一九九〇年に上野千鶴子さんが『家父長制と資本制』という本(上野[1990])を書かれ、あれはかなり受けました。私自身も、彼女が主張していることに同感できるところは多々あるわけですが、しかし、あの本でなされている話に関しては、正直言って私には全然分からなかったという感があるのです。それをどう解くか、どう言い直すか、それが、しばらくの間、私の関心事でした。その上野の本(上野[1990]、今は岩波現代文庫版もある)が出たからというだけでもなく、一九九〇年代前半、この主題についてしばらく関心があっていくつか文章を書いたのだが、その後、別の様々について書くことになって、そして「続き」がいると思いながら、そのままになり、この主題に戻ることができなかった。けれども、これはそれなりにまとめた方がよいとも思ってきた。勉強すること自体から遠ざかってきたのだから確かなことは言えないのだが、その世界での議論がそう前進したようにも見えなかった。そこで、青土社の月刊誌『現代思想』で、二〇〇五年一〇月号から「家族・性・市場」という題の連載をさせてもらうことになった([2005-])。そしてたしかにその第一〇回まではその主題について書いてはいた。ただその話は途<0004<中にしたまま、別のことを書くことになってしまい、その連載はまったく連載の体をなしていないものになっていった 。それはそれとして、終わらせ、まとめるつもりだ。しかしそれにはまだだいぶ時間がかかりそうに思った。そしてさきの引用の最後に記したように、『思想』掲載の「家族・性・資本 素描」([2003b])に、その「続き」にあたる部分について、だいたいこんなことが言えるのではないかという粗筋のようなものを書いてもいる。それからでも七年も経っている。それを最初に置けば、私が述べたいことがいくらか見えてくるのではないかとも思った。そこで、いったん、それらをそのままのかたちで出してもらうことにした。説明等を足した部分は〔 〕で囲って、それとわかるようにした(上野[1990]→上野[1990 → 2009]等、断わる必要のない部分については略した)。我ながらわざわざそんな昔のものを今、とも思うが、その時はその時として、書いた範囲内では間違ったことは書いていないとも思う。それはそれとして読んでいただいてもよいのではないかと思った。
私は八〇年代半ばから後半にかけて、障害を持っている人たちの社会運動や生活についてのリサーチをして、九〇年に共著の本を書いたのですが(安積他[1990])、その中で家族や介護の問題についていろいろと考えることになったという経緯があります。そんなわけで、私は介護の話だったらけっこう長くやっているので、最<0003<近この主題について話し出された人たちよりは、きちんとしたことが言えるという自信はあるのですが、そういうところも含めて、性分業や家族について言われていることについて、だいぶ言葉を足したり、しっかり組み合わせをしたりしないとだめなのではないかと思ったわけです。
それで、九〇年代初めごろから学会誌に幾つか論文を書いたり、学会報告などしてきて([1991]〜[1996])、その時点で多分、本一冊分ぐらいになったのですが、一〇年ほどほうっておいたのです。その時にまとめてしまわず、しばらくほうっておいてもよかったかなとも最近少し思ってもいます。つまり、それからまた考えを足す部分もやはりあったということです。その再開の第一歩がお配りした『思想』の論文〔→本書第1章〕になるかと思います。
「男は市場/女は家庭(+市場における差別待遇)という性別分業のあり方が、夫/資本/国家…に利益<0007<を与えているという主張を検討する。この分業がかくも根強く在る時、ここから利益を得ている者がいるのではないかと考えるのはもっともなことだ。しかし、その言明の多くが十分な吟味を経ないまま流通してしまっている。例えばありとあらゆることが書かれており、中心となる論理の道筋の見えない上野[1990]中の以下のような言葉。[…]」([1993d])この年の六月に関東社会学会の大会が立正大学であって、同じような報告([1993a])をした。そして今引用したのは十月に東洋大学(白山校舎)で開催された日本社会学会での報告から。この時には会場に上野と江原(由美子)が来てくれていて、終わった後、昼食をとりながら上野と話をしたことを、その中身について記憶はないのだが、覚えている。そしてその後(いつだったか記憶がまるでないが、検索してみると、上野が東京大学に移るのは一九九三年四月のようだ)、一度、東京大学のゼミかなにかで話をしたことがあったと思う。何がどのようにすれちがったのか、やはり忘れているのだが、私が示す一つひとつの論点がなにも決着しないまま、別の論点が示され、話が移っていくといった具合に推移したようなおぼろげな記憶が残っている。その人もその学校を辞めることになって、それを機会に『上野千鶴子に挑む』(千田編[2011]が出され、その中では、「『対』の思想をめぐって」(千田[2011])、「主婦論争の誕生と終焉」(妙木[2011])が、いくらか本書に述べることに関わることにふれているが、その書き手たちにおいて、私が不思議に思ったことはあまり不思議に思われていないようだ。その理由は私にはよくわからない。
「再読して、本書を再刊することにためらいを覚えた。今ならこうは書かないと思うことが多く、改訂しよ<0008<うと思えば、ほとんど全面的に書き改めなければならないと思ったからである。本書がもしわたしの指導学生の博士論文であれば、大幅な改訂を求めたであろう。」(上野[2009:419])そして続けて、いくつかのことが書かれており、それらの多くは間違っていないとは思う。ただ、それを読んでも、では代わりに何を言うのか、依然として、よくわからないという感は残る。ちなみに、右のように始まる著者解題において、上野は、その本に寄せられた批判を――それにつきないとしつつ――五つあげている。(1)は「伝統的マルクス主義の立場から」の批判、(2)が「逆に近代主義の立場から、マルクス主義の主張する『不払いの家事労働』の男性による『領有』や『搾取』を否定するもの」となっていて、そこに落合・落合[1991]、立岩[1994a](本書第2章)が挙げられている。『現代思想』二〇一一年一二月号の臨時増刊号が上野を特集する。そこに収録される拙文([2011])ではこの「著者解題」にもすこしふれる。