不定型な資料を整理し始めたこと〜横田弘1974
「身体の現代」計画補足・14br>
立岩 真也 2014/12/20
第13回にあたるものは英語・コリア語のフェイスブック用の原稿だった。
http://www.arsvi.com/ts/20141210fek.htm
その続きを書かねばならないのだが、それはもう少し先延ばしにすることにし、しかし、関係なくはないことを。
その回では、「所謂」安楽死の手前の「所謂」尊厳死について、この国では、そしてすくなくとも法律的には、是ということにはなっていないことに関わることを述べた。その理由はいろいろに言えて、そして、こんなことについてはなんでも確定的なことは言えないのだが、一つに、ともかく反対してきた人たちがいたということを述べた。加えれば、最初「安楽死」を正々堂々と「優生学的見地」「障害者差別的立場」から肯定した人たちがいて、それが戦略的に「尊厳死」の方からまずは法制化しようというその構図があまりにはっきりしていたために、法制化に至らなかったという見方も可能ではある。ただそれだけのことでもむろんないだろう。そこで「アジア的」なものをもってくる(加える)のは安易なのだが、しかしではまるきり外れているかというとそうでもない。こうしたあたりをどう伝えるのかはなかなか難しい。というところでいくらか言い方に迷っているということだ。
さて、それはそれとして。資料を集めていくこと、くださる方がいること、それでどんなものが集まっているかを、これまで何回か書いてきた。その「バックナンバー」は
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
にある。そうしてこれまで私が集めたり、様々な方がくださったもののかなりの部分は、書籍として市販されたりはしなかったものである。
市販されている書籍の方は所謂「奥付」に著者・発行年月日(月日も入れるのは日本の出版業界独自の風習なのではないか)等の情報が入っている。だからそれを見て一冊一冊についてのデータを整理してデータベースを作ることは、単調だが面倒な仕事なのではあるが、慣れてしまえば、そう難しいことではない。ただ、パンフレットやさらにはビラの類になるとそうはいかない。これには無理からぬところもある。とくにビラなどでは、いちいち年を書くということ自体がまぬけなことがある。「○月○日集会に結集を!」といったビラにいちいち年を書く必要もないし、そんな冗長な情報はない方がよい。
しかしこれは後になるとなかなかやっかいなことを起こす。著者・発行年・発行主体をどのように判断し記していくか、考え考えやっていかねばならないということであり、またそれにはいくらかの知識が必要なときもある。それで、やらねばと思いつつリスト、そして一つひとつについてのファイル(HP上のページ)を作ることを怠ってきた。しかしいつまでもさぼってもいられないと思って、つい最近始めてみた。
http://www.arsvi.com/b/r.htm
まだわずかなものだ(12月20日現在、38)。それでも、椎木章さんが寄贈してくださったものにいては堀智久さんがもとになるものを作ってくれていたから、約2日でこのペースでリストに載せていけている。で、さっそく、どこにも発行日が記していないものが頻出である。全体を読むと、いつといつ間かがわかることがあるからその場合にはそうして判断した理由を書いた上で「書誌情報」を記していくといったことになる。
そうした中では珍しいといってよい1974年1月15日に刊行されたことがわかる本に横田弘の『炎群――障害者殺しの思想』がある。(これは後に増補され『障害者殺しの思想』として1979年にJCA出版というところから市販本として刊行された。むろん今は絶版。いまアマゾンのマーケットプレースを覗いたら9000円〜。)
http://www.arsvi.com/b1900/7401yh.htm
それをすいぶんひさしぶりに手にとって読んでみた。すると、以下のような箇所がある。
「何故、脳性マヒ者は殺されるのだろう。
なぜ、殺されなくてはならないのだろう。
そして、多くの人々は「惨めな状態で生き続けるより、殺された方がむしろ幸せ」と考えるのだろう。
「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に寄与できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から「われわれを大事にしろ」などといわれては、たまったものではない。」
これは、週刊朝日七二年一〇月二七日号「安楽死させられる側の声にならない声」という」記事にある元国会議員で、「日本安楽死協会」なる物を作ろうとしている太田典礼の言葉だ。私たち重度脳性マヒ者にとって絶対許せない。又、絶対に許してはならないこの言葉こそ、実は脳性マヒ者(以下CP者と云う)殺し、経済審議会が二月八日に答申した新経済五カ年計画のなかでうたっている重度心身障害者全員の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改定案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である事を私はまず一点押えて置かなければならない。」(p.6)
日本安楽死協会が設立されるのが1976年、法案を作成するのが1978年。じつはこの時期障害者側からの表立った動きをこれまであまり見つけらなかった。その理由はいくつか考えられるのだが、しかし、すくなくとも1974年に出た本・冊子で、たしかにそれは多くの人に読まれたとは言えないだろうが、神奈川の青い芝の会にいた横田は以上のように述べていることは(再)確認できた。
私はこれを読んだことがあったはずである。しかしまったく頭には残っておらず、昨日気がついたという次第だ。そんなことがあったのでツィッターに記してもみた。
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/545858722379993089
そこにも記したが、関連したページ「対・安楽死・尊厳死」
http://www.arsvi.com/d/et-m.htm
を増補した。
そんなこまごましたことを見つけて、それでなんだというのか。そのことについてはまた。
*以上は以下でも読むことができる。
http://www.arsvi.com/ts/20140054.htm
立岩真也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm