせられることになるか、評価を得るべく努力してしまうことになる。場があることに意味のあることをまったく否定しないが、場所そのものはあるのなら、それを使えるようにすること、そして人だ。
 その仕事は様々にかたちのはっきりしないものになるが、それでよいとする。いまこの福祉関係の仕事は、介助といった仕事とマネージとか相談とか言われる仕事に分かれる。後者が専門職の仕事だとされるが、それがますます役に立っていないこととその由縁を連載で述べた。新たに何かを作るということではなく、両方を拡張し、連続したものとすることによって、不定形な生に対応するようにしたらよい。そして払い方について。必要なら一人に一人、利用者が選べて、その利用に応じて払われるという方式を私たちは言ってきた。それは取り下げない。ただ、契約に基づいた定時の派遣という形だけではうまくいかないのであれば、時間による算定でなく、各地域における人工比、高齢化率等もおおまかにはわかるのだから、その数に合わせて「なんでもする人」を配置したらよい。それがうまく行なわれるか。そんな保障はいつもない。ただいくつか可能な手立てはある。
 すると残る問題、むしろよりはっきり現れる問題は、供給者と利用者の間の対立の場面をどうするかである。このことについて連載の今度本になる分の最後の回(五月号)にいくらか記した。以上、とても当たり前のことのようで、意外にまとめて言われてはいないことのように思う。△019


UP:20161003 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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