◆萩野 亮・編集部 編 20120725 『ソーシャル・ドキュメンタリー――現代日本を記録する映像たち』,フィルムアート社,237p. ISBN-10: 4845912945 ISBN-13: 978-4845912940 2000+ [amazon]/[kinokuniya] ※ pp.190-197
◆立岩 真也 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p. ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 2800+ [amazon]/[kinokuniya] ※ m.
私は社会学をやっているのだが、まともな調査をしてものを書いた社会学者とドキュメンター作家はすこし似たところがある。(ついでに、卑下しているわけではないが、後者の仕事の方がたいがいよかったりする。)調査をもとにした書きものでどこまでのことを書くか。個人が特定できるように(できないように)書くのか、書かないのか。私はその何か(例えば医療)を仕事にしている人については、特定できるように書いた方がよいことが多いと思っている。了承をとっているか。私はたいがいとっていない。引用は自由だ。人が書いているもの――そこに病院の名前や名前が出てくる――を引用するというずるいやり方をとったりしている。そしてそんな搦手でなくて、じかに話して、いったん了承を得たとして――普通は匿名化するのだが、それでも――結局論文に出してもらえるか。米国では契約書を交わして、ということになっているのだそうで、そういうやり方がこちらの学界でも標準化されつつあるのだが、それが最善と思わないし、そうした書面を取り交わしても結局だめな時もある。原稿ができて最終段階になって掲載を断られたり、そんなことが起こらないか(まあそう起こらないのだが)、論文の書き手である大学院生は気をもんだりする。私自身はもう長いことそんな調査をしていないけれど、他人(たち)のことを「結局は自分が」切り取り、示すことを巡る様々には、共通するところがある。