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意識調査で「日本でも尊厳死を」が83% どう読むべきか?

立岩 真也・社会学者 2014.12.24 07:00
『THE PAGE』(ワードリーフ株式会社)
http://thepage.jp/detail/20141223-00000006-wordleaf
安楽死尊厳死:2014安楽死尊厳死

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 *以下はお送りした原稿について何点か指示語の説明のような細かな点のなおしを求められて対応したものですが、掲載原稿にしていただくにあたってやはり細かなところでなおしておいた方がよいところがありましたのでそこは〔〕で囲ってあります。
 *下記で言及している産経の記事は「米女性「尊厳死」 日本では「自殺幇助」? 終末期医療 タブーなき議論必要」という題のものでした。
 *言及しているツィッター:https://twitter.com/ShinyaTateiwa
 *補足のために関係する短文などの参照を求める註(◇)を付しました。掲載されたものにはありません
。  *これからもうすこし補筆するつもり。

 ――以下――

 11月末に行われたYahoo!ニュース 意識調査で、「日本でも尊厳死を認めるべき」が83%に上った。アメリカのオレゴン州で、末期がんの女性が「尊厳死」を実行したことを受けた調査だが、なぜ、83%の人が、日本でも尊厳死を認めるべきだと考えたのだろうか。尊厳死をめぐる倫理的な問題に詳しい立命館大学の立岩真也教授に聞いた。
(参考)
【Yahoo!ニュース意識調査】
日本でも尊厳死を認めるべき?
米オレゴン州で、末期がんの女性が「尊厳死」を実行し、行為の是非が世界中で議論に。日本でも尊厳死を認めるべきだと思いますか?

認めるべき 117,248票 (83.9%)
認めるべきではない 10,866票 (7.8%)
わからない/どちらとも言えない 11,612票 (8.3%)

 どうせ死ぬなら、「尊厳がない」より「尊厳がある」方がよいと多くの人はきっと思うだろう◇01。その意味でなら、この結果は当然のことだ。
◇01 2003「ただいきるだけではいけないはよくない」
 ただ、このような一般的な漠然とした意味での「尊厳死」と、法制化を求める人たちが主張する「尊厳死」とは同じでない。そして後者の方の「尊厳死」が何であるかは、Yahoo!ニュースの意識調査が参照を求めている産経新聞の記事「米女性「尊厳死」 日本では「自殺幇助」? 終末期医療 タブーなき議論必要」
http://www.sankei.com/world/news/141110/wor1411100016-n1.html
を読んでもわからない。わからないものをもとにした「投票」についてはまずは何も言えないと言わざるをえない。基本的には以上につきる。
 アンケートの回答者〔→正:この記事は〕、医師幇助自殺を求めて実際に行った米国の女性の話と、状況が異なる日本での話をいっしょにせねばならなかったのだから、日本の話も米国の話も中途半端になったのは仕方がないともいえる。また産経新聞の記事は、ごく短い文章の中でともかくも賛否の「両論併記」はしている。比べて、この間の朝日新聞のとくにオンライン媒体での寄稿文は、日本独自の(このごろの言い方としては「尊厳死」でもない)家族の意向も勘案した「自然な死」を認めるべきという話にしても、死の自己決定は「世界の潮流」という論にしても、「賛成」の方に偏っているようだ。ただ、頑張って書かれたとは思いつつも、これらの記事◇02は、判断の材料としては使えないと言うしかない。以下、補足の解説をしておく。
◇02 後日紹介する
 この間亡くなった米国の女性についていえば、本人は「自殺」ではなく「安楽死」だと主張したが、彼女が亡くなったオレゴン州は、「(医師によって)幇助された自殺」を認めていてそれで死んだのだから、記事の見出しの自殺幇助に「?」はいらない――殺幇助「罪」の対象になりうるということを言いたいのであればわからなくはないが。
 そして法制化を目指している日本の尊厳死協会の人たち等が言っている「尊厳死」について。今回の米国の人の死が尊厳死協会やその主張を支持する議員連盟の人たちの言う「尊厳死」ではないというのは、まずは、その通りである。(ただその「(医師による)幇助自殺」を認めているオレゴン州の法律に「尊厳死」という名称はあるのでたしかにややこしくはある◇03)。
◇03 「安楽死尊厳死:米国・オレゴン州」
 問題はその「尊厳死」が何であるのかが、それを主張している人たちにおいても、以下に記すように、はっきりしていないということである。記事中に出ている「尊厳死協会」の副理事長の長尾氏は、今は自分は「尊厳死」を主張していないといった発言もしている。「尊厳死協会」という名称も改称されるそうである◇04。人により時により言うことが違う。これは困る。
◇04 2015/10/15 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/522586301388701696  「安楽死という名称が(創始者によれば)人聞きがわるいので「日本安楽死協会」から「日本尊厳死協会」と名を変えたその協会は、このたび自らは「尊厳死法」を主張していないのだと語り、名称をさらに変更することに→http://www.arsvi.com/d/et-nsk.htm cf.『唯の生』第2章」
 賛否を問うのだから、さらにこれはまさに「生死」に関わるのだから、例えば脳死の是非を巡る論議では、それなりに細かな議論がなされたのと同じく、あるいはそれ以上に、いかなる場合に是とするのか、こういう議論こそ大事なのだ。「タブーなき議論」には賛成だが、その議論のための前提が存在していないということである。
 それでも一つ加えておくと、この産経新聞の記事のタイトルにある「タブーなき」には「終末期医療」の「コスト」についても「正直に」という意味合いが込められているように感じる。そしてそのことに関する「漠然とした不安」が賛成票の多さに関っているのではないかとも思う――このことは私のツィッター等に対する反応を見ても感じることだ。安楽死尊厳死の是非についての議論をするためにも、医療費等、費用についての具体的な情報をもとにした議論がされる必要があっただろう◇05。
◇05 2014/10/26 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/526346943014789120
 「『良い死』 http://www.arsvi.com/ts/2008b1.htm  第3章:犠牲と不足について・1不安と楽観(1不安と楽観について・2要約)2避けられない場合(1共有財−生命の犠牲・2私見・3犠牲は不要であること)3不足/の不在(1もの・2人) 4移動/増加(…)(続く)」


立岩真也(たていわ しんや)社会学者。立命館大学大学院教授。関連する著書に『良い死』『唯の生』(筑摩書房)、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(有馬斉との共著、生活書院)等がある。

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.
◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et.
◆立岩 真也 20080905 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.

『良い死』表紙   『唯の生』表紙   『生死の語り行い・1』表紙

cf.

◆2014/11/15 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/529972326612221952
 「ブリタニー・メイナード氏の自殺についての新聞からのコメント依頼に→http://www.arsvi.com/ts/20141106.htm 今そのコメント部分についてのゲラ着。見せていただくところ。部分的ながら使っていただいたような。またお知らせ予定 cf.http://www.arsvi.com/d/et-usa.htm

 
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 ※最初にお送りした原稿

 どうせ死ぬなら、「尊厳がない」より「尊厳がある」方がよいと多くの人はきっと思うだろう。その意味でなら、この結果は当然のことだ。
 ただ、このような一般的な漠然とした意味での「尊厳死」と、法制化を求める人たちが主張する「尊厳死」とは同じでない。そして後者の方の「尊厳死」が何であるかは、このアンケートが参照を求めている記事を見てもわからない。わからないものをもとにした「投票」についてはまずは何も言えないと言わざるをえない。基本的には以上につきる。
※ ※ ※
 これはこのアンケートが参照を求めている「米女性「尊厳死」 日本では「自殺幇助」? 終末期医療 タブーなき議論必要」という見出しの『産経新聞』の記事のせいとは言えない。医師幇助自殺を求めて実際に行った米国の女性の話と、状況が異なる日本での話をいっしょにせねばならなかったのだから、どちらも中途半端になったのは仕方がないともいえる。またこの記事は、ごく短い文章の中でともかくも賛否の「両論併記」はしている――比べてこのかんの『朝日新聞』のとくにオンライン媒体での寄稿文は「賛成」の方に偏っているようだ。ただ、頑張って書かれたとは思いつつも、判断の材料としては使えないと言うしかない。以下、補足の解説をしておく。
 前者の米国の女性についていえば、本人は「自殺」ではなく「安楽死」だと主張したが、彼女が亡くなったオレゴン州は、「(医師によって)幇助された自殺」を認めていてそれで死んだのだから、記事の見出しの自殺幇助に「?」はいらない――自殺幇助「罪」の対象になりうるということを言いたいのであればわからなくはないが。
 そして後者の、日本のある人たちが言っている「尊厳死」について。今回の米国の人の死がその人たちの言う「尊厳死」ではないというのは、まずは、その通りである。(ただその「(医師による)幇助自殺」を認めているオレゴン州の法律に「尊厳死」という名称はあるのでたしかにややこしくはある。)問題はその「尊厳死」が何であるのかが、それを主張している人たちにおいてもはっきりしていないということである。記事中に出ている「尊厳死協会」の副理事長の長尾氏は、今は自分は「尊厳死」を主張していないといった発言もしている。「尊厳死協会」という名称も改称されるそうである。人により時により言うことが違う。これは困る。
 賛否を問うのだから、さらにこれはまさに「生死」に関わるのだから、こういうところこそ大事なのだ。「タブーなき議論」には賛成だが、その議論のための前提が存在していないということである。
※ ※ ※
 それでも一つ加えておくと、この「タブーなき」には「終末期医療」の「コスト」についても「正直に」という意味合いが込められているように感じる。そしてそのことに関する「漠然とした不安」が賛成票の多さに関っているのではないかとも思う――このことは私のツィッター等に対する反応を見ても感じることだ。その議論をするためにも賛否を問うためにも、このことについても知らされるべきが知らされる必要があっただろう。


UP:20141224 REV:
安楽死・尊厳死:2014  ◇対・安楽死・尊厳死  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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