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これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る

立岩 真也 2012 『精神医療』 67:68-78


 *『精神医療』(批評社刊)定期講読をお勧めします。
 http://www.hihyosya.co.jp/books/10002/

◆立岩真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,343p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

■引けてしまってきたこと・まず引いてみること

  身体障害のことなら、「地域で」暮らしたり「運動」したりしている人たちとつきあってきたことがあって、政策的なことにも関わっていくらか言えることがあり、実際言ってきたこともあるが、精神障害に関わっては、いくらか当事者(私は普段は「本人」と記すけれども)になって、いかにもしんどいことがわかった以外のことはわからない。(本誌にかつて書かせていただいたのも「障害者自立支援法」のことだったし、座談会に寄せてもらったのも「なんにも知りませんが」と言い訳した上での自殺をテーマとしたものだった。)
  ただ私が大学に入ったのは1979年で、その年に養護学校義務化の実施があり、そして保安処分新設が議論されているといった状況で、1・2年生の教養学部の自治会ではそれらに明確に反対する側は少数派だったのだが、3年生で文学部に進学するとそこでは(あとは農学部と医学部だったか)そういう「方向性」の部分が(学生全体の中ではごく一部なのではあるが)主導権をとっていて、いくらか私も関係した。その時にはまだあった東京を深夜に出る(大垣で乗り換える)各停の列車に乗って名古屋まで行き、81年12月の「名古屋パネル粉砕闘争」(「日弁連が主催した刑法「改正」にむけたパネルディスカッション(会場名古屋)に対し全国から500名の仲間が参加して抗議闘争をし、パネルを中止に追い込んだ」とこちらのHP内のページ――「生存学」で検索してその「中」を「反保安処分闘争」で検索すると出てくる――には書いてある)を見物したことがあったりする。それはほんとに瞬間的に「粉砕」されて終わった。というか始まらなかった。
  ただ、そのころもその後もそう勉強したわけではない。どちらにつくかとなったら、比べてもっともな主張だと思ったそちらの方についたというだけだった。ただ、「(自傷)他害」(の可能性)(に対する対応)については――多くの人がそう思っていると思うのだが――そう簡単ではないなと思い、そしてそれから思考は止まっているという情けないざまで、私が(ほぼ)もっともだと思うことを言い書いてきた人たちが言い書いてきたこと以外のことをすくなくとも、当面、たぶんこれからかなり長い間、言えそうにない。書ける時がきたらと思うが、いつのことになるのかわからない。
  ただそれはいつのことになるかわからないが、その周辺からぼつぼつと、と思う。例えば「精神病(疾患)」という言い方と「精神障害」という言い方とがある。「病気」と「障害」と、どういうことになっているのか。それで、とりあえず「とにかく素朴に」そこにあるだろう契機を分けて取り出そうとしてみる。病には(1)苦痛があり、(2)死の到来(の可能性)がある。障害には(3)不便さが生ずることがあり、(4)生活・姿の異なりがあり、そして(5)「加害性」が指摘される。(このことについてはいくつかの短文と英語(にしてもらった)論文には書いたが、まだまとまったものには書いてない。そのうち本にしてもらおうと思う。)
  精神障害・精神疾患にはそのすべてがある。あるとされる。それがことを複雑にさせている。まず(1)端的に苦しい。そして、(2)直接に死に至らせるということではないにしても――自身に対する「加害」と言う方がよいのかもしれないが――死に追い込まれることはある。(3)(この社会でとくに必要とされる知的能力、また身体的な機能自体も奪われるわけではないにしても)、外での仕事や生活ができず、暮らしていくのに不便が生ずる――そして隠しようのない障害と異なり「できない」ことをなかなか認めてもらえないこともあり、他方で認められてしまうと外されるといったことも起こり、両者の間で、そんなことで悩んでいる場合ではないのに悩んでしまうといったことも起こる。そして、(4)ときに気づかれないが、ときにはっきり表情や身体の挙動に現われる。そして、ここがずっとやっかいであったきたのだが、とくに精神障害や「発達障害」のある部分について(5)「(自傷)他害」が問題にされてきた。
  そのうち、私は、そして「障害学」だとか、そこで言われている「社会モデル」と呼ばれているものも、最も単純な部分、つまり(3)「機能障害(disablility)」――障害は普通はこの意味で使われる――を相手にしてきたということなる。それ自体は痛くもないし、それ自体で死ぬわけでもない。私自身はいわゆる障害(者)に関係や関心が特別にあったわけではなく、「能力(ablility)」というもののこの社会における位置づけが気になってきたことがあって今の仕事を始めて、基本今でもその仕事をしている。それで――少なくとも言うだけなら簡単な――(3)について考えてものを言ってきた。

■補う部分について

  まず、誰・どこが(所得保障も含め)補うことを担うのかについては、(実際には家族が担わされているが)、家族に他の人たちより大きな義務はないことは言える。そして所得保障に止まらず、介助(介護)等いわゆる社会サービスの提供についてもその負担は、所得の再分配が累進課税制等によって多いところから少ない方へという策としてなされるべきであるとすれば、それとまったく同じく、基本定額、せいぜい所得比例の負担の「保険」であるべきではない(これは医療についても言えることだ)。このことについては、さらに「家事」としてなされている仕事のことをどう考えるかについては立岩・村上潔『家族性分業論前哨』(生活書院、2011)等に記している。
  さてそれを今記した意味での「社会的負担」において行なうとして、次に、「どれだけ」をという問題がある。利用者の側は供給が少ないと言い続けてきたのだが、そして実際少ないのだが、それでもいくらか増えていく中で、「判定」「認定」の問題が浮上してきた。介護保険の認定基準の不合理は言われてきたし、それはそのとおりだと思うが、もう少し言えないだろうかとも思ってきた。それでこのことについて、最近出してもらった本に記した。
  そこに書いたことの一つは「供給側」の過剰供給要因――「利用者側」の過剰利用要因ではない――を抑制することができるなら、(医療保険がこれまではおおむねそうであったのと同様)基本的には本人の申し出そして/あるいは実際の利用に応じた出来高払いでかまわないということだった。(精神病院・老人病院における「過剰(というより加害)医療」がなぜ起こったのかを振り返れば――そういう意味でも後述するように歴史・事件をいちいち確認しておく必要があるのだが――その要因は利用者側にあったのではなく、それで収入を得、手間のかかることをせずにすませようとした供給者側の方にあることは明らかである。このことについては拙著『唯の生』(筑摩書房、2009)を参照のこと。)
『差異と平等――障害とケア/有償と無償』表紙   私(たち)の案がなかなか受け入れられないだろうことはわかっている。それでも基本的に言うべきこと、言えることは言っておこうと思う。少なくともそこから現実のまたこれからの制度を評価し、変えていくために使うことはできる。だから、立岩・堀田義太郎『差異と平等――障害とケア/有償と無償』(青土社、2012)を書いて、そこに「差異とのつきあい方」という文章を収録した。読んでいただければと思う。(それでは働く人が足りなくなるといった話があるが、そんなことはない。このことの説明も各所でしているので、略。)
  その上でもなお測定し認定するとなったらどうするか。精神障害についても在宅での支援が認められたことは前進と言えるだろう。ただその「決定」は――せざるをえないとなったとして――典型的な身体障害などよりやっかいなように思える。身体障害といってもいろいろだが、例えば足がないのであれば足を動かしてできることができないことは明日であり、その部分を補うべきであることは簡単に言える。しかしそれが精神障害や発達障害ということになると、どれだけ必要なのか、それをどう決めるのかという問題は、より面倒な問題として現れるように思える。
  ただ実際に調べてみるなら、たぶん、生活の手段を得るという場面だけをとれば、他人が入ってくるのはなかなかに煩わしいことなので、障害の種別をとわず、その「支援」はあればあるほどよいとは多く思われておらず、そう多くが必要だとされることもないだろう。やることだけやってさっさと帰ってほしいということだ。その限りでは、本人がいるという分ということでかまわない。そう言い張ろうと思う。

■手段の提供ですまない部分

  ただ、吉田幸恵「ある精神障害者の語りと生活をめぐる一考察――「支援」は何を意味する言葉か」(『Core Ethics』6、2010、PDFで全文を読める)も報告するように、ヘルパーが、できないことを補うという意味ではあまりすることはないのだが、話し相手だとかそんなことをして、帰ってくることがあり、ときにそれが大切であることがある。そんなところをどうしたらよいものか。その形は足が動かないなら車椅子(+α)、家事援助はヘルパーに、というよりは複雑な多様なものであるだろうし、あった方がよいのだろう。そこはどうしたものか。
  私が勤めているのは大学院で(理科系の修士課程などはまたずいぶん事情が違うのだろうが)もともと「一般社会」になじまない・なじめない人が多めであるということもあり、また入っても確実な将来などなにもないところでもあるから(他に仕事などあり、それを気にしないですむ人にとっては気楽でよいところだが、そうでない人には)精神衛生上よくない。調子が(もとからよくなかったが)わるくなった人の話を聞いたりといったことがときにあってきた。
  そんなわずかなつきあいでも、いろんな人がおり場合がある。例えば、長いこと入院したいというわけではまったくないが、今日・今晩はひどくて、一晩泊めてもらえばそれでよい、のだが、精神病院や診療所はそんなふうに使えない、とか、そんなことを見てきた。そういう人はずいぶん多いのだろうと思う。
  こうして、必要とされるのは、手段としての「介助」であることもあるが、そればかりではない、あるいはそれではないということがある。ある行為の代行者として必要であるのではなく、あるいはそれだけでなく、いることが求められることがある。その人が暮らすその場にいたらよいのか、その人が別の場に行ったらよいのか。人と場合によってずいぶん違う。精神科医療に抵抗がない人、その方がよいという人もいれば、医療者がいるところはまっぴらごめん、いやだと人もいる。
  そして、昨日はまあよいが今日は最低、ということもある。何曜日の何時から何時と予め決めるのは難しい。身体障害の場合の介助なら、だいたいの予定は立てられ、それに応じて利用し、単純にその時間に単価をかければよいということになるが、そこまで単純にいかないところがある。どのような制度に乗せるのか。それは私にはよくわからない。
  本誌のこの原稿依頼に時期的に重なって、フィルムアート社から出るという『ソーシャル・ドキュメンタリー――現代社会の〈リアル〉を記録する』(仮)という本に原稿を依頼されて、『精神』という映画(想田和弘監督、2008)について短文を書くことになって初めて観たのだが、その映画が記録している「こらーる岡山」では、待合室らしからぬ待合室がなにかしらそんな機能を果たしているようだった。またそこでは、牛乳配達をしている作業所「パスカル」、食事サービスを行なう作業所「ミニコラ」、ショートステイ施設「とまり木」を運営している(その映画が撮られた後、移送サービスも始めたようだ)。
  どんな具合であったらよいのか。1つや2つや3つの種類である必要はまったくないということはわかるが、どうやってもこぼれる部分は出てくるから、融通が効くこと、しかじかの資格をもっている人がいないといけないというふうにしないこと、公金の支出・公金による支援に際して、はじめの入り口でしぼるより、うまいぐあいにその場を開いて風通しを(ある程度)よくして、あまりひどいことが起こらないようにする、様子を(ある程度)外側から見られるようにするといったぐらいのことしか思いつかない。ただその不定形であるもの、あるべきものを、いくらか定型的であるしかない制度にどうやって乗せていくか、これは考えどころであり工夫のしどころだと思う。この業界にいる人々はそういうところに頭をしぼるべきだと思う。

■確かに苦くもある歴史を見る

  今後について、これからずっと、根本的になおるようになるというようなことはないだろうという以外に確実なことはない。しかし、常にそうした半端な状態にいるしかない中で、なおらないことに完全にいなおるのも辛いし無理なことではある。なにか苦し紛れにでもできることはしていくことになる。そして、さきに述べたように、ここには病・障害の少なくとも5つのすべての要素が絡んでいる。
  その様々を記録しておく必要はあるのだろうと思ってきた。ただ、先述したように、やり出したらやっかいなことになるだろうとも思い、また、 なにぶん何も素養がないから、私は控えるしかないと思っていたのだが、『現代思想』に長いこと連載のていをなしていない連載をさせていただいているその2010年の10月号から2012年の12月号までの計14回が「社会派のゆく先」というものだった(それは現在、たんに中断されている)。
  その一つのきっかけはその雑誌で多田富雄(1934〜2010)の追悼特集があった時に、多田たちのリハビリテーションの上限設定(2006)に対する批判をとりあげたことにもある。その人たちはなされるべきリハビリテーションがなされなくなってしまうと批判した。だが、他方に、リハビリテーションの「過剰」を批判する本人たちも(多田たちは知らなかっただろうが、それ以前から)いた。そしてさらに、批判された「日数制限」を肯定する(ように読める)報告書を出した委員会の長は、リハビリテーション医学をこの国に導入し定着させた「重鎮」であり、その発展に寄与してきたということになっている上田敏(1932〜)である。
  上田の書いたものを読んでみると、かつて彼は医療・リハビリテーションを否定する(と彼は捉える)「過激」な障害者運動(や、名前は出してないが東大助手共闘にいた最首悟(1936〜)ら)の主張を批判するのだが、後に、世界の潮流が「社会モデル」――わからない人はHPを――の方に近づくと、その流れを察知してということもあるだろう、身体だけをなおせばよいという発想を反省せねばならない、医療と社会変革の「両方」が大切であるといったことを言い、「障害受容」が大切だといったことも言う――この「概念」については田島明子『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』(三輪書店、2009)。
  こうして事態はいくらか複雑だ。簡単に言うと、かつて「敵」であった人たちが(とくに自らを自己批判したりすることなく)その「敵」が言っていたようなことをいつのまにか言うようになる。そんなこと自体は各所に起こる。それ自体はさほど珍しいことではないが、個々の事情は異なるだろう。どうなっているのか。
  私(1960〜)たちはぎりぎり、「左翼」の「内部」――と双方とも言われたくないのかもしれないのだが――の争いがそれに関係していることを知っているが、もっとわかりやすくいえば日本共産党とそうでない部分との争いがあったことを知っているが(この辺りのことについては『そよ風のように街に出よう』にやはり連載の体をなしていない「もらったものについて」という文章でも記している→もう9回になる)、まったく何も知らない人たちが多くなって、多々不毛なところがあったとも思いつつ、それがなかったことにしてしまうわけにもいかないと思った。
  そこで、名前を知っていてもすこしも読む気にもなれなかった人たちのものもみることになった。すると、秋元波留夫(1906〜2007)にしても、臺(台)弘(1913〜)にしても、「改革」を称している。そして、やはり「過激」な人たち――つまりは本誌を作った人たちのような人たちである――を、そこに当事あった「反精神医学」といった看板を持ち出してきて、(医療者のくせに)医療を否定しているとか批判しつつ、他方自分たちは医学的処置と社会的対応の「両方」が必要であると、正しい主張をしているのだと言う。
  私は、先にも記したように学生の頃すこし「赤レンガ病棟」を「占拠」していた人たちの系列に、たいして知らないままにすこし関わりがあったから、臺といえばロボトミーに関わったわるい奴というぐらいの認識しかなかったのだが、そしてその認識を取り下げようとも思わないが、群馬大学時代に「生活臨床」の実践に関わったことことも含め、いくつか知ることがあった。もちろん、「生活療法」「生活臨床」の思想・実践についても、小澤勲(1938〜2008)のずばっとした、そして藤沢敏雄(1934〜2009)、浅野弘毅(1946〜)による丁寧な批判はある――藤澤『精神医療と社会 増補新装版』(批評社、1998)、浅野『精神医療論争史――わが国における「社会復帰」論争批判』(批評社、2000)。また、実際には、秋元・臺らの批判の対象とされた人たちは普通の医療を普通にもっとまともに行なおうした(しかしときに実際にはそうでもなかった)人たちであり(たちであるにすぎず)、むしろそのことを精神疾患・精神障害の「本人」から批判され揶揄されもした人たちであったりした。(実際、ビラを刷ったりするのに「赤レンガ病棟」の部屋を使わせてもらった――それも正しくは違法な行いであったのかもしれない――ことはあり、ほんの1、2度出入りしたことがあったが、そこは、たしかに管理はいくらか緩いようではあったが、そして当局から金も出してもらえない状況だったから仕方のないことでもあったのだろうが、すこし湿気っぽいほの暗いような場所だった。薬の使い方だって他と変わらないじゃないかといった評判も聞いた。)そしてそれ以前に、書かれたものを読めば、「過激派」に対してなされた批判が、的を外していること、「ためにする」批判であったと言われて仕方のないものであることがわかる。批判された当人自身が、「反精神医学」をたしかに書名には掲げた当のその本で、当時「反精神医学」(とされたもの)に自覚的な距離をとり、まっとうに批判していたりもしているのである――小澤勲『反精神医学への道標』(めるくまーる社、1974)。となるとやはりそう単純ではない。
  しかしそうしたことごとを、今さらということなのか、追いかけたものがほとんど見あたらない。精神医学は他の医学の領域に比較して歴史記述が多い領域ではあるのだが、そしてかなり昔のことについてはかなり苦労しないとわからないと思うのにそこそこに書かれているのだが、(私にとっては)肝心なここ40〜50年ほどのことは――例えば歴史にたへん詳しい岡田靖雄(1931〜)の著作にも――あまり書かれていないことにあらためて気づくことになった。(とくに大学絡みの)精神科の医師たちの世界はもともと狭い世界であって、対立していたといってももとは同じ職場の人たちであったりし、その時々の分岐でどちらに分かれていくかについても微妙なところがあったから、とくに「当事者」は語りにくい書きにくいということがあるのかもしれない。それに関わってしまったとか、そこから出てしまったとか、様々あって、「痛い」ところがあって書きにくいのかもしれないず、それはわからないではないのだが、よくはない。
  さらに「本人」たちを加えるとやっかいである。例えば「全国「精神病」者集団」(1974〜)は過激な集団だということになっており、本誌に関係する(した)人たちにもそこから糾弾された人たちがいるはずだが、他方、さらにその集団を「ぬるい」といって批判する人たちがいる(HPを検索するとたくさん出てくる)。どちらにつくのか、ということになる。問題の大きな部分は、やはりここに(5)「加害性」をどう捉えるかというところの難しさに関わる。(私は、「べてるの家」が売れたのには、意図的にであるのかそうでないのかそういう「政治」から外れたところで活動を展開してきたその安心感があるのだろうと思っている。)
  他の障害(者)にもいろいろと対立はあるが、それでもおおむね(必要なものが)「足りない」というところで一致し、そんなに厳しい対立が生ずるということは――冒頭にすこしだけあげた「教育」のあり方を巡って以外――起こらなかったのに対して、この業界における対立は厳しいものがあった。それで書きにくかったということもあると思う。しかしそんなことを言っていたらいつまでも調べることができないし、当時を知る人たちがここ数年の間に幾人も亡くなられている。もうどうでもよくなった、言ってもよい、ということもあるだろう。今のうちに調べておいた方がよいと思う。
  そんな事情だけではない。他の領域についても実証的・歴史的な研究はないのだから、たんにさぼっていたということもある。そこでわからないことがたくさん出てくる。上記した私の連載(の一部)は史実自体を掘り起こすものではないが、それでも、まったくの素人ながら、あるいは素人だから、いくらかのことは書かねばと思った。とにかく「穴」が開きすぎている。
  そんなことを思って、過去に出版された(ほとんどすべて絶版になっている)書籍をまとめて購入した。古本で安いものが多かったが、中には(たぶん中身はたいしたことないはずだが)ずいぶん高いものもあって、買えなかったものもある。そして本誌については、ネットで探してもらって、第1次・創刊号から全部揃いで売っている本屋を1軒だけ見つけ、買った。ネット上の情報も、断片的なものが多かったが、ある程度は役に立った。(ただ、すこし昔のことになるとたいがい何も出てこない。検索すると私たちの作ったページだけ出てくるといったとも多かった。)
  そうして、ともかくあるものを使って、電撃療法、インシュリン療法、精神外科・ロボトミー、とさきの『現代思想』でごく簡単に触れていった。だが、例えばロボトミーにしてもわからなことがたくさんある。それは1940年代末以降、たしかに次第になしくずしに減ってはいくのだが、なくなったわけではなく、公然とした批判・自己批判がなされるのは1970年代に入ってのことになる。だが、佐藤友之の『ロボトミー殺人事件――いま明かされる精神病院の恐怖』(ローレル書房、1984)が出た後のことについて(例えば、4つの裁判のうち後の方の2つがどうなったかについて)まとまって書かれたものを目にしていない。それはそのままにしておく他なく、生活療法・生活臨床について見ておこうかというあたりのところで、(ひとまずまったく)別の主題についてまとめる必要があったことと、史料・資料集めの限界を感じてもいたから、少し間をあけようと思って、止めた。
  それでも医師たちは、例えばこの『精神医療』といった媒体によってものを書いてきたから、ある程度のことはわかる。(それでも、書きたくないからか、書けなかったらか、例えば「精医研」との争いと言われるものがなんであったのか、ほとんどなんだかわからなかったりする。)
  「本人」たちのとくに初期のことは、文字として残されておらず、もっとわからない。そこで、ごく小さな集団でありながら、あるいはあったから、様々に反対してきた「全国「精神病」者集団」 (1974〜)で活動してきた山本真理(長野英子)(1953〜)への公開インタビューを行ない――山本はこの集団には途中からの参加だから、当初のことは体験してはいない――、そして、これはまったくたまたま実現したのだが、その設立に関わり、以来ずっと関わっている大野萌子(1936?〜)の話を聞くことができた(もう一度はうかがうつもりだ)。大野の「保護室占拠 NO.1」という文章はこちらのHPにも掲載させてもらっており、1972年にそんなことをしたことは知っていたが、それが当時名古屋辺りの「改革派」の医師たちに見込まれ、運動に入っていくことになったこと、その中で、大野の自宅が仲間たちが時に寝泊まりする場になったこと、後で、医師たちの「支援」から独立して自分たちが暮らす場所が大阪に作られたこと、そして――きっかけは医師たちからの独立性を巡ってのことであったという――傷害事件を起こし逮捕され、大阪拘置所で放置され死亡させられた鈴木国男が刺した相手は「病」者集団の仲間であり、その居場所の同居人であったことも大野に聞いて知った。読むと、吉田おさみ(1931〜1984)――私はこの人がどんな人だったかずっと知りたいと思っているのだが、今のところ詳しいことを誰からも聞くことができない――の本にはそのことが簡潔に書いてあるのだが、そういう「流れ」は話をうかがうまでわからなかった。(そしてその大野の話を聞いても、また医師たちの記述を見ても思うのは、名古屋・京都・大阪といった西の方の動きがけっこう重要だということだ。障害者運動における関西の動きは重要性はそれなりに認識していたが――こちらに提出された博士論文が本になったものとして定藤邦子『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(生活書院、2009)がある――精神医療・精神障害の関係では、東大医学部から始まった方絡みのことしか知らなかったこともあり、調べ始めてようやくそのことを実感したという次第だ。)
『生存学』3 表紙   無知はあらためて感じたこともあり、以前から思っていたことでもある。そして一人でできることは少ない。けれど、私の勤め先の大学院に、(現場の人やら今は大学等の教員である人やら)精神科のソーシャルワーカー、看護師、精神科医、そして「本人」たちが、――「既に」という人もいるし、また「なりやすい」ところでもあることはさきに述べた――大学院生として思いのほか多くいて、研究会ができたりもしている。『生存学』という私たち(生存学研究センター)が出している雑誌の第3号(2011)の特集は「精神」(生活書院発売、書店で購入することも、こちらからお送りすることもできます)。阿部あかね「わが国の精神医療改革運動前夜――1969年日本精神神経学会金沢大会にいたる動向」といった論文も収録されている。私自身も同僚の天田城介との対談でいくらかのことを述べている。
  精神医療に限らず、こんなことをずっと思っていて、「身体の現代」という題で文部科学省の科学研究費に応募したが外れてしまい、すくなくとも今年度は金がない。だから見かねてというのではないだろうが――科研費のことなど人は普通知らない――私たちが資料を集めてきたことを知って、これまで何件か、かなり古い(といっても、繰り返すがこの50年ぐらいの間のことだ)資料を寄贈していただいた。関心のない人にはまったく無価値なものだが、そうでない人にとってはそうではない。たいへんありがたい。整理・公開の仕方が難しいが、ぼつぼつやっていければと思っている(この文章も含め、基本すべてをHPで公開していく→「生存学」http://www.arsvi.com/→表紙右下「精神医療/障害」)。近いところでは、広田伊蘇夫氏(1934〜2011)が遺された蔵書を寄贈していただけるかも、というお話をいただいている。そうした支援を得つつ、やれる間にやれることをと、かなり真面目に思っている。皆様におかれてもどうかよろしくお願いいたします。

■文献

◆阿部 あかね  2011/03/31 「わが国の精神医療改革運動前夜――1969年日本精神神経学会金沢大会にいたる動向」,『生存学』3、生活書院
◆浅野 弘毅 20001010 『精神医療論争史――わが国における「社会復帰」論争批判』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー3,211p. ISBN:4-8265-0316-4 2100 批評社,メンタルヘルス・ライブラリー3,211p. ISBN:4-8265-0316-4 2100 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01h1956. m01h1958.
◆藤澤 敏雄 19981110 『精神医療と社会 増補新装版』,批評社,431p. ISBN-10: 4826502648 ISBN-13: 978-4826502641 3150 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01h1956.
◆小澤 勲 19740501 『反精神医学への道標』,めるくまーる社,312p. ASIN: B000J9VTS4 1300 ※ [amazon] ※ m, 反精神医学
◆定藤 邦子 20110331 『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』,生活書院,344p. ISBN-10: 4903690741 ISBN-13: 9784903690742 \3000 [amazon][kinokuniya] ※ dh. ds.
佐藤 友之 1984 『ロボトミー殺人事件――いま明かされる精神病院の恐怖』,ローレル書房,259p. ISBN-10: 4795231125 ISBN-13: 978-4795231122 [amazon][kinokuniya] ※ m. ps.
◆田島 明子 20090625 『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』,三輪書店,212p. ISBN-10: 4895903389 ISBN-13: 978-4895903387 1890 [amazon][kinokuniya] ※
◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et. [English]
◆立岩真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,343p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.



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