できるのに、可能なのに、と述べた。できないこともある。天災や、そして人災から、そして病、そのすべてからは逃れきることはできない。ただ、本書に書かれているように、この場合は可能だ。それはどうにもならない、はずのないことなのだ。
普通に考えてみよう。必要なものはまず「もの」である。ものの原料と、それを製造する場所や機械と、人と人の労働、そして流通・利用の仕組みがあればよい。そしてこの場合の、原料は、稀少な鉱物とか、人間の生きた臓器だとか、そんなものではない。その他のものにしても同様だ。他方、人は――これも何度も言ってきたことだが――ありあまっている。だから、死なずにすむようになることは十分に可能なのだ。まず、そんな単純なこを確認しておこう。
しかし、その薬のその値段が高いという。どうするか。二つ(あるいはその組み合わせ)だけである。一つには、買えるだけの金を人々がもつことだ。それもわるくはない。ただなぜ高いか。技術(についての権利)が独占され、結果として販売を独占するかそれに近い状態になると、値段が上がる。もちろん、そのことを言うと、開発には金がかかるから、その費用を回収するためにも、開発のための「動機付け」のためにも、その権利の付与は必要だとされる。それはいくらか認めてよい。ただそれは、その権利を排他的なものとしていつまでも持ち続けてよいということを意味しない。実際、特許権の付与というのは、一方の見方からは、その権利を保護するためのものだが、それは同時に、その権利をいついつまでと制限するものでもあるのだ。
むろんそこには種々の利害が絡み、ことは複雑なことになっている。それをきちんと分析する仕事が一つにある――が、どれほどなされているのだろう。ただ、それはそれとして、おおまかにでもなすべき方向がある時、急ぎがなんとかせねばならない場合、人々や企業や政府にことを訴えて、変えていかねばならない。それはどうにもたいへんなことのように思える。しかし、そんな人がいたり、組織・運動があって――後で書くようなきっかけがなかったら、私は、ザッキー・アハマットという人のことも、ケニア他での運動のことも、つまり本書で書かれていることを知らなかっただろうと思う――だから、というほど世の中甘くはないとしても、それでも変えがたいと思われたものがいくらか変わった。アハマット氏はいっときノーベル賞の候補という話があったそうで、実際にそんなことでもあったらすこし違ったかもしれないが、そんなことも今のところなく、やはりほぼまったく知られていない。そのことだけでも知ってもらってよいだろうと思う。要求がかなえられるまで薬を飲まないとか、そんなことをさせてはならない、もっと容易にことが叶えられるほうがよいだろうとは思う。そう思いつつも、それでもこういう人たちがいること、そのことが無駄にならない(こともある)ことを感じ、希望をもつことができる。
ついでにもうすこし大きなことについて。すくなくとも、HIV/エイズはなんとかなる。しかし現在ある貧困の全体を変えることはたしかにもっと厄介ではあるだろう。しかしまず、ではそれはよいこと、仕方のないことであるかといえばそうではない。では実際にどうするか、できるか、ということになる。
例えば、こんなことが「グローバル・ジャスティス」といった看板のもとで、考えられたり、書かれたりもしている。私たちは、本書の出版社である生活書院から、2010年に、その領域では著名なトマス・ポッゲの『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』を出してもらった。(原著の題名は訳本の副題 World Poverty and Human Rights。2008年の第2版を訳した。)著者は、そうたいした負担なく世界の最悪の貧困は解消可能だと述べる。そして訳された第2版に新たに収録され、その書の最後に置かれる第9章「新薬開発――貧しい人々を除外すべきか?」では、まさにそのことが論じられている。彼の案は、必須薬品向けのグローバル特許を新たに設けて、その特許の有効期間中は、それが与える効果・影響に比例した報酬を公的で国際的な財源から与えられる権利を有するようにするというものだ。これもよい案だろう。
ただ、全体としてそのポッゲの本は、世界全体の流れから見れば十分に「ラディカル」なのだろうが、私から見るとずいぶん控えめな慎ましやかなことを言っているようにも思える。そのことについて、訳書が出た後、著者が来日した時に私たちの大学院で研究会をしたその後の居酒屋で通訳を介して伺ってみたところ、私が受けとったところでは、米国で出版された米国人(だけでないにしてもそういう傾向の人たち)向けの本なものなんで(こんな程度の書き方で仕方がないのだ)、というような応答であったと思う。それに比べると、私の立場は、慎ましくない、「極貧」のラインを決めて、そこをなんとかしましょうというのでなく、もっと「上」を目指してよいのだというものである。そして、さしあたりの実現可能性を別にすれば、その方が筋は通っているはずである。(そのことは、その本の末尾に付した「思ったこと+あとがき」他に書いた。ウェブ上で読んでいただくことができる。)
そして、必要で有効なことは、(国境を越えた)所得や資産の分配、いわゆる「再分配」――この言葉は通常――いったん市場において分配されたものを対象とするので「再」分配という――だけでない。さきにも述べたように、(他に対してその性能において優位な)生産財――(例えば製薬の)技術も、また土地も、生産のために使われるのだから生産剤であると言える――について所有権が一部に独占されているなら、その結果、生産されるものの市場での競争力もそれに規定されるから、(市場で競争力を持つ)生産財を持たない人たちの作るものは(投下される労働に比して)ひどく安く買いたたかれるか、そもそも市場で製品として流通させることができない(よって人は就業できない)か、そんなことになる。だから、繰り返すけれど、人はたくさんいるのだから――失業率が50%を超えるといった国々があるが、これは「先進国」における(ここでも必然的に生ずる)失業とは事情が異なる――生産剤をうまく配分すればよい。(だから、これらの部分については私は「成長論者」であるということになるのだが、それは私が「停滞する資本主義へ」等と述べてきたことと矛盾はしない。)
以前から――『自由の平等』(2004、岩波書店)、『人間の条件』(2010、現在はイースト・プレス)等で――私は、お金(や場合によっては消費財の現物)の分配の他に、生産財・労働と三つ分配の対象になるものがあり、基本的には三つともの各々がなされてよいこと、その上でそれぞれの長所と短所を考慮し、組み合わせの仕方を考えるのがよいと主張してきた。生産財の所有権の変更を主張するということは、かつての言葉では、つまりは革命を主張しているということになる。そう受けとってもらってもかまわない。ただ、私は、私は現在の形態に代えて国家による所有を主張するものではなく、その意味ではかつての社会主義者とは異なる。現在の私的所有のあり方に対して別の私的所有の形態を対置しているのであり、それに加えて公有・共有の部分があってよいとする、思うに至極「穏当」な――しかしあまりそう受けとってもらえない――ことを述べている。そして生産財の所有形態を変えるべきことがあることを言う時、頻繁にHIV/エイズ関連の薬のことを持ち出してきた――『希望について』(2006、青土社)に収録されている幾つかの文章、等。ことは直接に命に関わることなのだから、これを持ち出せば容易にわかってもらえるだろうという、いくらか容易な言い方であったことは否定しない。ただ、ものごとはそういうところから考えていかねばならないのだし、本書に描かれているように実際に問題にされたことはまさにそのことだったということだ。
新山さんが書いた本書の経緯について触れておく。始まりは覚えていないが、アフリカ日本協議会の斉藤さん――大学の先輩ということにはなるが、学年も離れているし、その時には会っていない、そして当時は、まだ事務局長に専念ということではなく、解放書店というところにつとめていた――――経由で情報を得たりはしていて、そういえばたしか滞納してしまっているのだが、AJFの会員ということにもなった。2002年には、「エイズ・結核・マラリアと闘う世界基金」に円を!世界的なエイズ危機にビッグ・マネーを!――\ for GF! \ for the Global AIDS Crisis キャンペーン」というもの――GFはGlobal Fund、要請文の宛先は当時の内閣総理大臣・小泉純一郎――の「呼びかけ人」に、池田香代子、市野川容孝、勝俣誠、土井香苗、西浦昭雄、林達雄の諸氏とともに――私自身は、真に、何もしなかったのだが――にさせてもらったりしている。その時の関連文書・文章もHPにある。私は1で述べたこと、つまり、以下のようなことを書いている。「この事態に対してできることをするのは、言葉そのままの意味での、あるいは強い意味での、義務である。つまり、それはただ善意によってなされることでなく、私たちが否応なくすべきことであって、こんなことにこそ、政府に集められた税金が使われるべきなのである。それを、してもよいがしなくてもよい選択の対象であると、拠出をためらうことのできることだと、錯認してはならない。」
そのうちに、そのNGOの代表を務めている林達雄さんが、突然――電話はいつでも突然だが――電話をかけてきて、お会いすることになって、話をした。林さんの書かれた岩波ブックレット『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』(2005)も――市野川さんと私に相談いただき、市野川さんが紹介して、といった経緯があったように思う――出版され、そして私たちの作った前記の資料集の第1部から第3部までを出した2005年の11月、林さんに大学院に来て話してもらった。
そんなことをしているうちに、国が数を限ったところにわりあい大きめのお金を出して研究をさせようというグローバルCOE(直訳すると「卓越した研究拠点」になる、5年ものの)プログラムというものに応募しなければならないことになった。それで「生存学創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ」という題・企画を考えた。その全体についてはそのHPを見ていただくのがよいのだが、その企画の一部に「連帯と構築」という項目がある。文部科学省・日本学術振興会に提出した計画書のその項目の一部の説明として、次のようにある。