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生の歴史

立岩 真也 2014/02/01
『三色旗』790:55-58(慶應義塾大学通信教育部)
http://www.tsushin.keio.ac.jp/students/letter/index.shtml
慶應義塾大学通信教育部:http://www.tsushin.keio.ac.jp/

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◆2013/11/01 「良い死/唯の生」
 『三色旗』788:37-41(慶應義塾大学通信教育部)
◆2013/12/01 「生の技法/生の条件」
 『三色旗』789:(慶應義塾大学通信教育部)
◆2014/02/01 「生の歴史」
 『三色旗』791:55-58(慶應義塾大学通信教育部)

  二〇一二年度に三回の講義をして、三回この欄を書かせていただいくことになって、これが三回目になる。講義で話したことは二回分で大雑把には述べた。というか、話したところはこういう本やああいう本に書いてあるといったことを記した。それで今回は、調べることについて。
  これまで書いたことはおおむね理屈っぽい話だった。ただ、理屈を理屈として詰める仕事はたしかに私たち研究者の仕事だとしても、その「もと」になるものは様々にあった。それはあらためて調べるまでもないこともあるが、知らないことは調べねばならない。前回に紹介した、岡原さんたちと書いた『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(一九九〇、藤原書店、第二版・一九九五、藤原書店、第三版・二〇一二、生活書院・文庫版)のための調査もそうだった。
  調べるのはなんでもよい、とも言える。ただ私が思うに、そしてそれは『生の技法』を書いた後に思ったことでもあるのだが、平々凡々とした日常から何か新規なものを取り出すというのはなかなか高等な技を要する。むしろ、なにか妙なことをしている人たち、何かと何かの境目あたりにいる人たちのことを見ていくと、なにかそこから考えることが見つかることがあることが多いように思う。前回に書いたのもそんなこと、家族にも収まり切らない、市場からは(すくなくとも労働市場からは〜結果、他でも)はじかれる、といった人たちの行なってきたことや言ってきたことを追うと、この社会がどんなふうに分かれて、分かれたものがどんなふうに関係しているのかが見えてくるということだった。これは、自分(だけ)で考えて、社会の組み立てを言おうとするより、まず「楽」だと思う。
  そして、「境界」にいる人たち、いてしまっている人たちのことを調べるというのと似たところがあるのだが、「波風が立っている」ところ、喧嘩が起こっているところを調べるということがある。論を立てるというのは、一つ、例えばAとBと、どちらが正しいのか、それはなぜなのかを言うということでもある。それを最初から自分の頭でできるという人もいないではないだろう。ただそれはときになかなか難しい。自分でない、Aの人とBの人がいてすでに議論や喧嘩をしていてくれれば、それを調べて、そこから考えることができる。その人たちが学をなりわいとするかどうかはわからない。しかし、生活がかかっていたりすれば、ほとんどの場合、私たちがしばらく考えてみるよりはちゃんとしたことを考えている。ならば、まずはそれを知ることだ。
  それに、研究というものの相当部分は「実証研究」だとされる。なんでも調べて書けばよいというものではないが、それでもまだ十分に調べられておらず、それを知らせること自体に「意義」が認められるものであれば、まずはこの世に起こったこと、起こっていることを調べたらよいということになる。
  ただ私の場合、とくにこのところ(もう何十年も)長く、きちんと人に話を聞いて調べることができないでいる。時間をかけて話を聞くことができたのは、さきにも書いた『生の技法』のための調査が最初で最後だった。ただその後もいくつか「実証的」なものを書いてはいる。『ALS――不動の身体と息する機械』(二〇〇四、医学書院)、そして『唯の生』(二〇〇九、筑摩書房)、『税を直す』(二〇〇九、青土社)、そして今度出してもらった『造反有理――精神医療現代史へ』(二〇一三、青土社)がそんな系統の本ということになる。
  どうやって調べたか。私の場合は椅子に座ってできることだけをした。つまり、書かれたものを手あたり次第に集めて、それを読んでいって並べて、書けることを書いた。税(について言われたこと)についての本を書いた時は専門書も扱ったが、あとの多くはそういうものではなく、例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)の人たちが書いた本やHP・ブログ…だった。ALSの人たちはいろいろと動かくなるところが出てきて、ときにまばたきやほおの動きでPCをゆっくりと操り、字を書くことに相当の時間を使っている人もいて、様々を書いている。
  そして、その人たちは生きるか死ぬかといった、普通は考えない、例えば私などは考えたことないことを考えざるをえないで考えてきた――その多くの人は人工呼吸器を使わなければ生きていけなくなって、その「選択」に直面することになる。そのことについて書かれた文章を引用していった――呼吸器をつけることになった人たちの書きものは、結局、生きることになった人たちが書いたものだから(死んだら字は書けない)、「偏った」ものでもあるのだが。
  そしてこれは、「生か死か」という、二つの間の選択について考えることでもなるのだが、別様に言えば、「(自分が)決める」ということがどんなことなのか考えることでもある。それは私の最初の本『私的所有論』(一九九七、勁草書房、二〇一三、生活書院から文庫版で第二版)の最初(序)に記したことでもある。つまり、「自己決定」を最も大きな声で主張してきたその同じ人(たち)が、「安楽死」や「出生前診断(〜選択的中絶)」には賛成しなかった。それは矛盾していると言う人たちがいる。しかし、私はそうは思わなかった。ではそのことをどのように言えばよいか。自分で考える仕事もいる。ただその前に、その一見矛盾しているように思えることを言った人たちは何を言ったのか。それを見ておいた方がよい。もっとずるいことを言えば、考えて何かを言うことが基本的な目標であるとして、自分の頭になにか浮かぶまで、人々が言ってきたことを調べてそれを文章にしていればよい、そうやって時間を稼ぎ発表される文章を増やしながら、だんだんと目標に近づいていってもよいということでもある。
  まずは調べる。それをどう整理するか、それはときに面倒なことではあるが、まず調べあげることは、ともかく時間をかければできる。そして大学生や大学院生の多くはわりあい時間のある人たちである。私のように時間のないのを口実に文献を読んですませるだけでなく、実際に話を聞いたり、ときには質問紙調査を行なうこともできる。そして、私たちのような教員は、それをどう整理するかについて、いくらかの助言をすることはできる。
  そうやって、私が務める大学院で、何人かの人たちが日本の近い過去について博士論文を書いて、それがぼつぼつと本になっている。(もちろん別の国の遠い過去等について研究されてもよいのだが、意外に、調べやすそうで、実際すくなくとも途中までは調べればなにか出てくる日本の現代に関わる研究が少ない。ならばやってよかろうということになる。)その中身や意義について一つひとつ紹介することはできないが、列挙だけしておく。詳しくは、「立岩真也 三色旗」で検索するとこの文章が出てきて、各々の本についてのページにリンクされているから、ご覧いただければと思う。
  まず「現代史」と題にあるものとして、定藤邦子『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(二〇一一、生活書院)、利光惠子『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』(二〇一二、生活書院)、田島明子『日本における作業療法の現代史――対象者の「存在を肯定する」作業療法学の構築に向けて』(二〇一三、生活書院)、有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』(二〇一三、生活書院)。そして私の近刊で再掲だが『造反有理――精神医療現代史へ』(二〇一三、青土社)。またこれら以外の、教員・大学院修了者・大学院生他の単著・共著・共編の本として、稲場雅紀・山田真・立岩真也『流儀――アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(二〇〇八、生活書院)、新山智基『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動――生存の視座から』(二〇一一、生活書院)、櫻井悟史『死刑執行人の日本史――歴史社会学からの接近』(二〇一一、青弓社)、横田陽子『技術からみた日本衛生行政史』(二〇一一、晃洋書房)、天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』(二〇一一、生活書院)、立岩真也・有馬斉『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(二〇一二、生活書院)、村上潔『主婦と労働のもつれ――その争点と運動』(二〇一二、洛北出版)、天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』(二〇一二、ハーベスト社)、天田城介・角崎洋平・櫻井悟史編『体制の歴史――時代の線を引きなおす』(二〇一三、洛北出版)。
  ざっとこんな具合だ。みな完璧な出来というわけではないが、調べられるべきでこれまで調べられたこなかったことが多く調べられ、初めて明らかにされたことがある。どうしてこうも穴が開いていたのかと思う。その要因の一つは、さきに、波風が立ったところとか喧嘩があったところを調べるとよいと述べたことに関係するように思う。というのも、そういう場を調べるのはなんだか怖いことのようにも思われるのだ。実際、そんなことがまったくないわけではない。ただ、実際にはそれほどではないことの方が多い。そしてすこし過去のことになった出来事は、今争われていることよりはすこし「冷めて」いる。ちょうど「調べ頃」になっていることごともある。それを調べて考える。それがいま、たくさんなされるべきだと考えている。

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙    『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙    『日本における作業療法の現代史』表紙    『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』表紙    『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』表紙


UP:20131130 REV:20140202 
歴史  ◇立岩 真也 
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