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もらったものについて・11

立岩 真也 2013/09/05
『そよ風のように街に出よう』*85:-
*おもしろい雑誌なので定期講読するとよいと思います。



今年になって
 前回、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(有馬斉との共著、生活書院、二〇一二)、『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第三版』(生活書院、二〇一二、文庫版)の紹介・広告をさせてもらった。その後、今年になってからでは、『私的所有論 第二版』(生活書院、二〇一三、文庫版)を出してもらった。この最後の本(初版は一九九七年)に書いたことも、どう思われているかしらないが、ずいぶん「もらった」ものである。
 その文庫版には二つの補章を置いた。一つは「ごく単純な基本・確かに不確かな境界」、一つは「いきさつ・それから」というもの。その二つ目の方の最初の註にどういう人からもらったのか、次のように記した。

『私的所有論  第2版』表紙  「時代の雰囲気とは別に、しかし必然性をもって、ものを書いた人の書いたものが、その人たちは「学者」でないことが多いのだが、あったにはあった。よく知らないからでもあるのだが、本書では控えめに、注などで、幾人か・いくつかについて記した。新たに加えた文では、補章1の注4(797頁)で田中美津、注6(798頁)で吉田おさみ、注9(802頁)で吉本隆明最首悟、注16で森崎和江(809頁)、ほかに本補章で、稲場雅樹山田真米津知子、また初版では、第5章の注1(347頁)、注12(359頁)、注22(364頁)、第6章の注1(418頁)、注43(450頁)、第7章の注23(534頁)、第8章の扉(538頁)、注1(608頁)、注3(611頁)、第9章の扉(620頁)、注2(709頁)、注9(715頁)、注20(724頁)、注21(724頁)、注27(726頁)等で、石川憲彦石牟礼道子奥山幸博小沢牧子北村小夜最首悟篠原睦治堤愛子野辺明子福本英子古川清治宮昭夫村瀬学横田弘毛利子来横塚晃一山下恒男山田真米津知子渡辺淳の文章・文献にわずかに、ほとんどの場合本当にわずかに、ふれた。」(八四三−八四四頁)

 今年になって、新田勲(一九四〇〜)が一月二日に、横田弘(一九三三〜)が六月三日になくなった。こうして名前を列挙すればそれでわかる人たちにはこんな文章はいらないのだろうし、では知らない人にといって、一人ひとりについて書いていったらきりがない。どうしたものか。
 その前に私自身が多くの人たちを知らない。ただ新田さんには一九八七年に聞き取りをさせてもらっている。そしてそのずっと後になって対談というのをさせてもらって、それは『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』(新田勲編、二〇〇九、現代書館)に収録されている。横田さんは、『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』(二〇〇四、現代書館)に収録されている対談を含めて前後、計三回対談(というよりインタビュー)させてもらった。そして新田さんは昨年、『愛雪――ある全身性重度障害者のいのちの物語』(上・下、二〇一二、第三書館)を出された――代理販売人として預からせてもらったものがまだたくさん手元にある。横田さんも七〇年代から八〇年代にかけて何冊かの本を書いた。だから、なかでは書いたものを残した人だと言えよう。それでも、その横田さんの本でも、いま記した対談の本以外は滅多なことでは見かけること、読むことができないはずだ。そしてより多くの人たちはそもそもそんなに何冊も本を書いたりしていない。
 それでどうしたものか。だから一つ、この脈絡もなにもない文章を書かせてもらっているのでもある。そのうちまとめられるのかどうか。
 もう一つ以前いったんやって、再開したことがある。右にも出てくる稲場雅樹さん、山田真さんにインタビューして『流儀』(生活書院、二〇〇八)という本にしてもらったのだが、とくに小児科医の山田さん(一九四一〜)は、いつぞやも記したように思うが、東京大学医学部闘争に関わり、その後も、娘さんが障害をもつ人であったことも関係して、「障害児を普通学校へ全国連絡会」の活動にも関係したりしてきた。
 その山田さんの話にはたくさんの人がでてくる。それが本になるときにもかなりの分量の註をつけたのだが、それをさらに増補してみようかと思っている。もっぱら生活書院関係の本を宣伝するためにさせてもらっている、生活書院のホームページに掲載されている、「予告&補遺」という、やはり「連載」でその作業を始めさせてもらった。たまったらどうかするつもりだが、まずそれをみていただければと思う。その(この原稿を書いている時点での)最新回(第十五回)では横田さんについての註を増やしてみた。
 そしてもう一つ、精神医療のほうでも、「造反」した人たちがいた。これは『現代思想』という雑誌のほうの連載で、最初は今書いていることと全然関係のないことを書き始めて、いつのまにか今はそんなテーマになっていて、数日前におくった第九二回は、「精神医療についての本の準備・5」というものになっている。
 そんなことをしていってどうするの、と思うところは、私には、ある。ただ、そのときそのときの今のことを追っていくというのではすまないこともあると思う。
 例えば、「障害者差別解消法」という法律が、こないだの国会の終わりに、ぎりぎり通過、制定された(六月十九日)。私は、同月十五〜十六日、神戸が会場だったDPI日本会議の集まりに、十六日の「生命倫理」がテーマの分科会の司会ということで呼んでもらっていて、十五日の総会も後ろのほうからちらっと拝見した。(十五日、会場で缶ビール飲んで終わるかと思ったのだが、二次会があって、はじめて「メインストリーム協会」に行って、たいへんよいところで、いつのまにかたいへんたくさん飲んで、不覚にも非常に酔っぱらってしまった。)総会では国会閉会にまにあうかという危機感のもとでがんばろうという決意が次々に語られた。もちろん長いこと要求されてきたのは「差別禁止法」であり、罰則を伴う実効力のあるものであって、その意味では、はんぱなものではあったのだが、今の政治情勢で、このような法律であってもないほうがあるよりよいと判断してのことだった。私もそれについて異論はない。
 ただ、この法律によって差別が解消されるかといえばそうではない。そしてそれは個々の条文がどうだか、米国や英国風の差別禁止法がもしできたらなくなるかというと、そういうことでもない。「先人」たちはそういうことを言ったのだと思う。ただそのうえで、「問題解決の道」を行かないのか、そうしないのか、では分かれる。新田さんは、制度(改革)に基本的なところから批判的であったとともに――そのすべてに私が同意しているわけではないことについてはさきの「対談」――、徹底的な「ものとり主義」を貫いた。それはとても大切なことであったと思う。他方、詩人で(も)ある横田さんがいっとき代表をつとめた「青い芝の会」はかなり長いあいだ様々に反対することに専念した。もともと多くの人がいたというわけではない全国組織としての力はだんだんと弱くなっていった――ただ、横田さん(たち)も地域ではいろいろとやるべきことをやっていた――が、ことごとあるたびに反対声明だけでも出してきたことの意義はやはりあるだろうと思う。そう思いなおしてもいる。議員への働きかけなどといったことはDPI日本会議などが、資金も人もそう余裕がないのではあるが、やっていくだろう。その活躍を期待しながら、こちらとしてはあまり実際的でなくても、前からあってきたこと、言われたことを振り返っておくことにもいくらかの意味はあるのだろうと思う。

教育のこと・関西のこと
 以前「教育」のことをめぐる対立について幾度かふれた。ごく簡単に復習すると、「全面発達」を主張して「養護学校義務化」に賛成した共産党系の「全国障害者問題研究会(全障研)」(一九六八年結成)他と、それを批判して「共育共学」だとか「どの子も地域の学校へ」とか主張した人たちがいた。本誌もその――「教育」の関係だけでないのではあるが――後者の流れのなかで発刊されて、今まで続いている。
 基本的なことで加えることはあまりない。私が考えたことは、あまり歯切れがよくないのではあるが、そしてたぶんほとんど誰も読んでないんではないかと思うのだが、さきに紹介した『私的所有論』の第8章「能力主義を肯定する能力主義の否定」の第5節「結論と応用問題への回答と解けない問題」の第2項「他者があることの経験の場――例えば学校について」に述べた。ここでは補足情報を。
 ずっと「食わず嫌い」というか、読んだことのない「全障研」系の本を、アマゾンのマーケットプレースなどを使って、古本でいくらか集めてみている。すると、長いこと「全障研」の中心人物として活躍した田中昌人(一九三二〜二〇〇五、京都大学名誉教授)の『発達研究への志』(一九九六、発行:あいゆうぴい、発売:萌文社)などといった本も入手できたりしてしまう。他に清水寛(一九三六〜、埼玉大学名誉教授)といった人たちがいる。関西では京都大学の一部、そして今私が勤めている立命館大学も、かつて、と言ってよいのだろう、その拠点だった。真田是(一九二八〜二〇〇五、立命館大学名誉教授)といった人がいた――今調べたら「副学長」というのも務められたことがあるらしい。さてその田中さんの本には、一九九五年三月七日、京都大学での最終講義が収録されている。次のようなことをおっしゃっている。

 「公的機関と関係学界、またこの少し後には非常に暴力的な過激な運動がもちこまれることになりましたが、それらの在り方に疑問を持った私たちは、真の学問の自由を障害者問題研究の世界に打ち立てるために、教育研究集会からの呼びかけに応え、新たな段階における呼びかけ人にもなって、各地の労働組合やサークル活動を進めていた人たち、そして何よりも障害を持っている人自身の参加を得て、一九六八年には、自主的・民主的な研究団体として全国障害者問題研究会を組織しました。私はそこで最初の全国委員長に選ばれました。近江学園在職中で三五歳、以来一五年間、皆様に支えられてその役にありました。この間に、障害者の生活と権利を守る各地の運動とともにあって、すべての障害児の教育権を保障していく運動が大きく前進することになりました。議会内外の取り組みによって、一九七九年には学校教育法にもとづく義務制が実施されることになりました。」(田中[1996:13])

 「少し後に」起こったことの前に組織された、ってどういうことなんだろうと思ったりもする。ここだけでは中身はなにもわからないのだが、その「語り口」の型が完全に確立されており、それが講義でも――あるいは(最終)講義だからこそというなのかもしれないが――繰り返される。では中身はどうなのかはここでは略す。
 ここでは『流儀』の註を増補しようとしている中ですこしずつ増やしている情報をすこし。
 山田さんの娘さんが、という話はさきほどすこしした。私は、二〇〇七年、松山市であった「障害児を普通学校へ全国連絡会第12回全国交流集会」というところで話をさせてもらったのだが、そのときに「知的障害」のジャンルの人である彼女に会った。
 最首悟さんもすこし似たところがある。彼は生物学が専攻で、東大闘争のときには助手で助手共闘というものをやっていた。

 「全共闘のバリケードは、内部崩壊したといわれる。日がたつにつれて、それは怠惰の砦と化し、頽廃したといわれた。しかしそれは全共闘内外を問わず、主義を問わず、生産性信仰者がいったことである。バリケード内は、何も生みださず、何もしなくてよいから、真にたのしかったのである。そしてたのしいから焦燥にみちていたのだ。

 バリケードの外で、食うだけの金は、仕方がないからかせいだ、しかしあとは何もしない、勉強などくそくらえ! という快哉を否定しようとしながら、否定できないのである。山谷のある労働者グループからでたビラに刷りこまれた「怠惰の自由を!」というスローガンも同じことを意味しているはずだ。」(『生あるものは皆この海に染まり』、一九八四、新曜社、四〇頁、この文章が書かれたのは一九七〇年)

 で、その最首さんは怠惰になって、しかし焦燥もし、そうして

 「必然的に書く言葉がなくなった。……そこへ星子がやってきた。そのことをめぐって私はふたたび書くことを始めたのだが、そして以後書くものはすべて星子をめぐってのことであり、そうなってしまうのはある種の喜びからで、呉智英氏はその事態をさして、智恵遅れの子をもって喜んでいる戦後もっとも気色の悪い病的な知識人と評した。……本質というか根本というか、奥深いところで、星子のような存在はマイナスなのだ、マイナスはマイナスとしなければ欺瞞はとどめなく広がる、という、いわゆる硬派の批判なのだと思う。」(『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』、一九九八、世織書房、三六三−三八五頁)

 といったことを書く。星子さんはダウン症の人。で、やはり最首さんも、障害児を普通学校へ全国連絡会に関わったりもすることになる。職のほうは、意地で?東大の助手を続けながら、駿台予備校の(医学系進学コースの)小論文講師もやっていた――たぶん「きまり」的には問題あったのだろうが、そこも居直って、ということであったのかもしれない。東大に定年までいて、そのあと恵泉女学園大学、和光大学の教員をした。
 いま引いた最首さんの文章は他でも同じ箇所を引用したりしている。両者とも大学にいたときには会ったことはなかったが、書きものは読んでいて、その後、対談したり、インタビューしたりすることにもなった。やはり東京の小学校や中学校の教諭をしながら、中心的に活躍されてきた北村小夜さんなど、以前から存知あげてはいた。そして金井康治さんの就学闘争も東京であり、私の知人もそれに関わったりしていた。
 ただ関西に来てからということもあり、またさきほど書いたようにすこし精神医療のことを調べるようになって、あらためて、「関西」の動きがけっこう重要であることを思い、そのへんはあまり記録されていないのではないか、誰かまとめて調べてくれたらと思うようになった。
 まずそこには被差別部落解放運動の影響があるだろう。教育・学校はその運動の「標的」の一つだった。そして個々の学校や教育委員会、地方行政と直接わたりあって、取るものを取ってきた。そういう「方法論」に習って、大阪あたりでは、「制度」をどうというよりは、「実質的に」獲得していった。そして、部落解放同盟は共産党と非常に仲がわるいのでもあった。昨年だったか、椎木章さんが当時の資料を――その一部はわざわざ手づから――もってきて、寄贈してくださった。(いただいた資料の一覧はこちらのホームページの「椎木章」のところに掲載させていただいている。ちなみに椎木さんは、二文字理明さんと共編の本『福祉国家の優生思想――スウェーデン発強制不妊手術報道』(二〇〇〇、明石書店)を出している人でもある。)その中には、彼が勤めていた意岐部中学校でのできごとについての、「暴力を横行させる 「解同」朝田派の「解放教育」」(『大阪民主新報』)、「朝田派影響下の中学生 また教師に暴行」(『赤旗』)、「意岐部中学 「解同」朝田・上田派の介入による目をおおう教育の荒廃 六日間授業ストップ」(『東大阪民報』)といった新聞(いずれも一九七五年)の切り抜きもあって、その頃のことをすこしうかがったりもした。
 「障害児教育」については堀正嗣さん――彼も関西出身の人だ――の大著(『障害児教育のパラダイム転換――統合教育への理論研究』、一九九四、柘植書房)があるが、そうした研究に加え、私としては(おもに)七〇年代以降のえぐい話も含めた、「実践」について知りたいと思う。おもに一九八〇年代、何冊かの本は出ている。そして出版社からというのでなく出されたパンフレットもすこしはもっていた。梅谷尚司さんの関係のも三つほどある。そんなわけで梅谷さんの名前は知っていたのだが、さきほど記した精神医療に関わる改革・造反のことを振り返ってみようといくらか本を集めたり、たまにいただいりする本に、偶然その名を見つけた。小澤勲『自閉症論再考』(二〇一〇、批評社)がその本だ。小澤さんはもう亡くなっている(一九三八〜二〇〇八)。一九八四年の「高槻自閉症児親の会」主催の小澤さんの講演の記録がたまたま見つかっていったん二〇〇八年に冊子にされたものが二〇一〇年に批評社から公刊された。その頃のことを振り返った梅田和子さんの文章と、精神科医の高岡健さんと、小澤さんの大著『自閉症とは何か』(一九八四、悠久書房)の再刊(二〇〇七、洋泉社)に尽力された村瀬学さんの文章が付されている。以前集めた本・資料をよく読んでいくと名前が出てくるのかもしれない。そして小澤さんが就学運動に関わっていたことがあることは小澤さんの本ですこし知っていた。ただ、不肖私は、梅谷さんたちと小澤さんとのつながりについて、その本を手にするまで気がつかなった。
 精神医療業界の叛乱といわれてすこしは聞いたことがあるという人でも、私(一九六〇〜)ぐらい以降だと東大のいわゆる「赤レンガ病棟」占拠(自主管理)とかそんなことしか知らない。ただ、すこし調べていくと京都大学医学部での闘争のほうが長く続いたと言えなくもない。そして、その叛乱の発端は一九六九年の第六六回日本精神神経学会大会(金沢大会)にあるとされるのだが、それはとつぜんその場で始まったわけではなく、それなりに準備されたものだったのだが、それに関わったのは関西の部分が大きく、その中でも小澤(京都大学→十全会ベテル病院での闘争に関わる→洛南病院)は当時もっともはっきりしたことを言って、運動を煽動した人だった。(東京のほうの医師たちはおおむねもっと普通の医師であって、小澤はすこしそれとちがっていた。)
 彼らの言ったことやったことをそれをどう見るかが『現代思想』の連載のために調べ考えていることなのだが、それはそのうち本にするつもりだ。今回は関西もっと押さえるべし、とそのことだけ。近年「研究」がないわけではない。以前も紹介したものでは、私の勤め先の大学院だった定藤邦子さんの、もとはそこにだした博士論文だった『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(二〇一〇、生活書院)がある。また、山下悦子さんの『「健常」であることを見つめる―一九七〇年代障害当事者/健全者運動から』(二〇〇八、生活書院)がある。ただその背後にあった「争い」「諍い」のこと、学校・教育を巡るできごとはまだ書かれていない。やはり私の勤め先ということでいうと、いま大学院生をやっている八木慎一さんが、本誌の河野秀忠さんも関わってきた「人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)」の人たち(ほか)のことを調べているのだが、その会の(かつての)子どもたちが近所の保育園・小学校…に通うことになったのも、大阪・兵庫における運動の蓄積があったことが関わっているはずである。そこらへんを押さえられたらと、このごろ言ってまわっている。

 *この文章では、梅谷尚司さんの母親の梅谷明子さん(奈良)と梅田和子さん(大阪・高槻)がごっちゃになってしまっています。なおさねばとは思い、編集部にお知らせしようと思ってはいたのですが、発行の前に訂正できませんでした(以上は雑誌に出たままのものです)。すみません。
 *「精神医療関係」の本、11月刊行予定です↓。→刊行されました。

◇立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon]2014/09/21/[kinokuniya] ※ m.

◇立岩 真也 2007/11/10 「もらったものについて・1」『そよ風のように街に出よう』75:32-36,
◇立岩 真也 2008/08/05 「もらったものについて・2」『そよ風のように街に出よう』76:34-39
◇立岩 真也 2009/04/25 「もらったものについて・3」『そよ風のように街に出よう』77:,
◇立岩 真也 2010/02/20 「もらったものについて・4」『そよ風のように街に出よう』78:38-44,
◇立岩 真也 2010/**/** 「もらったものについて・5」『そよ風のように街に出よう』79:
◇立岩 真也 2011/01/25 「もらったものについて・6」『そよ風のように街に出よう』80:-
◇立岩 真也 2011/07/25 「もらったものについて・7」『そよ風のように街に出よう』81:38-44
◇立岩 真也 2012/01/25 「もらったものについて・8」『そよ風のように街に出よう』82:36-40
◇立岩 真也 2012/07/** 「もらったものについて・9」『そよ風のように街に出よう』83
◇立岩 真也 2013/03/25 「もらったものについて・10」『そよ風のように街に出よう』84:36-41


UP:20130716 REV:20131009 
『そよ風のように街に出よう』  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也 
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