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精神医療についての本の準備・3

連載・90

立岩 真也 20130601 『現代思想』41-8(2013-6):18-28


 →本(のための資料)

□二つ(へ)の分かれ方
 「造反派」(とここでは呼ぶ)にもそうほめられないところはあるとして、造反された側が、「反精神医学」として罵倒するほどにはひどいものでない。ましなことも言われなされた。なにより、結局、私はもっと〈反精神医学〉は行けると思う。書かれたもの(のかなり)を見るといらいらしてくる。そう言おうと思っているのだと思う。ただ、それ以前に、忘却の彼方に消えつつある、あるいは既にほぼ消え去っている過去について書くことを続ける。(引用は仕方なく可能な限り削る。もっと長い引用はHPにある。)
 造反派は生活療法を批判したのだが、その構図はすこしだけややこしい。造反された側がそれを護持したかといえばそうではない。生活療法は国立武蔵診療所で小林八郎らによって始められたことになっており、それ以前にもそれにつながる営みは松沢病院等にあった。造反された(そして「改革派」であった)秋元波留夫は金沢大学(一九四一〜五八年)から東京大学へ(五八〜六六)、教授定年退職後武蔵診療所所長(六六〜七七)、そして松沢病院院長(七九〜八三)を務めた人だが、武蔵診療所所長の時生活療法の廃止を宣する。後にみる小林を批判する文章もある。
 そして秋元の後の場の教授を務めた臺(うてな)弘は、その第一人者であった広瀬貞雄☆01によるロボトミー手術の際に切り出された(本来手術で切り取られるところとは別の)部位を、(かなり)以前に実験に用いたことを告発される人だが、そうした生理学的研究もしつつ、生活療法と隣接しながらそれを批判して起こった部分もあるとされる「生活臨床」を群馬大学在任時に始めた人でもある。そして生活療法の歴史と現状の問題を言いつつ、かなり後になって、よりよい生活療法を主張する文章をまた書くといったこともする。
 この人たちが造反派の人たちから批判・非難されたのだが、その造反側にはそうした人たちと同じ場で働いたり研究したことのある人もいる。造反に共感した浜田晋は臺から東大に呼ばれたし、これから記す藤沢敏雄は秋元から武蔵診療所に呼ばれた。狭い世界だからと言えばそれまでのことだが、対立・分岐の構図は最初からははっきりしていない。それが、六九年の時点では、すでに分かれているものは分かれている。少なくともそう回想される。それだけのことでもその騒動はなにがしかのことだったと言えるかもしれない。
 「造反派」――騒動・造反を始めた人ではないが、それに同調した人であり、その後の厄介ごとを引き受けた人である――で、生活療法を批判する一番長い著作『精神医療と社会』(藤沢[1982]、増補版が藤沢[1998])の著者である藤沢は次のように記していた。
[…]

□武蔵診療所(における藤沢の不平)

[…]

□秋元の理屈


[…]


cf.立岩 真也 2008/09/01 「集積について――身体の現代・3」,『みすず』50-9(2008-9 no.564):48-57 資料,

 「主題が決まっている場合にはそんなふうに仕事を進めていくことができる。ただ、今あるのは、その社会にあったことの全般が、とても普通の意味で、知られていない、忘れられているという事態でもある。
 例えば、関東圏の大学に籍を置く大学院生で精神医療のことを調べようという人と、数年前にすこし話をしたことがある。その人は、『精神の管理社会をどう超えるか?』(杉村他編訳[2000])を読んで、ガタリやフランスの精神病院のこと――でその本に書いてあること――を知っていたりするのだが、この国に起こってきたここ数十年のことは――その本の中にも三脇[2000]が収録されているのだが――まったくごくおおまかにも、知らないのだった。そんなにすばらしいことがその時期にあったとは思わない。それでも、なにも知らないのはあまりよくないことだと思った。そのように思うことがよくある☆05。」

三脇 康生 2000 「精神医療の再政治化のために」、杉村他編訳[2000:131-217]
杉村 昌昭・三脇 康生・村澤 真保呂 編訳 2000 『精神の管理社会をどう超えるか?――制度論的精神療法の現場から』、松籟社


UP:20130526 REV: 
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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