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応募書類(人体改変の倫理へ)

立岩 真也 提出:2011/11
挑戦的萌芽 2012年度〜2013年度


■■研究目的

 本欄には、研究の全体構想及びその中での本研究の具体的な目的について、冒頭にその概要を簡潔にまとめて記述した上で、適宜文献を引用しつつ記述し、特に次の点については、焦点を絞り、具体的かつ明確に記述してください。(記述に当たっては、「科学研究費補助金(基盤研究等)における審査及び評価に関する規程」(公募要領62頁参照)を参考にしてください。)
@ 研究の学術的背景(本研究に関連する国内・国外の研究動向及び位置づけ、応募者のこれまでの研究成果を踏まえ着想に至った経緯、これまでの研究成果を発展させる場合にはその内容等)
A 研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか
B 当該分野における本研究の学術的な特色及び予想される結果と意義
研究目的(概要)※ 当該研究計画の目的について、簡潔にまとめて記述してください。


 身体(頭脳を含む)の変容、機械・人工物による代替・増強が、どのような理由で、どこまで肯定・許容される/されないのかについて、その技術と議論の歴史を踏まえ考究し、方向を示す。
 一つに歴史と現在の十全な把握。「エンハンスメント」といった言葉は比較的近く入ってきた言葉だが、それ以前から種々の技術が試みられ、議論の対象にもなり、時にそれとは別の事情で衰微し、あるものは残り、発展していった。その実践と言説の歴史的な検討を行う。
 一つに規範論的・倫理学・哲学的検討。これまで幾種類かの原理・指針は示されているものの、それらは十分なものではない。出来事が社会という場で起こっていることを踏まえながら、たんに歴史性・相対性を言って終わらせるのでなく、基本的な前提・原則を提示する。

 @背景:身体に関わる技術がどこまで肯定・否定されるのかという問い自体は古くからあるとも言える。そして近年ではエンハンスメント(改良・増強…)に関わる議論も紹介されたりしてはいる。そして技術は様々な方向に展開している。それについての賛美と懐疑とが入り乱れているが、そしてその各々には受け取るべきところがあるが、また容易に反論も可能もできる。そして生命倫理学等の学は、それらを整理し、それの可能性と限界を十分にくみ取れているとは言えず、今まで自らが築いてきた原理をそのまま適用すればそれですむわけではない。それは各々の原理についての吟味も済んではいないということでもある。この意味でそれは、依然として、むしろ今だからこそ、挑戦されるべき対象・問いとして存在している。
 A明らかにすること:まず、これまでどのような理由で、何が肯定され、何が否定されたのかを明らかにし、それを評価する。「学」において、あげられる根拠・原理はそう多くはない。一つは(1)「本人の決定」であり、一つは(2)「本人の利益」である。ただ、もう一つ実際に存在し、時に明言もされてきたのは、(3)「公共の利益」さらに「社会防衛」である。そして問題は、(1)については全ての場合に肯定すること、すなわちパターナリズムを完全に否定することが困難である場合、また技術が有効であるのは人が自己決定の主体となる以前である場合がある。次に(2)を論拠とする場合(ここには(2)によって(1)を正当化する場合も含まれる)にも、その利益/不利益は社会の中にあり、そのことを考えに入れないわけにはいかない。そして(3)は、本人の人権を尊重する側からは批判されるが、無視してよいかと言えば、それはそうではないだろう。さらに、(3)他人に迷惑をかけないことが、すなわち、あるいは結果として、(2)自らの幸福になるというように、二つはつなげられもする。美醜にしても、他人がそれを評価するからこそ本人はそれを気にする。その評価を全てやめることはできないだろうが、すべてを放置すればよいともならないだろう。こうして錯綜する論点を整理し、関係を明示し、基本的な方向を提示する。
 B予想される結果と意義:種々の論理の並列を目指すものではない。どちらとも言えないという領域はきっと残るだろうが、その所以も示しつつ、境界を画することを目指す。それは従前のものとまったく異なることを言おうとするものではない。(2)が基本にあることを認めながら、その決定・前提となる社会・人々のあり方を示す(この点で、それらを基本的に各人に委ねるという自由主義の立場に全面的には与しないことになる)。そして「(本人の)最善の利益」と矛盾はしないがまったく同じものでもない「(本)人を毀損しない」という規範・価値を示し、それがどんなものであるかを具体化させる。(1)決定については、所謂愚行権を一方で認めつつ、同時に、とくにその決定が他人たちに益になる――ゆえに容易に認められる――場面に注意を促し、慎重であるべきことを示す。そして(3)については、その意義を全面的に否定しないが、同時に、「許容」「受忍」――この言葉は評価し操作の動機を与えるのが周囲の人々であることを自覚させないがゆえに最適とは言えないかもしれない――すべき範囲があることを言うことになるだろう。

■■研究の斬新性・チャレンジ性

  本欄には、次の点について、焦点を絞り具体的かつ明確に記述してください。 
  @ 本研究が、どのような点で斬新なアイディアやチャレンジ性を有しているか
  A 本研究が、新しい原理の発展や斬新な着想や方法論の提案を行うものである点、または成功した場合に卓越した成果が期待できるものである点等


@斬新性:◆1)技術が現れる。そのために更新されねばならないところがある。これまで、とくに倫理学等の人文社会科学は、技術の実相(可能性と限界)について正確な知識を得ずにものを語ってきたところがある。架空の状況を想定して議論することの意義を否定しないが、それと現実と現実の可能性との間の距離に敏感である必要がある。正確で詳細な事実の収集・把握がなされていない。例えば人口内耳について、それは一つ、実用的なものとして使えないのに推奨されたことが批判された。しかしいくらか使えるものにはなっている。とすれば、使えないからいけないということにはならなくなる。こうして状況は変化もする。現場の技術者・研究者、利用者、丹念に事実を追っているジャーナリストからの聴取も含め、現実(の可能性)を把握し、示す。
◆2)それは、大勢としては技術に肯定的な「バイオエシックス」の主流と異なる方向を示すものである。バイオエシックスが特定の文化・社会に規定されたものであることはよく言われるようになったが、代わりに何を言うか、明確なことは言われていない。西洋に東洋を対置すればよいのでもない。これまでの蓄積を十分に踏まえた上で、たんに事実について不注意であったり実際を知らない――そうしたこともままあるのだが――ということではなく、その論理の前提と構成によって、そこに必然的に欠けてしまう論点を示し、補い、別のものを示すことを目指す。その概略を先述した。以上、1)事実の把握を更新し、2)新しい方向を示すことにおいて斬新である。
◆3)同時にそれは、倫理の専門家たちが主張してきたことだけでなく――バイオエシックスの「ラディカル」な主張がなされているその地にも存在する――「一般」の人々が感じ語ってきた懐疑や批判を拾い、吟味することでもある。例えば、技術への抵抗を表現する時、しばしば「(不)自然」が語られる。だがそれをそのまま受け入れることはできない。また所与の状態を「受容」すべきだとも言い難い。技術を開発し、人口物を使って私たちは実際使って生きていて、それを否定することはできないはずだからである。ではその「自然」や「受容」には意味・意義がないのか。そうではないはずである。だだ、そのままでは容易に反論され、その反論の方が当たっているように思われるから、そのままでは使えない。そこから何をどのように取り出し、反論に応えられるようなものとするか、これも新しい課題であり挑戦である。
A提案:◆1)紹介したように既に何種類かの答は出されている。しかし、ここで目指すのは、それらが不十分であることを証明した上で、まったくの新規なものではないが、しかし既存のものとの差異をはっきりとさせた別のものを提示するということであり、新しいものを探求する研究である。「バイオエシックス」の主流がその枠組みの内部で解ききれない問いへの解を提案する。
◆2)ただ、私たちが代わりに示すのは、「補う」ことはよしとしつつ、「なおす」ことについては懐疑的・あるいは批判的であるという立場ではない。このような方向の議論が、「障害学」の主張――とされるもの――においてはしばしばなされるのだが、それにそのまま同調はしない。例えば、人工呼吸器や胃瘻をつけてそこから空気や栄養を得るのは問題ないが、身体に埋め込まれる心臓のペースメーカーはよくないなどとは言えないだろう。だから、身体の内/外で区別するのはおかしなことだとまずは言える。だがその上で、身体への「侵襲」――とはなんであるのか自体が問いの対象であるのだが――という契機は重要だろう。私たちの提案は、そうした学の主張を吟味し、より正確にし、意味のあるものにすることでもある。
◆3)さらに私たちが提案するのは、「マイナス」をもとに戻すことには賛同するが、「よりよくする」ことには反対するというものでもない。「よくする」ことを推進する立場からは、前者を肯定するなら後者も肯定するべきであり、前者を肯定し後者を否定するのは首尾一貫しないという批判がなされることがある。ただ、私たちはたしかに前者と後者が連続線上に(も)あることを認めつつ、しかし、ならばすべてよしという立場には与しない立論が可能であると考えている。つまり、前者はよしとするが後者を制限するのではなく、双方について許容される/制限される十分な理由があることを示し、別の線引きを提案しようとするのである。

■■研究計画・方法

本欄には、研究目的を達成するための具体的な研究計画・方法について、冒頭にその概要を簡潔にまとめて記述した上で、平成24年度の計画と平成25年度以降の計画に分けて、適宜文献を引用しつつ、焦点を絞り、具体的かつ明確に記述してください。また、研究計画を遂行するための研究体制について、研究分担者とともに行う研究計画である場合は、研究代表者、研究分担者の具体的な役割(図表を用いる等)、学術的観点からの研究組織の必要性・妥当性及び研究目的との関連性についても述べてください。さらに、研究体制の全体像を明らかにするため、連携研究者及び研究協力者(海外共同研究者、科研費への応募資格を有しない企業の研究者、大学院生等(氏名、員数を記入することも可))の役割についても必要に応じて記述してください。
研究計画・方法(概要)※ 研究目的を達成するための研究計画・方法について、簡潔にまとめて記述してください。


○下記する資料・資料の蓄積の継続を前提に、初年度からその成果を公表する。国際的に新しい成果となるので英語雑誌で発表する。また書籍(英語・日本語)は電子書籍として刊行する。それを目標・前提とした議論を、大学院生などを交えて行なう。○今は消えてなくなったもの、そして最新のものを含め、技術・療法の実際を歴史的に把握する。ホルモン等体内物質の増減、薬物、手術、機器・機械の付加について、資料・史料はどこにも収集・整理されていない。それらの購入・複写、整理、入力、公開を行う。○国内・外、学問の内・外に、これまであってきた議論を把握し整理し、評価を確定させる。既に、http://www.arsvi.com 内に「改造」「エンハンスメント」「サイボーグ」等について文献の書誌情報や引用かからなるデータベースを作成しているが、(2)の収集・整理を続けながら、これらの整理・増補を継続し、多言語化し、誰もが利用できるものとして利用してもらうとともに、(1)の考察、その成果の公表につなげる。
■24年度
 ◆[T:肯定と忌避の並存について]例えば、体に装着することによって、身体機能を拡張・増幅できるサイボーグ型ロボットが開発されている。また全身がまったく動かなくなった人について脳波や脳血流を利用して発信する装置が開発されている。それはたしかな希望である。開発者や利用者からの聞き取り、意見交換を行なう。ただそうした先端的な技術が肯定的に語られるのと同時に、より単純な構造のもの、例えば人工呼吸器や胃瘻についてはその「差し控え」が言われる。奇妙なことにも思われる。何が、どのように、期待され、また忌避されているか。とくに「差し控え」にいっそう肯定的になってきている欧米での言論・議論と現実の推移も含め、また「穏当」な言葉としてこの語が頻用されるようになっている日本における学会やメディア・論者たちの言論・主張も含め、検証し考察する。
 ◆[U:増強について何を言えるか?]以上にあげたのは、基本的に補うもの、代替するものとして想定されている。では「増強」はどうか。例えばドーピング等スポーツに関わってそのことが話題にされることがあるが、この場と、労働の場等、社会の他の場との差異に留意されることはあまりない。これまでこうした視点が欠如していることを確認した後、各々の場で、できるようになること、よくなることがどのように捉えられているかから考察を始める。多く、技術による増強を批判する側においても、修練や教育による増強は問題にされず、むしろそれは努力故のことと称賛される。しかし、労力が少ない方がむしろよいではないかという主張は可能である。また、才能の差が努力の多寡だけによるものでないことは誰もが知っている。それは許容されている。ならば別の方法でもかまわないのではないか。こうした素朴な正当性の主張にこれまで批判者の側はよく応えられていない。議論を立て直すことを目指す。
 ◆[V:誰にとってのどんな得失?]事態がそう単純でないことは以上からもわかる。何が関わっているのか、また何を勘案すべきなのか。重要なこととして、どんな得失があるか、またあるとされているかを考えること、また得失についての計算の仕方を再検討することが必要になる。何も失うものがないならよいとして、実際にはそうではない。またそのことが指摘される。例えは精神疾患に対するロボトミーといった脳外科手術はいったんほぼ廃れた。それによって本人が失うものが大きかったのは確かだ。ただ、だから廃れたのだとは単純に言えない。そして現在、洗練されたものとされる技術の応用が所謂発達障害も含めてなされようとしている。そこで誰にとってのどんな得失が想定されていたのか、またされているのかを確かめ、そこで言われていること、同時に見逃されているものを確認し、そこから、誰の得失をどのように捉え評価するべきかを示そうとする。
 次に、得失や得失の評価、さらに得失の評価の前提ともなるものを他人たちが与える場合、与えざるをえない場合がある。例えばどの言語の習得をするかは自ら選ぶものではない。そしてある第一言語を採れば、多く、別のものから遠ざかることになる。例えば、「人工内耳」の装着が本人の幼い時になされるなら、その決定は、「代理決定」でしかない。これについて、手話を言語とする人たちから異議があり、世界中で議論があり、今も終わってはいない。例えば親が決定するとして、聾者の親に子が聾者のままであってほいしと願う人がいる。それは親の身勝手であると言えるかもしれない。しかし聾者でない人も同様のことを願い、そのことは通常非難されない。とすればどう考えたらよいのか。このことにも答は出ていない。
 ◆[W:史実の検証]これらを考えるためにも、知るべきことは多い。しかし史実や実情が知られているのも、議論されているのも、これらの中できわめて限られた部分である。これらに対する直感的な好悪はあり、ある部分はおぞましいものともされる。しかし、外科療法と薬物療法に本質的な違いがあるか。そしてそのことは、実際に薬物療法が入ってきた時に、脳外科手術を推進していた側から指摘されたことでもある。精神障害・疾患の治療法・薬の使用についても、近年では所謂発達障害者の薬剤使用も含め、議論がある。また病院での薬漬けといった問題と別に、1960年前後、精神に「効く」薬が全国紙や受験雑誌に広告が乗り大量に市販されるという、現在よりも寛容な時期があった(後に規制されるようになる)。つまり、単純に「医療化」が進んでいるというわけではない。例えばこのことにしても――「脳」が以前にもまして注目され、夥しい数の本が出されているのだが――その全体を明かにした研究はない。そうした忘却の中で、いかにも新しいこととしてエンハンスメントが語られたりしてしまう。私たちは、新しく言えることがあると考えているが、そのことを言うためにも、過去についての知識を確かにしておく必要がある。この主題・領域に関心をもつ大学院生等が収集・整理・入力他の作業にあたる。
 ◆[X:報告・刊行]同年度の日本生命倫理学会大会(於:立命館大学)で複数の報告を行う。それとともに、書誌情報の類だけでなく、価値ある資料・史料については全文をHPに掲載していく。その一部については英語・韓国語等に翻訳し、やはりHPに掲載する。

■25年度以降
 以上すべてを継続しつつ、まとまったところから、検証・考察の結果を一つずつ発表していく。まず、精神疾患に対する療法の歴史を辿り、その改革の試みが何であり、それをどう評価するべきかを示した著作が発表される。また、医療やリハビリテーションの限界と障害や病の「受容」に関する政策の推移、言論の推移を検討する著作を発表する。これらにおいて、またそれに続く著作において「よくすること」について考察がなされる。出版社として既に決まっているのは、みすず書房、筑摩書房、青土社、生活書院。英語論文として雑誌にも公表する。生命倫理学関連の雑誌の他、『Disability & Society』等への投稿、また私たちが2011年に刊行を開始した 『Ars Vivendi Journal』での特集も予定している。

■■研究体制 […]

■■人権の保護及び法令等の遵守への対応[…]


■■研究経費の妥当性・必要性

本欄には、「研究計画・方法」欄で述べた研究規模、研究体制等を踏まえ、次頁以降に記入する研究経費の妥当性・必要性・積算根拠について記述してください。また、研究計画のいずれかの年度において、各費目(設備備品費、旅費、人件費・謝金)が全体の研究経費の90%を超える場合及びその他の費目で、特に大きな割合を占める経費がある場合には、当該経費の必要性(内訳等)を記述してください。
 まず、ひととおり、先鞭をつける仕事を行うのに3年はかけた方がよいと考えた。そこで3年に分けることにした。史料・史料の集積場所ともなる本研究の拠点となる場は、グローバルCOEプログラム「「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」のために大学から提供されており、そこに基本的な機材はある。できるだけ既にあるものを用い、この部分の費用はこの助成から支出しないこととした。
 書籍の類についてもCOEで一定購入してあるので、それを補う分を購入することになる――同時にその継続性は、私たちの研究を継続させ、こちらから生産し発信していくためには不可欠である。人工透析器や人工呼吸器(の利用に関わる必要)を求めてきた組織の機関誌等、他に比べれば多く収蔵しているが、欠けているものも多い。そうした既に散逸しつつある、国会図書館その他にもない史料・資料の収集・整理も必要である。ト等、現在は入手の難しいものを中心に収集・整理する。その入手・整理のための作業が必要となり、またその作業のために一定の知識を要する。人件費はそのためにも使われる。
 まず、とくに必要なのは人の働きである。そこに研究費の多くを使う。代表者・研究分担者は少数にし、この主題に興味関心をもつ他の研究者については、とくに見解・情報を求めるために招聘する場合を除き、基本自己負担で自発的に参加してもらうことにした。情報の入手・入力(一部についてはスキャン+読み取りソフトの使用+校正)・整理・(主にHPへの)掲載、実地調査に関わる連絡・調整、さらに調査・記録・文字化等については大学院生他が実務の大部分を担い、その働きに対して時給で支払うことを基本にする。録音データの文字化など業者に依頼してもそのまま使えるものが返ってことはまずないし、その作業自体が自らの研究に結びつきもするからである。そして翻訳のための人件費は必須である。


UP:20111104 REV:(リンク追加)
立岩 真也 
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