◇お話ししたこと
A新しい障害者の運動は1970年代はじめには始まっていること
しかしそのことはすくなくともその当時知られることがなかったこと
〜そのことには理由があったということ。
だから「歴史」を知ることが必要であること。※
B)そこから見えてくること(の一つ)は本人・家族・専門家…が互いに異なること。
利害が異なる(〜だから現実にあったことをないことにすることもある。→A
ではどうするべきか
そこで「本人中心」という主張がなされた。
(そして「いつのまにか〜Aのことは忘れて、というより知られないまま、
本人中心や地域生活が当然のことだとされた。)
それは私は基本的に正しいと思う。
しかしいつもそれですむるわけではない。ときに本人の言うことに反する行いが正当化される場合がある。それはどのような場合にどのような理由によってか。ここに「理論」
的に考えるべき問題がある。
※光州事件(1980年)は厳しい情報統制のもとに置かれるとともに、種々の陰謀説も流されるといったことがあったという。そうした中で光州…の人たちはそのできごとを明らかにしそして記憶にとどめようとしていきた。私たちは翌日「国立5.18民主墓地」を訪れ亡くなった人の墓前に参った。資料館で映像を見た。
http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=3735
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