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立岩真也:「まえがき」にあたるもの3つ

立岩 真也 編 2014/12/31

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■立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代・集積(準)――被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books ※r.

 ※以下はその冊子の「序」の部分です。

■0 序

 1 序の序
 2 「共闘」について・序の序
 3 楠敏雄・序の序
  文献


■T 序



■序の序         立岩真也

 資料・史料を集めたり整理したり読んでもらえるようにすることが必要だと考えている。そのことをもう長く、幾度も述べてきた★01。私自身が椅子に座ってできる仕事として、集めた資料をもとに書いたものがいくつかあるが、そうしてできる仕事の範囲はどうしてたって限られている★02。だからというわけではなく、そのときどきの必要もあったからなのだが、これまでもいくつか資料集の類を作ってきた★03。それを、もっと、どれだけ時間がかかるにせよ、進める必要があると感じている。出せるものから出していこうと思った。これはその一つということになる。この「まず一つ」は、優先順位をつけてのことでも、できあがったものからということでもない。むしろ情報をもっと集め、整理するためにも、欠けているところが多々あっても、とりあえず今出しておいてよいと判断して、出すことにした。(できれば早速の)増補改訂を予定している。
 今回のものは大きくは2つに分かれる――後で少なくとも2つの冊子には分けるつもりだ。それぞれについての短い説明を次の2つでしてある。その文章自体も改訂していく。
 そしてお金をいただくことについて。困難であろうことはわかっているが、こうしたものを購入していただいてそれを資料を集めたりする費用にあてることを、すくなくともしばらく試してみようと思う。それでこの冊子(というより印刷すれば冊子になるファイル)に値段をつけることにした★04
 こうしてこれがきわめて暫定なものであることもあって、この冊子の頁番号にさしたる意味はない。というより、しばらく考えたすえ、これは(とりあえず、まずは)HTMLファイルで提供することにしたので、そもそも固定した頁割りがない。ここに再録するもとの文献の頁番号の方が大切だろう。そこで「▽004」といった記号を付した。そこからがもとの媒体における4ページであることを示している。もし論文などで言及する場合にはもとの文献名で表示してもらえばよい。そのついでにこの冊子に再録されていることを注記していただければ、関心のある人に対しては親切かとも思う。(その種の面倒だが単純な仕事は私が行なった。よって誤りは私がした誤りである。気がついたものは、まだお知らせいただければ訂正する。すでに購入したもの――gumroad経由の購入の場合には購入者のメールアドレスがわかるようになっている――と訂正版とを無償で差し替えさせていただく。)

 集めることはこのかんずっと続けてはいる。そして冊子の末尾にも記したように幾人もの方から、買おうと思って買えるようなものでないものも含め様々をセンターの方にいただいている。ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
 全体の主要な部分をなすTに再掲した2つの名前の機関誌の入力については、どなたかわからない方に感謝する。お知らせください。またそこで一部を引用している『大障研』からの入力は定藤邦子さんが不払い労働として行なってくださった。ありがとうございます。リスト(ととりあえずの個々の資料の頁)は、その仕事のはてしのなさを感じながら、とりあえず私が作っていますが、その作業の内実となる入力については、今後のお金の得られ方にもあるものの、歓迎です。
 他に幾人も感謝せねばならない方々がいるが、今後の作業の段取りのこともある。またの機会に御礼お申し上げることにさせていただく。


■註

★01 「身体の現代」で検索すると今のところ『自閉症連続体の時代』(立岩[2014/08/26])のもとになった『みすず』での連載についての頁が出てくるようだが、そこからも「身体の現代:歴史・年表」にリンクされている。その下に、関連して私の書いた文章が列挙されている。「集積について――身体の現代・3」(立岩[2008/09/01])、「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」(立岩真也[2012/07/10])、等々。
★02 私の単著や共著の幾つか、というか、最初の共著書『生の技法』(初版安積他[1990])に記したことのかなりの部分、そしてその後第2版安積他[1995]第3版に加えた部分からして、多くがそんな仕事であったと思う。『ALS――不動の身体と息する機械』(立岩[2004/11/15])もALS人たちが書いてきたことを集めて書いた本だ。題名からはそうとわからないだろう『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009/09/10])にしても税(の累進性を軽くすること等)を巡ってここ30年ほど言われたことを追って書いたものだ。
 『自由の平等』(立岩[2004/01/14])等はいくらか性格を異にするものかもしれない。それにしても、言われ、論じられてきたことのいくらかが気になってきたから書かれたものではある。私の場合、引き継いだつもりのものをどうやってさらに考え継ぐかまた考えなおすかという気持ちがあって書いてきた。
 「現実や現実を肯定する流れがあり、それに対する批判がある。そして批判者は以上にあげてきたものを適宜援用してきた。どちらかと言えば、異を唱えてきた人達の方が何かを言っているだろうと私は感じてきたし、この本を書いてみた今、あらためてそう感じてもいる。ただ、両者のいずれにも満足できなかった。ずっと両者のその間にあったと思う。これは嫌われる立場である。しかし私はそのようにしか考えられなかった。徹底的な批判であるかに見える批判が、空虚な常套句でしかないように思われる。それは、どこかで相手にしているものと徹底的に対峙していないからだと思われた。そこでこの本を書いた。現実にある、どう考えたらよいのかわからない事柄をどう考えたらよいのかと考えながら書いた。同時に、どう考えたらよいのかというその足場を現実の表層の中に見出そうとする。論理を辿って、と先に述べたこととこれは矛盾しない。感覚は論理的である、感覚は論理を備えているのだが、その感覚=論理が、近代社会にあると公称されるものによって隠され、うまく記述されていないのだと思う。そして、考え記述するその手掛かりの多くは、結局、(私の不満の対象でもあった)疑問や批判の動きから得られた。たったこの本に書いただけのことを言うのに、考え始めてから十年よりは二十年の方に近い時間がかかってしまった。それは、別の仕事に時間をとられ、回り道をしていたからでもあるが、ただそれは悪いことだけではなかった。その仕事の中からいろいろなことを考えることができた。そこで得たものは、文字になったものからよりむしろ、呟かれたことや行われたことからだった――もちろん行われる時には様々な理念が語られるのだが、そうして公称されるものとは別のことが起こっていると思うことが何度かあった。ただ、この本には骨のような部分しか書かれておらず、どんな場で何を得たかは書かれていない。まだ三十年も経っていない出来事が、そのままにしておけば、それがあったということさえ忘れられてしまうだろう、その歴史を辿るのはまた別の仕事になる。」(立岩[1997/09/057:17-18→2013/05/20:48-50])
 ただ、ある部分についてはだいたいのところはわかる感じもしたから、探して記録する仕事よりさきに(その記憶をもとでに)たんに考えればよいと思えるところがずいぶんあった。そうして新たに何も調べずに書いたものもあるのだが、そんなあいだにも――私の職場関係で関われた人たち等もふくめずいぶんと調べ書いたくれたのではあるが――記録・公開の作業はさほど進まなかった。なにかした方がよいと思って、このたび始めてみたところがある。
★03 『闘争と遡行・1――於:関西+』(立岩・定藤編[2005/09])、『<障害者自立支援法案>関連資料』(立岩・小林編[2005/09])、『生存の争い――のために・1』(立岩編[2005/04/12])、等。こうして並べてみると、結局それらはその時々に必要だと考えて作ったものだ。そしてアフリカのHIV・エイズの人たちやその人にに関わる活動、政治・経済の動きを追ったアフリカ日本協議会・立岩編[2005/06]、アフリカ日本協議会・三浦藍編[2005/09]、[2005/09]アフリカ日本協議会編[2007/05]がある。このアフリカ関係のものは、これで金を集めようという意図もあったし(そこそこには集まった)、そのころこのテーマについて調べてくれている人がいたこともあった――このまとめて4(分)冊については立岩[2011/11/30]
 2005年頃、短期間にたくさん作って、そして何日も一日中印刷して一冊ずつ「製版」してといったことをしていて、しょうしょう疲れたのかもしれない。それに何種類か企画が既に進んでいた(これは書店で販売される)本の企画がいっそう忙しくなったということもあったのかもしれないし、先述の「センター」ができてしまって、そちらで雑誌や報告書がいろいろとできたといったこともあった。
 他に、わざわざ来ていただいて話をしていただいたのだから机に座ってというのとほとんど変わらないのだが、いくつか話をうかがってそれを雑誌に載せてもらったり、本にしたりしたものがある。本になっているものとしては稲場・山田・立岩[2008]がある。2010年以降では、杉本健郎(2010)・人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>(2011)・山本眞理(2011)・大野萌子(2011)・早川一光(2014)といった諸氏に話をうかがい『現代思想』『季刊福祉労働』などに掲載された(→「身体の現代:歴史・年表」に一覧がある)。
★04 資料の収集・収蔵は、私も関係している立命館大学の生存学研究センターの活動としても行われている。私がこれまでに集めたものはすべてそこに所蔵してあるし、新たに受け入れたものもある。
 これもその「成果」ではある。そして個人でできることが限られていることはわかっている。ただこうした活動やセンターが今後どうなっていくかの見通しもはっきりしない。この冊子を作成するにあたってはその予算は使われてはいない。とにかくまず試行版・私家版そして値段のついたものとして出すことにした。


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■2 「共闘」について・序の序      立岩真也

 種々の差別にさらされている人たちの「共闘」という案が提起されいくらかの議論がなされ活動がなされたことは、その時期に活動した人や研究などしている人たちは当然に知っているのだろう。それがどんなものであったのか。いくつかの文献はすぐに拾えたからTの終わりにあげたが、むろん他にもある。本格的な調査・研究はそんなことを本格的に研究しようという人たちの研究にまかせる。
 ここではまずたんに『被差別統一戦線』第1号と第2号、『被差別共闘』第5号・第6号・第7号の文字全体を再録する。じつはこのデータをどのようにして入手できたのか、その経緯自体を私自身がわかっていない。私のてもとにCDが1枚あって、そこに以下に再録するデータがあった。それがもとになっている。心あたりのある方からの連絡をお待ちする。
 そんなわけだから、これは明らかに全体の一部である。今回収録したのが5つだから、『被差別統一戦線』という誌名がどの時点かで改称して『被差別共闘』になったのだとすると、すくなくとも(どちらの名称であったにせよ)第3号と第4号はあるはずだが、目にしていない。そしてそれは「反差別共同闘争」といった名称の組織になったいったそうだ。今後入手できければ、それも加えるつもりである。
 ここでは、部落解放闘争、もっと特定すれば部落解放同盟と障害者運動のつながりについてほんのすこし。1979年に実施が予定されていた「養護学校義務化」を巡って「共闘」がなされたし、それは解放同盟と日本共産党との間の対立にも関わっている。つまり、政権与党だけでなく、共産党が「完全実施」に賛成した。他方が反対した。「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」は養護学校義務化反対が一番大きな契機になって結成された。さらに古くは既に、1950年代には既にあって70年前後の社会運動に引き継がれた共産党とそれに対立した諸党派・無党派の人たちとの関係がある。それは当時のその「関係」の人たちにとっては常識以前のことであり骨身にしみていることであると同時に、その後の人たちにとってはまるでわからないといったことがしばしばである。その対立がどの程度「有意義」なものであったかは別に、そのことは確認しておく必要がまずある。(このことを韓国で話したことがある(立岩[2010/01/19])。コリア語・英語版がある。そこにも、また他の何箇所かでも記したことだが、たしかに不毛な部分のあったその対立は、ただたんに不毛であったと私は考えていない。)
 ただ、そうした対立を鮮明にする組織の結成やその活動・対立の前に、差別解放の運動が影響を与えたことがあり、人や組織の関係があった。差別されている人たち自身がものを言うことを、それ以前に、問題を差別問題として捉えることを知ること。そしてその人たちの闘争の仕方に共感し学んだということがあった。そしてこれは、やはりその闘争の力が――そしてそれへの反撥力も――強い関西、大阪や兵庫においてより強かったということになるだろう。それはこの冊子の第U部でとりあげ関係する発言を引用した楠敏雄の文章にも書かれている。そしてそうした出来事と、共産党やその系列の団体と目された「全障研」との対立という出来事とを、きれいに仕分けることはできないのでもある。
 そんなところを見ていくことも課題ではあるだろう。ただこの冊子では、「差別」や「解放」を巡っていっしょにやろうとしているその内部での「ごちゃごちゃ」した具合を振り返っておこうというところがまずある。
 もちろん同じく差別されているという共通性があるというのが公式の見解でもあり、それ以前に実感であり、それはまったく正しいのでもある。差別された/されている経験に重なるところはある。ただ、そのうえでというか、同時にというか、同じところもあるが違うところもある、まずそれをわかれ、とか、わかったふりをするな、といったことが鎌谷正代(古井正代)らによって、かなり堂々と、言われる。 ただいっしょやろうとか、長くやっていてそれなりの政治力もある部落解放運動に学ぼうというだけでないことが言われる。
 そしてごく基本的なこととして、例えば「能力主義」を巡ってはどうなるのか。例えば私がいまもっている「両国同和教育推進会議」の『障害をもつ子どものためでなく、ともに』という薄いパンフレットの最後の頁には「「障害児」の生活と教育を保障しよう市民の会」(略称・しよう会)の「しよう会シリーズ2」(現物は手元にない)からの転載として「「障害児」教育の基本的視点」が5つ列挙されているのだが、その2番目には「能力主義は否定しなければならない」とある(両国同和教育推進協議会編[1979])。
 一方で教育環境その他における差別によって様々な不利益を被ってきたという現実があって、その改善が求められてきた。そしてむろんそれは、障害者にとっての現実でもあり、ゆえに教育機会・環境を求めることにおいて共通してはあいる。しかしそれが様々に改善されても「できない」ことは残る。となると能力主義にどう対していくのか。否定するとして、それははどのように否定されるのか★01
 それは私自身の課題であってきたが、このことについて私が何を書いてきたかは略す。ただこういう主題があることは当人たちもわかって「共闘」しようとしている。そしてそのなかで摩擦や混乱も生ずる。例えばここに収録した『被差別共闘』7に記録が収録されている1976年7月17日に開催された「被差別共闘会議 第2回パネル討論集会」の記録がある。そこには、この時期にあったこと――ごく一部に起こったことだと思う――でよいことはその(司会者自身も言う)「混沌」がある★02。またそこでは、それ以後も幾度も議論された言語障害のある(とくに脳性まひの)人の「通訳」を巡るやりとりもある。まずはその記録を残しておこうと思って、こういう企画を始めた。

■註
★01 実際にはそんなことのどうこうの前に、住吉同推協「障害児」教育部会編[19780204]、池田・椎木[1978]両国同和教育推進協議会[19790214]大阪府立西成高等学校[1995]等をみる限り、とにかく障害者を学校に受け入れることに決めて、そしてがんばる営みがいくつもなされ、続けられた。
★02 『ノーマライゼーション 障害者の福祉』が団体の機関誌(紙)だとかメディアの特集をしたときに原稿を依頼されて「つたわってくる・つたわっていくことのおもしろさ――一人の読者から」という短文を書いた。その一部が以下。
 「もっと公式に統一のとれていない機関誌というものもまれにある。ハードに、まじめにアナーキーとでも言うのでしょうか。とんでもないと思ったのは、前記『生の技法』を書いている時に読んだ、かつての「青い芝の会」の機関誌、とくに神奈川県連合会の『あゆみ』だった。うちわで大喧嘩をやっている総会の議事録がえんえんと再録されているのだ。ワープロもなかった時代である。活動を支援していた人がいかにこき使われていたか、あるいは熱心だったかということでもある。こんなことはなかなかできない。それでも、少なくとも書いてあることは公式見解だけである必要はない。
 もちろんきちんとした活動報告はそれとして必要である。総会の議決事項があり、予算と決算がある。これはこれとして伝える義務はある。きちんとした組織であればあるだけそういう部分が多くなる。それは仕方がない。ただ、政党にしても宗教団体にしても、よほどそれに「ぞっこん」という人でなければ、組織からの発信、組織としての発表に、うちわで盛り上がっている雰囲気を感じてしまい、ときに虚しく思え、冷めてしまうことがある。大本営発表という言葉もある。すべてが円満に行っているならなにも言うことはないのだが、実際にはそんなことはそうない。メディアは議論の場、対立の場でもありうる。収集のつきそうのない対立が表に出ることは組織にとって痛手であることもあるだろう。互いに顔の見えないメイリング・リスト等では泥沼の争いになることもある。だが、喧嘩や対立の中にときにとても重要な論点のあることがあり、それが運動を前に進めることもある。少なくとも私はそういうところから受け取るものが多かった。」(立岩[2001/12/01]


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■3 楠敏雄・序の序      立岩真也

 楠は「マルクス主義者」であると自らについて言い、後には、そのことをやはり隠さず言いながらも、それと現在やこれからについての距離についていくらかためらった文章をいくつか残している。楠についてということに限らず、こうしたことをどう考えるかという主題がある。楠が書いたり、彼について書かれたものをすこし集めてみたのは、彼が2014年に亡くなってしまったこと、そしてそれは、彼について研究して論文を書こうという大学院生(岸田典子)がその研究をまとめる前のことであったこと、さてどうしよう、という事情以外に、こんなこともないではない。
 そんなことを言う人がどのぐらいいるかといえば、それはそう多くはないだろう。そうした「思想」が「表舞台」からなくなってから出てきた(さらに生まれた)という人たちがまずかなりたくさんいる。次に、もともとそうした「現場」に関わる人の多くは「体制」とか「社会思想」といったものから距離(感)のある人たちが多いということもある。そしてそれは過去においてもある程度は言えたはずのことだ。派手ではあるが空疎に思えるものになじめない人がいたし、いっときそういうものに影響を受けても、結局どうも釈然としないといった理由で、そこから退いたという人もいる。そのなかで楠はわりあい長くその「信条」を維持した人のほうだったと思う。それを今どのように評価するかである。
 私は、楠(たち)が言ったこと、問題がこの社会のごく基本的なところに根差しているという把握は、基本的に、間違っていないと考える。その「根本的な」敵手を「資本主義」とか「市場」と言うのが正確であるかといった問題はあるだろう。しかしそうした細かな話を別とすれば――むろん例えば「学問的には」別にしてはいけないのだが――その主張はまちがっていない。
 私はまちがっていないことについては幾度も述べてきた。というか、それをずっと書いてきたと思う。次に、その上で、ではどうするかということになる。「革命を」というのが答だったのだか、なかなかそれはうまくいかない。この国では社会民主主義程度のものさえ実現したことがなかったということもある。議会主義で行っても、それを否定しても、たいしたことにはならないということになった。
 それで人々は何を言ったのか。一様ではないが、おおまかな傾向はある。契約だとか自己決定だとか「個人主義なもの」が懐疑・批判の対象になる。すると「共同」が対置される。他方で、「国家」が批判の対象になり、そこでも「共同」が対置されるものになる。ただとくに「(社会)福祉」の充実を言う限りそう後者を単純に唱えるわけにもいかない。そうした幅の間に何が起こったか。
 図式的に「だいたいの感じ」はつかめるように思われる。ただ現実はまったく現実的で、その中でやっていかねばならない★01。たしかに理屈ではやっていけないのだが、そのやっていけなかさが理屈通りだったりする。例えば、反対し糾弾して、仮にそれがうまくいったとして得られるのはせいぜいか現状維持だといったことがある。それでは疲れてしまう。取るものもなくて、はと思う。「問題解決の途」も閉ざすわけにはいかない、と思う。するとと国の政策が問題だが、それはそう簡単に動かない。自治体ならどうか、となる★02。例えば、普通に就労できて当然だと主張するが、実際にはそうはいかない。そこで好きでなかったはずの「作業所」を作ったりする。するとそこでどうして稼ぐかとか、どれだけ――そもそも払える総額が少ないのだが――払うかといった問題が起こる。
 また、比べて他国はどうか。米国の「自立生活運動」についての情報が流入するのは1980年頃からなのだが、それは、かの国から人を読んで聞くところによれば、かなり行けているように思われた。そこで、かなりの程度、それをしかなりすなおに肯定する。しかしときにその限界があるようにも思ってそんなことを言ってみたりもする。
 そうした出された論点を詰めておく必要があると思うのだが★03、それはそれとして、様々が混ざってごちゃごちゃになっているその様子を、その「現場」でいやになるほど知っているという人たちばかりでなくなっているからには、見ておこうということだ。それでこのたび「被差別統一戦線」「被差別共闘」を再録することをした。そして楠は、そうすっきりしたことを言えないと自ら思いながら、しかし運動家として筋を通そうとした人でもある。彼個人を、というより、必然的にそんな場に置かれてしまっだ人やその言葉をどう解しどのように継いだらよいか。結局Tについての序(の序)と同じことを言うことになるのだが、まず集められるものを集めて、すこし整理しようと思った。これからも続けていく。何かみつかったら教えていただければありがたい。  そして一つ加えると、――こちらはあまりこのことを書いているように読んでもらったことがないと思うのだが――今述べたことに関係しながら、私はもう一つ、「障害者問題」が「この社会」にどうやって位置づいてしまっているのか、落ち着いてしまっているようであるのかを考える必要があると思う。れもまた、私がこの時代の人たちを継いで考えることだと私としては思っている。
 まず、障害には、現実には、「できない」という契機だけがあるのではない。「異形」とでも言われたりする部分、「異なり」がある。このことについてはたいして考えられていない。またこの時代、部落解放運動では狭山事件をめぐる運動が長くなされてきたのだが、島田事件〜赤堀闘争が大きな部分を占めていた。この「加害性」の問題がある。これらについても私自身はたいしたことを考えられていない。
 ただこうして問題を拡張する手前の「できないこと」に限ったとしてもどうか。ここは考えどころで、そしてたしか私はこのことについて、実はそのことを述べているのだとわかるように書いたことがないと思う。
 「折り合わせ方」の一つの基本的なやり方は、「障害(disability)」を「無能力(dis-ability)」全般から切り離すことだったと思う。「わざと」ではないから、それは対応の対象になる。そしてさらに、それほどてはない(「合理的な」範囲の)費用によって同じようにできるようになるなら、それはなお社会にとってわるい話ではない。だから支持されることになる。実際運動の側もそのことを言って人々を説得しようとしたことがあってきた。
 こうして、この社会の基本的な部分は維持されるということになる。このことに対してどう言うのか。原則的な言い方としては、「狭義の」障害だけが問題ではない、所謂「インぺアメント」を認めてもらってそれで不利益を補填してもらうというやり方を基本的には肯定しないということである。近いところでは、『自閉症連続体の時代』(立岩[2014/08/26])でそのことを述べている。
 その上で、現実的にどんな政策を主張することになるか。たぶんここはさほど過激な案にはならない。そして話を分けて考えていくしかない。そこで一つに、所得保障について考えてみた(立岩・村上・橋口[2009/09/10]立岩・齊藤[2010/04/10])。そして介助等の社会サービスを得ることについて考えてみた(立岩・堀田[2012])。
 そんなことでよいのだろうとか感じるところは、なくはない。もっと何かあったしあるのではないかということだ。もちろん第一に、実際の現実はこの程度は当然と考えるところにまったく追いついていないのだから、この程度のことでも言うしかないのかとも思っている。だから私は、まだあるのかもしれないと思いながら、ほぼそのようにして仕事をしてきた。
 今のところ誰もやってくれないのでしばらくこんな資料集を作っていく仕事を続けていく。(もちろん代わってくださる方がいたら大歓迎だ。)するとなにか思いつくかもしれない。また思いついたら記すことにしよう。

■註

★01 これも他でも書いたことだが、『そよ風のように街に出よう』で続けさせていただいている「連載」の第3回に「嫌いだが別れられないということ」という見出しのところがある。
 「それにしても、それだけというわけではない。〔障害者の運動の〕どんなところがおもしろいのか。いくつか言い方があると思う。一つの答は、「社会に反対しながら、社会から得るしかないものがあるから」、というものだ。
 世の中が嫌いだが、そこから離れることもできない。本人にとってはひどく煩わしい迷惑なことだが、はたから見ている分には、とてもおもしろい。そんな人のことを追っかけていくと、この世がどんな世なのか、また、どうしようがあるのかわかるように思う。  一人である場合。条件がそろえば逃げることはできる。あるいは今のままでやっていける。そしてそれは、本人にとって面倒でないから、よいことだ。まず、蓄えを使って慎ましくやっていくなら、あるいは自給自足でやっていくつもりなら、俗世を離れてやっていけるかもしれない。他方で、自分で稼げるなら、今の社会のままででもやっていける。しかし、障害が(十分に)あると、逃げるにせよ、混じるにせよ、簡単なことではない。
 次に徒党を組むことに関して。この社会が気にいらないとして、そこから離れてそれでやっていけるのであれば、分離主義という道もある。実際、いくつかの社会運動についてはそんな流れもなくはなかった。例えば、男が敵だということに決まれば、女だけで暮らしていくという道はある。文明が敵だということになれば、自然の中で生きていくという手もある。集団内での生産・消費が可能であり、差異が理由とされる抑圧があり、また自らのものを大切にしていきたいと思う場合に、その集団だけで独立し、独自の「国」を作っていくという道筋はありうる。実際にはそこまで行かないにしても「デフ(聾)」の主張にはその方向への傾きがある。
 しかし、「できない」という意味での障害が一定以上である場合、障害者だけで暮らしていくことはできない。支援する人たちが少数であっても、きちんといれば、その範囲でやっていける場合もある。しかし、その中にいる人たちは、その外側にいる人より明らかに疲れる。実際、そんな集団は自壊することがおうおうにしてある。そして広がっていくことが難しい。皆が救われるべきだという「大乗」の立場をとるのであれば、この道は行けないということになる。
 この社会で自分たちは最もわりを食っている、その限りでは、この社会は敵であるのだが、しかし、同時にそこにいる人に手伝わせたりしなければならない。強い批判を向けながら、しかし、そことやっていかなけれはならない。どうやってやっていくのか。すくなくとも「社会科学」をやっている人にとっては、これはおもしろい。そこから受け取れるものがあるはずだと思う。」
★02 楠は国政のレベルでは声がかからないことを言いながら、大阪という地域においては各種の団体の役職についたり、政策に一定の影響力を行使できるところにいた。このことには部落解放同盟とその運動がそれなりの力を有していることが関わっている。
★03 例えば有償/無償を巡る議論があった。これについては『差異と平等――障害とケア/有償と無償』(立岩・堀田[2012])で論じている。堀田が理念的には無償を支持し、私は有償派として書いている。

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■文献

◇アフリカ日本協議会 編 200705 『課題は克服されたのか? 南アフリカの現状報告を読む――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第4部』,A4版,53p. MS Word版:500円
アフリカ日本協議会・立岩 真也 編 200506 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争』,<分配と支援の未来>刊行委員会,62p. 500円
◇アフリカ日本協議会・三浦藍 編 200509 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第2部 先進国・途上国をつなぐPLWHA自身の声と活動』,<分配と支援の未来>刊行委員会,66p. 500円
◇―――― 200509 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第3部』,<分配と支援の未来>刊行委員会,p. 500円+送料
◇安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店→1995 増補改訂版,藤原書店
◇―――― 19950515 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店,366p.,ISBN:489434016X 2900+ [amazon][kinokuniya] ※ ds.
◇―――― 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※
◇池田 幸夫・椎木 章 編 1978 「共に生活するしんどさを確めつつ見えて来るもの」,意岐部中学校の「障害児」教育3,東大阪市立意岐部中学校「障害児」教育部会,61p. ※r.:[椎木章氏蔵書]
◇稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 20081130 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』
 生活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2310 [amazon][kinokuniya] ※
◇楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会 編 20141001 『追悼楠敏雄――その人、その仕事、その思想』,楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会,95p.
◇楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会 編 20141001 『追悼楠敏雄――その人、その仕事、その思想 一言集』,楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会,40p.
◇大阪府立西成高等学校 1995 『「障害」児教育実践集――「障害」をもっている生徒の高校生活と進路について』,80p. ※r.
◇新山 智基 20111130 『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動――生存の視座から』 生活書院 2011年12月1日(単著)[amazon][kinokuniya] ※
◇両国同和教育推進協議会 19790214 「『障害』をもつ子どもためでなく、ともに」,『すいしん両国』臨時号,大阪市同和事業両国地区協議会,38p. ※r:[椎木章氏蔵書] e19.
◇住吉同推協「障害児」教育部会 編 19780204 『すいしん』6,住吉同和教育推進協議会,1978年2月4日「障害児」教育討論集会・資料 ※r:[椎木章氏蔵書]
立岩 真也 1997/09/05 『私的所有論』,勁草書房,445+66p. ISBN-10: 4326601175 ISBN-13: 978-4326601172 6300 [amazon][kinokuniya] ※
◇―――― 2001/12/01 「つたわってくる・つたわっていくことのおもしろさ――一人の読者から」『ノーマライゼーション 障害者の福祉』21-12(2001-12):9-12
◇―――― 2004/01/14 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,349+41p. ISBN:4000233874 3255 [amazon][kinokuniya] ※
◇―――― 2004/11/15 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※
◇―――― 2005/09/18 「政策に強い障害学も要る」,2005年障害学会大会シンポジウム「障害者運動と障害学の接点――障害者自立支援法をめぐって」
◇―――― 2006/10/15 「死の決定について」,第3回東海地区医系学生フォーラム「医療における自己決定を考えよう――あなたは「尊厳死」を望みますか」 於:名古屋市
◇―――― 2006/12/00 『障害学研究』2
◇―――― 2006/12/00 「政策に強い障害学も要る」『障害学研究』2号
◇―――― 2007/09/10 「解説」,横塚[2007:391-428]
◇―――― 2008/09/01 「集積について――身体の現代・3」,『みすず』50-9(2008-9 no.564):48-57 資料,
◇―――― 2009/04/25 「もらったものについて・3」,そよ風のように街に出よう』77:
◇―――― 2010/01/19 「ただ進めるべきこと/ためらいながら進むべきこと」,Special Education and Multi-Knowledge Convergence 於:韓国・大邱大学 [English][Korean]
◇―――― 2011/11/30 「補足――もっとできたらよいなと思いつつこちらでしてきたこと」新山[2011:185-198]
◇―――― 2012/07/10 「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」,『精神医療』67:68-78
◇―――― 2012/09/10 「もらったものについて・9」『そよ風のように街に出よう』83 より
◇―――― 2013/05/20 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版,973p. ISBN-10: 4865000062 ISBN-13: 978-4865000061 1800+ [amazon][kinokuniya] ※
◇―――― 2013/11/22 「障害者差別禁止の限界と可能性」,障害学国際セミナー2013,於:立命館大学
◇―――― 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,434p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
◇―――― 2014/08/26 『自閉症連続体の時代』,すず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※
◇―――― 2014/10/12 「これからの課題としての障害者運動と在日・被差別部落…解放運動との関わりに関わる研究――「身体の現代」計画補足・11」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1502938869973095
◇―――― 2014/12/25 「もらったものについて・13」『そよ風のように街に出よう』:-
◇立岩 真也・堀田 義太郎 2012/06/10 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社,342+17p. ISBN-10: 4791766458 ISBN-13: 978-4791766451 [amazon][kinokuniya] ※
◇立岩 真也・小林 勇人 編 2005.09 『<障害者自立支援法案>関連資料』,Kyoto Books,45字×50行×134p.1000円+送料→終了/MS Word(820k bytes)500円→http://gum.co/ljbva
◇立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 2009/09/10 『税を直す』,青土社,350p. ISBN-10: 4791764935 ISBN-13: 978-4791764938 2310 [amazon][kinokuniya] ※ t07,
◇立岩 真也・定藤 邦子 編 2005.09 『闘争と遡行・1――於:関西+』,Kyoto Books,120p. (1000円+送料→終了) 45字×50行×120頁 MS Word 646k bytes→800円:gumroad経由
◇立岩 真也・齊藤・拓 2010/04/10 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』,青土社,ISBN-10: 4791765257 ISBN-13: 978-4791765256 2310 [amazon][kinokuniya] ※ bi.
◇立岩 真也 編 2005/04/12 『生存の争い――のために・1』,124p.
◇横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな 新版』,生活書院,432p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon][kinokuniya]


UP:20141231 REV:20150101
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