ひどい公害があったりで、著者たち前後の世代に、今では「エコ」という括り方で括られる立ち位置があった。私自身にもそんなところがある。ただ基本的な方向ははっきりしているのだから、あとは関心や知識を持つ人にきちんとやってもらって、まともな道を示してもらえばよいと思い、私は別のことをすることにした。実際、論者もおり雑誌や本もあった。ただその後、時に盛り上がりはするものの、全般的に低調な感じになり、他方でエコは誰でも肯定するあたりさわりのない言葉になった。そうしていたら、こんな「事故」が起こってしまった。
そこで筆者は「大転換」を主張する。その論の流れにはいくつかわからないところもなくはないがまず二つははっきりしている。一つは贈与によって、具体的には太陽からの贈与によって世界・社会は成り立っているということである。一つは太陽の中で起こっているようなことを人が地球の上でやろうとするのには無理がある、エネルギーを再びまた新たに太陽からの贈与から得る社会にしようということだ。以上について異論はない。
ただ、一つめはまったくその通りと言うしかなく、二つめについては、ただ普通に、きちんと計算がなされればよいのではないかとも思う。(それには何がどのように計算しにくいかを正直に示すことも含まれる。)そして今度の「事故」が示しているのは、原発が明白に「損」な方法だということだ。今回を含め、過去も含め、どれだけの損失があったか。
にもかかわらずどうして間違ったのか。様々な説明はあるだろうし、今(起こってから)たくさん本も出ているようだ。ただ私は、過去にあった(批判者の側を含む)言論の検証を誰かもっとしてくれないかと思う。するとまずかったのは著者のように私たちが考えられなかったということなのか、そんなことも考えられるだろうと思う。
◇中沢 新一 20110822 『日本の大転換』,集英社新書,160p. ISBN-10: 4087206068 ISBN-13: 978-4087206067 700+ [amazon]/[kinokuniya] ※ d10b. npp-b.