「(新型)出生前診断」についてのコメント
立岩 真也 2013/05/04
『週刊現代』2013-18:58-60
◆伊藤様
答えをはぶいてるのもありますが、ざっと以下のようなところかと。
1日16時間×……という本の仕上げ仕事を
ずっとやってましてて時間とれずすみません。
cf.にあげるコメントとかもてきとうに
使ってもらってかまいません。立岩
cf.
http://www.arsvi.com/ts/20130026.htm
http://www.arsvi.com/ts/20121216.htm
http://www.arsvi.com/2010/121105tj.htm
http://www.arsvi.com/ts/20090078.htm
――以下――
性別を含め、望む子がほしいという気持ちは多くの人たちにあるでしょう。けれども、考えていくと、基本的に、どのような子ども=人間がが生まれてよいかよくないかを決める権利は、親にも、国家にも、誰にもないということになります。それは子を産む産まないの権利が女性にあるということとは別のことです。
そのような考えは中絶全般を認めないというカトリックの立場とは別に、世界中にあります。とくに決められたら出生前診断で生まれてこなかっただろう障害をもつ人たちがそのことを主張してきており、日本でも学会等に質問状を送ったり、働きかけてきました。今回の学会の指針が検査を限定的に認めるという内容になっているのも、そんな経緯があってのことです。「選択権」があると思っている人にとっては中途半端な指針ですが、そんな権利はないという立場からもやはり中途半端なものだと受けとめられていることはわかってもらいたいと思います。
とくに今回照準が当たっているのはダウン症の人です。これは「選別に繋がる」のではなく、明確な「選別」です。もっともこの診断だけでは確定せず、さらに診断を受けることになりますが、いずれにせよ選別するつもりがあるから受けることには間違いありません。そこをごまかすのはやめた方がよい、検査の結果で迷ったりすることがありそうなら受けない方がよい、そう思います。
不妊治療については、助成をするしない以前に、年齢が高くなるにつれて成功率が低くなるというだけでなく、全体として高くないこと、そのための負担が、金銭以外にも、時間的・身体的にも相当重いものであることを知っておいた方がよい。可能性がある限りいつまでもがんばる、というのはやめた方がいいです。出生率とか出産の高齢化といった問題自体は世間で言われているほどたいした問題ではない。産みたいのに育てるのがたいへんだから産めないという状態を変えれば、出生率や人口は全体として落ち着くところに落ち着くでしょう。それで問題ない。政府はそれ以上のことをするべきではない。