※以下の本になりました。
◆立岩 真也 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p. ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 2800+ [amazon]/[kinokuniya] ※ m.
■事件の顛末の概要
京都の十全会病院事件についてその概略を見てきた。それはそれなりに大きくとりあげられた。告発を始め続けた人たちだけでなく、大臣も議員も怒ってはいる。その批判・告発はどうなったか。どこも問題にしたのに、たいして改善・解消されることはなかった。そこから何が言えるだろうか。他方同時期に同じ地域に存在してきた白峰診療所・堀川病院の試みも紹介した。そこでの早川一光らの健闘は讃えられようが、ただ讃えればよいということではない。おおいに繁盛した悪徳病院と、先駆的だったが経営はなかなか大変だった病院と、双方を見た時に何が言えるか。もう七回そんなことに関って書いている。長くなってしまっているが今回含めあと三回書いて、大幅に整理して、まとめる。
事件(の告発)がどのように推移したのかをごく簡単に。一つ、傷害・致死についての告発がなされ(七〇年十二月)、刑事の方は不起訴となり(七二年十二月)裁判にも至らず、逆にその告発を不当として病院側が起こした民事裁判では一審では病院側の勝訴となった(七七年七月)。高裁(八〇年九月)・最高裁(八三年十月)でそれが覆り確定するまでに告発から十三年を要した。
国会では、日本精神神経学会の報告が出たこともあって七〇年代半ばに一度、その後八〇年前後、七九年から八二年頃、株買い占め等を巡る報道、また以前紹介した八〇年二月のNHKの番組、また高裁判決も受けて、様々がかなり頻回に問題にされた。議事録の関連する部分はHPにすべて掲載しておいた(資料全部で本一冊分、約三〇万字ほどある)。関連会社も含めた株や土地の取得のこと、入院者の定員超過、医療者他の人員不足、高い死亡率、拘束、保険点数をかせぐための不要(で加害的)な行ないの数々が取り上げられる。民間病院に多くを依存し、国公立病院が少ないことにも言及される。調査や勧告を行なったことが報告される。
こうして裁判、議会、行政の対応がなされる。大臣や官僚は(京都府行政を介して)介入している。調査をし(させ)、勧告がなされた。病院の側の一定の改善がなされたとされる。ただ同時に、病院側が反省しているようではまったくないこと、病院の実態がさほど変わらないことも言われる。勧告を受けて理事長とその家族・親族は退任したが法人は存続し、例えばその退任の約二〇年後、九七年十二月にも総額二〇億円の所得隠しを指摘されるといったことが起こっている。理事長その他がどのような人生を送ったのか知らないが、一代でなした財は消滅したわけではないらしい。
八〇年の前後、現行法によっては対応が難しいことが再三政府側から言われる。膠着のもとで、理事他の構成も含め、組織についての規定と監視の強化が主張され、そのための医療法改定の必要が提起され、当時の厚生大臣もその要求を受け入れている。そして八五年の第一次医療法改定につなげられる。そしてそれは、医療費の高騰という認識のもとでその抑制を目指す動きにも組み合わさった。そうしたことでことが収まるのか、またよいのかである。
次に、精神病院についてもすでにこの頃日本の病床数の多さは質問・答弁でも言われ、退院促進、「地域(移行)」は言われている。その後さらにその言説は一般化した。では大きく進んだかというと、さほど変わったわけてはない。
こうした流れを受けて基本的に言えると思うことは、まとめれば幾つかの単純なことである。各々もっともなことが言われてきた数十年を見て、その単純なところから出発するしかないだろうと考える。まず次節でそれを記す。
■基本的に何が言えるか
振り返り、それがあまりうまくいかなかったわけを考えていくことで、当座の実現可能性はともかく、基本的にどのようにするべきかが出てくる。それを列挙する。次節では、その各々について、ふたたび事件の問題化のされ方と対照させながら、以下の論点をより詳しく説明する。
第一に、何が問題とされるか、また目指されるべきか。はっきりしているのは、刑法的な「加害」という水準で問題にするのでは、すくなくともそれだけではだめだということである。まず一つ、行ない・扱いについて。特別な法律など作らなくても、収容し拘束するのは、それで怪我をさせようとさせまいと、あるいはときには怪我をさせないためであっても、原則的には、間違っているという単純なことだ。
そしていま(まで)よりよい暮らしができるのがよい。病院よりはよい場所がほとんどの場合にあるから、入院者はもちろんもっと減るべきだが、それ自体が目的ではない。出入りが簡単なら――その時点でこの国の病院とはまったく違ったものになるのだが――そこにいることもあってよいし、そのようにいられる場所としてその場所をまともにしていくべきだとなる。
第二に、いま述べたことから、どこがまた誰がすべきかについて。責任と義務を負うのは提供する側であり、その責任と義務を課すのはその行ないについて資源を提供しその仕組みを作っている側である。ここから挙証についても逆の見方でみるべきことが言える。つまり、例外的に強制他が正当化される場合、それを正当化し、それに関わる事実を挙証すべきは、それを行なう側である。私はそれが、過去についてもやってやれなくはなかったことだと考えるが、その過去から今までできなかったのだから、今すべきことである。まったく当然の、言うまでもないことなのに、そのように議論の場が成立していなかったことを、私たちは後で再度確認することになる。
そしてその仕組みを利用者に保障できていないこと自体が問題であり、それを実質的に可能にすることが、社会の側がすべきことになる。[…]
第三に、誰が問題にし、仕組みを定め変えることに関わるかについて。一つに、「現場」に対する、ここでは本人以外の、介入について。(一九八五年の改定医療法に規定されたような)政府による監督(だけ)ではだめであり、足りないということである。政府も立ち入るべきだがそれでは足りない。立ち入りたいという人、とくに立ち入ってほしいという人(たち)の主張を受け止める側の立ち入りや質問・申し立てを認めることであり、病院他の施設はそれに応じなければならないことにする。そしてその人たちは中立的である必要はない。むしろ、一人ひとりが構造的に不利な立場に置かれている以上は、はっきりとその一人ひとりの人を支持し、そのためにその人々の置かれる場を問題にする人(たち)がいてよい――「裁定」は裁判などまた別の場でなされる。介入は常に無条件にということにするか、不正の疑いがある場合とするか、分かれるかもしれない。しかし疑いは実際に調べないとわからないのだから、両者はそうは違わない。この国でも民間による調査がなされきたし、私もそれを紹介したことがある(次回に紹介する)。強制的でない調査であってもそれを拒絶すること自体が社会的に否定的に評価されるなら、応じざるをえないか淘汰されていくという見方にも一理はあるが、常にそううまくことは運ばない。自発的な介入が強制力によって保障されている必要はある。すると(こんな時にだけ、患者の)「プライバー」が持ち出されるが、もちろんそれを――既にそこにいる職員他よりは――尊重しながらの対応は可能である。
一つに、政策全体の構築・点検・改善の場面。本人の参画は当然のこととされつつあるが、誰がその本人(たち)を代表するのかといういくらか厄介な問題は残ることは言っておく。ここでむしろ確認しておくべきは、業界の代表者たち(の影響力)を基本的に排するべきであるということだ。これはその人たちが良い人であるか悪い人であるかと関係がない。このように言う理由・事情の一部は、この後記す第四点、第五点にも関わっている。
以上が基本になる。繰り返す。一つ、何が目指されるか。「普通」が保たれ作られるべきであり、そうでない場合、それでも仕方がないとされる場合、それを正当化せねばならないのは、その例外を作り維持している側である。一つ、誰がその状態を実現すべきか。それが医療の供給に関わるのであれば、まずそれはその供給者であり、そしてそれを実現するための資源を提供し規則を作り実際に遵守させるに際して政治権力の行使が求められる。一つ、現場と政策に介在するべき/すべきでない人たちについて。現場への介入は基本的には誰にでも、そしてとくにその利用者の側に立つ人々に認められるべきであり、その自由は強制力によって担保されるべきである。同時に、供給・経営側の決定力の独占は許容されない。そして政策立案・決定に際して供給者側の影響力は基本的に排されるべきである。たんに当たり前のことに思える。そしてもちろん多くの人はこうした当然のことを思っていたはずである。ただ今もこうした平面で一般に議論はなされていない。このことを以下確認していく。
その上で、また以上を述べた理由でもあるのだが、より具体的に、二点加える。一つ、どのように供給と金の流れを制御するか。
八五年の改定医療法で政府はより強い監視の権限を有することになったという。しかしこの方法では毎日の普通の不当性・不具合を捉えることは難しい。格別に悪辣なことをしているのでなければ問題とされにくい。もう一つ、支払いの方法の変更が検討された。(事実上の)定額払いはすこし、自己負は簡単に導入された。しかしこれらはいずれも、基本的に供給側にある利益を確保しようとする傾向を利用者側に負荷をかける方法で抑止しようとするもので、支持できない。まず問題は過剰というより加害であることを確認べきである――ただ医療行為は一般に侵襲行為であるから、過剰な行ないの多くは加害的である。それを除去・軽減することが第一義である。一つに直接的に経営に利害のない人たちが経営に関与することが望ましい。これはなかなかに難しいことではある。現在の審査体制をより独立したものにするとともに、人々が個々の行いについて知り是正を求めることを拒めないようにすることである。公開を求められることがあるのは、非営利組織であればこそ利益は個人に渡るのだから、個人、少なくとも経営側の個人に渡る部分も含まれる。これらは正当な要求だが、同業者組織によっては賛同を得られない。だからその政治的影響力がこうした場面で行使されてはならない。
もう一つ、「地域」「地域移行」について。移行先の場がないと言われる。たしかに場を作る困難はあるし、その困難には取り除かれるべき部分がある。しかし一つ、場を作ることによって実現されるものだと考える必要は(あまり)ないとあえて言うことにする。一つ、金はいる。まず金を本人に移し替えればよい、その上でまた同時に、増やすのがよいことを言う。一つ、特別な場所でなく、今おびただしくあってしまう病院という場所を含め、自由化したうえで使えばよい。「支援」する人についても、いささか複雑な事情もあるのだが、とくに医療職でない人について、実は宣伝されているほど使える人手はまったく使われておらず費用もかけられていない。それを変化させる必要がある。ここでも同業者組織が利を確保しようとする動きはそれを妨げるから、その介入を防ぐのがよい。
以上、基本的なこと三つに加えて現実を規定している二つについて簡略に述べた。以下おおむね十全会事件の進行に沿った形で、今回は前半の三つのについて三つめの途中まで述べる。もう二つについては各一回ずつ次回・次々回に記すことにする。
■何をする/やめるか
■誰が遵守し/させ、抗弁する/させるか
■誰が提起し介入するか
■註
★01 他には日本臨床心理学会の一時期の動きがある。堀[2014]で記述・検討がなされている。
★02 次のように紹介されている。
「「保護室が不足している場合や医師看護人などの人手不足等人的物的施設の不備を補うため、扱い難い患者につき自傷他害のおそれがあるものとたやすく決め付け、むしろ他の治療・保護措置の簡易な代替手段として安直にベッド拘束を用いていたことが確認できる」と高等裁判所から厳しく批判されている。」(第二東京弁護士会人権擁護委員会編[1987:17])
★03 自身の関わりも含むらい予防法廃止の経緯については大谷[1996]等。また大谷[2009]は小林提樹、武見太郎…他、多くの人たちとの関わりについて記されている。九二年までの厚生大臣以下の役職者・(ときに初期は非常に少ない)国家上級職試験採用者一覧は水巻[1993]にある。ただし技官については記されていない。
★04 この書籍については未確認だが京都府保険医協会20年史編集企画委員会[1970]であるかもしれない。入手できていない。
★05 著者(一九二三〜)も京都市内のの開業医であり、題名から受ける印象とすこし異なり、この二冊の本によってまずよくわかるのは京都における医師たちの世界、その動きである。
★06 八五年十二月二七日各都道府県知事あて厚生事務次官通知「医療法の一部改正について」(発健政第一一二号)。
「医療法人に係る規定について次のように整備がなされたこと。
(1) 医師又は歯科医師が常時一人又は二人勤務する診療所について、医療法人の設立を認めるものとすること。
(2) 医療法人の資産要件を明確化することとし、資産要件に関し必要な事項は、その開設する医療機関の規模等に応じ、厚生省令で定めるものとすること。
(3) 医療法人には、役員として、理事三人以上及び監事一人以上を置かなければならないものとすること。ただし、理事については、都道府県知事の認可を受けた場合は、三人未満の理事で足りるものとすること。
(4) 役員の欠格事由について定めること。
(5) 理事のうち一人は、理事長とし、医師又は歯科医師である理事のうちから選出するものとすること。ただし、都道府県知事の認可を受けた場合は、この限りでないものとすること。
(6) 医療法人は、その開設するすべての病院又は診療所の管理者を理事に加えなければならないものとすること。ただし、都道府県知事の認可を受けた場合は、この限りでないものとすること。
(7) […]
(8) 都道府県知事は、医療法人の業務若しくは会計が法令、法令に基づく都道府県知事の処分、定款若しくは寄附行為に違反している疑いがあり、又はその運営が著しく適正を欠く疑いがあると認めるときは、当該吏員に、医療法人の事務所に立ち入り、業務又は会計の状況を検査させることができるものとすること。
(9) 都道府県知事は、医療法人の業務若しくは会計が法令、法令に基づく都道府県知事の処分、定款若しくは寄附行為に違反し、又はその運営が著しく適正を欠くと認めるときは、当該医療法人に対し、期限を定めて、必要な措置をとるべき旨を命ずることができるものとし、当該医療法人がその命令に従わないときは、あらかじめ、都道府県医療審議会の意見を聴いて、期限を定めて業務の全部若しくは一部の停止を命じ、又は役員の解任を勧告することができるものとすること。
(10) 都道府県知事は、医療法人が法令の規定等に違反した場合において、当該医療法人の設立の認可を取り消すに当たつては、あらかじめ、都道府県医療審議会の意見を聴かなければならないものとすること。
(11)[…] 医療法人のうち、二以上の都道府県において病院又は診療所を開設するものの設立等に当たつては、厚生大臣の認可を受けなければならないこと等とすること。」
■文献→文献表・総合
第二東京弁護士会人権擁護委員会 編 1987 『精神医療人権白書』、悠久書房
富士見産婦人科病院被害者同盟・富士見産婦人科病院被害者同盟原告団 編 2010 『富士見産婦人科病院事件――私たちの30年のたたかい』、一葉社
堀智久 2014 『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』、生活書院
京都府保険医協会20年史編集企画委員会 1970 『目でみる20年史』、京都府保険医協会
水巻中正 1993 『厚生省研究』、行研
中野進 1976 『医師の世界――その社会学的分析』、勁草書房
―――― 1996 『新・医師の世界――その社会学的分析』、勁草書房
西岡晋 2002a 「第一次医療法改正の政策過程(1)、『早稲田政治公法研究』70:183-217
―――― 2002b 「第一次医療法改正の政策過程(2・完)」、『早稲田政治公法研究』71:61-94
大谷藤郎 1996 『らい予防法廃止の歴史――愛は打ち克ち、城壁崩れ落ちぬ』、勁草書房
―――― 2009 『ひかりの軌跡――ハンセン病・精神障害とわが師わが友』、メジカルフレンド社
高杉晋吾 1972 『差別構造の解体へ――保安処分とファシズム「医」思想』、三一書房
立岩真也 2013 『造反有理――精神医療現代史へ』、青土社
山下剛利・松本雅彦・藤沢敏雄・島成郎・松沢富男・井本浩之・大越功・桑原治雄・中山宏太郎 1979 「討論」、『精神医療』3-8-1(30):3-11(特集:シンポジウム 日本の精神病院をめぐる各地の状況、I 今、何を問うべきか)