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もらったものについて・13

立岩 真也 2014/12/25
『そよ風のように街に出よう』87
*おもしろい雑誌なので定期講読するとよいと思います。
http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/


◆立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代・記録(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』,Kyoto Books,700円 →gumroad経由
◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

■『造反有理』続
 連載が連載になってないことの言い訳はもうやめて、書きます。
 前回は昨年の十二月に出版された『造反有理――精神医療現代史へ』(青土社)に書いたことについて書いた。その本はなんだかややこしいことを書いているようにも読まれることがある。たしかにそんな部分がなかったわけではなく、それはそれで書かないと嘘を書くことになるから、書いた。ただ単純なことを言いたかったのでもある。つまり「造反」とか「叛乱」とか呼ばれたことには、いろいろとごたごたしたところもあり、うまくいかなかったことも多かったのだが、それでも、もっともな部分があるということ、それがほんとどまったく知られなくなっているから知ってくださいということがあって書いた。一定以上の値段の本がほんとに売れにくくなって久しいのだが、まだいくらかは売れているようだ。またいくつか(「過分」な評価を含むものを含む)書評が出ている。当方のホームページに掲載してあるのでご覧ください。
 さてその本に出てくるのは、ほぼ医療者、さらに医者たちに限られる。(唯一の例外が吉田おさみということになる。)医療者が自分たちのやっていることを批判的にとらえ返すわけだから、すっきりしないところがあることにもなる。「本人」の話をする必要がない、話を聞く必要がないと考えたわけではまったくない。ただ医療者たちのことを書いただけでもすぐに本は一冊になってしまったということがある。そして医療者たちの書きものは何冊もの本になっていたり、雑誌に掲載されていて、努力せずに集めることができるので、それはとりあえず私の方でということになった。それに対して本人たちの書いたものは、すくなくとも過去には多くない。そしてもっと入手しにくい。だから私には無理で他の人にお願いと思ってきたし思っている。そしてそうした研究をしようという人たちも私のいる大学院に来てくれたりしているから実際おまかせてできそうでもある。
 と言いつつ、すこしだけした仕事はある。「全国「精神病」者集団」の大野萌子と山本真理に行なったインタビュー(以前インタビューを行なったことは紹介した)が『現代思想』五月号、特集「精神医療のリアル DSM−5時代の精神の<病>」に掲載された。この二つがあるというだけでもこの号は買って読んだ方がよいと思う(大野氏は二〇一三年に亡くなった)。(それはそれとして、この二つのインタビューの「完全版」、すくなくとも雑誌に載せきれなかった部分を含めたものを主要な部分にした本を用意するつもりだ。)
 そしてこうした特集があったこともあり、また半端な本を出してしまった後味のわるさのようなものもあり、私が『現代思想』の方でさせてもらっている、そしてこの十月号で一〇四回めというとんでもなものになってしまっている「連載」でもまだ精神医療・医療に関する原稿を書いている。それは本人の運動をというより、精神病院の入院者がそう減らずに推移してきたことについて、京都にある十全会病院というかつておおいに批判された精神病病院の事件――もまたすっかり忘れられつつあるのだが――を辿って考えてみようというものだ。
 すると話はやはりしりとりのようにつながっていくのだが、同じ雑誌が九月号で「医者の世界――新しい医療との向き合い方」という特集をしている。ここまでの話との関連では、私の本でほとんどまったく出てこない看護者・看護師たちのことについて、私のところの大学院生でもあり仏教大学の教員でもある阿部あかねが「精神医療改革運動を看護者はどのようにみていたのか」という文章を書いている。
 その特集で私は誰かにインタビューしないかという提案をいただき、早川一光氏(一九二四〜)という、講演のCD集が出ていたりする、おん年九〇歳の超有名人に、今度の私の本で扱った時代よりもっと以前、戦争前後のことから聞いてみるということになった。「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史」という題のものになって掲載された。その早川先生――実は私の勤め先のほんとにほんのすぐ近くにお住まいであることをインタビューにうかがって知った――は戦後、やはり京都で、白峰診療所そして堀川病院における住民主体の医療・地域医療を先駆的に実践した。現在の「認知症の人と家族の会」(もとは「呆け老人をかかえる家族の会」)の発足と運営にも関わってきた方である。だから基本は前向きな語りが数多くの著作でもなされるのだが、そこには書いてないことがいくらかうかがえるかと私なら絶対覚えていないだろう七〇年も前の話をうかがった。その上でその実践と様々にひどいことをして批判されしかし長く引き下がらなかった十全会とをともに成立させたりまた一方を困難にし他方を繁盛させた仕組みがあり、またそれをすっかり解消することはないにしてもより事態をましにできる工夫があるように思え、そのことを書いている。それは早川たちが行なったことの意義とそして限界――があるのはほぼすべてについて当然のことで、やってみるから限界もみえるし、なにより本人たちが自分たちの限界を一番知っている――をはっきりさせることでもある。そしてそれは、さらにつなげればそれは、「造反派」ががんばってきたこと、しかしできなかったことについて考えることでもあると思っている。こういう感じでもう七回も書いているから、あと一回ほとで終わらせ、別の人の原稿と合わせてこれも二〇一五年には本にしてもらおうと思っている。
 ちなみにこれはそもそも「なおす」ことがよいとかそうでもないのかという話と、おおいに関係はするが、すこし別の、「制度」「仕組み」の話になる。「そもそも」の話の方の一部は、広告・宣伝の列挙でまことに恐縮だがこんど(この八月)に出版された『自閉症連続体の時代』(みすず書房)でしている。とても高い本になってしまったがよろしかったらどうぞ。

■『精神医療』
 こうして、「中身」の話は本のほうでということで、努力せずに集められる(はずの)方の文献にしてもそう簡単でもないことがあることについての苦労話、あるいは「マニア」にしか通じない自慢話をすこし。
 私の本では「造反派」という言葉を使った人たち(「改革派」と呼ばれたり名乗ったこともある人たち)が始めて今まで続いている雑誌に『精神医療』という名前のものがある。例えばその第四号が出されたのは一九七〇年の「晩秋」とある。(それでもまだ年がわかる。過去のビラの類には年がわからないことが――集会をやるといったらほとんどその年に、なのだから、書いてないのはあたり前なのだが――多い。機関紙・機関誌にも同じ号のものが二つあったり、ときどき記載の間違いがあったりする。)この雑誌は、精神医療編集委員会の独自発行(第一次)、岩崎学術出版から刊行の時期(第二次)、悠久書房の時期(第三次)、そして現在の批評社からの刊行(第四次)と発行主体が変わってきた。とくに初期・第一次の「東大精神科医師連合」の機関紙として発行されたものはもうそうは残っていないはずだ。創刊号の表紙は、六〇年安保闘争の時にブント(共産主義者同盟)の書記長として一時期は知っている人は誰でも知っている人であった島成郎(一九三一〜二〇〇〇)らが創刊に関わり、表紙は島の妻の島博子がデザインしたのだという。
 些細と言えば些細なことではある。ただ島は六〇年安保闘争で負けて「政治」から身を引いて「地域(精神)医療」の方に行ったということになっている。言葉の意味をどうとるかによるが、まったくの誤りというわけではない。ただより正確には、彼は一九七〇年の前後において(も)精神医療「という」政治に関わっていたと言うべきなのだ。(新)左翼関連には一定の「おたく」な人たちがいていろいろと書かれたものはあるのだが、こういうことにきちんとふれられたものは多くない。
 次に、島という人においてつながっているといったん言える六〇年前後のことと七〇年前後のこと・人の間にはいくらかの距離もあるようにも私は思えた。単純に言うと、六〇年前後の人たちはより幸福であり自己肯定的であり、それは(地域)医療に対する肯定(感)にも自然につながっている。ただ七〇年前後になるとすこし違ってくる。一部で(「反精神医学」といった札を貼って)言われるほど、実際にはその「造反派」の人たちは医療に反対しないし否定もしないのだが、それでもいくらか疑いや否定感が強くなっていく。そんな感じがする。そのあたりをいくらかは書いたつもりだ。だから言い方に微妙なところが出てきてしまいもする。そして微妙だとか複雑だとかただ言っても仕方がない。それをどう引き取るかが私(たち)の課題だと思っている。つまりどんな場合に、どんな理由で、なおすことは肯定されたり否定されたりするのか。とりわけ本人の決定にゆだねればよいと言ってすませされないことがあるとすれば、どのように考えたらよいのか。それを考えてようとものを考えているつもりだ。
 とまた「中身」の方にすこし話が流れたのだが、「文献」の話をするのだった。そのいわく因縁のある雑誌がそろいで売りに出ているのを古本屋のネットで知って購入した。一五万円ほどだったと思う。これはかなり、というか非常に幸運なことだった。今の批評社から出ている『精神医療』は、これはよいことかそうでないか微妙だけれども「精神もの」に一定の需要があるせいか、たぶんそこそこに売れていて、その多くは、しばらくするとすこし文章を加えたりしたものが「メンタルヘルス・ライブラリー」で単行本化されている。ただ過去のものは希少であり、その希少なものを読んで初めてわかることもある。

■『そよ風のように街に出よう』/『季刊福祉労働』
 この『そよ風のように街に出よう』にしてもそうなのだ。私は一九七九年創刊のこの雑誌を一九八〇年代の終わり頃、つまり以前紹介した『生の技法』を書くための調査をしている時、まとめて購入した(送っていただいた)。「0号」というのはコピーを送っていたたいた。それ以後のものも購読してきた。そしてこの「連載」が始まってからはお送りいただいている。それですべてそろっているはず、なのだ。
 そして現代書館から発行されている『(季刊)福祉労働』』。これは一九七八年からの刊行。やはりこれも以前ふれたが養護学校義務化(の実施)が一九七九年で、両方の発行がこの時期なのはそのことに関わっている。現代書館は東京にあるので、そして私はその頃東京に住んでいたから、私はやはり八〇年年代後半、『そよ風』をまとめ買いした同じ時期に、直接現代書館――(今は飯田場所の近くのようだが)私のおぼつかない記憶では水道橋の駅が最寄りだったように思う――に出向いてそのときまでに発行されていた全号を買った。その後も買ってきた。この雑誌をずっと担当してきたのは小林律子さんという編集者で年齢不詳の方で、尋ねたこともないのでやはり不詳なのだが、もうずっと、である。二〇一三年に逝去された神奈川青い芝の会の横田弘さんの介助を学生の頃にやったのがこの業界に入ってきっかけであったという話を間接的にか伺ったことがあるように思う。この雑誌には一九九〇年年代の初め――自立生活センターとかができていった時期だ――に十五回ほどの連載をさせていただいたのだが、それ以外はそんなにつきあいはない。とはいえ横田さんの対談本『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』(で対談させていただいたり)、新田勲さん――彼もまた二〇一三年に逝去された――の本『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』で対談させていただいたていて、これらの本はみな現代書館の刊行である。また私たちが大きな影響を与えられた石川憲彦著『治療という幻想――障害の治療からみえること』の現代書館の刊行だ。(これが刊行されたのは一九八八年。私の気持ちとしてはもっと十年とも前に出ていたような気がしていたのだが、そんなことはない。『福祉労働』での長い連載が本になったものだ。
 というわけで『福祉労働』は――『季刊福祉労働』と書くべきなのか、そちらの方が多い(例えば『月刊福祉』が『福祉』では変でしょう)のだがまだ迷うことがある――全部ある、はずなのだ。そして私はもう長いこと自宅に本・雑誌をほとんど置いていない。とくに二〇〇七年に大学に「生存学研究センター」というものができてからは、私費で買ってきたもの研究費で買ったものすべてそのセンターの書庫に並べてメンバー(大学院生他)に読んでもらえるようにしている。どう考えても私ひとりで扱える量でもないし、それ以上に、読んで調べてもらおうということで並べている。ただ、現実を直視するのが怖くてきちんと見ていないのだが、これらを借りていってそのままになっているものがあって、かなり現時点で「欠け」があってしまっている。これは困る。
 では鍵のかかるキャビネットかなにかに収納すればそれでよいだろうか。それにも短所はある。仮にそうするとしてどこまでを対象にするか。以上のは真の希少文献とは言えない。マイナーな中でもまだメジャーなほうのもので、もっとレアなものもある。全部そろっていないことは確かだが、そもそもいつまで続いたかもわからないものもある。どこが出していると言えるのかもはっきりしないものもある。ただ並べればよいというわけにはいかない。そもそも薄いから書架において「自立」しないのでもある。ファイリグするのがよいのだろう。しかしどのようにファイリングしたらよいものか。決めきれないままに時は過ぎてしまっている。

■それでも有り難くもいただきものがあること
 そんなこんなでなかなか停滞している部分もあるのだが、容量的に可能な限り、必要なものは集めていきたいとは思っているし、それがいただけるとなれば、さらに有り難い。
 そしてこれまでいくつかの申し出をいただき今のところそれに応えられている。以下まさに「もらったものについて」。「もらったものについて・9」(二〇一二年)に記したことをの繰り返しがかなり含まれる。
 それが最初であったかどうか、尾上浩二さんがDPI日本会議の事務局長になって大阪から東京に引っ越されるとき(二〇〇四年のようだ)、段ボール箱で四つの資料を寄贈してくださった。集会時の報告書、等々。ちなみに尾上さんは私と同じ一九六〇年の生まれで、「親指シフト」という今や絶対的にマイナーなPCの文字入力方法――「オアシス」という富士通のワープロが日本のワープロ専用機の初期にはかなり出ていたのだが、それに採用されていた方式で入力は他に比べて速いのだが他のメーカーが採用しなかったりですっかりすたれてしまった――を今でも使っている点においても共通している。
 そしてさきの『造反有理』にはほぼ間に合わなかったのだが、その本にも幾度も登場する広田伊蘇夫さん(二〇一一年九月一八日に亡くなられた)の蔵書を寄贈していただけるという話を広田氏の関係者の方からいただいた。そして二〇一二年の一〇月に、世田谷のお宅に木村朋子さんとうかがった。(名前は存知あげていたが直接お会いしたのはその時が始めてだった。共通の知り合い――その大学ではあまり標準的ではない人たち――が幾人もいるので不思議だなと思っていたのだが、大学の先輩であることをその時に知った。卒業後松沢病院に務めて――これも当時(たぶん今も)就職先としては珍しいことのはずだ――それからいろいろ、ということで、広田氏とは「東京都地域精神医療業務研究会(地業研)」等で関係があった方だった。)
 奥様もその年に亡くなられたとのことで、誰もいないお宅にあがった。すでに大部分は梱包されていた(リストまで作ってくださっていた)のだが、それ以外にも書架に残っている本をみてさらに受け入れるものを選んでよいとのことでその作業をさせていただいた。その一覧がある。例えば『作業療法の源流』はアマゾンのマーケットプレースでは出品されていない。『わが国における精神障害の現状』もそうだ(いっとき出品されていたときには69,800円の値段がついていた)。
 そして、椎木章さんから連絡をいただいて直接持参してもらった分も含めて資料をいただいた。このことも「もらったものについて・9」に記したのだが、以下はそうしていただいたものに関わってすこし「関西的」――ここでは大阪・兵庫あたりを念頭に置いている――なことについて。

■椎木さん・関西
 私が椎木さんの御名前を知っていたのは『福祉国家の優生思想――スウェーデン発強制不妊手術報道』(文字理明・椎木章編、二〇〇〇、明石書店)の編者としてだったが、お会いしたのは資料をもってきてくださった時が始めてだった。中学校の教諭を長くなさった方で、彼も関わったという一九七五年頃の大阪の意岐部中学校でのできごとについての資料もあった。例えば「朝田派影響下の中学生 また教師に暴行」(『赤旗』一九七五年九月二三日)といった記事の切り抜き、等。数的には障害者運動関係のものが多く、マイナーな中でも知られているものとしては横塚晃一の『母よ!殺すな』のもとになった(まだ二七頁の)『CPとして生きる』や二〇一三年に亡くなった横田弘の『炎群――障害者殺しの思想』等。これらはなんとかならないではない。『リボン社通信』第二号(「特集 映画 何色の世界? 自由へ」、発行年不明)は本誌の発行元であるリボン社にはあるのだろう。たださらに住吉同推協「障害児」教育部会「『障害児』教育討論集会・資料」(『すいしん』、一九七八年二月)、両国同和教育推進協議会「『障害』をもつ子どもためでなく、ともに」(『すいしん両国』、一九七九年)、池田幸夫・椎木章「共に生活するしんどさを確めつつ見えて来るもの」(東大阪市立意岐部中学校「障害児」教育部会『意岐部中学校の「障害児」教育』、一九七八年)となると、さらになかなか見つからないだろう。というより私は存在そのものを知らなかった。と書いていってようやくその気になったから読んでファイリングしようと思った。これはやはり大切なものはずだ。というのもとくに関西の場合、被差別部落解放運動や在日の人たちの運動があってそれと障害者運動とのかかわりがある。そのことを体験し、だから体験的に知っている人たちもいるが、その関わりが強かった時期以降の人たちはそれを知らない。私にしても関係があることは感じていたが、関西に行って調べる時間も、つても、『生の技法』の時にはなかったから何も書けていない。そして私が知る限り、このことに関わる研究・書き物は、たぶんまったく、ない。それはよくないと思う。
 例えば就学運動にそれはどう影響したか。義務化前後の東京では金井康治さんの就学闘争があってそれには私の知人にも関係した人たちがいたりしてなんとなくわかる。また出版社から本も出されてはいる。(本がいくつかあるのは、関西についても同様で、何冊かある。)『すいへい・東京』といった媒体にも記事があったりし部落解放運動も関わってはいる。しかしその関わりはやはり関西の方でより濃かっただろう。
 いまこの原稿を書いているその一週間先(十月一日)に追悼集会がある楠敏雄さん(二〇一四年二月十六日没)について、聞き取りを中心に研究をしてきたこちらの大学院生の岸田典子さんのインタビューにもそのことは出てくる。ただ生前のそのインタビューで語られたその部分は短い。いわゆる「セクト」、新左翼の諸党派との関係とそことの「縁切り」についての話の方が、これもこれで話しづらい部分ではあるのだが、いくらか長いぐらいだった。もっと調べることがあると思う。
 たんに研究がないからというだけではない。運動のやり方というか構え方に見ておくべきところがあると思うからだ。例えば民族学級といったものにしても、新たに何かを建てようという話ではない。学校という場所そのものは既にそこにある。すると教育委員会にせよ学校にせよ、あるいは自治体行政にしても比較的現場に近いところで、議会を必ずしも経由せずに、直接交渉で実現できる部分もあるかもしれない。そしていったんできたものは、できるにあたりまた続けるにあたりもっともな理由があり、それをなくす積極的な理由がない限り、そしてそれを推進し維持する側の「実力」がある限り、というか相対的な「力関係」において一定の位置を占めている限り、それは維持される。
 すると団体・対・行政という構図でことが動くことがある。そしてこれはとくに被差別部落の問題の場合に合理的でもある。というのも、この場合、被差別者は誰であると行政が指定するということ自体が問題であるという場合があるだろう。とすると、組織を通してというやり方はひとつにある。ただそれは「割り振り」の実質的な権限を組織が有するということにもなる。するとそれに関わる批判もまたなされることがある。陣地取りのようなことが起こることもある。このあたりについては大阪住吉地区のことでいま博士論文を書いている矢野亮さんがその論文に書くだろう。雑誌論文は既にいくつかある。これまで障害者運動との絡みについて書いたものはないが、彼自身知らないわけではない。彼が師と仰ぐ志村哲郎氏(日本解放社会学会会長などを務めた)から聞いて知っていることもあるだろう。そのうち何か書いてくれるだろうと思う。
 他方、このような関係において、組織と行政・政治とは互いに敵のようでそうでないところもある。そしてそこにさらに、これまで何回か触れてきた革新政党との対立関係も絡む。これもべつだん関西に限ったことではないが、その強さはやはり違う。そして学校の労働組合にしても役所の労働組合の運動にしても複雑になることがある。さらに、「社会福祉協議会」といった全国的には差し障りのない穏健な組織で働く人の中にも妙に「根性」のある人がいたりする。私などまず「社協」の方面からお呼びががかることはないのだが京都に越してから数回大阪の幾つかの地域の社協やら行政やらの催しに呼んでいだたくことがあった。不思議なことだと思って出かけていくと、長くその地で教師や社協や役所の職員などしながら地元の運動に関わってきたことを知ったということがけっこういる。
 そしてこうして作られていったものはいったん力関係が変わると大きな危機にされされることにもなる。つまり、「既得権の打破」といった標語を掲げて、「そんなきまりはない」とか、「ゼロから見直す」といった人が首長になったり、そんな人たちをかつぐ人たちは議会の多数派になったりすると、ようやく築かれてきたものがあっされりなくなってしまうことがある。さてどうしたものかということが一つある。
 そしてこちらの方の話が本来はさきかもしれないのだが、被差別部落や民族の問題と障害者の問題とはどこまでが同じでどこまでが違うのか。「ゆえなき差別」とよく言われる。実際そのとおりのことがいくらでもある。けれども障害者の就労といったことを考えていくと「ゆえなき」とは言い切れない部分があるようにも思われる。そこのところを人々はどう考え、どのように行動してきたのだろうか。そうした過去のことをよくは知らないまま、私自身は『私的所有論』という最初の本(いまは生活書院から文庫版で出ている)の第8章を「能力主義を肯定する能力主義の否定」という変な題にしていくらかのことを考えてみたのだったが、そんなことの続きを考えるためにもこれまで誰が何をしてきたのか考えてきたのか知っておく必要はある。


◇立岩 真也 2007/11/10 「もらったものについて・1」『そよ風のように街に出よう』75:32-36,
◇立岩 真也 2008/08/05 「もらったものについて・2」『そよ風のように街に出よう』76:34-39
◇立岩 真也 2009/04/25 「もらったものについて・3」『そよ風のように街に出よう』77:,
◇立岩 真也 2010/02/20 「もらったものについて・4」『そよ風のように街に出よう』78:38-44,
◇立岩 真也 2010/**/** 「もらったものについて・5」『そよ風のように街に出よう』79:
◇立岩 真也 2011/01/25 「もらったものについて・6」『そよ風のように街に出よう』80:-
◇立岩 真也 2011/07/25 「もらったものについて・7」『そよ風のように街に出よう』81:38-44
◇立岩 真也 2012/01/25 「もらったものについて・8」『そよ風のように街に出よう』82:36-40
◇立岩 真也 2012/07/** 「もらったものについて・9」『そよ風のように街に出よう』83
◇立岩 真也 2013/03/25 「もらったものについて・10」『そよ風のように街に出よう』84:36-41
◇立岩 真也 2013/09/25 「もらったものについて・11」『そよ風のように街に出よう』85:
◇立岩 真也 2014/04/25 「もらったものについて・12」『そよ風のように街に出よう』86:44-49

■言及

◆立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代・記録00――準備:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books
 ※ご注文うけたまわり中→Kyoto Books


UP:20140925 REV:20141006
『そよ風のように街に出よう』  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也 
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