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この約10年の簡略な紹介

手伝いながら研究する

立岩 真也 2013/11/15
於:ソウル市
[Korean]



 以下は2009年に台湾での催しにために送った原稿です。コリア語/中国語/英語に訳されているものですのでまずそれをご覧ください。

■2009/06/20 「御挨拶」,ALS患者医療介護フォーラム,於:台北花園ホテル
 [Korean][Chinese][English]

  ※コリア語版ではコリア語版全文をここに掲載

 次の文章は、2010年、中央大学大学院での講義の一部です。家族(と社会福祉制度)のことについてごく基本的なことを述べていますので再録しました。

■2010/11/23 「本人と家族/家族と社会」,於:韓国・ソウル市・中央大学大学院
 [English][Korean]

  ※コリア語版では以下に対応するコリア語版全文をここに掲載

□障害学と家族

 「[…]実際には二つじゃなくて三つなんですよね。本人が本人の暮らしを自分で成り立たせていきなさい、これが一番です。それがだめだったら家族が面倒をみなさい、これが二番です。それでもやっぱりだめだったら社会が何か面倒をみます、そういう順番に。これは日本とか韓国とかああいうアジアの諸国だけに限らず、そういう仕掛け、仕組みになってるわけですね。
  とするとですね、さっきの二つで足りないんだとすれば、障害学、あるいは障害者運動の主張の核心っていうことは、次のようになると思います。つまり、今言った、まず個人が、でなければ家族が、でもダメだったら社会がっていう、そういう順番が正しいのか。それを問う。そしてそれが人々にとって暮らしやすいあり方なのか。それを考えていったときに、そうではない、暮らしやすくない、正しくない、そういうことを認識し、それを社会に対して訴えてきた。そういう主張だったと考えます。
  では代わりに主張されるものは何なのか。これは極めて単純な主張です。つまり、社会全体が負担ができる程度に応じて人々の生活というものを支える。これが第一に置かれるべきであると。だから個人が第一なのでも、家族が第一あるいは第二などでもないと。その方が正しいし、人々はよく生きていける。そういう主張だったと、主張であるというふうに、そういう運動だったと思うし、私自身もそのように考えてきましたし、今もそう考えています。

□それは家族を大切にすることでもある

  そういうことを言うとよく言われるのはですね、お前はその家族というものの意義とか良さというか、そういうものを否定してるのか、そういうことを言われることがあるんですが、それは全くの誤解です。
  家族は家族として、あるいはその仲のいい人は仲のいい人としてやっていくためには、今日お話した第一の話に即するのであれば、一緒に暮らすという形であれ、あるいは別れて暮らすという形であれ、過度の負担をかけることなく一定の距離感っていうものを持ちながら暮らしていく。それの方が人ひとり、一人ずつが暮らしていくときに、暮らしやすいっていうことが、今日話した第一のことから言えます。まずそれが一つですね。
  今日話した第二の話から言えばですね、家族だけが、あるいは少なくとも他の人たちよりも家族が重い負担を負うことによって、生活が苦しくなる、あるいは家族の仲の関係が悪くなっていく、すさんだものになっていくよりも、たとえば基本的な介護であるとか、あるいは所得、生活の保障というものがなされた上で、その上で家族がやっていける。そういう状態が作られた方が、その人間関係、家族関係はうまくいく。ということは、すなわちそういった社会のあり方の方が、その家族なり、そういう人間関係っていうものを大切にしているっていうことが言えるはずです。
  そしてそれは我々の研究か、あるいはここのパンフレットにあるプログラムがですね、たんに人がどうやって生きてるかを知るっていうだけじゃなくて、どういうふうに社会を組み立てていくのかっていうことを考えるときの、少なくとも私にとっての基本的な視座、スタートポイントなわけです。

□記録することの意味

  実は去年の同じ季節でしたか、ヒギョンさんと一緒に、ソウルに住んでいるアン・ヒョスクのお宅におじゃました。それが一つのきっかけになって、2010年の4月から、彼女は僕らのところの大学院生の1年生になって日本で研究を始めたんですが、そのお母さんはALSっていう神経難病にかかっていて、二人で暮らしてきたんです。そういった難病にかかると、そして状態が進行していくと、24時間必ず誰かの介護っていうものが必要になる。そうでないと生きていくことができなくなるわけです。
  そういう人たちに、家族がもう寝ないで介護する、せざるを得ない。そうでないと本人が死んでしまう、あるいは、死んでしまう前に自分でもう死ぬことを選択してしまう。そういう状況になってしまう。それはよくない。だから、そういった形ではない介護の仕掛け、システムを日本でも作ろうとしてきました。彼女はそれを今学びながら自分でも、韓国でもどうやっていったらいいのか考えてるんだろうと思います。
  それから、たとえば今年の夏であれば、そういった同じ、同じではないんですが、子どもは子どもで、たとえば、ウェルドニッヒホフマン病っていう病気・障害の子どものときから重い障害を持ってる子どもたちがいます。そういう人たちの親たちの組織「人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)」という会があって、この夏に私はその20周年の大会で講演させてもらったことがあるんですけど、そこでもやっぱり、その人たちが子どもは大切にしながら、子どもを大切にするために自分たちだけが介護をするんじゃない、そういうことを実現しようとしてきて、活動してきたわけですね。
  私たちはそういった人たち、ALSならALSの人たち、それから子どもの難病の人なら難病の人たちっていうものが、どうやってそういうことを社会に訴えていったのか、それを実現しようとしてきたのか。日本の場合で言えばこれは30年とか40年とかかかった。1970年代の半ばぐらいにそういった公的な介護を保障せよっていう運動が始まるわけです。それからもう数えると40年ぐらい経ってるわけですけれども、その40年間のあいだにそういった動きを少しずつ強くしてきた。まず私たちは、そういった人たちの努力ですね、営みというものをちゃんと記録して、そういった主張、そういった運動っていうものがあった、それに大きな意義があったということを記録し、人に伝えたいと思っていますし、そういったものに学びながら自分たちもまたどういった仕組みっていうものを作っていくのか、そういうことを考えたいと思って、そういうことをしてる。以上です。今日の話はこれで終わりです。」

補足(2013/11)

  日本では1990年代に1日24時間1年365日の公的介護保障が一部で実現されました。このことについては以下の本の第9章に掲載されています。(現在日本で出ているのは第3版ですが、韓国語版が出ている第2版でもこの章は同じです。ちなみにこの本の訳者は鄭喜慶さん([English]/[Korean])です。)
  *安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩 真也 2012/12/25 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※ ISBN 978-4-86500-002-3, 1200+60 [English]

  ただそれは全国的に実施されているものではありません。地方自治体と交渉する必要があります。私たちは京都市内の単身独居のALSの人の24時間介護を求める市との交渉に一緒に行ったことがあります。こうして京都市内では2人の人がまず24時間の公的ヘルパーを使った生活を始めました。そしてその制度でお金を提供するのは国・地方自治体ですが、実際にヘルパーを派遣したりそのヘルパーの研修事業を行なっているのは別報告でも紹介される民間の組織であり、ときにALS等の障害者・難病者の本人がその経営にあたっています。
  彼らの生活について私たちの大学院の院生・修了者である西田美紀[English])、長谷川唯[English] / [Korean])らが、その人たちの支援活動(コミュニケーションのためのスィッチの提供や、ホームヘルプサービスに関わる調整の活動、介助者養成の研修事業、等)をしつつ研究を行なっています。また上記したアン・ヒョスクさんもその活動に加わり、制度やコミュニケーション技術等に関する日韓比較研究を行なっています。やはり本研究科の院生である酒井美和さんは日本のALS協会の支部おける支援活動をしてきた方であり、介助に関わる性差の実際調査などを行なっています。そして鄭喜慶さん([English]/[Korean])は私たちの大学院で博士号を取得した後帰国、韓国ALS協会の活動にも関わっています。

■cf.立岩真也 2004/11/15 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※ [English] / [Korean]


ALS 不動の身体と息する機械


UP:20131106 REV: 
ALS  ◇立岩 真也 
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