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良い死/唯の生

立岩 真也 2013/11/01
『三色旗』788:37-41(慶應義塾大学通信教育部)
http://www.tsushin.keio.ac.jp/students/letter/index.shtml
慶應義塾大学通信教育部:http://www.tsushin.keio.ac.jp/


◆2013/11/01 「良い死/唯の生」
 『三色旗』788:37-41(慶應義塾大学通信教育部)
◆2013/12/01 「生の技法/生の条件」
 『三色旗』789:(慶應義塾大学通信教育部)
◆2014/01/01 「生の歴史」
 『三色旗』790:(慶應義塾大学通信教育部)

 『良い死』『唯の生』は、拙著(ともに筑摩書房、2008年、2009年)のタイトルで、この2冊はいずれも安楽死とか尊厳死とか呼ばれているものについて考えた本ということになる。(その後もう1冊、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』という本を有馬斉との共著で出してもらった――生活書院、2012年)。この主題についてはそれらをまず読んでいただくのがよいと思う。また、私たちが運営しているウェブサイト(「生存学」で検索してください→最初に出てきます:http://www.arsvi.com/)に様々な情報があるので、それをご覧いただきたい。)
 さて、そうした具体的な話題から始めた方がよいように思ったので、私が担当した3回の第1回はそんなタイトルになっている。ただ、結局、話は最初から始めるしかないと考えたのだと思う。人は自分で死ぬことができなくなって、他人に死を依頼する。「できない」ということが大きな意味をもっているらしい。そのことをどう考える。
 「できる/できない」ことと社会、社会の中の人間の位置を考えることが、私がやってきたことであり、まだやっていることだ。できる/できないに応じて、生産がなされる/なされない。その生産物を生産者が、できる人が、とれる。それが――現実にどれほど実現されているかはともかくとして――この社会(近代社会)の基本的なきまり、所有についての基本的なきまりである。そして、できる/できないが人の価値を表わす。これがこの社会の基本的な価値である。
 それは正しいとされる。身分等生まれながらの属性…によって差別する(異なった扱いをする)のは差別(差異を理由にしたよくない扱い)だが、能力による差別は差別ではないというのである。それは正しいか。正しくない。と、私は思った。しかし、この社会や、それを牽引し代表する人や人の言葉はそれが正しいと言う。それはジョン・ロックといった人たちから、カント、ヘーゲルといった著名な哲学者から、20世紀の政治哲学者、ロバート・ノージックといった人、そして、それより平等主義的なリベラル派の思想にも受け継がれている。生命倫理学といった学の主流の考え方の中にもある。どうしてそうなるのか。どこで見方の違いが出てくるのか。それは、私が思うに、社会科学の最初に、それについて話す話のはじめに、あるべき話だと思う。それでその話をした。
 その説明は、そんなに複雑ではないのだが、それでも長くなる。ここでそれを短くまとめても仕方がなかろうと思う。読んでもらえばわかるようにと、本がある。『私的所有論』という題になっている。1997年に勁草書房から出版されている。ただそれは値段がとても高い本だった(6000円+税)。これでは授業に使うのには無理がある。そこで文庫本にしてもらおうと思った。ただその本が出てからもう15年以上たっている。そのまま文庫版にして出するのも芸がないかなと思った。そこで、註に書き加える仕事と、「補章」を2つ――「ごく単純な基本・確かに不確かな境界」と「いきさつ・それから」――足す仕事をした。その結果、授業にはまにあわず、出版は、2013年の5月になってしまった(生活書院・刊)。そして(最初は2分冊はやむをえないかと思っていたところ、なんとか1冊におさまってくれたのではあるが)973頁という厚い本になった。値段も1800円(+税)と文庫本としては高い、けれども、初版の3分の1以下の値段になっている。手にとっていただければと思う。
 以上についてばその本の第1章「私的所有という主題」、第2章「私的所有の無根拠と根拠」、第8章「能力主義を肯定する能力主義の否定」という順番で読んでもらうのがよいと思う。そこには今記した問いと、それに対する答が記してある。そして、正しい/正しくないと別に、私は私の身体を事実動かすことができるといった単純な事実と、楽をしたい得をしたいといったなかなかに否定しがたい私たちの欲求を前提すると、「能力主義」的な所有のあり方が生じてしまうことを述べている。ではどうするか。それは3回の講義では、第3回目に述べた。『私的所有論』では第8章に基本的なことが書いてある。
 もう一冊、もっととっつきやすいわかりやすい本を、ということで、というか、そんなシリーズ「よりみちパン!セ」の一冊として出してもらった本がある。『人間の条件――そんなものない』(イースト・プレス、2010年、1500円+税)という、総ルビ付き、イラスト(作:100%ORANGE/及川賢治)入りというものである。むろん、ルビが付いていてイラストがあればわかりやすくなるというものではないが、それでも、私としては、これ以上は無理というものを書いた。これはこれで読んでいただければと。最初のほうに次のような言い訳が書いてある。

 「歌うならともかく、字を書くなら、退屈でも、長くなっても、順番どおりに書こうと思ってきた。それで、まわりくどいとか、ぐねぐねしているとか、私の書きものの評判はさんざんなのだ。けれどもそれは仕方がないと居直ることにした。短く言えることや言葉もいらないようなことは清志郎のような人に歌ってもらったらよい。私(たち)はそのずっと後にいて、退屈な、でも必要だとは思う仕事をする。そういうことだろうと思う。
 それでもこの本を、今までのものに比べてぐねぐねしないように、書こうと思った。ただ部分的には、ちかごろは大人の間でもしないような話が混ざっていて、今的には普通でない話もあることはある。てきとうに飛ばしてもらってもよい。でも、基本的には、むだなことは書いてないはずだ。」

 そして、1「なにが書いてあるか」というところにその本に書いてあることの概要を記した。それは私が話した全体の要約のようなものでもあるので、全体を引用する。

 「できることはよいことか。たしかによいこともあるけれども、世間で思われているほどではない。できなくても、自分でしなくても、他の人がやってくれるなら、その方が楽だということもある。(I、29ページ〜)
 だからといって、べつにしないことを持ち上げようとは思わない。なにかよいことしたら、その分の苦労は報われてもよいとは思う。(II、77ページ〜)
 だがしかしこの社会では、このぐらいはもっともというところを超えて、自分ができることがよいことだということになっている。どのようにか。またどうしてか。A:自分ができると自分が得をすることがある。そのような仕組みの社会に私たちは生きている。さらにB:自分ができることが自分の価値であるという価値がある。そんな価値観のある社会に私たちは生きている。
 そして、私たちの社会は、AとBについて、それが当然であると、正しいことであるとしている。しかしそんなことはない。つまり、できるから得をするのは当然のことではない。またできる人をほめてもよいが、それはそれ以上でも以下でもない。(III、85ページ〜)
 もう一つ、正しい正しくないは別として、できる人に多く渡すのは必要である、仕方がないという説がある。これにはもっともなところがある。深刻に一途に考えると難しいことになる。私はしばらくそれにはまってしまい、どうしたものやらといろいろと考えることになった。(IV、111ページ〜)」
 そうしてあれこれ考えていくと、じつは、人とA・Bと違うものを信じていることがわかる。ではなにを信じているのか。それを書く。(V、133ページ〜)
 しかしそれにしても、人がよいものを安く手に入れようとし、働いたらよいことがあった方がよいと思うなら、差は仕方がない、必要だというお話が終わっていない。そのことについて考える。そんな気持ちがなくなることはないだろうし、根絶させる必要もないだろうが、だからといって今ある差を受け入れる必要などないことを言う。(VI、151ページ〜)
 だが、私たちの社会はIII(前ページ参照)を正面から問題にせず、「機会の平等」を言い、それを実現すれば、差も少なくなっていくと言ってきた。しかしそんなにうまくいかないという話をする。(VII、167ページ〜)
 むしろ、いろいろな要因があって、差は大きくなっていく。そうした要因のうちのいくつかだけをあげる。(VIII、187ページ〜)
 ではなにを言おうか。一つ、「ぴんはね」されている「搾取」されているという批判があった。これは、言い方によっては使えるが、うまく言わないと使えない。一つ、「最低限」を保障せよという主張があった。大変もっともだが、こればかり言うと、かえって辛くなってしまうことがある。(IX、207ページ〜)
 さてそれでどうするか。世界の分け方について、その「さわり」を簡単に述べる。
 まず世界にあるものを人数で割ってしまってしまわないかというところから始める。その上で、いくらかの差もあってよい、また仕方がないとする。(X、227ページ〜)
 ただ一人ひとりの身体には違いもある。同じではやはり都合がわるい。ではそこはどうしたらよいかと考える。そのついでに、「本人がほしいだけ」という分け方だってまったく非現実的ではないことを言う。(XI、251ページ〜)
 そしてさらに、お金だけでなく、ものを作る際の材料(知識とか技術も含む)も、仕事も分けるとよいと付け足す。(XII、275ページ〜)
 だいたいそんなことを本書(この本)では書く。」


UP:20131106 REV:
立岩 真也 
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