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家族に金があろうと生活保護はとればいい

立岩 真也 2012/06/15
『fonte』340(2012-6-15):3(全国不登校新聞社) http://www.futoko.org/
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 ※『fonte』継続の呼びかけ→http://www.futoko.org/
 ※以下は草稿

■本人は本人だ
 ひとつは「扶養」の問題、そして家族の問題だ。このたびの会見やら報道やら、「研究者」がそんなことではいけないとは思いつつ、私はげんなりというか、いたたまれないという感じで、ほとんど何が起こったのか知らない。知らないようにしていた。ただ(今回は)(まずは)金のある人の家族が生活保護とっていた(けしからん)ということのようだ。
 法律にはたしかに「扶養義務」というものがある――私はそれ自体に異論があるのだが、そういうことを言い出すと「現実」からどんどん離れていくので、本を後で紹介するだけにとどめる。ただ生活保護法の場合「世帯単位の原則」でやるということになっている。「世帯」というのは「家族」とは違って、「実際に同一の住居で起居し、生計を同じくする者の集団」のことを言う。だからこの条件を満たさなければ、つまり「世帯分離」しているなら、親(他)に金があっても生活保護は得られる。私はこれはまずはきちんと使った方がよいと思うし、実際、そうして親がかりの暮らしから離れた生活を始められた人たちを私は幾人も知っている。家族に――もっと言えば家族であろうとなかろうと――経済的に依存「せざるをえない」ようになっているなら、それはその人に支配され従属せざるをえないことにもなりうるのだから、それはよくない。すくなくとも、互いに大人になったら、別々にやっていけるように、「制度」としては、なっていることが望ましい。
 こういうことを言うと、それは「家族の美徳」を汚すとか減らすとか言う人がいる。美徳は言葉の定義上よいものであるから、私はそれを否定しない。そして、互いが経済的に独立する(できる)ことが、美徳を減らすと思わない。経済的な支配・従属、あるいは相互依存がないと保たれないような関係はよい (美しい)関係ではないだろうし、互いに独立しても、時には独立していられるからこそ、よい関係も作れたり維持できたりするだろう。

■より基本的には
 だとしても、生活保護と家族からと二重に受け取れるのはよくないという主張はあるだろう。世帯分離の原則はそれを禁じているのだが、見つからないように二重取りをする人は(あるいは実質的には別れて暮らさない人は)いるだろうというのだ。それがよくないとして、では人の出入りや金の出入りを監視して、そんなことがないようにするか。しかし、実際にはそういう名目で嫌がらせに近いというか、嫌がらせそのものというか、いくらでもあってきた。わかりやすすぎるのは、DV夫に稼ぎがあるんだから(まだ別れられない)妻はそれで暮らすべしと追い返されるといった場合だ。そしてそれはもちろん、たんに窓口の職員の問題ではなく、「上」の方針としてそうなっているのであり、それをメディアと「世論」が後押ししているのだ。生活保護を使える人たちの中で実際にこの制度を使えている人の割合は二〇%を下回っていると言われる。このことを嘆くべきなのである。
 金持ちでない人が多いこの世の中で、その人たち自身が、金がないという人を、実はそうでもないとか、困ってないとか、金出しすぎだとか、あげつらってどうするの、と思う。それより、金をよけいにもっている人たちからきちんと税金をとる方を先にすべきだ。そうすれば家族内で金が移ることも減る。ひとつ覚えのように言われる「予算の制約」も弱くなり金をきちんと回せる。今の税金の制度もおかしいのだが、そのおかしいことを前提にしても、もっと人と使い金をかければその何倍も脱税分を回収できる。そのことはあまり言われない。
 こんなことを考えていくと、生活保護制度を守りましょうという話を――私もするけれども――超えていく。働けず、どうしようもなく貧乏な人に対する特別の制度として「生活保護」があると考えるから、誰がそういう人なのかという話になる。「(健康で文化的な)最低限度の生活」(憲法第二五条)と「最低限」というから、どれだけが「最低限」なんだと、話が貧乏くさくなる。もっと単純に、みなだいたい同じ生活ができるというところから始めて、働く人には+αを出すというふうに考えていく。というのが、すべての人の賛同を得られるとは思っていないが、私が思うことだ。そういう主張だっていちおう筋は通ったものとしてあることを知りたい人は、私+幾人かが書いたものとして、『家族性分業論前哨』(二〇一一年、生活書院)、『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(二〇一〇年、青土社)、『税を直す』(二〇〇九年、青土社)がある。中学生から読めますというシリーズの一冊で、実際――人はなかなかそう言ってくれないが――私はそういう本だと思っている『人間の条件――そんなものない』(二〇一〇年、イースト・プレス)というのもある。よろしかったらどうぞ。あとこの文章と補足情報、HPに掲載しているのでご覧ください。


 *以下は(字数の制約で)掲載紙には掲載されません。

※ 扶養義務については以下を参照。
立岩 真也村上 潔 2011/12/05  『家族性分業論前哨』 ,生活書院,360p. ISBN-10: 4903690865 ISBN-13: 978-4903690865 2200+110 [amazon][kinokuniya]
 第5章 近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない [1992/10]
  2 合意・私的所有権と家族
   2―3 成員・義務・権利の設定不可能性

※ 分配を巡っては例えば以下。
◇立岩 真也・齊藤・拓 2010/04/10  『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』 ,青土社,329+19p. ISBN-10: 4791765257 ISBN-13: 978-4791765256 2310 [amazon][kinokuniya] ※ bi.
 第1部 BIは行けているか? 立岩 真也
  第1章 此の世の分け方
   2 此の世の分け方についての案

※ 税制を巡っては以下。cf.
◇立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 2009/09/10 『税を直す』,青土社,350p. ISBN-10: 4791764935 ISBN-13: 978-4791764938 2310 [amazon][kinokuniya] ※ t07,
 上記の本で、徴税を真面目に行なうことによる税収増については以下(第1章・註11)。
「◇11 一九八三年まで国税庁長官だった福田は「わが国でも税務職員一人につきコスト約五〇〇万円の約一〇倍、五〇〇〇万円の税収増が見込まれるという計算がある」(福田[1984b:25])と記す。やはり後で引用する共著・鼎談の本では八田の文章(八田[1989:50-51])、発言に同様の指摘がある。  「非常に荒っぽい計算ですけれども、私が思うには、一〇〇〇万円投下すれば五〇〇〇万円税収が上がる[…]最近の朝日新聞によれば、資料調査課の職員一人での追徴額は一億七〇〇〇万円で、東京では一人当たり三億円から四億円。」(中谷・本間・八田[1988b:100]、八田の発言、他に中谷・本間・八田[1988b:111-113]等)」(立岩[2009:65])

※  「最低限」については上掲の本の他、以下。
◇立岩 真也 2010/03/25 「思ったこと+あとがき」,Pogge[2008=2010:387-408] [English]
◇立岩 真也 2010/06/01 「最低限?――唯の生の辺りに・2」,『月刊福祉』93-8(2010-6):60-61
◇立岩 真也 2010/07/01 「最低限どころでないこと――唯の生の辺りに・3」,『月刊福祉』93-9(2010-7):60-61

※ 以上とりあえずの追加ですので、これからも補っていくつもりです。


UP:20120607 REV:20120925
生活保護  ◇立岩 真也 
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