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これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う

立岩 真也 2013 有吉 玲子[2013]


有吉 玲子 20131114 『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』,生活書院,336p. 3200+160 ISBN-10: 4865000178 ISBN-13: 978-4865000177 [amazon][kinokuniya] ※ a03. h.

『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙

いきさつ
 序章に記されるように、筆者は、京都市内の人工透析を行なうクリニックで長いこと働いてきた看護師であり、私が勤める大学院に二〇〇六年度に入学し、二〇一一年度に博士号を取得した。毎日仕事しながら六年でだから、私たちの「相場」としてはずいぶん集中的に研究されたことになる。たしか当初は、透析して暮らす人の日常世界といったものを対象にしようとも考えていらしたのだが、ただ、そんな人たちはなにせたくさんいるから、なんとはなしでもイメージはつかめるところがあって、それを論文にしていくのは意外と難しいのではなかろうかということにだんだんとなったのだと思う。そして筆者は当初から、透析の今後についてそんなに楽観できないという感触を現場に長くいてもっていた。獲得されたものがこれからはそのままでは行かない兆候が見えていた。とするとそれはどのように獲得されたのか。そうした経緯を調べることになった。
 私が大学院のMLに配信したメールのすべてはHPに保存され見られるようになっているのだが(→HP「生存学」表紙→「eMAILs」)、そんなものを振り返ってみてみると、(私がなんとなく思っていたのと違い)筆者がそういう方向でいくことになったのは、こちらに入学された後、わりあい早い時期であったようだ。

 「[…こちらのHPの頁をいろいろと紹介…]とみてくると、「日常」を明らかにするというの(社会学の人がよくやる方向)は、意外と難しいかもしれず、かえって、医療経済とか、生活習慣病予防とか、そういう「政治」「経済」的なところから、(透析はお金がかかるから、予防で対処とか、途中でやめましょ、とか…)まずはざっとお勉強していくとけっこういろいろ出てきそうな気がします。難しそうに思うかもしれませんが、たぶんこっちの方がじつは楽で、かつおもしろい話ができるだろうと(私は)思います。/あと、昨年から腎臓病の全国組織から機関誌が送られてきていることをいま思い出しました。/以上とりあえず。立岩」(「透析/糖尿病」、2006年6月23日 http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2219

 「有吉さんどうも。
 > 透析患者さんの冊子(全国腎臓病協会が出しているもの)の最初の分からのつづり(1972年からの分です)をお借りすることができました。
 これはよい資料だと思います。私の知りあいの知り合いという人が全腎協の事務局員をしているので、そちらを介していろいろ集めたり、話をうかがったりすることもできるとも思います。最近の機関誌は送ってもらっています。
 こないだの研究会(BAS)でアルビノについての報告をされた矢吹さんが、アルビノは金もかからないし、命にもかかわらないから研究するのが難しいとおっしゃってましたが、至言であると思いました。
 ひじょうにあざとい言い方になりますが、金そして/あるいは命にかかわる主題は楽で、おもしろいところがあります。(もちろん、同時に、ひじょうに、暗く、滅入る話でもあります。透析をめぐるもろもろはほんとにそういうことのようです。)
 調査・研究することがたくさんあり、その結果を示す意味・意義もあります。それに比して、直接に金にも命にもかかわらない主題は調理法が難しいわけです。(やってはいけないということではけっしてなくて、難しいということであって、うまくいったら、えらい、拍手ということになります。)」(「「金そして/あるいは命」系」、2006年7月5日 http://www.arsvi.com/0r/2006p4.htm#2294、BASはBody and Society 研究会(現在休止中)、矢吹さんは矢吹康夫さん)

 その後は、たまたま手にした文献で関連する記述を見つけたらお知らせしたりした。(こういう研究ではそれは意外と大切だ。腎臓とか透析とかタイトルにない本になにか書いてあることがある。これは一人ではなかなか見つからない。皆があの人はこんな研究をしていると知っていると、たまたま関連する記述を見かけた時に、それを知らせることができる。)それから、HP上で年表を作ること、ただたんに項目を並べるだけではなく、文献からの引用等、中身をできるだけ書き込んだファイルを作って増補していくことを勧めた(それは現在もある→「生存学」→http://www.arsvi.com/→「人工透析」等で検索)。私がしたのはそんなことだけだった。例えば以下

 「http://www.arsvi.com/b2000/0106nk.htm
 に透析関連の文章ありました。短いですが。この本、たぶん火曜に資料室においときます。[…]/あと短くですが宮崎県立病院人工透析拒否訴訟についての言及もあり。統合失調症の人が透析を拒否されて、という事件です。文献いくつかあります。
 http://www.arsvi.com/d/a03.htm
の1991〜1992年あたり[…](そろそろファイル分割した方がよいようですね[…])
 これについて、有吉さんでなくても、1月あれば、そう苦労せず有意義な論文書けると思います。誰かやるとよいと思いますが。相談に応じます。 立岩」(「透析関係」、2007年11月24日 http://www.arsvi.com/0r/2007p7.htm#5924

あとは本を
 そして筆者は調べられるだけのことを子細に調べた。文献を探して読むだけでなく会うべき人に会った。そしてまとめた。結果、本書は圧倒的である。
 ごく基本的なこととして、かつて腎臓病の人達たちが金を払えず死んでいったことがあることをどのぐらいの人が知っているだろうか。私は、著者が書くものから長く教えられてきたので、自分で知っていたつもりのことと著者から教えられたことと区別がつかなくなっているのだが、自己負担が大きくて、たいへんだった時期があったこと、けれども本人たちの組織の活動があり、加えて新聞のキャンペーンもあって、本人のお金がかからなくなって、透析を受けられるようになったといった程度のことは聞いて知っていたのかもしれない。ただせいぜいそんなものだった。本書に書かれているほとんどについて知らなかった。
 もちろん私たちがまず驚くのは、一九六〇年代から七〇年代の、とくに「更生医療」といった策の手前の状況であり、それを動かそうとし、動かしてきた人たちの動きだが、それについてここで加えることは何もない。その記述の厚さゆえ、一度に読み通すのは難しいかもしれないが、疲れたらいったん休んで、何度でも、読んだ次のところから読み始めてもらったらよいと思う。
 そして、公費負担と一言で括れば括れるその仕組みの全体の形成と変容が、すくなくとも私は、初めてわかった。そしてこれはたんに複雑な制度であった・あるというだけのことでなく、その仕組みがわかることによって、言えることが出てくるはずなのだ。このことについては少し後で記す。
 ここではいくらか周辺的なことについて。例えばハンセン病や結核の療養者たちの先駆的な運動があってその影響があったということ。これらの運動が日本で先駆的であったことは私も記したことがあるが、それが腎臓病の人たちの組織・運動にもつながっていたことは初めて知った。その人たちは不当・不幸にも定まった場所に集められ、そこで暮らした。そこに共通の利害や集合的な行動が現われた。そしてそこには政党も絡んでいる。例えば「日患同盟」は朝日訴訟に関わったことでも知られる組織だが、日本共産党系ということになるだろう。私自身はそちらとは別系列の(むしろそちらとは仲のよくなかった)運動のことを知ったり書いたりしてきたけれども、それと別に役割を果たしてきたものが事実あったことをもちろん否定するものではない。そのあたりの分かれ方や陣の構え方をきちんとみておく必要はあると思う。すると、朝日訴訟が最初に置かれるような教科書や本も――「患者運動」で検索すると出てくるのは今でも長宏氏の『患者運動』(勁草書房、1978)だけのようだ――それはそれで「一つ」の流れを汲むものとして見ることができるようにもなる。
 そしてその時代は、国会の答弁で大臣が、堂々と、「結核でありますとか、あるいは精神病患者、さらにはまた、らい病のように、何といいますか、反社会的な要素をおびておるもの」(◇頁)などと言われる時代であるとともに、「社会主義(的)」なものが大嫌いだったことで有名な日本医師会会長・武見太郎が、これは公費でまかなって当然だといったことを言っていたり(◇頁)、たしかに「厚労族」ではあり、業界のことをよく知っていた人ではあるだろう――そして総理大臣を少しの間務めたこともある――橋本龍太郎もそれなりにまっとうな質問をしていたりする(◇頁)。そして「革新自治体」がそれなりの役割を果たしもした――ただ同時に施設に文句を言う人たちや精神病院を問題にした人たちはそこからも除外されたのでもあった(きわめてわずかに言及しているだけだが、前者について安積純子他『生の技法』(第3版、2012、生活書院)、後者について立岩『精神医療 造反有理』(2013、青土社)。そうした時代をどう見るか。  そして、それでもその時、いったん、ともかく福祉や医療は進められるべきものとされた。それがそんなに長くない間に風向きが変わったように思える。それはどうしてか。やってみたら大きな金がかかったからだというのは一つの答ではあるだろう。ただそれだけのことか。それらがつまりは何だったのか、考えるだけのものを私たちはもっているだろうか。それは過去において現在だったから、知っているつもりでいる人もいる。しかし実際にはたくさんのことが単純にもう知られていない。そしてこれから考えてみるべきことがある。
 本書は、腎臓疾患・障害の人たちについての本だが、それだけではない。様々を考えるための手立てを与えてくれる。例えば「難病」のこと。腎臓病・人工透析はこの範疇に入れられなかったから、それは本書の中心的な主題からは外れるのかもしれない。しかし、当時様々が捻り出された、複数の制度、制度の利用・解釈・改釈の一部として置かれた難病対策についての本書の記述にしても、その記述よりも詳しい研究がなされているか、どれだけなされているかということである。これはこれで本格的になされるべきである。そしてそれは、透析に関わる危機を感じて本書が書かれように、「難病」政策の再編がなされようとしている現在、必要なことである。
 さらに細かなことでは、『読売新聞』がこの問題を取り上げたという話は聞いていたような気がするが、掲載されたのは大阪本社版(だけ)であったこと。東京と大阪は別会社で、給料も違うのだといったことを、読売の大阪の、医療・福祉関係で腕利きの記者をやってきた原昌平さんに聞いたことはあるのだが、単純に、すこし、驚いた。そしてこの領域で一番活躍してきた(私とほぼ同年代の)原さんも、彼にうかがった時の私の記憶が正しければ、読売大阪独自のキャンペーン記事のことを御存知でないとのことだった。『朝日新聞』の大熊一夫の連載とそれが『ルポ精神病棟』という本になったこと、それが相当に影響力があったことは、いちおう今でも書かれている。さらに少数の書き物では、そのすこし前(まで)の『朝日』の記事が、大勢としては「野放し批判」であったことも書かれてはいる。だが透析についてはどうか。報道はどのようになされ、どう影響し、そしてやはりそう時間をおかず、どのように変化していったのか。しかしその前に、あったことに、そして変化自体に気づかれていないといった具合なのだ。

お金のこと
 さてなんといってもこれは金の話、ではある。透析に大きな額の金がかかっているのはたしかだし、それは否定できない。本書で示されるように、価格設定には様々な力が働いている。政策的な誘導がなされてきた。一時期は出しすぎたと評価することもできるだろう。ただいずれにせよ金はかかったし、これからもかかる。それをどう考えるか。
 過剰であっても無害であるならそれ自体はさほど気にすることはない、問題は患者に加害的な行ないがなされる場合であると、そして、「資源」の問題は本当はそんなに深刻な問題ではないと述べてきた。短く繰り返すと以下のようになる(詳しくは立岩『良い死』(筑摩書房、2008)第3章「犠牲と不足について」)。
 例えば比較とはどんなことであるか考えみてほしいのだ。たしかにとても大切なことである透析と移殖の場合のQOLのこと(こちらは得られるもの、その質ということになる)をいったんおいて、このごろ(というかだいぶ前から)流行であるように、コストのことだけを考えよう。臓器は売買してならないことになっている。ならばそれ(腎臓そのもの)に金がかからないのは自明のことである。しかしそこに「負担」は発生していないだろうか。そんなことはない。そんなあたりまえのことからものごとは考える必要がある(が、どうやらほぼ考えられていない)。本書はそのことを教えてくれる。
 ではどう考えたらよいのか。ここではお金に換算できる部分だけに限る。たとえば何か(たとえば透析)がGNPの何%かを占めることは問題にされるのだが、他方でGNPが増えることはよいことだとされたりする。どういうことになっているのかである。
 増えるとは、おおざっぱには消費が増えるということであり、それにともなって生産が増えるということであり、(多くの場合)労働が増えるということである。他に生産のために使用される原料が増え、廃棄物も増えるということである。地球上の資源や廃棄物のことはきっと大切なことだが、この場合はそれほどであるとは思えず、ここでは略してよいとしよう。人が求めるものが得られ使われることが消費であり、消費は、それだけをとればよいことである。言葉の定義からそうなるのだが、そんな形式的なことを言わずとも人工透析・人工腎臓で生きられるのは当然によいことである。
 すると残るのは人、人の労働になる。筆者もその一員であるところの医療者たちがこの仕事に携わっている。その仕事のためにとてもたくさんの人がいりようで、米が作れないとか、魚がとれないとかそんなことにでもなったらそれは大変そうだと思う。だが、失業が存在するこの社会でそんなことは起こらない。ならばなんの問題もない。
 大略そういうことになる。だが、しかし、という感じを、私も含めて、多くの人はいだくだろう。給料のいくらかの部分を医療保険料として払い、そのいくらかの部分が透析に使われるとなると、もったいない感じがする。そのことと前の段落までに述べたこと――それ自体はまちがってないはずだ――とどう辻褄があうのか。その上でさらに、わかりやすくどう伝えるか。
 それはまたの課題としよう。ただ、自らの所得のうち自分で消費できたかもしれないものの一部が――金を使って消費できるのは人間だから――機械や薬…を作ったり使ったりする人たちに渡って、その人たちがその分を消費する。ここまではまず言える。それはいかほどか。第1章2節「人工腎臓にかかる費用」で引用されている数値では1兆4千億ほどで、GDPでもGNPでも、だいたいその300〜350分の1といったところだろう。たいした額ではない。それで約30万人が生きていられる。そして個々人にとって300〜350分の1というのは1人あたま同じ負担でという場合である。その負担のあり方より別の負担の仕方がよいというのであれば、例えば多く収入のある人は多く負担するのがよいと考えるのであれば、皆がその割合になることにはならない。もっと少ない負担でよい人も多くいることになる。これは、一方で、たしかに透析のために人が働く、その人が暮らせる分を他の人たちが贈与しているということ、他方で、もしその職が不要なら、どうせ生活保護といった形で贈与することになること、いずれにせよそれはそうたいしたものではないはずだということの両方をまず説明する。
 そのうえで、より多い負担感が(一部には)ある、大変だと思う人たちがいるとすれば、それはどこから来ているのか。そのことが実は本書で描かれている。「公費負担」とされるものは単純な仕組みのものではない。腎臓病を障害だとして(その把握自体は十分に可能であり妥当でもある)「更生医療」にもっていった、さらに加えて「高額医療費療法制度」の創出、というのは、苦肉の策でもあるが、ありうる策でもあった。その時点で実現可能な策という点では「賢明」だったと言えるかもしれない。ただ、それは、私は本書ではじめて仕組みの全体がようやくわかったのだが、自己負担分の負担であって、多くは(かつては今よりさらに分立していた)(公的)医療保険の保険者(支払い側)、自治体にかかるようになっていたし、今も大きくはそうなっている。そのような仕組みになっていることによって局所的に負担感が、というよりは現実の負担が大きくなることはある。とすれば変えるべき方向も見えてくるはずだ。
 最後に一つ加えておく。2004年に『ALS』(医学書院)という本を書いた時、人工呼吸器のことを、著者が人工透析について調べたのに比べればはるかにいいかげんにだが、すこし調べてみたことがあった。それで引用した一つ(p.187)。

 「一九五二年におけるコペンハーゲンにおけるポリオの[…]呼吸麻痺に対する治療としては気管切開をした後、気管カニューレを介して手でバッグをおして人工呼吸を行ったのであるが、バッグをおす人があまりにも多く必要だったので、デンマークの医科大学の殆んどの学生を必要とする程であった。/このためポリオによる死亡率は八〇%から二五%までに低下したが、これが契機となってヨーロッパ各地では人に代る人工呼吸器の開発に迫られたのである。/かくして[…]」(山村秀夫「人工呼吸器の歴史」、天羽敬祐編『機械的人工呼吸』、真興交易医書出版部、1991、p.7)

 そこでは何の解説もせず引用だけしたのだが、私はこれを読んでいささか感動してそれで引用したのだ。つまり――むろん腎臓の機能の代替についてはこの手は使えないのではあるが、呼吸については――「人力」でもなんとかなった、なんとかした時期があったということである。なんとかなった。機械を使えばもっとずっと楽だ。なのに、どうのこうの言っている。それはいったいなんなのだ。そんなことを私たちは思うことになる。思うことができる。そのための十分な材料を私たちは本書から得ることができる。

■cf.

◆立岩 真也 2013/12/** 「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う・3――連載:予告&補遺・28」 ,生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html
◆立岩 真也 2013/12/09 「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う・2――連載:予告&補遺・27」,生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html
◆立岩 真也 2013/12/02 「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う・1――連載:予告&補遺・26」,生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html
◆立岩 真也 22013/11/14 「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う」,有吉[2013] (この文章)


UP:20131208 REV:20131209, 11
有吉 玲子  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也
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