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『精神』――社会学をやっていることになっている者から

立岩 真也 20120725
萩野 亮・編集部 編 20120725 『ソーシャル・ドキュメンタリー――現代日本を記録する映像たち』,フィルムアート社,pp.190-197

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『精神』表紙 ◆萩野 亮・編集部 編 20120725 『ソーシャル・ドキュメンタリー――現代日本を記録する映像たち』,フィルムアート社,237p. ISBN-10: 4845912945 ISBN-13: 978-4845912940 2000+ [amazon][kinokuniya] ※ pp.190-197

・『精神』(監督:想田 和弘・二〇〇八)
・フィルムアート社 http://www.filmart.co.jp/

 ※以下は草稿/★は掲載される文章にはなし
 ※本に載った文章は註を新たに加えた上で以下の本に収録されました。

『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙 ◆立岩 真也 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p. ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
 第2部 補章3 ブックガイド
 21『精神』――社会学をやっていることになっている者から (2012/07/25)


『精神』表紙  私は社会学をやっているのだが、まともな調査をしてものを書いた社会学者とドキュメンター作家はすこし似たところがある。(ついでに、卑下しているわけではないが、後者の仕事の方がたいがいよかったりする。)調査をもとにした書きものでどこまでのことを書くか。個人が特定できるように(できないように)書くのか、書かないのか。私はその何か(例えば医療)を仕事にしている人については、特定できるように書いた方がよいことが多いと思っている。了承をとっているか。私はたいがいとっていない。引用は自由だ。人が書いているもの――そこに病院の名前や名前が出てくる――を引用するというずるいやり方をとったりしている。そしてそんな搦手でなくて、じかに話して、いったん了承を得たとして――普通は匿名化するのだが、それでも――結局論文に出してもらえるか。米国では契約書を交わして、ということになっているのだそうで、そういうやり方がこちらの学界でも標準化されつつあるのだが、それが最善と思わないし、そうした書面を取り交わしても結局だめな時もある。原稿ができて最終段階になって掲載を断られたり、そんなことが起こらないか(まあそう起こらないのだが)、論文の書き手である大学院生は気をもんだりする。私自身はもう長いことそんな調査をしていないけれど、他人(たち)のことを「結局は自分が」切り取り、示すことを巡る様々には、共通するところがある。
 ただそうしたことはこれだけにして、これ以上書かないようにしよう。監督である想田和弘は『精神病とモザイク――タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規、二〇〇九)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書、二〇一一)で、製作過程について、自分が思ったこと、考えたことについて、きわめて、驚くほどにと言ってよいのかもしれない、率直に語っている。それを読んでもらったらよい。是非お勧めする。また、『精神』のDVDを買うとあるいは借りると、そこにはおまけがついていて、対談や座談等が収録されている。それを見てもらうのがよい。それで十分だ。
 そして、この映画はとても好評で、広範に好意的に迎えられた。寄せられた感想には、精神障害の人は別の世界の人であるというふうに思っていたが、そんなことはないことがわかった、その境ははっきりしないものなのだ、といったものが多いように思う。それはおおまかにはそのとおりなので、私はなんとなくもうみんな知っていることであるように思ってきた。私は大学院――変な人が来る確率は高く、変になる可能性も高い――に勤めているのだが、そこを自嘲気味に病院のようだと言い、入学のことを入院と言ったりする。その日常も含め、別の場での日常も含め、私自身のことも含め、そう変わったものを見た気持ちはしなかった。私自身にとってなにかが変わったことはなかった。ただ、多くの人の誤解?が減ったのだったら、それはよいことだと思う。普通それは、なによりまず端的に辛いものであって、何か変な、と思われるようなことをする元気も出ない。統計的には、精神障害は最も「安全」な状態なのだ。ただ、この映画の中でも、自分で統御できない状態がやってくることもあるかもしれず、けれどそれは自分がすることなのだから、結果は自分が負わなくてはならないだろうと語る人もいる。またこの映画の最後は、電話のある(多分作業所の)部屋で、働く職員の勤務時間も過ぎ(しかし帰るに帰れず)、役所?の受け付け時間も過ぎているかもしれないのだが、電話で、聞いてもいまいちわからないところがあることを役所の係の人にだろうか、かなりえんえんと言い続ける人が出てくる。「クレーマー」とか「モンスター」といった言葉を私たちはいつごろから使うようになったのだろう。ざらっとした、苦い感じがいくらか残る。平和な終わらせ方をしたくなかったのだろう。実際、著書で監督はその通りのことを言い、このシーンを最後にもってきたかったのだと言う。
 とにかく、そういうことを知ることは、よいことなのだろうと思う。ただ、その上で、この映画が撮られた「こらーる岡山」はかなり「いいところ」だということは言っておいてよいだろう。何がよいのか。代表の山本昌知医師(一九三六〜)はよい医師なのだろうが、それだけではない。そこには診察が終わった後もいられるような、寝ころがっていられるようなような待合室がある。そして清潔でない、とは言わないが適度に雑然としている。またそこでは、牛乳配達をしている作業所「パスカル」、食事サービスを行なう作業所「ミニコラ」、ショートステイ施設「とまり木」を運営している。すこし調べてみると、その映画が撮られた後、(この世にある交通手段を使いにくい人のための)移送サービスも始めたようだ。
 ただたんに集まるというのも人によったら気が重いのかもしれない。病院に行くついでなのか、ついでに医師にかかるといったよいのか、それでそこまで行き着き、辛いなら辛い時間をやり過ごす。そんな方が楽かもしれないし、それにはその山本医師が自らの存在感・威圧感を薄くできることも関係するかもしれない。ただ他方には、医療だの医者だのと関係ない方がよいという人もいるだろう。私が、以前すこし関係したことのある東京・立川の団体――それは身体障害がある人たちが始めた組織で、だんだんと活動の範囲を広げていった――も、集まれる場所を用意して運営していた。それは医療とは関わりはない。そんなこんな、それぞれに異なる場所がぽつりぽりと全国にある。
 ただそんな場所は多くない。少ない。(もちろん、近頃どんどんと増えている、ほぼたんに薬の処方箋を出すのが仕事である街中のクリニックで用が足りる人はそれでよいのだが、そうでない人もいる。)その山本医師は、一九六〇年代末から岡山県で精神病院の解放化を進めた人である。岡山県精神保健福祉センターの所長も務めた方だから「反体制派」でやってきたというわけではないが、一九六〇年代末からの精神医療(学会…)改革のことは語り(『精神病とモザイク』一六二頁)、「先人」として群馬で開放化を始めた石川信義(一九三〇〜)があげられたりしているその三枚橋病院についても称賛の声があるだけではないことは記しておこう)。そのセンターを退職後、そのボロ屋、ではないにしてもただの家みたいなところで働いている。月一〇万円しか彼には払えないのだと言う。そして、この映画を撮ることをあっさり支持した、いろいろな活動をしている「こらーる岡山」のかなりの部分を切り盛りしている感じがするその息子の山本真也という人物もいわくありげな感じである。左翼の活動家がこういうことに関わった時期があったのだが、そういう出自のようだ(『精神病とモザイク』五九頁)。
 そしてここ以前にも、いろんないきさつで、様々な人たちが、居られる場所、泊まれる場所を作ったり、そんなことをしてきた。そこで仲間同士の刃傷沙汰が起こったこともあるし、それで捕まって、拘置所に放置され殺されるようにして亡くなった人もいる。「支援」を受けながらしかしシンナーによる出火で死んだ人もいる。この映画でも二人の方が、その後に亡くなったことを、この字幕もナレーションもない映画の最後に記される字で私たちは知る。そんなことも含めて、それでも、そうした場所は「まし」だとたしかに言える。それはこの作品で解説される必要はまったくない。ただ作品と別に、せっかく文章を書かせてもらったのだから、言っておこうと思った。
 「社会調査」でもたいがいそうなのだが、「よいところ」しか見せてもらえないのだ。そして、北欧でも北米でもどこでもよいのだが、そういうところをみて感心した人はそのことを語る。別の現実もある。それにしても、想田が「心の師匠」と仰ぐフレデリック・ワイズマン――私の勤め先にワイズマンがとても好きな同僚(レヴィ・ストロースを尊敬し、その関連の著作や訳書もある人類学者の渡辺公三)がいて、大学でワイズマンの映画祭をやったりしたものだから、私も何本か観たことがある――が最初に撮った、そして一九九一年まで一般上映が禁止されていた映画、「精神異常犯罪者」――と多くの紹介に記されている――の収容施設を撮った「チチカット・フォーリーズ」(一九六七)のような映画は――それは所長が悪評高い施設の「改革」を目指していてそれで許可されたらしい――そう撮れるものではないし、そうしてたまたま撮れたものにも映らないところがあり、そして上映できなかったりするのだ。
 新聞記者だった大熊一夫は患者を偽って(酒をたくさん飲んでから、だったと思う )精神病院に入院して、その時の経験をもとに『朝日新聞』に連載記事を書いて、それを本にして『ルポ・精神病棟』(朝日新聞社、一九七三、現在は朝日文庫になっている)、それは話題になった。また(こういうものが出るといつも同じことが起こるのだが)他の普通のところはもっとまじめにやっているのに精神病院やそこで働く人のイメージを悪くするといった非難も浴びせられた。私(一九六〇〜)はなぜだか中学生の時にその本を読んで、げっ、とした。それは今していること、ものを書いているということにも関係があるのかもしれない。そして原一男が、まったくの少数派ながら障害者運動の歴史を変えた(と私は思う)「青い芝の会」の脳性まひ(CP)の人たちを撮った最初の作品『さようならCP』(一九七四)を発表したのもそのころだ(その「シナリオ」?の全文は、横塚晃一『母よ!殺すな』(初版一九七五、生活書院からの新版二〇〇七)に収録されている。)
 誤解はないと思うが、想田のこの映画はこれでまったくよいのだ。たしかになにか解説しようとしたら、どう工夫しても半端になってしまうだろう。ただそれとともに、別に、言葉は言葉として、これまでいろんな場があり、様々がなされなされなかったことを、きちんとした量をもって、さっぱりしていないものをさっぱりまとめないように、しかし人がやってきたことにはなにかの因縁というものがあるはずなのだから、それを辿って追う仕事はしておいてよいと思っている。当たり前といえば当たり前のことでしかないが、それぞれの取り出し方、表出の仕方がいるのだと思う。水俣病についても、土本典昭の映画があり、石牟礼道子のような文章があり、原田正純らの報告・文章があった。各々が違う。そして自分ができることをすればよい。その総和がすなわち全体でもないのだが、それぞれがすることがある。
 文字にする仕事(のすくなくともいくらか)は「研究」を仕事にしている私たちの仕事だと思っている。しかし実際には、なさけないことに、精神障害・精神医療についてまとまったものはほとんどない。で、しかたなくぼつぼつ調べ始めている。そんなに古いことではないのにわからないことが多く、そう簡単には進まない。こちらにいる大学院生他との共作になるのか、単著になるのか、それよりたぶん、「解放」を求めて「過激」な――と言われた――運動を展開した「本人」たちへのインタビュー+αといったものが最初に出るものになりそうだ。するるとそれは、ドキュメンタリー映画の方がよいように思える。ただ私は言葉を記録し(記録してもらい)、文字にすることしかできないから、そちらをすることになるのだろう。今のところ集めた資料はHPにある。「生存学」で検索するとhttp://www.arsvi.com/が出てくる。その右下に「精神医療/障害」というところがある。そこからご覧ください。この文章とその関連情報も出てきます。



◇想田 和弘 20090630 『精神病とモザイク――タブーの世界にカメラを向ける』 ,中央法規出版,シリーズCura,242p. ISBN-10: 480583014X ISBN-13: 978-4805830147 1400+ [amazon][kinokuniya]  ※ m.
◇想田 和弘 20110720  『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』 ,講談社現代新書, 256p. ISBN-10: 4062881136 ISBN-13: 978-4062881135 760+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
◇横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな』,生活書院,432p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon][kinokuniya] ※ dh
 *初版1975年すずさわ書店、増補版1981年すずさわ書店

◇想田 和弘 監督 2007 『選挙』,[DVD] 紀伊國屋書店 ASIN: B000WSQIEM [amazon]
◇想田 和弘 監督 2008 『精神』,[DVD] 紀伊國屋書店 ASIN: B003JL0HT6 [amazon]
◇想田 和弘 監督 2010 『Peace』,[DVD] 紀伊國屋書店 ASIN: B007ZM2F22 [amazon] ※

◇想田和弘のtwitter https://twitter.com/#!/kazuhirosoda

cf.
◇立岩 真也 2010-2011 「社会派の行き先」,『現代思想』連載の一部
 *そのうち本にしてもらうつもりですが、あと何年かかかると思います。

◇稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2310 [amazon][kinokuniya] ※,
 *山田さんは小児科医で、直接精神医療に関わるという本ではありませんが、がんばって註もつけたりしたので、読んでいただければと。

◇立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮)→『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社 ※

◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社

『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『流儀』 (Ways)表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙


UP:20120520 REV:20120604, 16, 20150220, 1112
想田 和弘  ◇精神障害/精神医療  ◇想田 和弘  ◇立岩 真也 
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