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精神医療現代史へ・追記2――連載・99

立岩 真也 2014/05/01
『現代思想』2014-5


◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『現代思想』2014-5表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

■概要

 ここ二回、「生の現代のために」として、今のうちに何が起こってきたのかを調べて書いておくことの意義について書き始めたところだった。今回は本号の特集にも関係し、精神医療に何が起こってきたのか、いまさら確認しておくべきことの「中身」の一部を記す。
 まず現在について、後で取り上げる十全会病院に関わる記述もさしはさみながら、どんなことになっているかの概略を述べる。
 次に、拙著『造反有理――精神医療現代史へ』(立岩[2013c]、以下この本の頁については【 】で括って表示する)に記したことを確認しておく。
 次に、京都で今も健在である十全会病院【282】に関わって起こったことから述べる(予定だったが、紙数尽き、次回)。

■現在:認知症高齢者

 まず現況について(状態を規定するものの全体については前掲拙著第5章等)。一つ、実際を大きく規定しているのは、精神医療を供給する側(病院・経営者)の利害である。幾度も言ってきたが、医療者(供給者)は常に医療を提供したいわけではない。提供して益があるときに提供する。
 ただ、その利害だけで動くのでもない。もう一つ、それに呼応するもの、前段に述べたものを許容し、ときに積極的に求めてしまう動因がある。つまり、負担・害を避けたい、避難したいのである。「社会防衛」と言われると他人ごとのようだが、そして実際本人にとっては他人ごとのこともあるのだが、その他人たちとはたいがいの私たちでもある。
 この二つの契機は指摘・記述されてきたし、批判されてきたが、そうは変わっていない。その変革は造反派のできなかったことだが、かといって他の誰かたちができたわけでもない。意見や繰り言はいろいろと言われたが、どうにもなっていない。ならばその提起の意義を消去することはできない。そしてこれからでもどんなやりようがあるかを考えるしかない。
 次に、一つめの続き。現在を規定している供給側の動きは、第一に認知症の高齢者の取り込みとして現われている【353】。それが誰にも気がつかれるようになったのことは比較的近いことかもしれない。そして現在のずいぶん大きな部分を占めている。ただそれは相当に以前から始まっていることでもある。十全会はその先駆的な組織であってきたことを後で記す(ロボトミー手術で問題にされた病院の幾つかもそうだった【162】)。

■現在:病棟転換型居住系施設

 そして第二に言葉としては昨年から浮上してきたもの、このところ一部で話題になっているのが「病棟転換型居住系施設」だ。精神病院の病棟・病室の一部を病院ではないことにしようという話である。「地域移行」は否定できない言葉になって久しいが、それが益になる限りにおいて、病院が自分のところ(の一部)を「移行先」の場所にしようという【353】(ことの推移についてはHP arsvi.com「生存学)内「病棟転換型居住系施設」)。
 そんな単純な露骨なことであるか、といったんは思われる。また、いくらかでも居住環境がよくなるなら(よくなる人がいるなら)、それも現実的な案ではないかと思われもしてしまい、例えば『朝日新聞』の一月二四日の社説にそのようなことが書かれる(全文HPに再録)。(しかし、今の病院・病床よりよい場所を「病院が」提供しようというのであれば、まず今あるその場所を「居住」と呼べるような場所にしたらよろしい、とまずは単純に不思議に思ってもよいはずではある――後に続く。)
 そしてこんな時、すくなくとも想起すべきは、生活療法を採り入れた(時期の)昭和大学附属烏山病院――に限らず多くの病院――で採用された機能別病棟【204・206】のことであり、それが現実にどのように機能したのかである。治療病棟、生活指導病棟、作業病棟、社会復帰病棟、といった具合に分かれる病棟をどのように移ったり「滞留」することになるかは、病院側が判断することになるのだから、何が起こるかは容易に想像できる(はずなので拙著では細々とは書いていない)。今回の「居住系施設」は「病棟」ではないとされ、個室ぐらいのものは提供されるのかもしれないから、かつての(かつてからの)ものとは異なるのだろう。そう思うことにしよう。しかし、起こりうることは同じである。そして、この案を批判する人が皆言うように、結局そこは同じ場所である。もしかしたら棟は違うかもしれない。さらに、あまり考えられないが、敷地も違うかもしれない。しかしそこは今いる病棟を管理する法人の建物・土地である。そしてなにより、これまでなされてきたたいがいのことは、「今よりはよい」こととして、なされてきた。そのことだけでも思わねばならないのだが、そのたびに忘れて、あるいは忘れたことにして、同じことが繰り返されてきた。そのことは、昨年十一月に「精神保健従事者団体懇談会」(精従懇)【344】の集会で話をした(立岩[2013a])。その記録にすこし手をいれたものが『精神医療』誌【74】に掲載される(立岩[2014])。じつは今度の本もその集会にまにあうように急いで出してもらったものだ。

■日精協

 そしてこれらに関わる(単純素朴な意味での)政治の場に、実際、利害関係者たちが登場し参入している。本連載第九六回(昨年十一月号、特集:現代思想の論点21)「『造反有利』はでたが、病院化の謎は残る」でも「日本精神科病院協会」(日精協)についての拙著の記述【60】をすこし補ったのだが、そうした組織やその関係者の活動もまた健在である。そうしたとても普通の意味での(他の主題についてはそれなりの研究がなされている)「政治過程」もまた研究されていない。
 それでもそのある部分を知っている人は知っていて、以下のような記述はある。永田浩三(一九五四〜)はNHKに一九七七年入局、二〇〇一年の『ETV二〇〇一』の「戦争をどう裁くか」も担当、その番組改変について東京高裁で証言、以後番組製作から遠くなり(この事件について永田[2010]、arsvi.com→「NHK番組改変問題」)、二〇〇九年に早期辞職、現在は武蔵大学の教員をしているという人だが、その人のブログより。引用文中の「先日のクローズアップ現代は、クロ現史上、最大と言ってもいいほどの注目番組だった」と始まる番組は二〇一二年十一月二二日の「“帰れない”認知症高齢者 急増する「精神科入院」」。番組を文字化したものはNHKのサイトにあり、番組の全体も幾つかみられる。「ルポルタージュにっぽんで取り上げた、十全会・双ヶ岡病院」は後で紹介する一九八〇年のNHK総合の番組で、この時永田は既にNHKにいる。この番組に協力した「前進友の会」【119】の関係者の文章等とともに、後で紹介する。

 「問題を感じたのは、最初のVTRだ。ロケの舞台は、日本精神科病院協会会長の山崎学院長の、群馬県高崎のサンピエール病院[…]今、全国の精神科病院は、それまでの思春期や、若い患者から、認知症の高齢者を対象にしようと、一気に舵を切ろうとしている。患者・家族を救うためというのは、建前で、基本的には、経営のためだ。これまで、認知症のひとのことなど、まったく知らない医療関係者が、なだれをうって、金づるとしての認知症病棟へのシフトをはかっている。
 しかし、厚労省のこころある官僚は、そうしたことは許すまじと、認知症対策の指針を発表。地域移行・在院日数の短縮・入院の抑制という歯止めをかけようとしている。だが、そうした政策は、業界を危うくするものだとして、日本精神科病院協会は反撃に出たのだ。
 そうしたなかでの、当の日精協の親分の病院に、おんぶにだっこのロケである。認知症専門の閉鎖病棟。そこで、BPSD、暴言や暴力を示すひとたちを撮り、いくらきれいごとを言っても、認知症のひとは、しょせんこうした、わけのわからない状態になり、家族や地域で何とかなるものではない、という強烈なメッセージが伝えられる。周辺症状を抑えるために、拘束も堂々とおこない、口から食べられなくなると、胃ろうがおこなわれる。
 こうした映像をまともに見たのは、ルポルタージュにっぽんで取り上げた、十全会・双ヶ岡病院以来だろうか。まさに三〇年前の風景がそこにあった。VTRでは、娘さんが、「父を殺してしまおうか」と思ったという証言も使われている。
 日本の精神科医療は、多くの課題を抱えてきた。これまで、家族を救うため、精神科病院の長期入院はしかたがない、必要悪だとされ、いったいどれほどのひとたちが、無残な収容の結果、無念の死を遂げてきたのだろうか。山崎会長は、業界紙に、イタリアのような精神科病院廃止の試みが、どれほど無謀かを、あげつらい、ヨーロッパの改革を冷笑している。しかし、ほんとうにそうか。現実を見ていないのは、どちらの方だろう。[…]」(永田[2012])

 山崎學(学)日本精神科病院協会会長(二〇一〇年から会長、一二年に再選、生年は現在のところ不詳、一九六六年日本大学医学部卒、医療法人山崎会サンピエール病院理事長・院長)が「業界紙に書いた文章」は『日本精神科病院協会雑誌』二〇一二年一月号に掲載された巻頭言「Japan as No.1」(山崎[2012])だろう。そこには「大規模入院施設で刑務所もどきの処遇がいまも行われているといった[…]偏見を助長したのは、日本の精神科医療について歪曲化して発言をしている確信犯的原理主義者、外国カブレの学者、精神科病院を非難することで生活の糧を得ているといった人たちです」といった文章がある。この文章に対して、本号にインタビューが掲載された大野萌子【356】、山本眞理【110】らが属する「全国「精神病」者集団」【118】、「東京都地域精神医療業務研究会」(東京地業研)【72】が抗議文・質問状を発表・送付している(全国「精神病」集団[2012]、東京都地域精神医療業務研究会[2012])。巻頭言も抗議文もネットで全文を読めるので内容の紹介は略。
 さきに「政治過程」と書いた。その山崎会長は率直な人であるようで、その辺りことはとてもすなおに書いている。紹介した巻頭言の翌年、二〇一三年二月号の巻頭言では以下のように記している。

 「民主党政権下において、日本精神科病院協会は野党になった自由民主党の先生方と、「精神医療保健福祉を考える議員懇談会」を通して地道に精神科医療提供体制に関する議論を重ねてきた。今回、精神科医療について理解と見識を兼ね備えた先生方が、安倍内閣で重要な役職を務めることになった。
 安倍晋三内閣総理大臣、田村憲久厚生労働大臣、根本匠復興大臣、山口俊一財務副大臣、鈴木俊一外務副大臣、菅原一秀経済産業副大臣、衛藤晟一内閣総理大臣補佐官、加藤勝信内閣官房副長官、鴨下一郎国会対策委員長、福岡資麿厚生労働部会長と、これまでの日本精神科病院協会の歴史にないような豪華な顔ぶれが政府・自由民主党の要職に就任している。また、日本精神科病院協会アドバイザリーボードメンバーである飯島勲先生と丹呉泰健先生が、内閣官房参与として参画されている。頼もしい限りである。」(山崎[2013])

 そしてこの人たちにこの組織、その政治団体としての「日本精神科病院協会政治連盟」(他)による政治献金について安原荘一(七瀬タロウと同一人物)【402】が『精神医療』に書いていることは【369】で紹介した。「心神喪失者等医療観察法」が二〇〇三年に成立するその前にかなりの政治献金がなされたことはいくらか新聞などでも取り上げられた。またそのことを忘れるべきでないと、医療と法に関わる法学の第一人者であってきた中山研一(一九二七〜二〇一一)が大学定年後に始めたブログにも文章がある(中山[2005])。そして右記の記事に出てくる人物たちに対する献金について、やはり七瀬の報告がある(七瀬[2013])。実際の金の流れを掴むことには限界がある。けれども、政治やメディアへの関与について、とりあえずわかるところだけでも見て書く必要がある。

■十全会・予告

 長くなってしまうので次回に回すが、その予告として、京都の十全会病院についてすこし記しておく。それは、一つに経営者側の利害があり、一つに仕方のなさと思われてしまうものがある、その例を具体的に示そうということでもある。

 [略]

■引き受けるしかないと言われること

 山崎はさきの二〇一三年の「正念場」という文章の「頼もしい限りである」の続きを、次のように続けている。

 「精神科医療は、いまさら繰り返すまでもなく、長年にわたる国の低医療費隔離収容政策の方便に使われ、社会的弱者を支えているにもかかわらず日の目をみることがなかった。それゆえ、国際的に非難されている三六万床の精神科病床を抱え、三〇〇日を超える平均在院日数の現状に甘んじる結果となっている。
 二〇一二年、日本精神科病院協会は「我々の描く精神医療の将来ビジョン」を提案し、精神科医療提供者自身の意識改革・挑戦を会員に呼びかけ、大胆に精神科医療改革を推し進めようとしている。まさに、「賽は投げられた」状態である。
 国が真摯に改革を行う覚悟があるならば、精神科病床の機能分化に対して大規模な予算付けをし、既存の精神科病床の機能分化と地域移行施設整備を行わなければならない。」(山崎[2013])

 つながりのある政治家を臆面もなく列挙するのは皆がすることではないだろうが、この種の文章はいつも右のようなものであってきた。現状はよろしくないとした上で、それは政府が金を出さないからだと言い、だから増やすべきだと言うのである。「地域移行」が進まないのもそのためだと言う。
 そしてそれはいくらかは当たっている。世界の趨勢には反対しないが、それは政治・社会のために困難になっている、その間、仕方なく精神病院ががんばらねばならない。現況において、受け入れないのは、あるいは放り出すのは忍びない。こう言うのである。それを言い続けてきた。後で十全会の理事長が三五年前に、井上光晴を前に、同じことを言うのを見ることになる。そして、革新・造反の側も同様であったりすることがしばしばである。
 他方、それは単純に間違ってもいる。つまり、病院でない方に金をまわせばよいということだ。それが、この文章の終わり方は、さきほどから問題にしている「精神科病床の機能分化」、そして「地域移行施設整備」である。移行に関わる仕事を、あるいは移行「後」としての居住の場の提供も、金を出してくれれば、自分たちがやると言い、やらしてほしいと言っているのである。同じ金を使うにして、もっとましなところ、やり方は、多々ある。それにつきると言えばつきる。
 ただそれだけかということだ。それが、さきに二つあると述べたことの二つ目、貧弱なまた乱暴なものであっても人々が受け入れてしまうということだ。それはたしかに――「現場」に自分が実際に関わり知っているかどうか疑わしいのだが――現場を知るという経営者たちが言うように、「きれいごと」ですまない部分ではある。ただそれに居直る、あるいは引き下がることはない。何を言えるか。まず、認知症には高い確率で自分もなる。誰でも複数、関係者にいる。そうひどい扱いはされたくない。それを阻んでいるのがこうした組織であり、そうした組織が(得た利益の中から)使う金であり、力であると言えば言える。その程度のことは言えるだろう。ではそれですむかである。そしてまず、どこがどうなっているかである。
 例えばこのことは、医療と福祉という二つの関係として語られたり、駆け引きされてきた。『唯の生』(立岩[2009])でいくらか記したことだが、「老人病院」は精神病院と同じ動因で増えていったのだが、もっともなことに「過剰医療」他――それが増加の要因だった――を批判され、「医療から福祉へ」という主張がなされた。ただ一つ、ここもきちんとした研究はあまり見当たらないのだが、そう単純にことは運ばなかった。そして、とくに介護保健導入の前辺りから、さきの日精協会長のところもそのようだが、医療法人が別建てで社会福祉法人を作っていったりした。
 そして、同時に、やはり『唯の生』に書いたことだが、この標語は「終末期医療」の差し控えの方にも流れていくことになったし、今もなっている。私たちは結局人を棄ててしまうというのは間違ってはいないが、その前に、同時に、実際どんな正しいことが言われ、実際何が起こってきたか、いるかは見ておく必要がある。
 関連して、もう一つ加えておく。さきほどの日精協会長は、そんな題の本がかつてあったことを聊か人々が恥ずかしく思い出すことのある本の題名の文章で、日本が一番だと言い、それはさきにあげたような組織他によって、当然にも批判された。ただ、私は「先進諸国」でどうなっているのかわからないので、それらがどの程度まともであるかについて、保留する。『唯の生』では、「寝たきり」の人がいない国々について、終末期が早めに設定されているようだという文言をいくつか拾った。そしてそれは――一方ではたしかに座ったり立ったりして暮らすことに熱心でありつつ――たんなる風聞の類ではないようだった。精神医療や認知症の人たちについてはどこではどうなっているのか。単純には、いるものはいるし、いらないものはいらないというだけのことではある。ただ、そう言ってすませるためにも、見ておくべきは見ておく必要がある。

■本の粗筋

 拙著で造反派と呼んだ人たちは、ここまで述べてきた二つを――前者についてはその構造を(他の皆々と同じく)変えることはできなかったし、後者については「国家」とか「総資本」とか言いがちではあったのだが――問題にした。
 本はまずは出しておこうという本ではあった。そしてわからなかったこと、わかりきらなかったことは、まだわからない。そう書いた。そのときどきに問題にされたことのいくつかを記した。きりがないので、常識と思われるので略した部分(例えば宇都宮病院事件の概略等)もあるが、どうやらほとんど常識といったものは成立していないようだ。それは半ば予想されたことでもあるので、HPの方に詳細記録を掲載しつつある。それをご覧いただきたい。
 ただ「粗筋」ははっきりしている。そのことに一部誤解のようなものもあるので、まずそのことから書く。「造反」は基本的にはまっとうなものであった。造反された側の言い分にはまっとうでないところがあった。書いたのはまずそれだけである。
 「そのうえで」、たしかに両者がどう分かれているかは、ときに微妙ではある。精神病院・精神医療に劣悪な部分があること改善されるべきところがあることは誰も否定しておらず、現状を全面的に肯定する人は、今も、どこにも、誰も、いない。そのことはさきも見た。他方、「医療」「近代医学」――この二つを並べることの是非については別に述べるが、ここでは妥当と考える――の一部としての精神医学・医療を全面的に否定することもなされない。造反派
も当時の普通の技術を行使する人たちだった。それを否定することを「反精神医学」と言うのであれば、そうした動きは日本の医療には存在しなかったし、存在しない。広義の「技」全般を否定する人はほぼいない。ここに大きな分岐はない。その意味ではさほど違わないように思える。程度の問題と言えなくはないところはある。
 しかし、それだけであったかといえば、そうではない。
 まず、現在普通に「医療倫理」として問題にされる(その範囲内での)諸問題をおおっぴらに問題にした。
 一つには、臺(台)弘【91】(他)の「人体実験」の告発、その是非をめぐる議論(一九七一〜)だった。これについてはごく簡単にしか紹介しなかった【129】――ただ当時の関連文章の幾つかの全文はHPにある。ずっと以前に私が思っていたより、いくらか考えるべきことがあると思う。ただ、それまでに、第二次大戦時の九州大学での生体実験のこと等はいくらか知られていたとして、学会という場で議論になったことは――そしてそのことこそが責められたのだが――その時が初めてであったはずである。むろんそれは学会の主導権をめぐる争いの一部となったのではある。それで「政争の具」であったともされる。だが、建て前から言えば、学会とは本来そうしたことが議論されるべきところであって、その意味においては、学会で問題にされたこと自体は正当なことだと言える。そして議論の中身は、その後各種学会といった場でどの程度のことがなされたのかを考えても、実際にはかなりまともなものだった。
 ロボトミーなど精神外科についても同様である【183】。その問題性はそこそこに語られ知られており、また他の療法が現われてきたこともあって、たしかに漸減はしていたのだろう。しかしやはり、学会による決議がなされたのはこの時(一九七五)だった【185】。
 そして、見ておくべきは、これらの実質的にはたいした数いない人たちの起こしたことが波及していったということだ。石川清【103】による臺実験告発は報道され、それで大野萌子は東京まで出かけていったことは本号所収のインタビューで語られている。また、名古屋の名古屋の守山十全病院(京都の病院とは別)でロボトミー手術を受けた人も精神神経学会の告発のことを知り、石川に手紙を書いたことが告発につながっていったという【168】。
 ただ、これらの問題自体は、その捉え方によるが、まずは(そして本来は)通常生命倫理・医療倫理で主題になるようなことである。そしてさしあたりの答は決まっていて、同意、本人による決定ということになる。もちろんそれは、臺実験についての学会での議論でも、ロボトミーに関わる裁判(の判決)でも言われた。けれども、常に同意を待っての行ないですむのでないなら、話はそこで終わらなくなる。求めに応じたことをする、というのでなく、何をしているのか、何をするのか/しないのかということになる。
 […]
 そして、どのように日々をしなくてよいことをせずにすむように暮らせるようにするかということと、今述べたこととは、「社会」がそこから受け取るのか、支払うのかという点で、地続きにつながっている。そして冒頭で述べた認知症の高齢者の取り込み、その人たちも含めた精神病院への取り置きは、後者の方に近い、あるいはその一部である。やっかいごとがいつかなくなることがあるとは思えないし、いつか誰も苦しまない日が来るとも考えがたい。とにかく「できるだけ(穏当に)」というのが常に言われることだし、結局そんなことしか言えないのかもしれない。それは社会の限界のような場所に起こることである。けれども限界にあることだからこそ、心がけのような話で終えることはできない★01。
 だから、全体としては、「医療」だけに専心すればよかったということには決してならないのである。もちろん、一人ひとりの持ち場としては、実際にできることは有限ではあるから、他にまかせられたらその方がよかったはずだ。しかし、そんな場に面してしまったからだが、両全会闘争にしても、他にしても、まずはその初期を担ってしまったのは、発言・行動を制約されている中でそれでも抗議を始めた人たちとともに、医師や医学生だった。

■再度病院化のことへ

 こうして、一方では、(やがて医療観察法が実現するのが)法に対する対応が課題になり、他方では、劣悪な状況に置かれた処遇を受けた人たちやその人たちがいる個々の場所での支援がなされた。あるいはなされるしかなかった。けれども、基本的には、医療、精神医療、そして医療とはされない部分の全体が問題なのではある。そしてそれは、もちろん当初から言われていたことではあった。しかし、言ったら聞いてくれるわけではない。
 当時の状況で問題とすべきだと考えられ、また問題化することが可能だった一時期、運動は前段に述べた二つの方向と、そして大学・学会・学界に向けられるものになった。それはどこまで有効であったのかという問いは立つ。

 [略]

■註

★01 (池田小学校事件の)宅間守の精神鑑定を行なった岡江晃が二〇一三年一〇月二八日に亡くなった。その鑑定書に基づく本が刊行された(岡江[2013])。『飢餓陣営』を編集発行している佐藤幹夫が世話人をする研究会で、その本を取り上げようということになり、著者本人を呼ぶことができ、二〇一三年八月十一日に行なわれたその研究会での講演(岡江晃[2014])とその後の討議(香月他[2014])その他が『飢餓陣営』四〇号に掲載された。
 犯罪を行なった人の責任能力や情状酌量の問題と、再犯可能性の前提の上での処遇(保安処分)とはもちろん別のことではあるが、関係はする。この本を読んだ様々な人たちがその感想を書いたり話したりしている。その受け止め方の差異も含めて、意義のある特集になっている。なお、私は佐藤の著書『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(佐藤[2005])の書評を書かせてもらっている(立岩[2005])。そのことについて【370】。
 なお岡江は洛南病院の院長も務めた人であり、そこで電撃療法がなされていたことを、さきに名だけ出した「前進友の会」の人たちに糾弾されたこともある。そのことや京都大学でのこと【112】等について岡江の弟でやはり精神科医の岡江正純(京都市いわくら病院勤務)が書いて『飢餓陣営』に掲載された文章(岡江正純[2014])に、ごく短いものではあるが、言及がある。

■文献(→文献表・総合

江端一起 1996? 「友の会の歩み、そして今」、『キケンな〈なかま〉たち――地を這う20年を振り返って 前進友の会』http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-zenshin.html
遠藤庸  1985 「はしがき」、遠藤編[1985:3-4]
遠藤康 編 1985 『慢性分裂病と病院医療』、悠久書房
後藤基行・安藤道人 2013 「精神病床入院体系における3類型の成立と展開――制度形成と財政的変遷の歴史分析」、『Monthly IHEP』2013-11(225):21-23 http://www.ihep.jp/business/grant/docs/%E8%A6%81%E6%97%A8PDF_%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%9F%BA%E8%A1%8C%E6%B0%8F.pdf
香月真理子・竹島正・小林隆児・清水邦光・阿久津斎木・滝川一廣・愛甲修子・水田恵・佐藤幹夫 「岡江晃氏を囲んで――精神鑑定と臨床診断」(討議)、『飢餓陣営』40:102-123
小山通子 1996? 「あのころの日の岡荘」,『キケンな〈なかま〉たち――地を這う20年を振り返って 前進友の会』 http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-zenshin.html
三宅貴夫 1983 『ぼけ老人と家族をささえる――暖かくつつむ援助・介護・医療の受け方』、保健同人社
―――― 2012 「私の転居歴2――京都」、『認知症あれこれ、そして』 http://alzheimer.at.webry.info/201203/article_2.html
永田浩三 2010 『NHK、鉄の沈黙はだれのために――番組改変事件10年目の告白』、柏書房
―――― 2012 「精神科病院協会の反撃」、『隙だらけ 好きだらけ日記――映像 写真 文学 そして風景』 http://nagata-kozo.com/?p=10067
中島直 2002 「精神障害者と触法行為をめぐる日本精神神経学会の議論」 http://www.kansatuhou.net/04_ronten/08_01nakajima.html
中山研一 2005 「日精協の政治献金」、『中山研一の刑法学ブログ』 http://knakayam.exblog.jp/1931374/
七瀬タロウ 2013/05/18 「日本精神科病院協会(政治連盟)の「政治献金」問題(その2)」 http://blogs.yahoo.co.jp/taronanase/61935290.html
岡江晃 2013 『宅間守精神鑑定書――精神医療と刑事司法のはざまで』、亜紀書房
―――― 2014 「刑事責任能力と精神鑑定」、『飢餓陣営』40:82-101
岡江正純 2014 「兄の思い出」、『飢餓陣営』40:152-154
佐藤幹夫 2005 『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』、洋泉社
立岩真也 2005 「書評:佐藤幹夫『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』」、『精神看護』8-6(2005-11):110-116
―――― 2009 『唯の生』、筑摩書房
―――― 2013a 「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」、第7回 精神保健フォーラム「変われるのか? 病院、地域――精神保健福祉法改正を受けて」 主催:精神保健従事者団体懇談会(2013/11/23) 於:大手町サンケイプラザ
―――― 2013b 「『造反有理』はでたが、病院化の謎は残る――連載 96」、『現代思想』41-(2013-12)
―――― 2013c 『造反有理――精神医療現代史へ』、青土社
―――― 2014 「病院と医療者が出る幕でないことがある」、『精神医療』
東京都地域精神医療業務研究会 2012 「日精協誌2012年1月号巻頭言への抗議と質問」(『おりふれ通信』2012-2に収録 http://orifure-net.cocolog-nifty.com/net/2012/02/)
山崎學 2012 「Japan as No.1」(巻頭言)、『日本精神科病院会雑誌』2012-1 http://www.nisseikyo.or.jp/opinion/kantougen/597.html
―――― 2013 「正念場」(巻頭言)、『日本精神科病院会雑誌』2013-2 http://www.nisseikyo.or.jp/opinion/kantougen/532.html
全国「精神病」者集団 2012 「日本精神科病院会長山崎學氏文章(協会誌巻頭言会長山崎學Japan as No.1日精協雑誌2012 1月号) に対する、「抗議・撤回および公式謝罪要求文」および「公開質問状」」http://www.jngmdp.org/accusation/1273/http://blogs.yahoo.co.jp/taronanase/61102069.html


UP:20140428 REV:20140918
精神医療/精神障害  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇全文掲載
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