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早川一光インタビューの後で・2――連載・104

立岩 真也 2013/10/01
『現代思想』2014-10

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last update:20151008


 ※大幅に書き換えられて以下の本の第3章になりました

◆早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015/09/10 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p. ISBN-10: 4791768795 ISBN-13: 978-4791768790 1850+ [amazon][kinokuniya] ※

『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』表紙

■成功と苦難とは同じところから発している
 先月号の特集が「医者の世界――新しい医療との向き合い方」で、私は早川一光にインタビューをさせてもらった(早川・立岩[2014])。そしてこの連載での前回の分もそのインタビューに関連した文章になった。それを続ける(早川の本からのこの原稿の三回分ほどの引用などはHPに掲載してある)。そしてそれは、その前に書いてきた、京都十全会病院(他の告発がなかなかうまくはいかなかったこと)にも関わる。今回と次回でその分をいったん終える。
 […]



■基本的な仕組み


■1−1 支払う制度の方向について



■1−2 支払う制度の決め方について



■2 組織において


■註
★01 先月号の特集に文章(山口[2014])を寄せている山口研一郎によれば、六〇年代の往診を巡るできごとは「混乱期」、そして高齢の入院者の増加の頃が「第一次危機」の時期だと言う(山口[2013])。それは慶応義塾大学での講義の再録であることもあって出典は記されていないので、その理解が山口自身のものかどうかはわからない。
★02 他に自由診療を通したよく知られている人物として、ずいぶん長く日本医師会の会長を務めた武見太郎がいる。武見は料金を取らないこともあったというが、他方で国会議員その他は幾桁は違う金を置いていったのだという。
★03 さきに引用した「今までのような、医師ひとりひとりの特技、治療に対する方針はだんだんと認められなくなって」という文章の直前は以下のようになっている。
 「戦後まもない京都では、健康保険制度の普及につれて医師運動の柱として保険医協会は「医師の主体性の確立」を強く主張した。
 健康保険の赤字を理由にともすれば制限治療、統制医療の強化される中で、京都独得の反官僚・反中央の土根性は、二枚腰のような反骨の抵抗運動を起こした。
 私たちの病院の竹沢院長たち在野気骨の師が/「医師の主体性仕が守られてこそ、患者のいのちが守られる」/と主張して確信をもって、医療の民主化の波を起こしていった。/それは医師の「良心」を守る運動でもあった。
 当時、政府は「国民皆保険」の制度化を急速にすすめていた。国民から一定の保険料を徴収し、国は補助費を出して、乏しい財政の中から、国民はどこかの健康保険に入る皆保険の制度を推しすすめていた。/確かに”誰でも医療にかかれる”一応の保障は国民の要望でもあり、国民のいのちを守るのにすばらしい効果があった。/日本人の平均寿命は目にみえてのびていった。/しかし、乏しい国の補助では、国民保険はいつも赤字の運営にさらされた。/そのしわよせは、うなぎのぼりに高くなる国民の負担と、診療をあずかる医師側に、強く寄せられていった。/現場での医療は、同じカゼでも、病人のひとりひとりの顔がちがうように、患者の生活・体質・環境によってみなちがっている。従って治療の仕方も内容もちがって当然である。/ところが」(早川[1980:109-110])
 また鎌田實との対談では「医療の民主化」について次のように述べている。
 「国民皆保険をめざす医療の民主化に住民が乗り出す町衆運動が盛り上がっていくわけです。それと私たちの学生運動が結びついていく。」(鎌田・早川[2001:140-142]、早川の発言)
★04 より非現実的ではあるが、皆が負担できるほど豊かになるという方向があるかもしれない。しかしこれでも公平とは言えない。費用の多くかかる人とそうでない人がいるから、同じ収入から負担するのならそれで暮らし向きがときにはよっては大きく変わるからである。だから別途支給されるべきだと言える。差異についての対応については立岩・堀田[2012]に収録されている立岩[2012]で述べた。(たださらに一つ、各自が十分を得ている上で各自が自由に保険をかけるという仕組みを構想することはできなくはない。)
★05 日本ではとくに精神病院については民間によって経営されている。そして精神病院について起こったことは低金利の政府による融資であり、それを利用して多くの病院が建てられた。この種の支援によってよいことは起こらなかった。融資を得て儲けようとする病院が乱立し収容者が増えていった。
★06 このことは幾度か述べてきた。一般に人は多くのものが得られるとよいとは思っているから、それについてはほしいだけというわけにはいかない。多くのもののなかには自分の行動も入ってくるだろう。すると補って(補われて)実現されるべき自らの行動についてはやはり無制約というわけにはいかないのではないか。このことについても立岩[2012]で考えてみた。
★07 とくに開業医の利害が大きく反映した日本医師会の力が強かった時期には規模の大きなところほど経営的には厳しいところがあって、多くがやりくりに苦労してきた。診療報酬は個々別々に計算されて入ってくるが、そうして入ってくる総額をどのように仕分けるかはいくらか裁量できる。そのときどきにそれなりの収入をもたらす部分があった。例えばいっとき人工透析はそうした収入源だった。先月号に小松美彦によるインタビュー(石井・小松[20l14])が収録された石井暎禧の病院は親譲りのものだったが、透析で経営的に助かっことを語ってもいる(市田・石井[2010])。その収入を善用した病院もあっただろうし、たんに儲けたところもある。
★08 前回も誤った不正受給報道がなされ行政からも追及され堀川病院の側が反論・抗議を行ったことがあったことを記した。さきに引用した「医師も人。医者も労働者。生きていく権利があり、休む権利があるとなる。」の続きは以下。
 「生活保護法による医療は、一番ひどかつた。「生活保護の患者は、必要最低の医療を行うべきだ」との厚生省通達が私たちにおりている。/「何たる事だ! 生活を保護しなくてはならない患者こそ、最高の医療であるべきだ。食うに困っておればこそ、栄養もおとろえている。最高の食事と、充分な手だてが必要だ」と私たちは、どんどんと治療をした。/何回も呼び出され、「濃厚治療だ」「過剰診療だ」と言われた。「何さ」と私たちは、生活保護患者友の会をつくって、患者さんと一しょに交渉してゆずらなかった。京都の人たちは、この運動を影に日なたに応援してくれた。これを、私は「都びとの反骨」と呼んでいる。」(早川[1980:111-112])
 堀川病院の最初の院長だった竹沢(竹澤)徳敬は京都府立大学で教授会公開を要求する学生の運動に賛同し休職になり退職した人だった(早川[1980:105-106]他)。クリスチャンでもあった。
 「退官後、市中に耳鼻科医院を開くが、診療のかたわら日本の医師のあるべき姿を、健康保健制度の民主化の中に打ち立てようと情熱を燃やされた。/特に健康保険の運用の中で”この薬は保険では使ってはいけない””この注射は保険ではこれ以上使ってはいけない””往診のしすぎだ””二日で治るようなものに、なぜペニシリンを使ったんだ”などと、医師の医療行為に制限を加え、病人の治療に当たる医師の良心を制限する官僚統制に、医師の力を結集して盾ついた。
 その運動は、京都では日本の先頭を切って大波のように盛り上がった。/とかく萎縮しがちな医師に深い自信と確信を与える運動だった。/私はこれを”医師の主体性の確立”の運動だとみている。
 そういう院長が、私たち青年医師の”住民の中へ住民とともに”医療活動しようとする動きに援助の手をさしのべてこられる。/いわば「医師の主体性の確立」と「患者の主体性の確立」との結合だった。」(早川[1980:106-107])
 「戦後の医師会運動を指導した竹沢院長は、「医師の主体性」を主張すると同時に、「医師の果すべき社会的な責任」をも医師運動の中で提案して実行をせまっている。/医師会の手による休日診療体制、看護、検査、放射線技師教育、医師会オープン病院、医師会主導の地域医療活動等々……。/しかし、その主張は医師の生活権保全の運動の強さにおされて、その頃は容易に実現されなかった。/医療機関の日本一多い京都が、土曜、日律曜、深夜、お正月には無医村に近くなる時もあった。/私は、医師の主体性の圧迫は、「医療の萎縮」を呼び、患者の主体性の無視は、「医療の不信と荒廃を来たす」――/と思っている。」(早川[1980:109-112])
 「先生は、戦後の国民皆保険に従って、医師の医療における徹底した主体性を主張された。医師こそ、医療の主体である。と同時に、医師に高いモラルを持つようせまった。医師会立病院、看護教育、休日夜間診療の必要性を医師会運動として主張されたが、当時、その理解はなかなか困難であったようだ。
 私たちは医療の主体性は患者にあり、住民にあり、と主張した。先生は、この運動を温かく見守り、援助してくださった貴重な存在である。/やがて、私たちの要請をうけて、ニつ返事で院長を引きうけてくださった。」(早川[1985:225-226])
 つまり「過剰医療」という非難に抗しながら、「責任」を果たそうとした。そしてそれはもちろん一貫した行ないとしてあった。そして京都の医師会は蜷川府政を支えた「革新医師会」であったともいう。そして私がこれまで書いてきたものからも誤解はないはずだが、私は「過剰医療」というずっとなされてきた批判をここで繰り返したいのではない。そうした非難に対する反論が正当であったことがいくらもあることを認める。ただその上で、おおまかな傾向としては業界団体は収入に関わる発言・活動により熱心になることが多い。これは自然なことではある。そして竹沢は京都の私立病院協会の会長も務めている(早川[1980:109-112])。この時期は十全会病院がまた国会等で問題にされ出した頃でもある。だが知る限りその病院に対して京都の医療界はさほどのことはでぎなかった。(竹沢の死去について早川[1985b:88-90]。)

■文献
早川一光 1980 『続 わらじ医者 京日記』,ミネルヴァ書房
―――― 1983 『親守りのうた』,合同出版
―――― 1985 『ぼけない方法教えます』,現代出版
―――― 2004 『お〜い、元気かぁ〜――医の源流を求めて』、かもがわ出版
早川一光・鎌田實 2001 「VS 早川一光 地域医療の青い鳥を探して」、鎌田[2001:134-194]
早川一光・立岩真也 2014 「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て」,『現代思想』42-13(2014-9):37-59
市田良彦・石井暎禧 2010 『聞書き〈ブント〉一代』、世界書院
稲場雅紀・山田真・立岩真也 2008 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院
石井暎禧・小松美彦(聞き手) 2014 「医療批判としての地域医療」,『現代思想』42-13(2014-9):68-89
鎌田實  2001 『命があぶない医療があぶない』、医歯薬出版
川島孝一郎 2014 「統合された全体としての在宅医療」,『現代思想』42-13(2014-9):146-156
中里憲保 1982 『地域医療の旗手――住民と共に歩む「赤ひげ」たち』、現代出版
高橋晄正 1969 『社会のなかの医学』 ,東京大学出版会,UP選書
―――― 1970 『現代医学 医療革命への指針』 ,筑摩書房
高草木光一 編 2013 『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』、岩波書店
立岩真也 2012 「差異とのつきあい方」,立岩・堀田[2012:15-93]
―――― 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社
―――― 『自閉症連続体の時代』,みすず書房
立岩真也・堀田義太郎 2012 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社
山田真・立岩真也(聞き手) 2008 「告発の流儀」,稲場・山田・立岩[2008]
山口研一郎 2013 「医療現場の諸問題と日本社会の行方」、高草木編[2013:151-233]
――――2014 「現場的視点からとらえた「社会保障としての医療」の変質――「経済活性化のための医療」に向けて二極化する医師たち」,『現代思想』42-13(2014-9):122-131

◆立岩 真也 2014/11/01 「精神医療現代史へ・追記8――連載 105」『現代思想』41-(2014-11):


UP:20140911 REV:20140916, 17, 1012, 20151008
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