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わからなかったこと、なされていないと思うこと

立岩 真也 2011/11/30
『現代思想』39-17(2011年12月臨時増刊号) 総特集:上野千鶴子:106-119


 *全面的に私のミスで註番号の位置・対応関係に間違いがあります。近日中に訂正についてお知らせいたします。

途中で、過去のものを集めた本を出したこと

 こんど、村上潔との共著で『家族性分業論前哨』という本を出してもらった(立岩・村上[2011]、十一月末刊行)。私の部分はまったく新たに書いたものではない。一九九〇年代の半ば辺りに書いて、ずっとそのままにしていた文章他を再録したものだ。そこに収録されている最も長い文章が、『家父長制と資本制』(上野[1990→2009])に書いてあることがわからなかったのでということもあって一九九四年に書いた「妻の家事労働に夫はいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」(立岩[1994a])。それを第2章に置いた。村上は、第二部で、関連する本を九十冊紹介してくれている★01。
 今紹介したその第2章になったものなど、ほぼ人目にふれない「紀要」に掲載されたりしたものなのだが、過去にはHPに掲載したこともあり、読もうと思えば読めるものではあった。ただ、やたらと長く(四〇〇字詰で二二〇枚ほど)、ほとんど読んでもらっていないはずだ。その後、そうした主題に関わる文章をほぼ書かず、私がものを書いていることを知っている人からも、そんなことについて書いたことのある人だと思われていなかったこともあったかもしれない。
 ただ、こうしてずっと前に書いてからその後も含め、なにか話がまとまったようには思われなかった。たしかにそこそこに難しい問題ではあるだろうが、なんともならないような難題ではないと思った。そこで、「家族・性・市場」という連載名を付けてしまった続きものが二〇〇五年一〇月号から本誌で始まって、十回ほどはその主題で書いていたのだが、その後、現在に至るまで書いていることはまったく違った中身になってしまっていて――そのいくらかの部分は本にしていただいた★02――、まったくその名は実状を示していない。それはそれとしていずれまとめることにして、そのいずれがいつのことになるのか見当がつかないということもあり、これまでのものを本にしておくとよいと考えて、出してもらった。
 ことは簡単ではない、だから長くもなる。しかし一方では、かつては労働とみなされず、不可視化されていたものが労働であると認識されるようになった――本当だろうか?――とか、なんだか妙に簡単な単純なことにされてしまっている。同時に、家族・性分業と「経済」との関係はいかなことになっているのか、結局よくわからなくなったままになっていると思う(上野自身の文章としては上野[2003])。それでなのかどうなのか、研究・書きものも、種々に、様々に、個別のところに行っている、あるいはあまりまとまったものを見かけないという感じがある。それ(だけで)はまずいのではないかと思ってきた。

わからなかったこと・1
 なんだかわからない――と私には思われた――のに比して、同じ人が書いた『ケアの社会学』(上野[2011])はわかりやすい。理由は簡単である。[…]
 しかし『家父長制と資本制』はわからない。なぜか?[…]

2:資本?・国家?

差異が曖昧であること

残されることの例1・いくら得るのか

残されることの例2・どれだけをという問題

 この――支払うという形をとるとして――そのお金のこと、誰からどのように集めて、どれだけを供給し(どれだけについて有償のものとし)、どれだけを払うかという問題は、やはりとても大切な問題だ。
 どれだけを供給するのか。その「基準」をどう考えるのか。「介護認定」をもっと実態に即したものにするべきであるとされ、「医学モデルから生活モデルへ」だとか、「社会モデル」へだとかといったこともたしかに言われはした。そうした方がよいことを認めてよい。ただ、いずれにしても、結局は査定がなされることになる。それがよいのかである。
 少なくとも介助について、私たちが言ってきたのは――多分、運動体の機関誌だとか集会だとかで口にされるのを別にすれば、それを公言してきたのは中西と私ぐらいで、私は中西が言っていることでおもしろいと思うのは、他より、そのことだなのだが――出来高払い、あるいは欲しいだけではだめか、ということだ★08。[…]

■註
★01 この本は電子書籍としても刊行するつもりでいる。その場合には、そこに紹介される本について紹介するHP上のページに行けるようにする。(購入の手続き等については本書の題名で検索していただきたい。)
★02 『税を直す』(立岩・村上・橋口[2008])、『ベーシックインカム』(立岩・齊藤[2009])。他に、青土社の理解を得て、数回分を『唯の生』(立岩[2009])の第3章「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」とさせてもらった。ただ言い訳をさせてもらえば、いずれも始めたはずの話と関係なさそうだが、いずれも実際には深い関係がある。本稿でも少しそのことにふれる。
★03 「退出する権利」もあるとされる。言おうとすることはわかる。私の場合には、実行の行為を行なう義務まではないが、義務全般から逃れられるわけではない、その行為を実際に行なう人の生活を支える等のための拠出の義務はあると言うことになる。そしてもっと強い、「退出する権利はない」という主張も、それなりに理に適ったものとして、ありうる。本稿の最後に紹介する近刊の書籍ではこのことも論じられる。
 なお、上野によれば「当事者主権」という語は私の文章に出てくるのが初出だそうで(上野[2011:67])――探してみたら、たしかに立岩[1995]の冒頭で一箇所だけだが使われている。ちなみに、出版社からわざわざ連絡をいただいたのだが、ここには誤記がある(そしてその訂正連絡にもすこし誤記があった)。上野の本では立岩[1990a]となっているが、そこにはこの語はない。その文章が収録されている安積他[1990]全体にもどうやらこの語はない。増補・改訂版(安積他[1995])所収で、初版の第8章(立岩[1990b])を書き換え書き足した立岩[1995]に出てくる(増補改訂版では8章が題名も含め書き換えられ、第9章と[補]は新たに加えられている)。その時とくに何かを意識していたという記憶はない。ただ、その本を改めて見てみると、というかもとの原稿を検索してみると、「当事者」という言葉――そこでは明確に「本人」の意味で用いられている――が初版、他の共著者の章(はすべて初版から変わっていない)にもかなり多く出てくることに、私は初めて気づいた。そして私自身はその後、当事者という言葉が人によって拡張されて使われる――その事に当たる人ということであれば、たしかに様々な人が当事者であるし、当事者でありうる――ために誤解を招きうるし、時にそれでは――例えば利害相反がありうる本人と家族をいっしょにしてしまうことになったりもするから――よくないことも起こってしまうので、あまり使わないようにして、必要な時には「本人」と言うようにしてきた。
★04 上野は大学院生の時、(社会学における)交換理論をやってみようかと思うというようなことを吉田民人に語り、吉田――上野とも私とも「学風」の異なる方であったが、「所有」という語を著書(吉田[1991])の題にもってきた数少ない(というかほとんどいない)社会学者の一人だった――から、それはやめた方がよいと言われた(そしてやめた)と、千田編[2011]に収録された文章のどこかに書かれていたと思う。よい助言であったと思う。
★05 一九七〇年代からの運動・政策の動向については立岩[1990a][1995]があるが、新しい章の方にしても一九九五年までのことしか書かれていない。本来なら第三版を書くべきなのだが、時間も何もなく、私はできていない。そして他の文献も多くない。それでも岡部[2006]があり、そして、近年の動向を紹介し、私が簡単にすませたところをより詳しく記している渡邉[2011]が重要であり有用である。
★06 まず同じ性能のものであれば同じ価格で買われるはずだと言って、男女に差がないなら、差は生じないはずだという素朴な話がある。ただ第一に、その人自身に備わったものというよりはその人が生きているあり方に関わる差異やその可能性がある場合はある(例えば将来子どもをもち、育てる負担をより多く担う可能性、さらに退職する可能性)。その可能性による差別(統計的差別)が、よしあしは別としてなされうる。そのためにやる気が失せ、実際に退職したりする人も出てくる。これは(悪)循環を形成することになる。これを生じさせにくくする手として、所謂「コース別採用」といった「仕分け」が有効な場合はありうるが、それでもわからないものはわからないし、その上でなお仕分ける(仕分けさせられる)のだから、乱暴な方法である。第二に、十分な労働の(潜在的な)供給力があり、そして人々ができることがそう違わないのなら、あるいはそもそもその業界に競走が(あまり)働いていないのであれば、労働能力と別の理由、例えば好き嫌いで採用しても、さして不利にはならないということはある。こうして、前提をすこし変えたり、強い仮定を弱めたりすれば、それなりの説明は可能になる。
★07 その組織化を嫌った部分がたしかに「当事者」たちにもあった。例えば暮らしてきた施設の職員たちやその労働組合が自分たちにどれだけのこと、どんなことをしたかということもある。限られてしまっている総額の中で多くの利用時間を獲得せねばという事情もある――とすると時間当たりの単価が安い方がよい、安くせざるをえないということになる。両者の利害がぶつからざるを得ないことが起こる。ただ、安定的に仕事をする人を調達できることはその人たちにとっても必要なことだから、基本的には、その処遇の向上の方向については一致してもいる。そして、いったん一人ひとりに個別化された介助者・ヘルパー達の集合性を作っていこうという動きも出てきている。上野の本に出てくるような人たちとはまたすこし異なる年齢・社会的位置にいる介助者の生活や思いについては、註5で紹介した、渡邉[2011]――渡邉は自ら日本自立センター(JCIL)で働く介助者でもある――をまずは読んでもらうのがよいと思う。
★08 調べてみると、中西たちの議論や草稿を受けて、私が取りまとめのような役を引き受けさせられ自身でもかなり文章を書いた『ニード中心の社会政策――自立生活センターが提唱する福祉の構造改革』(ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会[1994]、紙媒体の報告書はたぶんなくなっているが、データは残っている→今でもおおむね言っていることはもっともなことだと思うし、歴史的な意義もあると考えるので、電子(書籍)版で購入できるようにしようと思う)や立岩[1995]ではここまでの主張はなされていない。はっきり述べている文章としては二〇〇〇年の本誌での連載「遠離・遭遇――介助について」(全四回)――立岩[2000]に収録された――が最初のようだ。

■文献
安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店
―――― 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』、藤原書店
ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会 1994 『ニード中心の社会政策――自立生活センターが提唱する福祉の構造改革』、ヒューマンケア協会
三井さよ 2004 『ケアの社会学――臨床現場との対話』、勁草書房
中西正司・上野千鶴子 2003 『当事者主権』、岩波新書
岡部耕典 2006 『障害者自立支援法とケアの自律――パーソナルアシスタンスとダイレクトペイメント』、明石書店
上野千鶴子・中西正司 編 2008 『ニーズ中心の福祉社会へ――当事者主権の次世代福祉戦略』、医学書院
千田 有紀 編 2011 『上野千鶴子に挑む』 、勁草書房
進藤雄三・黒田浩一郎 編 1999 『医療社会学を学ぶ人のために』、世界思想社
立岩真也 1990a 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」、安積他[1990:165-226]→安積他[1995:165-226]
―――― 1990b 「接続の技法――介助する人をどこに置くか」、安積他[1990:227-284]
―――― 1994a 「夫は妻の家事労働にいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」、『人文研究』23:63-121(千葉大学文学部紀要)→立岩・村上[2011]
―――― 1994b 「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」、『Sociology Today』5:46-56→立岩・村上[2011]
―――― 1995 「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」、安積他[1995:227-265]
―――― 1999 「資格職と専門性」、進藤・黒田編[1999:139-156]
―――― 2003b 「家族・性・資本――素描」、『思想』955(2003-11):196-215→立岩・村上[2011]
―――― 2005 「書評:三井さよ『ケアの社会学――臨床現場との対話』」、『季刊社会保障研究』41-1:64-67
―――― 2008 「楽観してよいはずだ」、上野・中西 編[2008:220-242]
―――― 2009 『唯の生』、筑摩書房
―――― 2010a 「BIは行けているか?」、立岩・齊藤[1010:11-188]
―――― 2010b 「障害者運動・対・介護保険――2000〜2003」、『社会政策研究』10:166-186
―――― 2011 「書評:中沢新一『日本の大転換』」、『東京新聞』『中日新聞』2011-10-9
立岩真也・堀田義太郎 2011 『ケア労働――論点・展望』(仮題・近刊)、
立岩真也・村上潔 2011 『家族性分業論前哨』、生活書院
立岩真也・村上慎司・橋口昌治 2009 『税を直す』e、青土社
立岩真也・齊藤拓 2010 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』、青土社
上野千鶴子 1990 『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』、岩波書店→2009 岩波現代文庫
―――― 2003 「「ジェンダーの正義と経済効率は両立する」か?」、『現代思想』31-1(2003-1):74-79
―――― 2009 「著者解題」、上野[1990→2009:419-457]
―――― 2011 『ケアの社会学――当事者主権の福祉社会へ』、太田出版
上野千鶴子・中西正司 編 2008 『ニーズ中心の福祉社会へ――当事者主権の次世代福祉戦略』、医学書院
上野千鶴子・立岩真也 2009 「労働としてのケア」、『現代思想』37-2(2008-2):38-77
Van Parijs, Philippe 1995 Real Freedom for All-What (if Anything) Can Justify Capitalism?, Oxford University Press=2009 後藤玲子・齊藤拓訳、『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』、勁草書房
渡邉 琢 2011 『介助者たちは、どう生きていくのか――障害者の地域自立生活と介助という営み』、生活書院
吉田民人 1991 『主体性と所有構造の理論』、東京大学出版会


UP:20111124 REV:20111125
立岩 真也 
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