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生命倫理学から生存学へ 立岩 真也 2013/01/31
シリーズ生命倫理編集委員会編『生命倫理のフロンティア』,丸善,シリーズ生命倫理・20,212p. pp.78-96

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last update:2013

■シリーズ生命倫理編集委員会 編 20130131 『生命倫理のフロンティア』,丸善,シリーズ生命倫理・20,212p. pp.78-96 ISBN-10: 4621084976 ISBN-13: 978-4621084977 5800+ [amazon][kinokuniya] ※ be.

■1 それは「学問」ではない  「生命倫理学から生存学へ」という題をいただいた。ただ、まずすくなくとも私は、そしてたぶん誰も、後者を「学問として確立したい」などと思っていない。そしてそれが、「生命倫理学」でも他のなんでもかまわないのだが、なにかと並列されたり、その代わりになろうとも思っていない。
 それはさしあたり――「事業仕分け」のために、ということであるのか――今年度(二〇一一年度)でその制度全般が消滅してしまうという国(文部科学省)の制度としての「グローバルCOE(直訳すると「卓越した拠点」)」に応募するにあたって、なにか「看板」「名前」がいるということで、二〇〇六年の秋に苦し紛れに思いついたものでしかない。
 その経緯他については幾度か書いている。[…]

■2 既に決着したかのような
 では、生命倫理学は今なにをしているのか。このシリーズを読むとわかるのだろうが、よく知らない。ただ、日本の学会誌に投稿される論文などを見る限り、一つには、たしかにその主題には関わっているが、自らがなにか論を展開するというわけではなく、(ある種類の)人々があることについてどのように思っているかといった意識調査の類の結果を報告するといったものが一定の割合であったりする。そんな調査もやってわるいことはないだろうし、なかには意義深いもの、興味深いものもある。例えば白井泰子が一九八〇年代に行ったような、出生前診断について、職業によって考えが違うことを示したりすることは、そのごとがらについての決定・実行に誰が関わるかによって結果が違うことを示すことでもあるから、意義がある。ただ、自分の手近なところで調べられる(例えば自らが教えている授業を履修した学生にアンケート用紙を配って聞きました、といった)調査報告がなされたとして、そしてその結果が、基本的には既に知られていることが再確認されるといったものである場合、それがいったいいかほどの意味をもつものなのかと思う。  そして他方では、多くの人たちが、とくにこの領域の研究者として呼ばれて話すような場においては、「諸国」における「現実」を語る。そしてそれが「趨勢」だと言う。そして多くそれ以上・以外は語らないのだが、それは「これが世界の常識」と言うことにおいて、事実をもって(事実上)当為を語る、そんな効果を及ぼすことになる。
 そして――今短く紹介した行いが既にそうなのだが――「教える」ことを始める。生命倫理学は教育されるものになった。[…]

■3 しかしやはり倫理は問われる
 けれど、「生命倫理学」はやはり「倫理学」であって、ことの是非を問題にするものではないだろうか。そうした書きものがあまり見あたらないのは、もう論点が、そして論点・問いだけでなく、それについての「答」が出尽くしていて、もうすることがなくなったということなのだろうか。しかし私は多くについて話が済んでいるとは思えない。
 例えば、生命倫理学には三つないしは四つの原則があるということになっていて、それが教科書にも記されている。[…]

■4 別の流れを汲む別の倫理
 学的営為の成果として産み出された原理に問題がないのであれば、たしかに後はそれをしかるべく教えればよいということになる。過去に起こったことについても、その理解によって理解し、それに反した行いがあったのであれば――もちろんたくさんあったのだし、だからこの学が始まった部分もある――その原理をもって判定し、そして弾劾し、反省の材料とし、そのために教科書に載せるといったことをしたらよいだろう。しかし、ことはそうはなっていないと述べた。
 では代わりにどう考えるのか。[…]

■5 それを生存学だと言うこともできなくはない
 そのことと「生存学」とはなにか関係があるのか。ないと言ってもよいと思う。一つに、一人ひとりの研究者はどのような立場をとってももかまわないと思うからである。その方が議論もできる。論争はたしかにときに不毛ではあるが、しかし、やはり必要なこともあり、有意義であること、楽しいこともある。あくまで「について」調べ考えるものであると、そうした消極的な言い方にとどめた方がよい、中身は開いておきたいという思いもある。
 ただときに、なんだかわからないと言う人にわかりやすくするためにも、「目的」「方向」をはっきり言った方がよいのかもしれないと思うこともある。そしてそれは、じつは最初から言っていることでもある。[…]

■6 いずれにせよ知り書くべきことがいくらでもある
 すると、さきほど倫理を倫理として問い、答を出そうするべきであるの言ったのとまったく同時に、もっと知ることが必要であると思う。そしてそれは、いくらか独立しているとともに、連関している。というのも、起こった事実は、人間の思考・言論を離れた現象ではないのだし、考えを継いで、あるいは時には否定して別のものを出すためにも、そこに言われてきたことを知る必要はある。そして、そうして明らかにされた事実を、生命倫理学はその思考の対象とするとともに、生命倫理学という営み、そこにおける言説自体が、記録され検証されるべきその対象の一部ともなる。[…]

■7 送信について
 第4節に記したように、この国に起こったことは、世界中で起こったことと共通の部分があるとともに、いくらか異なっている部分もある。それを伝える意味はあると考える。どのようにして伝えていくのか。この部分は難しい。私たち、私たちの先人が考えてきたことを伝えることに取り組んできたのだが、本当にその「成果」をあげるためには、少なくとも十年はかかるだろうと私は思った。ひとまず、メールマガジンを英語・韓国語で出しているし、HPのごく一部は英語になっているが、英語雑誌を創刊したのは最近のことだ。どのように困難であるのか。[…]

■文献
〔1〕立岩真也(2009)『唯の生』筑摩書房
〔2〕有馬斉(2010)「中立な国家と個人の死ぬ権利」『生存学』第2号
〔3〕野崎泰伸(2011)『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』白澤社
〔4〕立岩真也(2008)『良い死』筑摩書房
〔5〕立岩真也(1997)『私的所有論』勁草書房
〔6〕森岡正博(2001)『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』勁草書房
〔7〕唄孝一(1990)『生命維持治療の法理と倫理』有斐閣
〔8〕立岩真也・天田城介(2011)「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・1」『生存学』第3号
〔9〕立岩真也(2004)『ALS――不動の身体と息する機械』医学書院
〔10〕Tateiwa, S, 2011,"On the "Social Model"", Ars Viviendi Journal 1

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◆有馬 斉 2010 「中立な国家と個人の死ぬ権利」, 『生存学』2:328-345
◆野崎 泰伸 20110630 『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』,白澤社,216p. ISBN-10: 4768479391 ISBN-13: 978-4768479391 2200+ [amazon][kinokuniya] ※ ds.
◆定藤 邦子 20110331 『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』,生活書院,344p. ISBN-10: 4903690741 ISBN-13: 9784903690742 \3000 [amazon][kinokuniya] ※ dh. ds.
◆立岩真也 1997 『私的所有論』、勁草書房 ◆―――― 2007/03/31 「障害の位置――その歴史のために」,高橋隆雄・浅井篤編『日本の生命倫理――回顧と展望』,九州大学出版会,熊本大学生命倫理論集1,pp.108-130,
◆―――― 2008 『良い死』、筑摩書房 ―――― 2009 『唯の生』、筑摩書房 ◆立岩 真也・天田 城介 2011/03/25 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・1」, 『生存学』3:6-90
◆―――― 2011/05/25 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2」『生存学』4:6-37


UP:20110703 REV:20160522
生命倫理 bioethics  ◇立岩 真也 
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