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『家族性分業論前哨』


 立岩 真也村上 潔
 2011/12/05
 生活書院,360p.
 2310円(2200円+税)
 [English] / [Korean]



このHP経由で購入すると寄付されます

立岩 真也村上 潔 20111205 『家族性分業論前哨』,生活書院,360p. ISBN-10: 4903690865 ISBN-13: 978-4903690865 2200+110 [amazon][kinokuniya] ※ w02, f04

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目次(本頁内)
(全文・本頁内)
あとがき(本頁内)
文献表
書評・紹介・言及

〔外部リンク〕生活書院Webサイト内の紹介ページ

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資本制は近代家族を必要とするとか、性別分業の体制が資本制にとって機能的だと言われる。
だがそれは本当なのか?
問いは単純だが答を見出すのは容易でなく、未だ実は解が与えられていない主題の、どの方向に限界があり、どこを撃ちどう考えて言葉を足していけばよいのか。
介護・介助に関わっての深い思索の中から紡がれた、解に向けての道筋。
 
 
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目次



第1章 家族・性・資本――素描 [2003/11]

1 一言で括られてしまうものを括らないこと
 1 解かれていない
 2 構成要素
 3 関係
2 家族という単位
 1 それが位置する位置
 2 利害の布置とその評価
3 古典的な近代家族体制
 1 その成立
 2 作用
4 変容について
 1 解体と変位
 2 何を狙うしかないのか

第2章 妻の家事労働に夫はいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備 [1994/03]

1 主題の設定
 1―1 不払い労働という主張
 1―2 問いの範囲
 1―3 夫が支払うということ
2 夫は妻にいくら払うか:通常の場合
 2―1 夫に対する労働に対して
 2―2 子に対する労働に対して
3 夫は妻にいくら払うか:その他の論理
 3―1 A:機会費用という論理
 3―2 B:市場価格以外での算定方法
 3―3 C:共働・共有
 3―4 行為の外部化
 3―5 歴史
 3―6 問いは解かれていない
4 専業主婦という存在
 4―1 市場は利益を得ていない/男性労働者は利益を得ている
 4―2 家族内での合算
 4―3 顕示的消費としての専業主婦の存在
 4―4 支配/従属→従属による従属
5 家族という境界
 5―1 市場/国家による支払い
 5―2 家族に行為を担わせることによる利益はない
 5―3 家族という境界設定
6 結語

補 「年二七六万円」を夫が払う?――妻の家事労働の経済的評価を考える[1997/12]

第3章 労働の購入者は性差別から利益を得ていない [1994/12] 215-237

1 はじめに
 1―1 課題
 1―2 考えるべきこと
2 労働を買う側は利益を得ていない
 2―1 女性を雇用しない場合
 2―1 女性が部分的に市場に参加する場合
3 男性労働者は利益を得ている
4 まとめと残された課題

第4章 〈公共〉から零れるもの [2005/03]

1 はじめに――変更について
2 私から
 [補]「依存」「ケア」について
3 社会領域の編成

第5章  近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない [1992/10]

1 近代家族を問うということ
 1―1 誰が、何を、何によって規定するのか
 1―2 近代社会と家族
 1―3 基点・焦点としての人間
2 合意・私的所有権と家族
 2―1 秩序の構成原理としての私的所有権
 2―2 個人・家族の位置の変更
 2―3 成員・義務・権利の設定不可能性
3 諸作用の複合と家族の「問題」の位置
 3―1 家族への介入
 3―2 家族を巡る「問題」の位置

第6章 「愛の神話」について――フェミニズムの主張を移調する [1996/02]

第7章 性の「主体」/性の〈主体〉[1998/10]

第8章 〈ジェンダー論〉中級問題 [2003/01-07]

1 変わったか
2 性別分業
3 性/差
4 三つの立場
5 (機会の)平等派
6 それで終わらない
7 「自然」
8 「構築」
9 確認・その二
10 「自由」
11 存在に対する態度
12 身体/世界
13 ひとまずの終わりに

《戦後日本の性別役割分業と女性/労働をめぐるブックガイド90》  (村上 潔

◇歴史 ◇家父長制と資本制 ◇近代家族 ◇性別役割分業 ◇アンペイド・ワーク ◇法・政策 ◇企業社会と女性 ◇主婦論争 ◇働く/働かない ◇家庭/生活 ◇兼業主婦 ◇男女共同参画 ◇両立支援 ◇リブ

あとがき
文献表
 
 
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 本書には、二〇〇五年に「公共哲学京都フォーラム」というところで話した(そして公刊されるはずだったがされなかった)話(立岩[2005a]→以下立岩の書きものについては著者名略)も再録したのだが、その初めの方で(本書第4章・一六五頁)次のように言っている。
 一九九〇年に上野千鶴子さんが『家父長制と資本制』という本(上野[1990])を書かれ、あれはかなり受けました。私自身も、彼女が主張していることに同感できるところは多々あるわけですが、しかし、あの本でなされている話に関しては、正直言って私には全然分からなかったという感があるのです。それをどう解くか、どう言い直すか、それが、しばらくの間、私の関心事でした。
 私は八〇年代半ばから後半にかけて、障害を持っている人たちの社会運動や生活についてのリサーチをして、九〇年に共著の本を書いたのですが(安積他[1990])、その中で家族や介護の問題についていろいろと考えることになったという経緯があります。そんなわけで、私は介護の話だったらけっこう長くやっているので、最<0003<近この主題について話し出された人たちよりは、きちんとしたことが言えるという自信はあるのですが、そういうところも含めて、性分業や家族について言われていることについて、だいぶ言葉を足したり、しっかり組み合わせをしたりしないとだめなのではないかと思ったわけです。
 それで、九〇年代初めごろから学会誌に幾つか論文を書いたり、学会報告などしてきて([1991]〜[1996])、その時点で多分、本一冊分ぐらいになったのですが、一〇年ほどほうっておいたのです。その時にまとめてしまわず、しばらくほうっておいてもよかったかなとも最近少し思ってもいます。つまり、それからまた考えを足す部分もやはりあったということです。その再開の第一歩がお配りした『思想』の論文〔→本書第1章〕になるかと思います。
 その上野の本(上野[1990]、今は岩波現代文庫版もある)が出たからというだけでもなく、一九九〇年代前半、この主題についてしばらく関心があっていくつか文章を書いたのだが、その後、別の様々について書くことになって、そして「続き」がいると思いながら、そのままになり、この主題に戻ることができなかった。けれども、これはそれなりにまとめた方がよいとも思ってきた。勉強すること自体から遠ざかってきたのだから確かなことは言えないのだが、その世界での議論がそう前進したようにも見えなかった。そこで、青土社の月刊誌『現代思想』で、二〇〇五年一〇月号から「家族・性・市場」という題の連載をさせてもらうことになった([2005-])。そしてたしかにその第一〇回まではその主題について書いてはいた。ただその話は途<0004<中にしたまま、別のことを書くことになってしまい、その連載はまったく連載の体をなしていないものになっていった 。それはそれとして、終わらせ、まとめるつもりだ。しかしそれにはまだだいぶ時間がかかりそうに思った。そしてさきの引用の最後に記したように、『思想』掲載の「家族・性・資本 素描」([2003b])に、その「続き」にあたる部分について、だいたいこんなことが言えるのではないかという粗筋のようなものを書いてもいる。それからでも七年も経っている。それを最初に置けば、私が述べたいことがいくらか見えてくるのではないかとも思った。そこで、いったん、それらをそのままのかたちで出してもらうことにした。説明等を足した部分は〔 〕で囲って、それとわかるようにした(上野[1990]→上野[1990 → 2009]等、断わる必要のない部分については略した)。我ながらわざわざそんな昔のものを今、とも思うが、その時はその時として、書いた範囲内では間違ったことは書いていないとも思う。それはそれとして読んでいただいてもよいのではないかと思った。

 ただ私は、その一九九〇年代の前半の一時期、いくらか文献に当たったりはしたが、その後は、何も勉強していない。そこで、私の務める大学院の修了者で、この領域のことをよく知る村上潔(博士予備論文(他では修士論文に相当)後の論文として村上[2006][2008][2009a][2009b][2009c][2009d][2010a][2010b][2011])に共著者になってもらい、関連書籍の紹介をしてもらった。本書は近く電子書籍でも刊行される。その電子書籍版では、各々の書籍についてのより詳しいデータ(HP上のファイル)を読むことができるように<0005<――該当ページにリンクできるように ――なっている。また音声で聞くこともできる。あとがきにも記すけれど、私たちの多くが生活書院にお世話になってきた理由の一つは、この出版社の出版物のすべてをテキスト・ファイルでも提供しているからだ。本書については、電子書籍 ――残念ながらまだ日本ではそのすべてが「聞ける」ものとして出版・販売されてはいないが、私たちはその現状を変えたいと考えているし、変えるつもりでいる――がその役割を果たすことになる(購入の手続き等については本書の題名で検索していただきたい)。
 私は、いろいろと行きがかりもあり、介助・介護について幾度も書いてきた([1990b][1995a][2000b]、近いところでは[2008a][2008c])。上野もこのごろは「ケア」についてたくさん書いている(長い連載をまとめたものとして上野[2011])。そして、対談でじかに話した限りでは、違いがありつつもそう大きくは違わないように思った(上野・立岩[2009])。しかし、一九九〇年に私は書いてあることがわからなかった。とすると、いったいそれはどういうことになっているのか。不思議に思う人もいるかもしれない。ただ今回は、かつて書いたままのものをそのまま掲載することにした。必要であれば、意義があるのなら、かつて感じて考えた違和と現在との関係について、何か書くことがあるかもしれない。
 ただ、その手前で一つまとめておこうと考えている。以前、世話する仕事を巡って、有償/無償を巡る議論があった。あるいはまだある。それでさきの連載の一部でそのことについて書いた。それに、こちら(立<006<命館大学衣笠研究機構)の研究員でもある堀田義太郎さんが反論の文章を書いてくれた。それでその続きを書いた。さらに堀田さんが書いてくれた。そのやりとりがある。ただそれは今どき流行らない主題なのかもしれない。ある部分では「社会化」は当然のこととされているので、今さらという気がするかもしれないし、有償労働を支持する私の立場にしても、堀田さん(たち)が言いたいことはわかりつつある種の諦念のもとにそれを主張するというところがあるから、そう盛り上がらない。それで、もう一つ、では「ケア」を使うとしてそれはどれだけ(まで)よしとされるのか、払う(払わせる)としてどれだけなのか、という問いを考えてみることもあってよいと思った。それは単純に答えが出る問いのようにも思える。ただ「ニーズ」といったものを巡ってそれなりにややこしい議論がこれまでなされてきたようでもある。簡単なことのようなのだが、難しく考えると難しいことであるともされる。堀田さんはその方面で、やはりここでも、私よりずっと勉強しているのでその部分の議論を書いてくれたら、合わせていくらかの意義があるかもしれない。それで共著の本(立岩・堀田[2012])として出してもらう。その共著の本は青土社から刊行される。
立岩真也

[註]
◆01 一九九三年の学会報告の一つは次のように始まる。
 「男は市場/女は家庭(+市場における差別待遇)という性別分業のあり方が、夫/資本/国家…に利益<0007<を与えているという主張を検討する。この分業がかくも根強く在る時、ここから利益を得ている者がいるのではないかと考えるのはもっともなことだ。しかし、その言明の多くが十分な吟味を経ないまま流通してしまっている。例えばありとあらゆることが書かれており、中心となる論理の道筋の見えない上野[1990]中の以下のような言葉。[…]」([1993d])
 この年の六月に関東社会学会の大会が立正大学であって、同じような報告([1993a])をした。そして今引用したのは十月に東洋大学(白山校舎)で開催された日本社会学会での報告から。この時には会場に上野と江原(由美子)が来てくれていて、終わった後、昼食をとりながら上野と話をしたことを、その中身について記憶はないのだが、覚えている。そしてその後(いつだったか記憶がまるでないが、検索してみると、上野が東京大学に移るのは一九九三年四月のようだ)、一度、東京大学のゼミかなにかで話をしたことがあったと思う。何がどのようにすれちがったのか、やはり忘れているのだが、私が示す一つひとつの論点がなにも決着しないまま、別の論点が示され、話が移っていくといった具合に推移したようなおぼろげな記憶が残っている。その人もその学校を辞めることになって、それを機会に『上野千鶴子に挑む』(千田編[2011]が出され、その中では、「『対』の思想をめぐって」(千田[2011])、「主婦論争の誕生と終焉」(妙木[2011])が、いくらか本書に述べることに関わることにふれているが、その書き手たちにおいて、私が不思議に思ったことはあまり不思議に思われていないようだ。その理由は私にはよくわからない。
 その本が文庫にもなったことは、この本のための原稿を集め組み合わせる作業が終わった後に知った。その「著者解題」(上野[2009])は以下のように始まる。
 「再読して、本書を再刊することにためらいを覚えた。今ならこうは書かないと思うことが多く、改訂しよ<0008<うと思えば、ほとんど全面的に書き改めなければならないと思ったからである。本書がもしわたしの指導学生の博士論文であれば、大幅な改訂を求めたであろう。」(上野[2009:419])
 そして続けて、いくつかのことが書かれており、それらの多くは間違っていないとは思う。ただ、それを読んでも、では代わりに何を言うのか、依然として、よくわからないという感は残る。ちなみに、右のように始まる著者解題において、上野は、その本に寄せられた批判を――それにつきないとしつつ――五つあげている。(1)は「伝統的マルクス主義の立場から」の批判、(2)が「逆に近代主義の立場から、マルクス主義の主張する『不払いの家事労働』の男性による『領有』や『搾取』を否定するもの」となっていて、そこに落合・落合[1991]、立岩[1994a](本書第2章)が挙げられている。『現代思想』二〇一一年一二月号の臨時増刊号が上野を特集する。そこに収録される拙文([2011])ではこの「著者解題」にもすこしふれる。
◆02 最初の八回は「家族・性・市場 1」「労働を買う側は利益を得ていない」「労働を買う側は利益を得ていない・続」「経済という語で何を指しているのか」「専業主婦体制・1」「専業主婦体制・2」「労働を買う側は利益を得ていな「専業主婦体制・3」「専業主婦体制・4」。その後、労働についてもっと手前のところから考えた方がよいだろうと思い、そちらの方に移っていった。そしてさらに話はずれていった。そうしてそこに書いていったことのいくらかは、いずれもだいぶ書き足したりはしたが、本になっている。第三八回(二〇〇八年一月号)から第四五回(二〇〇九年七月号)までの「税制について」は、『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])に収録された「軸を速く直す――分配のために税を使う」([2009b])になった。第四八回(二〇〇九年一一月号)から第五二回(二〇一〇年三月号)は、『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(立岩・齊藤[2010])に収録された「BIは行けているか?]([2010b])になった。また、第二九回(二〇〇八年一月号)から第三五回(八月号)までの「有限でもあるから控えることについて」は、『唯の生』([2009a])の第3章になった。
 
 
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あとがき

 もう二〇年近く前に書いた文章をそのまま再録するといった本を出してもらう経緯については序に記した。そしてこの本は生活書院から刊行される。その編集者であり社長であり、だからどうということもないのだが同じ年の生まれの橋淳さんとは、いくつかの企画を相談していて、この本が最優先ではなかったのだが、そして共著者の村上さんの原稿をずいぶん長く待ってからということではあったのだが、まず、できたものをということで、この時期にこの本が刊行される。その本についてとくに加えることはないから、その生活書院(とのこと)についてすこし書こう。
 高橋さんとは学会や大会等の本の売り場でたまたま会うといったことがあった――『生の技法』(安積他[2000][2005])以来、本を売り歩く癖がついてしまって、たいがい報告はパスして私もそんな場にいることが多かったのだ。そして二〇〇六年の初夏、なにかでお会いした時、高橋さんから(長く務めてきた出版者からの)独立・出版社の立ち上げの計画を初めて聞いたのだろうと思う。(その時には社名の話も出て、「生活書院」というのを考えていると言われ、それはあまりに「べた」にすぎるだろうと返した。しかし)橋さんは本当にその名前の出版社をその九月に立ち上げた。べたすぎて当初は奇異に(立岩には)感じられた社名にも、慣れれば慣れるもので、わりあいすぐに慣れ、そして発足からもう五年が経った。
 そして公刊されるべき本を出してきた。例えば、二〇〇七年の九月には、横塚晃一の名著『母よ!殺すな』(横塚[1975][1991])が再刊された。それはもとの本の倍の分量はある新版と言うべきもので、それだけでもこの出版社ができた意義があると言ってしまいたいところがある(その第二刷にはさらに新たな資料が加えられている)。私はそれに「解説」を書かせていただいた([2007])。
 そして、その年のちょうどその頃に始まり二〇一一年度まで続いた(国が金を出すそういう仕組み自体がなくなったのだ)――と、もう過去形になりつつあるが、消滅するわけではなく、「生存学研究センター」は学内の研究組織としては続いていく「グローバルCOEプログラム『生存学』創成拠点 障老病異と共に暮らす世界の創造」の雑誌『生存学』(四号まで出ていて、本屋で買えます)や、「センター報告」と呼んでいる報告書のシリーズ(これまで一七冊)の刊行でお世話になってきた。 また、単行本では、二〇〇八年、アフリカ日本協議会の稲場雅紀さんと小児科医の山田真さんにうかがった話に稲場さんの文章と私が作った長い註を付した『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(稲場・山田・立岩[2008])を出してもらった――われながらよい本だと思うのだが、なかなか売れてはいないようで迷惑をかけている。また二〇一〇年三月には、――これはこちらからの持ち込みではなく、当初いらした編集者二宮裕史さんの提案によるものだったが――トマス・ポッゲの『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』(Pogge[2008=2010])という訳書が出版された(大学の助成金を得られるようにという理由で、私が監訳者ということになっている)。そして今年、二〇一一年三月には、まとめて、天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』(天田・北村・堀田編[2011])、安部彰『連帯の挨拶――ローティと希望の思想』(安部[2011])、橋口昌治『若者の労働運動――「働かせろ」と「働かないぞ」の社会学』(橋口[2011])、定藤邦子『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(定藤[2011])の四冊が刊行された。後者の三冊は私の務め先の大学院に提出された博士論文がもとになった本である。『老いを治める』は、同僚の教員の天田さんと博士課程を修了し大学の研究員の二人の共編の本であり、「老い研究会」というこちらの研究会の最初の成果ということにもなる。
 こうして、たくさん出してもらっているのだが、その理由の一つは、生活書院がすべての本についてテキスト・データを提供している――このデータなら、字が見えなくても、頁がめくれなくても、PCを使って聞いたりすることができることにある。みなそうなったらよいと思うが、ほおっておいてもそうはならないようだ(例えば米国の電子書籍はみな聞ける形式のものなのだが、日本のはそうではない。それはまったくけしからぬことなので、まともな方向に仕向けようという研究企画も大学が資金を提供する企画として進めている。ただそれが実現しても、電子書籍として刊行されたり再刊されたりしないものをどうするかという問題は残る。と、すべきことは続いていく)。まず私たちができることとして、その方針をきちんと示し実行していく出版社にお願いすることがある。そんな思いもある。結果、家内制手工業的企業の資本家兼労働者の過労を招き、さらにその会社経営を圧迫してはいないかと心配しつつ、今回も無理をお願いすることになった。感謝いたします。
 
 
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書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2013/08/16 「上野千鶴子『家父長制と資本制』がわからなかったので――連載:予告&補遺・17」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa17.html

◆2012/05/20 azusa2528さんのレビュー[ブクログ]
 http://booklog.jp/item/1/4903690865
 「ブックガイドがよい(村上潔が書いている)」

◆2012/05/05 「対話を求めて14」[たわしの「対話を求めて」ブログ]
 http://blogs.dion.ne.jp/hiroads/archives/10741420.html

◆2012/05/03 https://twitter.com/asahipress_2hen/status/197969864244211712

 朝日出版社 第二編集部?@asahipress_2hen 立岩真也・村上潔『家族性分業論前哨』──「〔上野千鶴子と〕話した限りでは、違いがありつつもそう大きくは違わないように思った…しかし、一九九〇年に私は〔上野の本に〕書いてあることがわからなかった。とすると…それはどういうことになっているのか」http://www.arsvi.com/ts/2011b1.htm#t 」
◆2012/04/26 https://twitter.com/lpnthenphw/status/195526262679289859

◆2012/04/02 n2kさんのレビュー[ブクログ]
 http://booklog.jp/item/1/4903690865
 「『家父長制と資本制──マルクス主義フェミニズムの地平』上野千鶴子(1990)と合わせて読んだ方がいいです。」

◆2012/03/31 miwasakaiさんのレビュー[ブクログ]
 http://booklog.jp/item/1/4903690865
 「ここ20年間ほどに書かれた家族に関する論文?を集めたもの。今、読んでも変わらず言えることが多いです。家族の根本は、そんなに変わってないのかもですね。」

◆2012/03/28 『社会新報』4681号《女の本棚》欄
 ◇立岩真也・村上潔 著『家族性分業論前哨』――男は仕事、女は家庭ではなく
「 “男は外で仕事、女は家の中で家事”。そのやり方こそ女を経済的にも心理的にも搾取し続けてきたやり方であると、フェミニズム思想はずっと異議申し立てを続けてきた。
 たとえば社会学者の上野千鶴子は『家父長制と資本制』(1990年初版)にて「男は市場/女は家庭(+市場における差別待遇)という性別分業のあり方が、夫/資本/国家…に利益を与えている」と主張した。
 それから20年以上経つが、未だに女性の収入は男性の約3分の2、さらに内閣府の『子ども子育て白書 平成23年度版』によると6歳未満の子どもを持つ夫の育児時間は、1日1時間未満、である。
 男女の不均衡は変わらぬまま、未婚率の上昇、男性たちの非正規労働者は増加し、性差別的事態がなくならないままに、家族機能は崩壊するという未曾有(みぞう)の事態に現在は直面しているといえる。
 この本は性別役割分業ではなく、“家族性分業”という言葉を使う。性別役割分業への異議申し立てのやり方としては、家事労働に賃金を与えるとか、機会の平等を保障するといった方向でなく「男性と女性が会社と家庭という場所に固定されていること自体」こそを第一に問題視すべきという主張だ。しかしこの本を理解するに際し、ある一定以上の知識を要求している事実は否めない。それゆえ巻末のブックガイドから読み始めるのも手だ。(栗田隆子)」

◆2012/03/25 『東京新聞』・『中日新聞』書評欄
 『家族性分業論前哨』立岩真也著
「 夫は外で働き、妻は子育てと家事労働を受け持つという古典的な近代の家族分業体制は誰の利益になる制度なのだろうか。夫・資本・国家がそれぞれ利益を得ていると主張した上野千鶴子『家父長制と資本制』の議論を批判的に検証。男女の性差別で男性労働者は利益を得ているが、夫の立場や資本家にとって必ずしも利益ではないと分析・検証する。巻末に村上潔による「ブックガイド」付き。(生活書院・二三一〇円)」

◆2012/03/25 https://twitter.com/#!/KinoShinjuku/status/183705347117154305

「紀伊國屋書店新宿本店?@KinoShinjuku [今朝の新聞より]「東京」からは、立岩真也さんの『家族性分業論前哨』 http://bit.ly/GM89h1 を。昨年末に上梓された論考集。「問いは単純だが答を見出すのは容易でな」いとの惹句は決して大げさではありません。 ^KO」

◆立岩 真也 2012/03/01 「どれだけをについてのまとめ・3――連載 76」
 『現代思想』40-3(2012-3):- →

 「利用者と供給側とのつながりがある場合、いくらか問題は生じやすくなる。
 一つは家族である。次回にとりあげる「家事」全般にも関係することだが、家族がこの仕事をしそこから支給を得る時にやっかいさがいくらか増える。私(たち)の立場は――義務を認めないという立場ではなく――家族と家族外の人たちの間に義務における差異を基本的には認めないというものだ(立岩[1992])。だから、原則的には、他の人に払うのであれば家族にも支払われてよいという立場をとることになる。」

◆村上 潔 2012/02/29 「【自著紹介】立岩真也・村上潔『家族性分業論前哨』生活書院、2011年」
 『社会文化通信』42(2012-01):18〔発行:社会文化学会〕

◆2012/02/25 『ふぇみん』2982(2012-02-25)号6面[書評]欄
 『家族性分業論前哨』
 立岩真也、村上潔 著 / 生活書院 2200円
「 社会学者・上野千鶴子の代表作の一つ、『家父長制と資本制』について立岩は「正直言って私には全然分からなかった」という。そのことについて子細に検討した何本もの文章をまとめたのが本書。
 「愛の神話が女性の労働を搾取してきたイデオロギーだ」という主張について第6章で検討する。ここでは夫と子どもに対する行為を分けて夫婦間に義務は存在しないと導き、フェミニズムの主要な主張として「自己決定」を掲げるなら、その義務を放棄したところから戦略を考えるべきとする。二者間に義務が存在しないので家事労働に対する対価を夫に求めることができるが、第2章で検討したところそれほど多くの支払いはされない。第3章では女性を労働市場から排除することで利益を得ているのは労働の購入者(資本)ではなく男性労働者だと指摘する。
 フェミニズムが告発してきた問題は複雑で重層的だ。「解決策」もひとつではない。巻末のブックガイドは非常に役立つ。(竹)」 http://www.jca.apc.org/femin/book/20120225.html
 ◇ふぇみん http://www.jca.apc.org/femin/

◆立岩 真也 2012/02/20 連載・6
 河出書房新社HP http://mag.kawade.co.jp/shakaigaku/

 「けれども実際には思うほど「流動化」は起こらない。もちろん社会の中には「経済」と直接に関わらない部分もたくさんあるからだが、その経済の世界においても、能力と関係ない――と思われる――ものによる差別がなくなっていくはずなのに、そうなっていない。なぜか。単純な問いだが、けっこういい加減にこの単純な問いが扱われているように私は思っている。ここ3回ほど続けて紹介している私たちの新刊『家族性分業論前哨』(2011、生活書院)に「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」という文章を収録した。ここでいう「購入者」――ひとまず――「消費者」でも「資本家」でも「経営者」でもかまわない――にとっては、要するによいものが安く買えればよいのだから、もし男女でものを作れる力が同じなら差別した方が損なはずだろう、と。そういう小学生でも考えつくような疑問に性差別――たしかにそれは現実に「厳然と」存在している――を指摘する(さらに分析しているはずの)人たちはちゃんと答えているだろうかということだ。もちろん何も言っていないわけではない。しかし、その言っていることを読んでいくと、それは――すくなともその多くは――答になっていないのだ。では、次にどう考えるか。もちろんそこが勝負どころなわけだ。私ならその疑問にどう答えるか。それはその本に書いた。ここではもうすこし一般的なことを書くことにする。」

◆2012/02/14 https://twitter.com/#!/atkuc/status/169415589780144129

◆2012/02/08 「『家庭性分業論前哨』(立岩真也、2011)」[しろつまブログ]
 http://blog.livedoor.jp/white_wife/archives/2955099.html

◆2012/02/01 https://twitter.com/#!/hijijikiki/status/164711053412925440

◆2012/02/01 https://twitter.com/#!/hijijikiki/status/164635516527054849

◆立岩 真也 2012/02/01 「どれだけをについてのまとめ・2――連載 75」,『現代思想』40-2(2012-2):- →

 「また、老いの前の前には子どもの時期がある。手間がかかるという点では次に述べるものと共通するが――そして「ケア倫理(学)」等と呼ばれる時、その「ケア」とはたいがい子育てのことを指している、すくなくとも指していたのだが――かなり多くの人が子を育て、その当人にとっては皆が同じく子どもである時期があり、そして手間のかかる度合いも、同じ年代であれば、あるいはその時期を通算すれば、一人ひとりにそう大きな違いはない(はずだ)というところは、他の手間・世話の要し方と異なるところでもある。これもこれで考えるべきことである。「育児の社会化」についてはいくらも言われてきたが、やはり意外にも、理論的な考察はさほどないのではないか。それはこの連載の当初の主題(題)にも関係し、そのうちにと思うが、これもここでは措く。ただ子から見た場合に育つ費用を寄こせという主張はもっともなものだが、子をもち育てることが趣味であり、そして/あるいは、経済的な利得につながる場合、そして「子育て支援」を人口政策によって正当化しようというのでないなら――例えば、すくなくとも私はその方向の正当化を支持しない――どんな事情であれ子をもたない人たちもその負担を担い、そして徴収や配分の仕方におおいによるのではあるが――やはり述べてきたように、もちろん、あらゆる分配策がより少なく有する人たちを利するわけでなく、むしろ逆の効果をもたらすこともありうるし、実際にある――(費用負担の)「社会化」の正当性は、少なくとも優先性はさほど自明ではない。そして、実際にはこの仕事におおいに手間も金もかける人もおり、そうでない人たちもいる。そしてその仕事(の幾分か)は、これから考えていくことになる「世話」の仕事であるとも言えるのだが、その場合に、以下に記すように出来高払いになるのか。言えそうな結論だけを言えば私はそれを支持しない。支払いがなされるとすれば――障害・病に関わる追加費用の支払いは年齢に関わりなくなされるべきであることは当然とした上で――働き・支出の少ない方に合わせてよいだろうと考える。ただそれは格差の世代間の継承・再生産につながることになるはずだと社会学者なら言うだろうし、実際それはあるだろう。となるとこのことも含めて考えねばならないことになる。けれどこうしたことについてどれだけのことが考えられてきただろうか。たいして考えられていない。ずっと以前に書いた立岩[1994]等を収録して本(立岩・村上[2011])にしたのも、これまでどれほど考えられてこなかったか、ためしに少し考えてみるとどういうことになるのかを示すことに意味があると考えたからでもある。」

◆立岩 真也 2012/01/25  「『家族性分業論前哨』の広告」 ,『「生存学」創成拠点メールマガジン』2012年1月号 http://www.arsvi.com/a/em.htm

◆立岩 真也 2012/01/20 連載・5
 河出書房新社HP http://mag.kawade.co.jp/shakaigaku/

 「それは当然であると言えるか。言えない、というのが村上潔との共著でこんど出してもらった『家族性分業論前哨』(2011、生活書院)に収録された、そして前回も紹介させてもらった、「近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない」という文章である。その話自体は長々しいものではない。述べたのは、さっきの「生産者が生産物をとってよい」というきまりについて言ったことと同じパターンで、「家族に優先的な義務がある」というきまりについてもっともな理由を探しても見つからない、ということだ(そして「家族社会学」といった学問がその不思議さをあまり自覚していないように思え、それはよろしくないのではないか、ということだ)。「あるというわけを言えるなら言ってください」ということになる。いずれについても二〇年以上前に書いたことなのだが――読んでくれた人が(そう)いないということはあるにしても――「ある」というまともな理由を誰からも聞いたことがない。しかし、実際には世の中はそうしてまわっている。
 そしてこれはたんに理屈の問題ではない。すこしも抽象的な話ではない。実際、家族である、あるいは同一世帯であるということになると――いっしょに住んで生計を共通にして単位のことを世帯という――その義務が優先するために、暮らし・関係が成り立ちにくかったり、成り立たなくなったりすることがある。この人といっしょにいたくはあるが、この人(だけ)に世話になりたくはない人が、そのように暮らすことができなくなる。そこで、そのためにわざわざ別々になる、なっていざるをえないといったことがあってきたし、ある。
 おおざっぱにはそれをやめる。それは誰にも何も義務がないということではない。義務の方よりをやはりここでも「ならす」方がよいということになる。」

◆2012/01/17 http://d.hatena.ne.jp/x0123456789/20120117/1326795792

◆2012/01/13 https://twitter.com/#!/mxnishi/status/157775472766353408

◆2012/01/08 https://twitter.com/#!/kyokucho53/status/155851451514634240

◆立岩 真也 2012/01/01 「どれだけをについてのまとめ・1――連載 74」,『現代思想』40-1(2012-1):-

◆立岩 真也 2011/12/20 連載・4
 河出書房新社HP http://mag.kawade.co.jp/shakaigaku/

 「そのことをずっと前、今から20年も前に書いた。「近代家族の境界」という「論文」だ。あらかじめ宣伝しておくと、今度それも再録した本を出してもらった。『家族性分業論前哨』(生活書院)という題の本だ。1990年代前半とか、ずっと前に考えて書いた文章たちがあって、ずっとお蔵入りにしてあった。けれど結局そのまま(すこし加えたところはそれと分かるようにして)出したもらった。それで「前哨」ということになっている。辞書を引くと「軍隊が敵地の近くに停止するとき、警戒のために停止地点の前方に配置する部隊。また、その勤務。」という意味だそうだ。本格的なことは後にしてまずは「様子見」を、といった感じで使われる。だからいつか「本格的」な方が出るはず、ということになる。そのつもりではあるが、いつになるかはわからない。そこでとりあえずのものを出してもらった。
 ただここで私はいくらか「謙遜」してもいる。家族・性分業という大きな主題のごく一部についてなら、ある部分のそのまた理屈の部分についてなら、今まで様々書かれて出されたものと比べれば――比べれば、だが――けっこういけているとほんとうは思っているところがある。同時に、もちろん、様々な実証研究や報告が刊行されてきた。そうした書籍の紹介を村上潔さんがやってくれてこの本の後の方に載っている。役に立つものになっている。ご覧になっていただければと思う。」

◆2011/12/01 http://twitter.com/#!/sjo-k/status/142125179013840896

◆立岩 真也 2011/12/01 「わからなかったこと、なされていないと思うこと」,『現代思想』39-**(2011-12臨時増刊) [11/21発売]

「□途中で、過去のものを集めた本を出したこと
 こんど、村上潔との共著で『家族性分業論前哨』という本を出してもらった(立岩・村上[2011]、十一月末刊行)。私の部分はまったく新たに書いたものではない。一九九〇年代の半ば辺りに書いて、ずっとそのままにしていた文章他を再録したものだ。そこに収録されている最も長い文章が、『家父長制と資本制』(上野[1990→2009])に書いてあることがわからなかったのでということもあって一九九四年に書いた「妻の家事労働に夫はいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」(立岩[1994a])。それを第2章に置いた。村上は、第二部で、関連する本を九十冊紹介してくれている★01。
 今紹介したその第2章になったものなど、ほぼ人目にふれない「紀要」に掲載されたりしたものなのだが、過去にはHPに掲載したこともあり、読もうと思えば読めるものではあった。ただ、やたらと長く(四〇〇字詰で二二〇枚ほど)、ほとんど読んでもらっていないはずだ。その後、そうした主題に関わる文章をほぼ書かず、私がものを書いていることを知っている人からも、そんなことについて書いたことのある人だと思われていなかったこともあったかもしれない。
 ただ、こうしてずっと前に書いてからその後も含め、なにか話がまとまったようには思われなかった。たしかにそこそこに難しい問題ではあるだろうが、なんともならないような難題ではないと思った。そこで、「家族・性・市場」という連載名を付けてしまった続きものが二〇〇五年一〇月号から本誌で始まって、十回ほどはその主題で書いていたのだが、その後、現在に至るまで書いていることはまったく違った中身になってしまっていて――そのいくらかの部分は本にしていただいた★02――、まったくその名は実状を示していない。それはそれとしていずれまとめることにして、そのいずれがいつのことになるのか見当がつかないということもあり、これまでのものを本にしておくとよいと考えて、出してもらった。
 ことは簡単ではない、だから長くもなる。しかし一方では、かつては労働とみなされず、不可視化されていたものが労働であると認識されるようになった――本当だろうか?――とか、なんだか妙に簡単な単純なことにされてしまっている。同時に、家族・性分業と「経済」との関係はいかなことになっているのか、結局よくわからなくなったままになっていると思う(上野自身の文章としては上野[2003])。それでなのかどうなのか、研究・書きものも、種々に、様々に、個別のところに行っている、あるいはあまりまとまったものを見かけないという感じがある。それ(だけで)はまずいのではないかと思ってきた。」

◆立岩 真也 2011/12/01 「社会派の行き先・14――連載 73」,『現代思想』39-(2011-12): 資料

 「□臨時増刊号とここ数回について
 ここしばらく精神医療に関して、知識の蓄積もなにもない中、いくらか過去を辿って書いているのだが、二〇〇五年からのこの「連載」は、そもそもは、性(別)分業と社会、経済・政治との関わりについて考えてみようと始められたはずだった。どんな言い訳をしても苦しいものがあるので略すが、そこに戻って来れるのはずいぶん先のことになってしまうだろう。この主題については、本誌一二月臨時増刊号が上野千鶴子を特集していて、そこにいくらかのことを書かせてもらい(立岩[2011])★01、そしてそこでも紹介させてもらったのだが、本号と(ほぼ)同時に、『家族性分業論前哨』(立岩・村上[2011])を出版してもらった。その本は随分前に私が書いた文章(一番長いものは、上野が書いていることがわからず、一九九四年に書かれた)をそのまま再録したものだが、言われてきたことの代わりにおおまかにはこう言えるはずだと思うことを書いた二〇〇三年の文章(『思想』に掲載された)も収録されている。また村上潔が、私が不勉強であった長い間この主題に関して出版された本を九〇冊紹介してくれている。読んでいただければと思う。」(冒頭の部分)

◆2011/11 http://ja.favstar.fm/users/seikatsushoin/status/136368231077249024

◆立岩 真也 2011/04/01 「本年その二――唯の生の辺りに・12」,『月刊福祉』2011-4


*作成:村上 潔
UP: 20110101 REV: 1115, 20, 21, 22, 1209, 13, 21, 22, 26, 20120107, 16, 18, 20120121, 23, 0218, 0309, 12, 17, 25, 28, 0521, 23, 0830 
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇女性の労働・家事労働・性別分業  ◇Unpaid Work|不払い労働  ◇家族  ◇  ◇身体×世界:関連書籍 2010-  ◇BOOK
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