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病院と医療者が出る幕でないことがある

立岩 真也 2014 精神保健従事者団体懇談会+『精神医療』編集委員会 編『第7回精神保健フォーラム 変われるのか?病院、地域――精神保健福祉法改正を受けて」(『精神医療』別冊),批評社,pp.15-28



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*以下における講演の記録です。拙著、初売りの日でもありました。
 2013/11/23 第7回 精神保健フォーラム「変われるのか? 病院、地域――精神保健福祉法改正を受けて」 主催:精神保健従事者団体懇談会 於:大手町サンケイプラザ
 http://www.ami.or.jp/singlefolder/index_seijukon.html

*以下に掲載されました。お買い求めください。
◇「批評社 ?@satohideyuki2 新刊「第7回精神保健フォーラム」『変われるのか、病院、地域−精神保健福祉法改正を受けて』が刊行になりました。http://www.hihyosya.co.jp/ISBN978-4-8265-0597-0.html …」
 →『精神医療』

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

■『造反有理――精神医療現代史へ』

 私は社会学をやっている者で、医療や社会福祉の方面の研究者ではなく、また社会学の中でも障害とか病気のことが専門ではありません。ただそれでも、身体障害の方は30年ほどいろいろとつき合いがあって、それについては日本の学者の中ではまともに話せる方だと思っております(cf.安積純子他『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』、生活書院、2012、等)。けれでも精神障害のこと精神疾患のことに関してはまったく無知でしたし、無知です。ですから本来このような場でお話しする資格があるとは思われません。
 それでも、私は1960年生まれで、79年に大学に入ったんですけれども、赤堀闘争とか、80年代初頭の保安処分反対闘争であるとか、私がいた学校、私のいた学部ではそれに関与する友人などもいて、いくらかの関係・関心はありました。ただ、というか、ゆえにというか、このテーマは正直いって難しいなと、それでものを書けないできました。けれども、幾つかきっかけがあって、『現代思想』という雑誌にこれまで96回の連載をしているのですが、そのうちの20回分弱を、今度、『造反有理――精神医療現代史へ』という本にしてもらいました(青土社、2800円+税)。
 そうできのいい本ではありません。自分としてもなんだかなあという気持ちはあります。ただ、僕は60年生まれだから53ということになりますが、その後の世代というのが、良きにつけ悪しきにしつけというのか、あったことが良いか悪いかは別として、何があったかということをまったく知らないという状況になりつつある。このことに関しては若干、というかかなりの危機感を持っています。まずは何があったのかということを知っていただく必要があると考えて、この本を書きました。じつは今日に間に合うように出版社に無理を言って、急ぎで本にしていただいたものです。そんなこともあってとくに歴史ものにあってはならない誤記なども残っているのですが、勘弁してください(訂正箇所情報・書評についてはhttp://www.arsvi.com/ts/2013b2.htm「立岩真也」「造反有理」で検索)。買って読んでください。
 そういう私でありまして、とくに近年の精神医療、精神障害者福祉の動向に詳しいわけではないのですが、それでもいくつか知ること、伝え聞くこと、本を書きながら思ったことをしばらくお話させていただきたいと思います。
 今日言うことはわりあい単純なことです。引くべきところからはなるべく引こう、なるべく仕事をしないようにしよう、そういうことです。私も忙しいですが、皆さんも毎日毎日▽0017 忙しいと思います。それはたいへん御苦労なことだと思うんですけども。であるならば、というか、であるがゆえに、というか、どこから、どういうかたちで引くかということを考える。それを個々人の心がけ、実践としてではなく、法人なら法人として、さらに同業者組織として、さらにこういった組織の寄り集まった組織として、どこまでのことを自分たちがやるのか、逆に言えばやらないのかということを考えて、それを提示していく。ということが、組織の、というのがこちらが今日の強調点なんですが、社会に対する責任、社会的責任である。そしていささか楽観的に過ぎるでしょうが、個々人のレベルで言えば、今一人ひとりが抱えている。やっかいごとというか、少し楽になり、同時に良い質の仕事をしながらやっていくことができる、そういう可能性もある。そういうことを申し上げたいと思います。具体的なことについては後で話します。まずその本に書いた「歴史」についてすこしお話しさせていただきます。

■「歴史」について

 さきほどこの集会の資料に年表のような部分がありましたが、1964年のライシャワー事件の後の精神衛生法改定、84年の宇都宮病院事件、ここらあたりの流れについての評価は私は微妙だと思っています。
 ライシャワー事件の後、精神障害者狩りを煽動するような報道が朝日新聞なども含めて、大々的に行われた事実があります。まず、今から振り返ってみると、こういうことを正々堂々と言った時代があったのだ、という感じです。今なら事実上同じことを言うにしても、もうすこしずるく言うだろうことを堂々と言う。それがそんなに大昔のことではないということがまず一つ。
 そして、そうした動向に対して、たしかに日本精神神経学会は反対を言いました。ただ、もっとその当時の動きを見ていくと、必ずしも今に引き継がれるべき要素ばかりだと思えない。実際に言われていることは、精神障害者を警察に引き渡するのはよろしくないと、では代わりに私たちがやってあげましょうと、そういうことを言っている。例えばライシャワー事件の起こった年、ケネディ教書が63年に次の年ですけれども、今回の本でとりあげた人としては秋元波留夫(1906〜2007)が、そんなことを堂々と言っている。1950年代にもやはり言っている。精神病質の人はやばいと、それは社会を守るために保護しなければいけないと、保護しなければいけないというのは、入院しなければいけないということであり、そのための病院・病床数は足りないということを、64年▽0018 ならケネディ教書を知っていたはずですが、言っています。
 そこからの転換というか、自らへの批判というか反省といったものは、その後、67年、68年、69年、その頃にようやく始まって、それが今に引き続かれてるんだということを改めて思いました。それ以前の言説を見ていくと、つまりは、社会防衛、それから社会適応、そういったものと患者のための医療とが並列されているというか、混在されてるというか、区別されてないというか、そういう時代がずいぶん長い。今も実態としてはそうかもしれませんが、それが正々堂々と言われていた、そういうことがあったわけです。
 それは分けて考えなきゃいけないんじゃないかということ、社会に適応させるということと病人を楽にするということ、周りの人たちが楽になるということは本来別々のことであるのだが、そこのところを、精神医療、精神障害をめぐる人たちはどこをねらってやるのか、どういう態度をとるのか。こういうことを分けて考えようとなり出したのがようやく1968年、69年であり、69年がいわゆる(精神神経学会の)金沢大会があった年であり、そうした動きが保安処分に対する反対闘争に結びついていく。そういった意味で、私は65年の「改正」の動きをただ肯定すればよいと思わないし、そこから84年に発覚した宇都宮病院事件の「反省」につなげていくというのは乱暴な話であって、その間にある60年代末から70年代の動きというものは忘れられてはならないと考えています。
 簡単に言えば、社会に適応するというのがどれほどのことであるのかという提起が一つあったわけです。それは必要最低限において必要かもしれないけども、それで無理するとかえって病気がわるくなるということはいっぱい世の中にあるわけです。そこから身を引いてみるということです。
 また社会防衛というのは、社会というのは我々が住んでいる場所ですから、究極的にその言葉通りの防衛というものを否定できるかといえば、難しいものがあります。ですから私も長いことものを書けなかった部分があるんですけども、しかしながら社会を守るということを、少なくとも本人のためであるという嘘をつかないというところから、ではどういうふうに守るなら守るということを考えるか、それを考えなきゃいけない。そういう提起がなされたと思います。そして医療の本義はそこにはないことを自覚し、そういったことからできるだけ身を離しながら、病んで苦しい人、それにともなっていろんなことが妨げられている人のために何ができるか。右往左往しつつ,そういったところに進んで行こうとする、そんな道筋があったんだと思います。
 そして、そうした営みを担った方々がここのところ相次いで亡くなられている状況でもあります。小澤勲さん(1938〜2008)、藤澤敏雄さん(1934〜2009)、浜田晋さん(1926▽0019 〜2010)、広田伊蘇夫さん(1934〜2011)、そういった方々が次々に亡くなられている。そういった方々の苦闘というか、その人たちが言ってきたこと、それをどう考えるかは、各々に考えていただくとして、少なくとも知っておかなければいけない、忘れられてはならないという思いで本を書きました。そんな思いで、いくらか書籍や雑誌も集めておりまして、昨年には故広田伊蘇夫先生の蔵書を私が関係している生存学研究センターに去年いただきました。それを今整理することを始めています。
 では、その跡をたどっていくと、それがうまくいったかっていうと、うまくいってれば苦労はしないわけで、今日の集まりもいらないのかもしれない、ということになります。なんでうまくいかなかったか、難しかったのかということになります。
 それは、端的に言えば、改革をしようとした、造反をした人たちの動きと、精神医療の本流とが、基本的に違う流れであって、そしてその後者が強かったと、前者がそれに対抗するだけの力を持ち得なかったということだろうと思います。私が説明するまでもなく、1950年代、1960年代にかけて、日本の政府は、安く上がるように、かつ、たくさん収容できるようにという政策を、どこまで意図的だったかわからないところもあるんですが、進めました。その中で、それは70年代に起こった老人病院ブームというのと基本的に同じ構造なんですが、文句を言わない/言えない人たちをたくさん集めて安くあげると儲かるという病院が、とくに1960年代から70年代にかけて、めちゃくちゃいっぱいできたわけです。
 そういう人たちの集まりが日本精神病院協会であり、改称して日本精神科病院協会です。その人たちが精神病院業界の実権を握り続けていた。それにそれに対抗するだけの力を持ち得なかった、ということがここ50年60年の歴史だった。その困難は構造的なものであって、批判勢力の責任に帰せるものだと私には言えません。ただ、そこにあった磁場を変えようということが40年前に始まったが、実現されていない。それがまだ課題としたある。しかし提起されたのはその時である。そこからどのぐらいのことができてきたのか来なかったのかということを振り返ってみたいということで本を書きました。詳細は本とウェブサイト(http://www.arsvi.com/d/m.htm、「生存学」→「精神」で検索)を見てください。

■所謂「病棟転換型居住系施設」

 以上を確認した上で、病院の機能分化とか、地域移行という話についてです。▽0020
 いまどき地域移行には誰も文句を言わないというか、言えないことになっています。「地域」は、政府も、ここにいる方々も、当事者も言います。それはそれでいいわけです。しかし、それをどういうかたちで行うかという時に、現実的な流れとしては、さきほど言った、いったんできてしまって儲かってしまったその構造というものを維持していこうという力が、ここにお集まりの方々は知りませんが、精神医療業界の力としては、今でも現実を動かしている大きな力なのだと思います。地域移行はOKだけども、僕たちにやらしてね、病院にやらしてね、医療者にやらしてねっていうことです。
 そして、地域に出て行く人もいてもいいよね、出しやすくて楽な人から出てもいいよね、でもお客さんがあまり減ると困る。で、誰がいるかなと。ということで、認知症の高齢者がいっぱいいるじゃないかと。それでその人たちをお客さんとしてキープしておけば、減っているようで減っていない。そういう状態はキープできて、少なくともかなりの期間自分たちは延命というか、やっていけるだろうという動きが現実の大勢だと考えます。
 例えば精神科病院協会のウェブサイトを見ると今何が行われているかがわかります。このところもう長らく、認知症の高齢者についてのセミナー、講座が行われたりしている。これからの期待できるお客さんをどういう形で取り込めるかということのトレーニング、準備を整えているということははっきりしている。ただ、この新たなお客さんの話は今日はここまでにしておきます。もとに戻ります。
 地域移行はいいことだけれども、住む場所はすぐには無理でしょうという話です。ずっと言われてきたことですけどもね。それを言われてしまうと、ちょっともっとももだということも確かにあります。ずっと長いこと病院にいて本人的にも今さら厳しいというか、辛いっていうか、心配だっていうところもあります。そんなことが理由にされて、中間施設という話がずっと前からある。
 それにどこがどういうかたちで関与するかということで、私らがやりますと。
 これはわからない話ではないです。勤めてる人の中には、あの人どうなるんだろうという心配もある。それはそれとして理解できます。しかしながら、そうしたかたちで地域移行といいながら、病院を区分けする、あるいは別の建物を建てるというのがどういうことをもたらしてきたかということです。
 1969年から70年代に裁判闘争が行われた烏山病院事件・闘争というのがありました。「生活療法」がこの業界をいっとき席巻した療法としてありました。そして名前は流行らなくなくなりましたが、今でもなされていることはそんなに変わっていないとも言えます。烏山病院はその先駆的な病院でした。そこで何がなされたかというと、病棟を重▽0021 い人、中ぐらいの人、軽い、そろそろそろそろ出れるかなという人に分けていって、そこの中で住まわせ、移らせ、戻したりした。段階を踏んでだんだんと、と言われると、それもありだなと思います。ただそれが現実にどのように機能したかというと、この人は言うことを聞かないからこっちに戻す、この人は言うこと聞きくから軽い方に行くといったぐあいに、病棟の移動が管理され、そして生活が管理されていった。そういう仕組みに反対した医師が解雇され、それが裁判で争われたというのがその事件でした。そして、それは象徴的なできごとなのであって、そんなことが、その病院に限らず、全国に起こった、起こってきたわけです。
 それは、病棟の区分けとしてなされたわけで、今推奨されていることは、敷地は同じだけれども建物の一部を今よりはよくしたり、もしかすると敷地もちょっと違うものにするのかもしれない。だけど、それを統括する医療法人は同じであったりというようなことが行われようとしている。
 これは、幾つかわからないこともない事情があるものの、基本的には、いったん得た仕事を自分のテリトリーというものを守るためになされているとしか、外から見た時には映らないわけです。そう映るというだけでなく、実際そうなるでしょう。だからやめるべきです。許容するべきでない。
 そして、これが最初に指摘したことですけれども、これは「きまり」としてそうでなければならない。つまり、個人であったり個々の良心的病院であったりが、そういうところから手を引くということでは、逆効果になるわけです。ちゃんとしたことをやっているところは引くけれども、お客さんを引き留めておきたい、あるいは新たな顧客層を開発したい、そういうところは、いつまでたってもそこから手を離さないわけですから。
 そういった時に組織的・制度的な対応というものが必要になってくる。70年代の改革・造反というのは、いくつかの構造的な要因と言ってよいと思いますけれども、それによって、その構造に食い込めなかったことによって、良心的な医師や医療者、看護者、福祉関係者が個々にがんばればがんばるほど、その人たちは苦しくなり、そうでない人たちは楽して儲かるという状況が続いてきたんだと思います。だから、例えば今私が話をさせていただいているこの場を主催する組織、そこに参画する諸組織が、組織として対応せざるを得ない、対応すべきなのです。そうしないと、まじめにやっている人が今後損をするという状況をもたらすと私は思います。
 これが一つ、場所、その場所を誰が仕切るという問題であり、それへの対応の仕方です。こういうことを考えるためには、分化だとか連携とか、これから話しますかそういう言葉に我々は弱い、なんかいいかなと思うんですけれども、そういう話からはいった▽0021 ん身を遠ざけようということを言いました。

■本人の側に付くと決めた人が要る
 次に身を引くという二つ目ですが、本人の代わりに間に入る人がいるという時に、その代わりに間に入る人というものをどういうふうに考えるかということです。これについては具体的にどうしたらいいということに関する決定的なものが今のところ私にあるわけではありません。しかしこれはまずいだろうということはいくつかあります。それははっきり言えると思います。
 強制医療というか、医療といえるかどうか、強制的な処置ですね、といったものを全面的に否定できるかどうかということに関してのためらいというか、それをどう言ったらいいのかがわからなくて、僕はずっとものを書けませんでしたし、今度の本でも書けていないのです。そのうち何か書けることがあるかもしれませんけれども、今のところ書けません。ただ少なくとも、強制的な措置を全廃すべきだと主張できるかというと、私はできない、と、今のところ言わざるを得ない。
 それは保安処分、そして今ある医療観察法を肯定することかいえば、それは違います。ただ強制を100%否定できるかと言われれば少なくともためらいを感じる。私は、そういう脆弱なっていうか、腰がすわってないというか、そういう人間です。そういう意味で言えば、意に沿わないことをせざるを得ないことがある。時々ある。けっこうあるかもしれない。それが精神医療、精神障害をめぐる現実ではあろうし、それが完全になくなる状態というのは私は今のところ想定することができない。
 しかし、いやむしろ、ですからこそ、という話になります。つまりそれは本人の意に沿わないことを誰かがするということですよね。それを誰がするのか、決めるのかという問題が一つあります。今日はそこを詰めることはしませんけれども、そこのところで皆さんは少なくとも逃げてもいいわけです。そんなことをできる権限とか、私にはそんなことできないと、誰がやるのがいいかわからないけれども、少なくとも私にはできませんと言ったって本当はいいわけですよ。それを抱え込んだ時に、難しさ、引き裂かれるということが起こってくるわけです。
 ただ、誰かはやる。そういう時、さきに病院について述べたことと同じことが起こりがちです。つまり、野蛮そして/あるいは鈍感な人たちがそれを率先して引き受けてしまうということが起こります。例えば宇都宮病院が果たした機能というものはそう▽0023 いうものであった。ですから問題は終わらない。
 次に、そうやって本人の意に沿わないことをする、そういうことを認めざるをえないとすると、逆にというか、そこから理の当然として、その決定に従わされる人間に対して、その人の側に立つ人間というものは必須になってくるわけです。これは簡単なことですよね。本人が嫌だということをわざとやるわけですから。わざとやるときの相手の人間ってのは混乱したりいろんな状態になってる、状態になっているからそういうことするわけです。そういった時、その人の側に立って、本当にそんなこと、つまり強制をする必要があるのかと、ないんじゃないかということを、役割として、職務として、仕事として担う人が要るってことです。
 例えば弁護士というのはそういう仕事ですよね。こいつは悪いやつかもしれないと、だけど少なくとも法律の範囲内において、私はこの人を守るとっていうのが弁護士の仕事です。精神医療においてそうした仕事をするのに誰が適職なのか、私にはわかりません。ただ代理決定者あるいは代弁者――この辺りも曖昧なんですが――とされる人々が今の法律に規定される人々でありえないことは自明です。
 さきほども話がありましたけども、家族というのは最大の利害関係者です。その利害関係者は多くの場合、確かに本人のことを知り、かわいく思ったりする人でもありましょう。しかしその家族は、私よりはるかに皆さんがご存知のように、最大の被害者でもあるわけですね。本人と家族との間に利益相反というか、対立というものは起こっている。であるから、家族が本人をどうにかしてほしいということが起こりうるわけです。というか、毎日いくらでも起こっているわけです。その時に本人を代理する人間として家族というものが指定されるということは、論理的にありえないことです。そのことが自明のこととして言えるわけです。
 私は今回の自由民主党の憲法草案を肯定するものではまったくありませんけども、そんなことと別に、家族が大切だとしても、家族が代理せよというきまりによって起こることはその大切にせよということと反対のことです。これは自明です。本人が嫌だということを家族が決める。そこで起こることは家族と本人の対立に決まってるわけです。決まっているから、強制ということが起こるわけです。それは美しい家族が大切だとして、その家族を維持する方向に働くでしょうか。そのことはあり得ないわけです。対立を生じさせ、対立を深めさせ、亀裂を生じさせ、亀裂を深めさせることにしかならない。したがって、それを行うのは少なくとも家族ではありません。
 では代わりに誰なのか。その時に、私は、なるだけ私たちはやりたくないよね、代わりに誰にやってもらおうか、という感じで考えた方が、楽だし、よいと思う。実際には、▽0024 現場現場でそういったことを、そんな権限が自分にあるのかなと思いながら引き受けて、しょうがないなと思ったり、忸怩たるものを抱えたり残したりしながらやっていくわけだけれども、それは本当は俺たちの仕事じゃないよねって、じゃあ代わりに誰がいるんだろうって、それは誰かに考えてもらうとか、自分たちで考えるとか、そういうふうに考えてもらいたいと思うわけです。誰が決めがたいことを決めるのか、誰がそれに対抗して本人を弁護する側に立つのかということです。
 これは精神障害の人たちに限らず、例えば知的障害、発達障害と括られている人たちにとっての大きな課題でもあります。昨日まで韓国の障害者運動、障害者政策に関わる人たちに来ていただいて、私どものセンター(生存学研究センター)でシンポジウムがあったんです。その時、来年はこれだねって言ったのが、韓国でもどこの国でもそうだと思うんですけども、所謂成年後見の制度というのをどういうかたちのものにしていくか、変えていくかということです。
 今の状態は絶対よくない。ここまでははっきりしてるわけですね。じゃあ代わりにどういうあり方がありなのか。今、韓国の人たちも模索している。では私たちに決定的に具体的な解があるかというと、やはりない。だからこそ来年はこれをテーマに話し合おうということです。
 そういうテーマがあります。そういう意味で話はこれからなんですが、しかしながら今の制度に対して、さらにそれがもっと変なふうに変えられるならその制度に対して、具体的に具体的に反対できる、反対すべきということはあるわけです。こういったこと言うと、常に代案を示せという脅迫に我々は晒されるわけです。けれども、より良い案を考えるというのは大切なことと思いますが、そして私自身それを仕事にしているつもりですけれども、ただ止めるということも差し当たっては大事なことであると。それは具体的にいくつか申し上げられると思い、それを今日いくつか申し上げました。

■再度、継承の仕方について

 そんなに言いたいことはたくさんないわけで、これからは繰り返しモードになりますけれども。申し上げたことをいくつか繰り返したりしながら、残りの時間を使わせていただきます。
 地域へというのは誰も不思議がらない、当たり前のことになっている。しかし現実において行われてきたことは何かです。これも1960年代、もっとさかのぼれば50年代か▽0025 ら始まっている、地域へ地域へという掛け声はですね。具体的には「生活臨床」とか呼ばれた、群馬大学のグループが群馬大学で始めたとか信州で始めたとか、いろいろなエピソードがあるわけです。そういうことはずっと珍しいことでも何でもない。で、真面目だと思う人たちが真面目にやってきた。ではそれはみな、地域へ、というそのことによって正当化されるのかということ、それは違うだろうということです。このことはきちんと強調しなかったように思いますから、ここでまず確認しておきます。
 そして、地域移行というときにその「地域」というところで何が行なわれるのかも大切なんですが、ここでは病院の側を見ていくと、何がそこで起こったかです。病院の中での分化、人を分け、別れさせていくこと、そこの中での階層化、それによるコントロールであったと。それが同じ敷地に別の建物として建ってようが、別の敷地で同じ法人が経営しようが、起こることは同じことである。これは50年60年の歴史が証明していることなんですね。ですから、そこからは病院は身を引く。病院には身を引かせる。身を引きたくない、大きな、お金もいっぱいある組織はこの(精従懇という)組織には加盟してないようですけれども。しかしながら、皆さんにしてもですね。そこそこの数はいて、現場の仕事を担っているわけだから、それなりの力を政治に対して行使するということは、本来はできるはずです。それはきちんと考えて、どういう自分たちの身の引き方があるのか、あるいは他人への渡し方というのがあるのか、それを渡す相手は誰なのか、そういう人たちに仕事をしてもらうやり方は何なのか、それを考える、考えてもらう。
 具体的にはなかなか難しいかもしれないけども。そしてここでも注意深くある必要があります。これも歴史を紐解けばわかることですけれども。家族会とか作業所とか、そういうものに関して言えば、それもたいへんありがたいと、ぜひ頑張ってほしいといったことは、今度の私が書いた本の中で批判の槍玉に上がっている人たちが、やっぱり40年、50年言ってきたことであるわけです。自分たちと別の受け皿、セルフヘルプグループも含めて、渡すところは渡す、投げるところは投げるということをやってきた。
 それが実質的に何を意味したか、どうだったのかということも考えてほしいわけです。精神病院で自分たちがやっている仕事は精神科特例とかいろいろあって仕事も厳しいでしょう。お金もたいしたことないかもしれない。だけれども、そこにあった仕事の一部を、家族会とか作業所に外注するというか、渡した時、その人たちがそれを商売として仕事としてやっていけるか。そうではないわけですね。そういう構造を温存したまま引き渡しということはまずいわけです。
 せめて自分たちのもらっている金と同じだけの金を誰が受け取ることになるかわかり▽0026 ませんけれども、それをきちんと仕事を担う組織に、人々に、渡していく。もちろんそれは医療機関が渡すということではないです。だったらそれは、医療機関がそうした組織を支配しているというにしかなりませんから。まともな制度のもとで、そうした組織にじかに金が渡るような形にしていく必要があります。そうしたことを具体的に考える必要があります。
 さきほど精従懇の提言の文章を見せていただきましたけれども、「私たちの目標」というので「共生できる社会の実現」というのは、今はなんのインパクトもないというか、ありとあらゆる人がいいって頷くそういうスローガンですね。
 二つ目の「★」は、業界的には非常によくわかる話です。その通りだと思います。ぼくも反対はしません。ですけれども、基本的に内向けなんですね。誰も反対しない正しいことをいいつつ、自分たちの自分たちの仕事をキープしようと。キープしようというか仕事の条件を良くしようと。仕事の条件を良くすることはとても大切なことで、大切なことだと思いますけれども。それと同時に社会に対して自分たちの仕事というのはここまでだと、その範囲はきちんとやると、それ以外のところは税金使ってもらって他の人にやってもらいますとということを、ちゃんと考えてアピールすべきだと私は思います。
 そしてその方が、皆さんが今抱えている様々なオーバーワーク、心労というものをいくらか減らして、楽になれる道だと僕は思うんです。何でもかんでも自分のところに取り込まざるを得ない。そうやって取り組まざるを得ない中で、本当に70年代の人たちはみずからも病みながら倒れていったこともあったわけですけれども。例えは藤澤敏雄さんという方はそういう方だったんじゃないでしょうか。
 そして僕はそういう人たちに敬意を払うことはやぶさではありませんけれども、しかしそういう、悲しいまじめにやる人ほど倒れていく、そういう構造というものを変えていくことをやらなければいけない。
 それは一つに、場所の問題、生活に関わる「管轄」の問題だと言いました。病院は移行の場を自分のもとに置くことからきっぱりと引くべきだと申し上げました。
 そしてそれと完全に連続して、私はあえて二度申し上げますけれども、一切の強制というものをこの業界から取り払うということに関して、私はすべきだとは正直言えないってことを申し上げました。しかし、というかだからというか、それは極めて危険な行為です。なぜならば、さきほど言いましたように、精神医療の中には本人の苦しみを軽減するという契機とともに、具体的に現実的に、かつてはそれとの区別もつかないように社会を守り、そして人を社会に適応させるという契機が混在し▽0027 ているわけです。それを分け始めた造反派はまっとうだったというのはさきの話ですけども、現実には混在しているわけですね。そういった中で現実に強制も行われる。つまり本人のためでなく、他の人々のためにその人々の社会のためにそれが行われるということは、常に現実的な可能性として、そして現実そのものとして、我々の社会にすでにあるわけです。
 とすれば、であるからこそ、そのことから護る仕組み・きまりが必要であり、本人のために、役割としても腹を決めた人間としてその本人のために動くという人間たちというものをどうかして社会の中に位置付けなければならないと申し上げました。そして、それは家族ではあり得ないということも自明のこととして言えるだろうと思います。
 家族と本人が言い争っていて、その中でどう取り持てばいいのかという、これは答えのないような厄介な問題ですよ。そういった中で現場にいる方々は苦労されているんだと思います。そういう苦労は何をやっても、どんな制度を作っても無くならないとは思います。100%この世から消え去るということはないんだと思います。しかし、なくてもよい対立、減らすことができる対立を生じさせるような制度に反対することはできるはずです。本人への強制を認める人、同時に本人を支持する人を、そしてその人がいる場所を考えることです。
 多職種関連系という言葉も、今は誰もびっくりしないわけですよね。誰でも言うことなんですよね。医者が言ったことに対して他の人たちが同意するという体制だったけれども、そうではなくてみなが、と言われる。それはそれでけっこうです。ですが、本人を代理することに決めてかかっている人というのは、連携なんかしてはいけないわけです。連携したらまずいわけです。
 最終的には相手の意に反したことするかどうかを決めざるを得ないという人はいざるをえないと思います。しかしそのために、錯乱してたり混乱してたりする状況の人の代弁をする。代弁することに決める人、決めてる人というのがいる。そしてその人は、本人に対して医療行為という権力を行使する人間ではないということです。そういうあたりから話を組み立てていくべきだということです。
 私は、そうしたことが、過去の先人たちが苦闘したあげくにそんなにはうまくいかなかった、この40年の引き継ぎ方であり、そこの中で、倒れて行かれた、医療者も含む方々の苦闘というか営みというかそう言ったものの継承のしかただろうと思います。その人たちのようにまじめにやるほど苦しむという状態からどうやって脱するのかというふうに問いを立ててほしい。そこから、苦しみから完全に脱することはできはしない。脱するべきではないとさえ言えるのだろうと思います。ただ、忙しい忙しいとこぼしているんであれば、しんどいしんどいとこぼしているんであれば、どうやってそこから身を離すか。例えば敵になる人を作ってしまえばいいわけです、場合によったら。▽0028
 というようなことを考えていただきたいと私は思っております。ということで具体的に法律の何条にどうとかってことは今日一切しませんでしたけども、ものを考える構えといいいますか、そういったことについて私がこの間思ってきたことでもあり、今度の本を書きながら改めて思ったことを申し上げました。ということでお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。


UP:20140217 REV:20142019, 1021 
『精神医療』  ◇立岩 真也 
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