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建築と所有

立岩 真也(インタビュー 聞き手:長島明夫) 2011/12/01
『建築と日常』2:42-63(インタビュー:2011/07/28 於:北山ランタン)
http://kentikutonitijou.web.fc2.com/no02.html


*長島さんより

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■紹介・言及

◆2011/06/13 http://d.hatena.ne.jp/richeamateur/20120613

◆2011/12/06 http://d.hatena.ne.jp/richeamateur/20111206


所収: 『建築と日常』No.2(テーマ: 建築の持ち主)、長島明夫編集・発行、2011年12月1日刊行


インタヴュー: 立岩真也
建築と所有
聞き手: 長島明夫 日時: 2011年7月28日 場所: 京都市北区某喫茶店

▼1
「あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおんなじ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ。だってぼくが水をかけた花なんだからね。覆いガラスもかけてやったんだからね。ついたてで、風にあたらないようにしてやったんだからね。ケムシを──二つ、三つはチョウになるように殺さずにおいたけど──殺してやった花なんだからね。不平もきいてやったし、じまん話もきいてやったし、だまっているならいるで、時には、どうしたのだろうと、きき耳をたててやった花なんだからね。ぼくのものになった花なんだからね」
───サン=テグジュペリ『星の王子さま』一九四三年[*1]

▼2
たとえ、大地と、すべての下級の被造物とが万人の共有物であるとしても、人は誰でも、自分自身の身体【2字傍点】に対する固有権【ルビ:プロパテイ】をもつ。これについては、本人以外の誰もいかなる権利をももたない。彼の身体の労働【2字傍点】と手の働き【2字傍点】とは、彼に固有のものであると言ってよい。従って、自然が供給し、自然が残しておいたものから彼が取りだすものは何であれ、彼はそれに自分の労働【2字傍点】を混合し、それに彼自身のものである何ものかを加えたのであって、そのことにより、それを彼自身の所有物【3字傍点】とするのである。それは、自然が設定した状態から彼によって取りだされたものであるから、それには、彼の労働【2字傍点】によって、他人の共有権を排除する何かが賦与されたことになる。というのは、この労働【2字傍点】は労働した人間の疑いえない所有物であって、少なくとも、共有物として他人にも十分な善きものが残されている場合には、ひとたび労働が付け加えられたものに対する権利を、彼以外の誰ももつことはできないからである。
───ジョン・ロック『統治二論』一六九〇年[*4]

▼3
【民法第二百六条】所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。

▼リード
ずいぶん昔に読んで印象に残っていた『星の王子さま』の一節が、この震災のさなかで思い出された。日頃、個人の所有欲や独占欲というものに自省も含めて嫌らしさを感じてしまう一方で、私の存在が、そこで書かれているような〈私の物〉との固有の関係に支えられていることも事実だろう。本を読んだ当時の私は「死ぬ気」「殺してやった」「ぼくのものになった」などの強い言葉による言い切りに、どこか心強い味方を得た気がしたのだと思う。
「建築の持ち主」を考えるため所有という概念について調べてみると、『星の王子さま』で言われているようなことは、論理的にはジョン・ロック(1632-1704)の労働所有論の枠組みで捉えられるらしい。ロックはイギリスの名誉革命期に、絶対王制に対して市民個人の所有権を主張した[左頁引用文]。その民主主義の思想はアメリカ独立革命やフランス革命を後押しし、遠く日本国憲法にまで影響を与えているようなのだが、一方でそうした個人の自由の保証は、今日、人々の格差を助長する行き過ぎた自由主義の論理的基盤にもなっているという。日本の都市が前提とする建築の「自由」や、坂本一成氏が現代の消費社会において指摘した〈所有対象としての建物〉[*2]といった現象も、それと通じるところがあるのかもしれない。しかしやはり『星の王子さま』で示されたような所有の側面もあるのである。
ここでは、所有という歴史的な概念について、その実践的な研究者である立岩真也さんにお話を聞いた。近年、様々な領域で再び注目される所有をめぐって[*3]、とくにその建築や都市でのあり方を考えてみたい。なお、インタヴュー内容の前提として、弘文堂刊『政治学事典』から、立岩さんが執筆した「所有」の項目のテキストを転載させていただいた。

▼本文
所有はどこまで可能か
立岩 生産した人が生産物を所有する、それがこれからはいいんだぜという考えは、ジョン・ロックの本に出てきますけど、彼が発明したというわけではないでしょう。それはたんなるアイデアではなくて、近代社会の根底的な決まりでもあり価値だと思う。その頃、いわゆる市民革命の時ですよね。かつて身分によって、たとえば王の権力によって土地なりが分け与えられ所有権が決まっていた時代が変わった。それは多くの人たちにとって良いことではあったでしょう。そのことは分かった上で、僕はそれを検討あるいは批判して、別のことを考えましょう、言いましょうという感じでやってきました。
 つまり所有権というのは「なには誰のものか」ということであって、僕は「生産者による所有」という規則・価値を否定・批判してきたわけです。ただそれとすこし別に、所有権の強さというか、その面での変化もあった。どういうことかと言うと、近代における所有概念というのは非常に強い権利なんです。つまり自分で持っているものは、売ることもできるし、捨てることもできるし、焼き払ってしまうこともできる。言ってみればなにをしてもよい。それはそれ以前の日本社会あるいは他の地球上の地域においても、そう見られなかったことです。たとえば入会地というのがありますよね。そこでは個人がその土地を譲渡したり、売り払ってお金に換えようなんていうことは認められていないわけだけれど、そこに入って木を拾うとか、利用する権利は認められている。基本的に公的なものというのはいつの時代でもあったのでしょうが、たとえば山や林が今で言う公園や宅地のようなものではなく、みんなのものであるけれども、個々人がその分に応じて使うことができた。つまり近代の所有概念よりもきめ細かな仕組みで世の中が動いていた。そこのところを単純化してきたという歴史であったと、大雑把には言えると思うんです。そこが歴史的にどう変わってきたか。建築物と土地はまた別物ですけども、少なくとも土地の所有は社会にとって非常に大きな問題であってきましたから、それに関する歴史研究も膨大にあります。僕はそういった領域の知見は持ち合わせていませんが。
───近代において所有権と処分権が重なったこと、今回すこし勉強してみて、それが建築の公共性や私的所有を考える上でも重要なのかなと思いました。私的所有自体は別に悪いことではなくて、いろいろ状況はあると思いますけど必要だとしても、自分の物だからといって、町中の建物を鏡張りにしたりだとか、風俗店を住宅地につくるだとか、そういう自由が許されるのかというところが建築や空間を考える上で大きいのかなと。
立岩 それは僕も大切なテーマだと思う。でも僕としてはちゃんとした結論が出ていなくて、どうしたものやらという感じに近いんです。京都は歴史的な街だということで、この辺りはそうでもないですが、もっと街の中は改築や新築の時にいろんな条件が課されたりしています。そういった景観の統一性や落ち着きは、住む人にとっても、あるいはそこを訪れる人にとっても大切なことだと思うわけです。
 ただそれと同時に、都市のなかには無秩序で雑多な建てられ方、配色とかも全体としては滅茶苦茶で、という街もある。人によって、趣味によって、ただ不快だという人もいるのでしょうけど、あれはあれで僕はそうでもなかったりする。それもけっこういいという感じがあるんです。楳図さんの家[*5]は見たことないですが、ずっと前に三鷹に住んでいたことがあるので、なんとなくあの周辺の雰囲気は分かって、まあ近所の人がムッとくるのも分かりつつ、絶対だめと言うのはためらいがある。
───実際にその場に行くと、目立つけれどもそこまで非難することはないなと僕は思います。知り合いの建築家は、ああいうのは個人のエゴだと言ったりしますけど。
立岩 その辺ってけっこう微妙なところだと思うんです。伝統伝統と言うけれど、どこまでどうなのかって。この近くにも上賀茂神社があって、本当に千年続いているものもありますが、キャッチーというかポップというか、突然そういうものが現れて、それが五〇年くらい経つといつの間にか伝統だ、みたいなことになることも実際にはよくありますよね。そういう意味で言えば、キワモノみたいなものが持つ力もどこかにはあると思うし。ですから基本的には、このままだと消えてしまって、我々が見てやっぱり心が落ち着いたり、あるいは華やかになったりするものが残って欲しい、とは思いますけれど、じゃあどこまでという明確な線は引きにくい。
───都市論の文脈でも、日本ではずっと、ヨーロッパの街並みが綺麗だという話がありつつ、ヨーロッパの建築家からすると、東京のアジア的カオスに魅力を感じるということも言われます。たとえば今、ヨーロッパの旧市街みたいなところで新しい建物を建てようとすると、すごく法的な規制が厳しいと思うのですが、でもそれはやはり伝統的な街並みを持続させることになって、それはそれであったほうがいい。ただ京都、私が前回来たのは一昨年に知り合いの建築家が銀閣寺の近くで住宅を設計して、それを見学した時なのですが、やはり建築家からすると、景観条例で勾配屋根にしないといけないだとかは煩わしい。その建築家にしても別に好き勝手に街並みを崩すようなことをするつもりはないわけです。景観条例に則ってつくったものが果たして生き生きと、伝統が持続するようなものになるかと言うと、どうもヨーロッパのようにいくのかどうか疑問がある。それはもともとの建築や都市のかたち、あり方の違いが前提になっていると思いますけども。
 ともかくその辺りで、どこまで権力や法律の側から個人の所有や自由に関与するのか。あるいはもっと別に、教育などの方向からアプローチする仕方があるのか。それは立岩さんが、建築のことではないにしても原理的にいろいろ考えられていると思いますので、伺ってみたい気がします。パターナリズムという言葉[*6]、僕は知らなかったのですが、自由な自己決定ではなく、それも重要だと思いました。
立岩 少なくとも、土地の所有者あるいは建て主であるからなんでもできるというのは、ある特殊な社会が与えた決まりであり価値観であり、思い込みに過ぎない。建て主なら建て主に、絶対的な、なにをしてもよいという権利があるとは言えない、ということは確実に言えると思います。ただ、そのことを確認した上で、どこまでだったらよいのかという具体的な線引きはとても難しくて、誰がやるのかということもありますよね。京都市なら京都市の行政がやっているわけですが、決まりというのは常に、屋根の傾斜は何度でなくてはいけないとか、外壁は何色でなくてはいけないとか、そういうふうにしか決められないところがある。それを杓子定規だと言った時に、代わりにどういうやり方があるのか。僕はそれに関してうまいアイデアはないです。ただ、面倒かもしれないけど、役所の条例でこれ以外できないというよりも柔らかいかたちで、相互に調整して、建築や景観の専門家が介在してバランスをとっていくというやり方はありうると思います。ヨーロッパでも、古い街並みにあえてギョッとするような新しい建物を建てて、市民たちも概ねそれを受け入れているところもあったりしますよね。
───個人の所有物に対して他者なり権力なりが干渉しようという時に、建築や都市の場合は、コミュニティづくりのようなかたちで、局所的な解決がありえますよね。個別の解決というか。たぶん立岩さんが研究されているような、もっと抽象的な富や資本の所有だと、そういうあり方は成り立ちにくいと思うんです。国家や法律の単位になる。そこは建築との違いかなと思います。
立岩 むしろ僕の話は基本は簡単な話なんです。お金って右にも左にもどちらにも元来は行くわけです。大半の物もそうですよね。でもみんなケチなので(笑)、沢山持っていたい人は持っていたいし、それですったもんだ延々と起こるわけですけど。だから現実的には、所有のあり方を変えましょうと僕が本に書いたくらいでどうなるものではないですが、原理的にはお金の所有の仕方の変更なんかいちばん簡単です。
 それに比べて土地や建物はその場所にあってしまう。僕は美術館とかその類の建築は基本的には好きで、京都駅なんかもまあまあ好きなんです。ああいうのはああいうので楽しむというか、こんなふうに物をつくれるんだみたいにね、建築家に敬意を持っている部分はいっぱいある。そういう建物に対して誰がどんな権利を持つかについて、そうすっきりしたことは言えない、それがさっきの話です。
 他方、一人一人にとっては自分の住むところとしての住宅がある。やっぱり日本の戦後の長い時間において、特に都市部では、土地や家が人生の足枷というか、大きすぎる比重を占めてきてしまっている。それは誰もが認めるところだと思うんです。そうした時に、たとえば公営の住宅を増やすとかその類のアイデアは昔からありましたし、僕も少なくとも今よりは、そういうものが沢山あっていいという立場に立ちます。でも持ち家とかそういうこと自体をぜんぶ真っさらにしてしまうというのは現実的でもないし、そんなに無理してやるほどのことではない。

少子高齢社会はよい社会
立岩 日本のこの五〇年なり六〇年なりが異常な時代だったとは言えると思うんですよ。人口が都市に集積していくなかで、市場価格プラス資産価値、将来の見込みも含めて土地に高い値段が付いてしまった。ただ、僕はこの一〇年二〇年で見ても、それはそう続くものではないとは前から思っていたんです。
 今、人口の減少とかそういうことについてネガティヴな人たちが沢山いますけど、僕は昔から少子高齢社会はよい社会という意見だった[*7]。単純に言って日本は狭い。人が住めるところはさらに狭い。でも山林を開拓してというのもあまりよい手段ではない。そうした時に、有限のものを余裕を持って使うという意味で言えば、人間は少ないほうがいいわけです。人口がこれ以上集中しない、あるいは増えないとか減ること自体は、基本的に一人一人が使用できる土地なら土地を広くしていく。単純な割り算の話ですよね。いろんな混み合い方がすこし緩くなっていく。住宅にしても、人口が増えていくなかで買い手のほうが多ければ、価格は上がっていくわけだけれども、人口が維持されたり、あるいは減っていくなかでは空き家も出てくる。土地そのものに対する神話──というか神話ではなくて、ある時期リアルに地価が上がっていったのだけど、僕はそれはバブル以降で収まったと思っていますし、これから一、二度、人がまた夢を見て、小バブルみたいなことはあるかもしれないけど、長期的なトレンドとしては、土地にべらぼうな値段が付いて、そのために人生を捧げるみたいな度合い、言ってみれば家を買うために働くということの厳しさは自然に減っていく。これは政策がどうこうという以前の話として、言えると思います。
───少子高齢化問題が言われる時に不思議なのは、地球規模で人口の増加が問題になっているのに、なぜ日本でそれが問題視されるのか。
立岩 そうですね。やっぱり矛盾してると思いますよ。そういう基本的なところから考えていかないと、いろんな意味で誤ると思う。有限のものを有限であるという前提で使う、余裕をもって使うということを考えたら、使う人が少なくなるというのはぜんぜん悪いことではない。もちろんそれ以外にいろんなファクターがあるから人口の問題は単純ではないですが、でも土地や家に限らず有限のもの、資源とかゴミの話も含めて、そういう原理はある。
 日本でもずいぶん時間がかかりましたけど、土地に対する命がけみたいな状況は若干緩和されています。そうすると色々な考え方があるわけですよ。本当に公地公民みたいな、一人ずつに土地を割って分けるとか、そういうやり方もあるにはある。それがすごく突飛な考え方かと言うとそうでもないだろうと思うのですが、ただ、同時にある種の自由というか、住み続けてきたところに住みたい、あるいは新たなところに住みたい、そういう欲望は認めたほうがいい。たとえば、不便だけど色々いいことはあって、土地の値段はあってないような田舎に住むのか、様々な利便を得つつ土地は仕方なく田舎よりは高い都会に住むのか、本人が天秤にかけて選択する。マーケットが持っているそういう合理性も、むげに否定はできないですよね。
 ただ、とはいえ放っておいたらうまくバランスが取れていくかと言うと、そこはちょっと難しいかもしれない。つまり一定以下のレベルに人口なり利便性が落ちてしまうと、本当に物好きというか、仙人みたいな人以外はやっぱり住みにくい。そういうこともあるから、たんに土地は安いのだから田舎に戻る人も出るだろうというほど楽観的ではいられないと思いますけどね。
 今、限界集落とか言われたりする場所は、高齢化率五〇%とか六〇%とか、そういうふうになっているわけです。私はそちらの領域の研究もしているからあえて肩を持って言うところもあるのだけど、そうしたなにもないようなところでも、あるものはあるわけです。つまり生きている人はいる。それは爺さん婆さんで、爺さん婆さんは元気にやっている人もいますけど、やはり割合としては足腰が弱くなって病気がちになっているわけです。そうした時、その土地で暮らせるために生活を支える、それは介護や介助、医療も含めてですが、そこにもっとちゃんとお金をかけていく。まあ、一人の人に一人ということもないでしょうけど、若い人が──若くなくてもいいですが──行って、爺さん婆さんたちの世話を仕事にできる状況があれば、もちろんその人自身はご飯も食べるし、買い物もするでしょうし、その他いろんな経済活動をするわけですよね。それを今までは道路を造ったりして、雇用を生んでいた。それは田舎での暮らしを維持する、あるいは政権が田舎の票を維持するためのひとつの政策だったわけですが、そうして昔みたいに一から造るという仕事は少なくなってきていますよね。だからそれの代わりに、爺婆と暮らす若い人を迎える。その若い人には子供もいたり生まれたりするでしょうし。

住宅所有の形式
───少子高齢化で一人当たりの面積が増えるというのは、住宅のストックが増えるということでもある。そうすると、それをどう分けるかが問題になりますよね。高齢者の介護者の人数が足りないというのと、失業率が上がっているということのいびつさをどこかで書かれていましたが、そういうこととも近い問題のような気がします。ある種のシステムがどう調整するのかというか。
 住宅の場合、余っている住宅をどうするかという時に、最近よく言われるのがシェアです。ただ、こうして震災と重なってしまった時に、私有していた家が津波で流されてしまった人に対して、じゃあみんなでシェアして一緒に住みましょうねとはなかなか言いづらい。私的所有という形式を見直さないといけないと言っている人はけっこう多いわけで、見直さないといけないのは確かにそうだと思うのですが。
立岩 コーポラティブハウスとか、みんなでお金を出し合って住むというアイデアは前からありますよね。それ自体は、うまくいけばぜんぜん悪くないと思うんです。でもやっぱり人間って、究極的には好き嫌いで生きてるみたいなところがあるから、うまくいかない時もあるわけですよ。そしてお金の問題がどうしても絡む。マンションの建て替えとかってそれで面倒なんですけど。だからうまくいくぶんにはぜんぜん反対しない。むしろ促進して、容易になっていったらいいと思いますが、ひとつの知恵として、自分の私的な領域、他人に煩わされない領域があることのメリットは否定できない。
───その私的な領域の境界は、戦後にどんどん明確になっていったと思うんです。古い日本映画なんかを観ているとその境界が曖昧で、近所の人がいつの間にか家のなかに入り込んだりしている。それは所有形式とも関わってきますよね。つまり最初のお話にあった所有権の排他性は、空間の排他性にもなる。と同時に、たぶん家族制度も関係していて、日本の戦後、持ち家にしても団地やマンションにしても、核家族を想定して、大きな家族を分解していったわけです。そうして私的所有の境界とコミュニティの境界がともに明確化して、フレキシビリティを許容しなくなっている。そのほうが商品も売りやすいし、政治的にも統治しやすい。
立岩 そこはけっこうデリケートというか、難しい問題だと思うんですよ。一方ではそういう核家族のなかに、建物も含めて閉じられている部分があって、それが「ファミリー」ということで何事もなくやっているということになっているわけだけれど、実際には何事かが起こっている場合が沢山ある。子供の虐待とかも含めてね。昔だったら壁が薄くて、隣の子供の泣き声が聞こえてきたりとかもあっただろうし。
 でもそういう時に、昔の長屋を美化すればよいかと言うと、私も大学の時の下宿はそんな感じでしたけど、隣からあらゆる音が聞こえてくるような関係も、やっぱり違うだろうと。一人暮らしで孤独でいることがネガティヴなことかと言うと、ある種の思い込みみたいなところもあるわけで。僕は佐渡で生まれた田舎者なので、田舎の鬱陶しさも分かっているつもりですし、都市の孤独もあまり嫌いでないところがある。だから東京に出てきたみたいなところもあるんですが。
 だから孤独とかいうことも含めた私的な領域の確保、固持が必要というかな。閉じ方と開き方の両立というか、誰か面白いことを考えてくれたらいいなと思います。たとえば上がぜんぶ個室で、一階に共有の部屋があるというのは、今どきいくらでもありますよね。で、それがなにか楽しい感じがするかと言うと、そうでもない。もう一工夫二工夫できるような気がする。まあ思いつきで言っていますが、港町みたいな……。閉じた部分、逃げ込める部分もありながら、人が流れる曖昧なかたち、そういうはっきりしないイメージが子供の頃からあって、それは日本の港町よりむしろ地中海なのかもしれない。行ったことないので分かりませんけど、そういう場所の工夫や建物のつくられ方、つながり方って楽しい感じがします。たぶんそれは土地の傾斜にも関係していて、港町って基本的に海に向かって坂になっていますよね。そうすると必然的に建物の形状や街並みが複雑になって、均等に区画されていなかったり重なったり。それで農民ほど土地が命ということでもないし、都市の住まいというのでもない[*8]。いや、本当にいま話しながら思い出したんですが、そういう街がないかなというのは子供の頃に夢想していて。宮崎駿の一連の映画とか、あれもけっこう港町が舞台になっていて、建物のかたちもそんなに単純ではないですよね。で、爺さん婆さんが住んでいたり、猫がいたり。
───きっと空間の力は大きいと思います。やっぱり空間は権力と似たところがあって、知らず知らずのうちに生活を規定して、良くもさせれば悪くもさせる。坂があるというのは港町でなくても魅力がありますよね。
立岩 面倒くさいですけどね、上がるの。
───でもその高低差がある種の階級の領域を生み出したり。
立岩 ああ、実際になってますね。高台に住んでいる人は金持ちでというふうに。
───僕がけっこう尊敬する建築家の方が、空港のロビーのような空間が好きだと言われているんです。広い空間にいろんな人種や言葉が違う人が集まって、でもある種の孤独というか、同じ目的に一直線に向かっているわけではない。ざわざわしているというか。
立岩 それ、むかし多木浩二が似たようなことをエッセイで書いていた気がします。
───あ、その方は多木さんと仲が良かったんです。そう言えば多木さんも空港について論じられていますね[*9]。だから必ずしも空間のかたちの問題だけではなくて、その場所のシステムやプログラムにも関係して、開放性やなにかが生まれたりする。
立岩 僕はたぶんそういうことについて具体的に真面目に考えたりすることはないと思うんです。他のことで手一杯という感じで。だけど、なにか面白いことをしてくれたら楽しいなという感じはすごくします。
 僕は基本的には理論的な仕事が多いのですが、一方で病気や障害を持っている人たちの暮らす場所というか、別に暮らす場所に関心があるわけではなくて暮らしに関係してしまっている場所というかね、ああいうものにしたって、いろんな試行錯誤があってうまいこといったりいかなかったりしてるのでしょうけど、空間的なやり方は色々あるのだろうなと思う。実際にはそんな悠長なこと言っていられなくて、今でも六人部屋八人部屋が当たり前という状況をなんとかするのが先決だろうというのはその通りですけども。今、老人ホームとかも個室化、一人一部屋の流れがあって、僕は基本的にはそれに賛成なんです。ただ、それだけでうまくいくものでもないし、それでかえって閉じられてしまうこともある。個室と共用スペースという、結局はそのふたつしかないのかもしれないけど、そこをうまい具合に考えてくれる人がいると面白いなという期待はありますね[*10]。

権力と空間
───所有という話に戻すと、空間はたとえば段差を作ったり、距離と移動の問題であったり、ある種の弱者を生み出すものですよね。ただ、空間のひとつの可能性は、これは俺の物だという所有の明確なラインを曖昧にさせるようなところにあるのではないかと思うんです。たとえば宝石やお金はポケットに仕舞えたりタンスに仕舞えたりしますけど、空間って誰のものかよく分からない感じがする。さっきの空港の例がまさにそうで。もちろん所有者はいるにしても、所有者のいない感じがある。それは自分より大きくて自分を覆うというサイズの関係もあるかもしれませんが、所有を曖昧にさせる力が空間の可能性かなと思うんです。
立岩 基本はそういう雰囲気がいいとは思いますが、具体的に空間のあり方に落としていった時にどういう感じになるのかな。むしろそういうことを仕事にしている人に考えてもらいたい気がします。
 今、公共空間と言われている場所にしても、問題が起こるとかなんとか言って、高いフェンスで夜には鍵をかけられたりするところが多くなっていると思うんです。僕らも安全ということは大切だと思っているから、一理あると言えばあるのだけど、やはりちょっと違う気がする。公的な空間だと言って、結局たとえば市営の公園だったら市が強固な主体として出てきて、なんだかんだとなったりする。でも公園や河川敷で暮らしている人も沢山いるわけです。それをある種の公共性の名の下に、暴力的に追い出しにかかる。新宿の西口のほうは本当にそうなりましたよね。大阪でもこの数年、公園の美化、クリンナップがされている。最初の話に関係あるかもしれませんが、日本の場合だと東京オリンピックの時に、恥ずかしいところを見せたらいけないとかいうことで、スラムをかなり強引に取っ払って、外見を小綺麗にしてということがあった。韓国から留学生として来ている大学院生が、ソウルオリンピックの時にもそういうことがあったと言ってましたけどね。空間はそういう側面もあるわけです。保たれていて美しいのはそれはそれで結構だけれども、テントであれスラムであれ、そこに生きている人のリアリティはあるわけで。
 さっき所有権という権利の問題として、所有物を自由に譲渡することが可能になってきたという話をしました。でもやっぱり土地や住居はただの物ではない。身体の延長ではないにしても、もっと自分に関わりのある物で、そこには時間がへばり付いていたり、他人との関係がくっついていたり、するわけですよね。それは時には鬱陶しいのだけど、でもなにかしらの意味がある。それに対して、美化と言われて歴史的になされてきたことの乱暴さは、ちゃんと押さえておかないといけない。たとえば一八世紀一九世紀のパリはひどいところも沢山あって、確かに衛生状態が悪くて都市行政で改善して伝染病が少なくなったのはよかったかもしれませんが、そこでちょっと目障りな奴を別のところに押し込もうみたいな意図もあったわけです。あらゆる国家が美化や衛生にかこつけて、いろんなものをかなり乱暴なやり方で壊したり移したりしてきた。
───日本は全体的にはスラムクリアランスがされていますが、坂口恭平さんという、路上生活者と仲良くなっていろいろ調べている人の本[*12]を読むと、局所的にはそれでも所有が曖昧になっているところはあるみたいなんです。隅田川の河川敷でも、橋の下で寝泊まりしているところに警察官が来て、ここは困るけど向こうの遊歩道なら管轄外だ、みたいなことを言って、そこに移り住むというような。それも実際の所有者とは別に、空間が曖昧に現象しているということだと思います。そこをことさらありがたがっても希望はないのかもしれませんけど、ギリギリそういう部分も残っていると。
立岩 土地はそういう意味で、一方で日本の戦後の持ち家とか、私有したいという力学もあるのだけど、一方で国家や地方行政のターゲットでもある。その裏表がある。あまり綺麗事ばかりでも嫌ですよね。土地はそれこそ地権利権が絡みますから、そんなに優しいことばかりでもやってられないぞというのは、それも分かる気がする。ただ、そういう力が、衛生・安全・美化という名目で働いてきたことの功罪というか、現にそれで住む場所を追われてきた人たちがいるわけだから。
───僕は建築学科で勉強してきて、だいたい建築史の教科書に載っている素晴らしい建築というのは、富の偏りのなかで生まれている。ピラミッドなんてまさに奴隷によってつくられているわけです。いや、ピラミッドは想像力を働かせにくい、あまりよくない例かもしれませんけど、現代の資本主義を体現したような建築は、そういう雰囲気をダイレクトに示している。僕自身は世の中それなりに平等であったほうがいいと思っている人間のつもりですが、いちおう建築の分野の片隅にいる身としては、そういうアンビヴァレントな感じもなくはないです。

相続と建築、都市
───あと富の偏りということで、ひとつ気になっているのは相続です。相続というのは富の継承で、そこに相続税というものがかかって富をならす、平等化するという構図があるわけですよね。
立岩 そこは重要な問題ですね。相続税は大きな税ですから、法律の技術論的には法学者たちがいろいろ言っていると思うんです。それはそれで結構なのですが、もっと原理的にも面白い主題だと思っています。
 基本的には私は相続税強化賛成派です。資産と所得に対する直接税の課税をちゃんとやれという主義で、『税を直す』[*13]という本も書いてます。さっき言った、生産できる人が採れると言ってもそれは一代限りのことなわけですが、それが蓄積されることによって格差は確実に拡大していく。それはたんに土地や家屋の継承だけではなくて、教育に対する資本投下とか、ぜんぶ引っくるめてです。だから普通に考えて、放っておいたら格差が大きくなるのは当たり前なんですけど、それが大仰に言えば正義に適っているのか。僕はそうは思えない[*14]。
 このことは近代主義的なロッキアンにとっても共通することなんです。別のロジックだけど同じことを言っている。要するにその人たちは自分が作った物は自分の物だと言うわけだけれど、相続では他人が作った物を相続することになるのだから、相続権は存在しない。そういう意味で、相続権の制約が正当化される。
 ただ、いくつか考えないといけないことはあって、やはり人間は小利口ですから、たとえば相続税一〇〇%ということを考えたとしても、いわゆる生前贈与というかたちで合法的に、あるいは非合法的に相続がなされて、技術論的にもすんなりはいかないだろうという問題がひとつ。あとは先ほどの話ですが、土地とか建物はたんなる物ではないということがある。たとえば、昔はお金があって土地が維持できたけど、今は金がないと。で、親が死んでとか色々あって、必ずしも自分の意志ではなく、記憶とかいろんなものがまとわりついている物から離れないとならない、という問題も起こる。そういうことも考えないといけない。
 でもその上で、相続税の現状において言えば、ぶっちゃけほとんどの人は払っていない、に近いですよ。お金をいっぱい持っている人たちはいろんな利口な手段を使って、富を分散させたり会社組織にしたりして。そういう意味で、人がぶつぶつ言うほど相続税は機能していない。だから伝来の土地を追われる可能性があるにしても、今よりは相続税はもうすこし機能させてもいいとは思っています。
 住まいに関わる工夫というのも二、三〇年前から、高齢化が話題になりだした頃から出てはいるんです。自分が死ぬまでは住まわせてもらう、だけどその後は市なら市に渡すとか、うまくいっているのかどうか知りませんが、そういうやり方もある。だから爺さんが亡くなったからといって婆さんがその家を追われて、知らない土地のアパートに住まないといけないという、それほどの乱暴なことはせずに、でも納めるものはちゃんと納めるというやり方は、工夫次第だと思う。具体的にそういうことに関わっているわけではないので、それ以上のことは言えないですが。
───相続ということで、都市の問題でひとつ思いつくのは、たとえば東京なんかで戦前から続く大きな家が相続される状況があったとします。僕はそこで実際にどのくらい税金がかかってということは知らないのですが[*15]、相続税が高いということで、土地を離れたり切り売りしたりすると。で、そこの細かくなった土地に新しく建売住宅が建ったりする。
 大きなお屋敷は、それを外から見る庶民にルサンチマンみたいなものをもしかしたら抱かせるかもしれないですが、一方でその場所はその所有者だけの物だったのか。つまり、家や庭の文化的価値だけでなく、もっと直接的に、敷地の木が道に陰を落とすとか、鳥を集めるとか、あるいは無意識に歴史を感じさせるというようなことも含めて、そういう日常的な価値を周辺と共有していることもあると思うんです。そうやって建築や文化のことを考えると、富の堆積が必ずしも悪いこととは言えない。
立岩 そういうのはありますよね。僕は昔から京都に住んでいるわけではないですが、この辺は京都で言うと、まあ田舎なんです。基本的には農地で、今でもけっこう大きな家がある。そういうところが今、相続か後継者不足か、というよりはむしろ今そのくらいの土地で農業をしていても割に合わないのか、アパートを経営したほうがいいという判断もあるわけです。それでも農業を続けている人はいて、地元名産の京野菜とかを作っていたりするんですが。まあ確かに、今まで田んぼだったところがアパート群に成り代わっていくのは、なにかしら悲しい気持ちはします。だけどさっき言ったように、そういった流れは僕はどこかで止まらざるをえないと思う。人は増えない。六〇年代みたいに山林をガンガン切り開いていく、そういう時代は終わったと思うんです。
 だからどうしたらいいんだろうな。都市部の邸宅というのは、たとえば建築学的に貴重だったり、残すべきものは残したほうがいいだろうと思いますよ。でも、鳥や蛇、あと猫とか、そういう者たちにとってみれば人がつくった境界は勝手に跨いでこれるけど、やっぱりお屋敷である限りにおいては、近所の人にとっては中になにがあるか分からないというか(笑)、そういう歴史的な存在であってきたと思うんですよね。で、それが切り売りされてコンクリート群になっていくのは確かに悲しい気はするんですけど、じゃあそのまま細々と続いたらいいのかと言うと、そうでもない。その時に、なにを我々は求めているのかと言ったら、ある種の土地の形状の多様性であったり、木が植わっていることであったり、あるいはある意味での無駄なスペース、なんだかよく分からない場所が残されていたり、という感じなんですよね。だから誰かの財産が失われるというよりは、そういう半公共的なものが失われることをどうしたらよいかということかと思います。
───確かに仰る通りだと思います。ただ、大きなお屋敷というのは例外的で、より切実なのは、生け垣に囲われていて多少の庭があるような家かもしれなくて。建築学的な価値は見いだしにくくても、そういうものが街の雰囲気をつくっている。相続税以外にいろんな要因はあると思いますが、そういう家がなくなって新しいなにかが建つという時に、ほとんどの場合、前よりよくなるということがないんですよね。
立岩 この辺で土地を切り売りしている元農家の人たちにしても、やっぱり建蔽率なりなんなり、目一杯建てて、それは家賃収入が多いに越したことはないですから、仕方ないだろうなと思いつつ、うちの近所もそうなっている。それをどうしたらよいかは分かりませんが、ここからここまではアパートで、たまに四角い公園があって木が植わっているというよりは、多様な空間性と言うのかな、それはなにか一工夫二工夫あればできるような気がして。
 たとえば道なら道というもののあり方を考え直してみる。ただの道ではなくて、ちょっと広かったりとか、曲がっていたりとか、いろんなやり口はあるような気がします。さっきは港町の話でしたが、僕は前に三鷹に住んでいて、玉川上水の辺りを歩いたりして、あそこでは上水というものが大きな意味を持っていた。やっぱり居心地がいいんですよね。それは都市計画というのとはちょっと違う雰囲気なのかな。つまり、今だと中国が上海なんかでやっているような大規模な、ざーっと均して、そこにいた人を強制移住させるような、すっきりしているけど乱暴というやり方ではない。
───クリストファー・アレグザンダーという建築家が七〇年代に『パタン・ランゲージ』(1977)[*16]という本で、そういう個別の場所の工夫みたいなことと都市計画をつなげるような試みをしています。ただ、普遍的な解や公式を求めようとするとなかなかうまくいかなくて、やっぱりひとつひとつ丁寧に対応するしかないのだろうなと。

土地との結びつき
───たとえば東京は関東大震災と戦災によって、ある意味で近代的な都市を白紙から計画できた部分があった。災害の経験によって新しい都市ができていくというのは往々にしてあることですが、それが今、津波の被災地では起こっているわけです。すこし前にニュースで、家が流された自分の土地に勝手にプレファブを建ててしまったというのがありましたけど、それを「勝手に」と言っていいのかどうか、所有の問題としてありますよね。権力の側からすると面倒くさい。所有者の自由や、そこに住みたいという気持ちは無視できないけれども、みんなで足並みをそろえていかないといけない部分もある。
立岩 僕は何事を言う立場でもないですが、津波で真っ平らになってしまったような場所と、そうでもない場所でも、かなり事情が違うでしょうね。跡形もなくなってしまって、また津波がくるかもしれない、そういう場合、やはり高いところへの移住は真面目に考えないといけないと思います。僕も海が見えるところで育ったので、海に対する愛着も分からないでもないですけど、やばい時にはやばいわけですから。
 あとは福島ですよね。ぜんぜん事情が違う。土地に対する愛着もあるでしょうが、福島に行ってきた人に聞くと、みんな暗いと。本当にかなりやばいと思っている。だから最低限、逃げたいなら逃げられるようにしておかないとだめですよね。それを、その人たちは土地に愛着があるのだからと言って、せいぜいグラウンドの土を換えるぐらいでなんとかしましょうというのではよくない。
 さっきも言いましたが、僕は病気や障害を持っている人たち関係の仕事が自分の仕事の一部なんですけど、そういう人たちこそ物理的な援助がなくて移るに移れないか、移るとしても見ず知らずの土地になるという問題がある。たとえば身体障害者療護施設というのは全国にあるのだけども、空きが一人分二人分あると、本当に知らない土地に、言ってみれば移送されるわけです。近い親類がいなければ連絡を取る人もいなくて、場合によってはその場所で一生を過ごすことにもなりかねない。それはやはりまずい。そういう意味で、阪神淡路を体験した人たちが、たとえば西宮なら西宮の公営住宅を市と掛け合って、車椅子を使っている人でも入れる一階部分を何十戸か用意するから来たければどうぞみたいな活動をやり始めたりしているんです。それは僕は大切なことだと思うので、うちのホームページ[*17]でもその情報提供をやっている感じです。
 だからやっぱり土地というのは難しいですよ。確かに愛着の対象であるのだけど、その名の下に動けなくさせたりとかを一方でしてしまう。美化や整備、安全とか、それ自体はプラスのことでも、それによって排除をしていくという歴史もある。僕は愛着も美観も安全も大切だと思うから、留まることもあるいは移ってもらうことも、ぜんぶは否定できないですけど、でも今現在の福島を見ても、かなり乱暴なことが行われているというか、あるいは何事もなされていないというか、そういう状況があるので、そこは慎重に、正しい名の下に間違ったことをするようなことは避けないといけない。
───震災後に出版された牧紀男さんという建築の災害の研究者の方の本[*18]では、土地への執着とかその場所を離れたくないという心理は戦後の新しい考えだと書かれているんです。つまり、持ち家政策などによる所有意識の高まりと、たまたま戦災以降、阪神淡路まで都市部で大災害が起こらなかったことを原因として。で、調べてみるとそれ以前の人たちは大災害が起きるとけっこう簡単に土地を移動していた、だからもっと移動してもいいのではないかという言い方をされているのですが、でも現に幻想であれ、移動したくないと思ってしまっている以上……
立岩 そう。思ってしまっているというリアリティはありますよね。だけど少なくとも、日本人はもともと土地に根付いた民族であってとか、そういうことを言ってはいけないと思う。そんなことは本当かどうかも分からないし。たとえば都市に住む九〇何%の人は元田舎の人ですよ。田舎から移動してきた人が圧倒的に多い。それはやむをえずということでもあったのだろうけど、日本人は定住民であるという言い方に対して、そうでもないよという確認はしておいたほうがいい。
───日本の住宅像を描いた古典として、鴨長明の『方丈記』(1212)[*19]が言われますけど、あれはむしろ災害後に移住した話ですよね。僕はやっぱり、みんながみんな鴨長明のように達観できないことに、人間の生活の重要な部分があると思うのですが。

世界を所有することの不可能性
───『人間の条件──そんなものない』の「他者がいた方がよいと思っている」という節は、主に『私的所有論』[*20]と『自由の平等──簡単で別な姿の世界』からの引用ですが、この節の記述は特に興味深かったです。
「まず私は、私が受け取っている世界があって、それで生きていたい。その世界はたしかに私において起こっていることではあるが、しかしそこに存在し起こっていることの多くは私の意と関わりなく生じて存在している。その中に他者もいて、私と別の存在がいることの快が、それはもちろん快であるだけではないが、ある。つまりまず私の存在の快の大きな部分が既に私でないものがあることの快である。そして、私のまわりのすべてのもの、世界全体が広義の他者なのだが、しかし、人──だけであるかはともかく──はやはり特別ではある。それは、その一人一人に世界があることに由来するだろう。快であるとは、同時に失われることへの哀惜でもあり、他者が失われることの切実さは、そこにおいて世界が一つ消えてしまうことの切実さだろう。その切実さは、ときには私が生きていたいことを凌駕して、その人の世界が続くことの方を優先することさえある。」(『自由の平等』135ページ)[*21]
 ある意味で、建築を体験することは他者と関係を持つことだと思うんです。先ほど言ったように、建築は自分の物だとしても自分の物になりきらない雰囲気がある。そもそも社会的に大勢の人によって建てられるし、大勢の人で使う。あるいはもしその建物を自分一人で建てて自分一人でしか使ってなかったとしても、日本人だったら靴を脱ぐようにするかもしれないし、窓の開け方とか、ある種の文化的な形式性を帯びたものにならざるをえない。そこで無意識のうちに他者や共同体と関わっている。「他者がいた方がよいと思っている」という言い方は、建築のそういう性質と通じるような気がしたんです。たぶんアーレントの『人間の条件』(1958)[*22]にも、そういうことが書いてあると思うのですが[*23]。
 ただ、立岩さんがそこでなぜそういうことを書かれたかと言うと、「自分で作った物は自分の物」というロック的な所有観に対して、でもやっぱり世界は自分の物になることはないと言うためなわけですよね。
立岩 そういう所有観は、基本的に自分が手を加えたものを自分の物にする、そうして自分の領土を拡張していくという思想なんです。でも、直感的に言って、自分をそんなに大きくしたって別にいいことはないよという感じがする。もちろん自分は自分で大切なのだけど、でも自分が自分のことをそんなに面白いと思わないというか、自分が一人だけいたって面白くない。自分の領土を拡張していって、その土地や物がみんな自分色になっていくのはある種の快感かもしれないのだけど、なんだかつまらない。そうではなくて、自分ではないものがよそにあって、それは時々攻撃的で、もうよしてくれということもあったり、そんなに嬉しくなかったりすることも沢山あるのだけど、そういうこともありながら、やはり自分ではないものがあることが楽しい。その他者というのは他人もそうだけど、人だけではなくて、世界のぜんぶのもの。言いたいことはそれに尽きる。どこかに書きましたが、世界は必ず自分より大きい、自分より豊かだ、だから自分も大切だけど、というか自分が大切だからこそと言ってもいいのだけど、自分ではないものも大切にする。それが望ましい。
───ただ、たとえば企画書で引用した『星の王子さま』[本記事冒頭]は、一人で小さな星に住んでいたりして、けっこう孤独なわけで、確かに自分が尽くした花だからお前は俺の物だという言い方はロック的かもしれませんが、でもそれはぜんぶ無限に世界を自分の物にしようというよりは、世界は自分の物にならないと思っているからこそ、その一輪の花が特別な物になるということのような気がするんです。
立岩 たぶん両方なんでしょうね。僕が言ったような、世界は自分の物にならないからこそ気持ちいいというのは、一面の言い方だと思うんですよ。自分で作った物が愛しいというリアリティはやっぱりあるわけで、それはそれで決して否定できない。家屋や土地がたんなる物ではないというのも、そういう部分だと思うんです。
 ただそこには、自分で作ったからには俺の物だ、他の者には触らせないという話と、自分たちが生きてきて、手塩にかけたり愛情を注いだりした、だからそれはそう簡単に他人が手にかけていい物ではないという話が、ふたつあるんですよ。ほんとにその人たちが、それをいくらもらっても手放さないと言うなら、それはその人のもとに置いておこう、その人の物としよう。自分が作り出すということも含めて、そういう経験のなかで蓄積されたものはやはり大切にしないといけない。そのことと近代的な所有のスキームは、似てるようであるけれども違う。だから自分にとって近しい物、手放せない物を大切にしようという話と、自分が作った物は必ずしも自分の物ではないという話は両立する。僕の世代だと三里塚とかそういうことを思ったりしながら、そう考えるわけです。
 くり返すと、自分が作った物はすべて自分の物になるわけではない、でもどうしても手放せないと、本当にそう言うのなら、その人のところに置いておこう、その代わりその人はそれを誰にも渡してはいけない、それを交換の対象にするのなら、そもそもそれは自分の物でなくてもよいということだから、本来自分の物であると言う権利もなくて、みんなで決めることだよね、──そういう仕掛けの話なんです。なにが誰のものなのか、今の決まりを否定するだけではなくて、別の所有についての決まりを示す。それが最初の本を書く時にいちばん苦労したところで、面白いところのはずなんです[*24]。でも誰も読んでくれてないところだと思います。
 さて、それをたとえば相続という問題に応用するとどうなるか。先ほどの話だと、自分が死んだらかまわないけれども、ここは自分にとってかけがえのない物なので自分が死ぬまでは住まわせてください、誰にも売ったり譲ったりしない、と言うのだったら、その間は相続税でその土地を追われることはなくて済むようにするとかね。そういう応用問題の解決にも関係するかもしれない。

理念と現実
───星の王子さまみたいな感情は個人の感情としてすごく正当で、ただ、それが抽象的な理論になって、社会システムのようになってくると、色々まずいことも起きてくるという。ちょっと話は変わりますが、それを理論化したのがジョン・ロックという人だと。でもロックは、絶対王政に対して個人の所有を正当化したわけですよね。だからロックさん自身はむしろ平等化を目指してそういうことを言った[*25]。
立岩 もちろんそうだと思います。だからそれは圧倒的に魅力的だったわけですよ。だって王様がほとんどの富を持っていて、下々がそれに従属しているという時に、そうではないという仕掛けを言ったわけですよ。それはかなり多くの人にとって大歓迎ですよね。
 僕が前から言っているのは、たとえば王様が九〇%の土地を持っていて、下々がちょっとずつ持っている、その割合が先祖代々決まっている、その仕組みは悪い。それに比べてロックが言ったことはまだましだというか、納得できる。だけどそうやって王様だからこれだけ所有しているとか──社会学で属性原理と言いますが──、それがまずいということが、イコール近代社会が代わりに持った原理が正しいということにはならない。あっちが×だとしてもこっちが○になるとは限らないし、△かもしれないし、ある意味こちらも×かもしれない。そういう話です。
───ロックはその時にそういうことを言って、世の中的にはというか、歴史的にはよかったんでしょうか。言わないほうがよかったんですか?
立岩 言わないよりはよかったんじゃないですか。それとロックが発明したという話でもないと思うんです。その頃に市民階級、ブルジョワが台頭してきて、支配者の言う通りにはさせないぞという、そういう時代を代表して書いたというか。昔の学者は本当にいろんなことに口を出していて、彼もマルチな知識人で、教育論なんかも書いているし。代表してというか先導してというか、両方でしょうけど、それがいろんな意味で現在まで引き継がれている。
───これは僕の個人的な疑問なのですが、ロックさんはそういう時代に正義感で平等化を目指したと。で、ロック的な現代に至るリバタリアニズムといった思想の人も、みんなそうした正義を目指しているのでしょうか。立岩さんとは立場を異にしていても、そういう人たちにも正義の信念は感じられるでしょうか[*26]。というのは、たとえば現代の日本の政治において、規制緩和とか事業仕分けとか、原発を継続すべきとか、そういう論理があって、その理屈はあくまで理屈としていちおう分からなくもないとしても、それを言っているリアルな人たちが実際に正義の気持ちで言っているかと言うと、かなり怪しいところがある。完全な悪意というわけでなくても、傲慢や無知があると思うんです。で、現にリバタリアニズムとかネオリベラリズムというものがよくない状況を生んでいるとは言えると思うのですが、その理論を言っている人は、そういう状況に与するつもりではなくて、やはり正義のために言っているのか、どうなのでしょうか。
立岩 それは個々別々に色々でしょう。政治家や官僚の利害みたいなものと政策の妥当性の関係も一概には言えないとしか言いようがない。ただ、ロッキアン的な原理は、みんなの持てる力が同じだったら、明らかに世界を平等に向かわせるんです。同じだけ働けば同じだけ得られるということですから。俺は少なくてもいいから働きたくないという人はそれだけの取り分になる。そういうのはある意味で理想的というか、けっこういいと僕も思うんです。でも僕の考えは、そうは言ってもじゃあみんな同じだけ働けるのか、同じだけ才能があるのかということなんです。そういうところから個々の人たちの道のりが始まるわけですが、そこの出発点が違うだろうと。みんないろんな芸を持っていて、だけど受ける芸もあれば受けない芸もある。一人にひとつ必ず光るものはあるというのは嘘ではないかもしれないけど、かなり眉唾だと。みんな勉強すれば同じだけできるようになるというのも、学校の先生はそう言うけど、それも本当は違うだろうと。教育をちゃんと整備すれば同じだけの成果物を得られる能力を持ちうるなら、それでかまわない。でも実際には違う。その実際には違うということが格差を生み出して、それが世代を継承していくことで拡大していく。それは僕は嫌なんです。

アバウトな平等
───かなり無理なインタヴューを受けていただいて、どうもありがとうございました。必ずしも立岩さんの専門分野ではないことに関しても、率直にお話しいただいて感謝します。立岩さんに聞いてみたいと思ったのは、当然ながら所有のあり方について研究されているということがありましたが、専門外の建築の話であれ、柔軟に、プラグマティックに考えていただけるかなと思ったからなんです。
 確かに所有を考える場合、平等や自由は大切だと思うのですが、立岩さんはあまり原理主義的ではない。ご本を読ませていただくと、一人一人いわゆる弱者を救うという感じよりは、ある具体的な社会システムを問題にして、なるべく全体のマイナスをプラスに換えるというような、そもそも「弱者」を生ませないというか。いい意味でのアバウトさと言うと、やっぱり失礼かもしれませんが。
立岩 たいがいのことはアバウトにできるんですよ。お金のこととか、そういうことはざっくり足し算して割り算すればすぐできる。増税とかすごく大変なことだとみんな思っているかもしれませんが、それほどでもないよというのはひとつ言いたいことなんです。ざっくりやれる部分はけっこうある。と同時に、愛着や離れがたさとか、そういう個別のこともある。二枚舌みたいですが、そういう他人から見たら価値がないかもしれないような物を一人一人が大切にするためにも、アバウトなところでアバウトな平等が必要なんです。
───僕の勘ぐりですけども、その考え方の根本には、平等や富、あるいは自由がそのまま人間の幸福になるわけではないという認識があるのではないでしょうか。平等至上主義や自由至上主義になってしまうと、本来の目的とするべきことを見失う。幸福を考えた時には、それらはあくまで手段でしかない。
立岩 それは大前提ですよね。事実です。
───改めてそういうことを聞いてみれば、誰もがそれはそうだよと言うと思うのですが、意外とそれぞれの人が書いているものを読むと、そうでもないと思えるようなものが多いというか、固定化した価値を求めがちではないかと。それは他者に関与することの可能性と不可能性の認識も関係しているような気がします。
立岩 僕はでも、今の日本の言論状況のなかで言えば、かなり極端な平等主義者だということになっていると思いますよ。僕も別にそれでいいと思っていますけど。だけど平等でみんなが幸福になるなんてことはありえない。そんなことは当たり前なんですが、じゃあなにもしなくていいのかと言うと、そうではない。そのくらいの話ですよ。
───ではこんなところで。

▼註
[*1]出典: サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳、岩波書店、1962、p.98
[*2]本誌pp.87-88参照
[*3]立岩さんも寄稿している『所有のエチカ』(大庭健・鷲田清一編、ナカニシヤ出版、2000)では、家族・会社・業績・生命・権利といった切り口で、現代的な所有の問題が考察されている
[*4]出典: ジョン・ロック『完訳 統治二論』加藤節訳、岩波文庫、2010、p.326
[*5]赤白縞模様の楳図かずお邸(本誌前号pp.74-75参照)
[*6]以下、立岩真也『人間の条件──そんなものない』(イースト・プレス、2011、p.63)より。
「パターナリズム」という言葉がある。その人は同意していなくともその人にとってよいことがあると考える立場、そしてそれがなされてよいという立場・主張を指す。ほとんどの場合最初からわるい意味に使われる。「おまえのためだ」とか言って、結局は他人──パターナリズムの「パター」は父親の意味──の価値観やら都合を押しつけるということがとてもたくさんあるから、無理もないことではある。けれども、「余計なお節介」がこの世にたくさんあることは、「余計でないお節介」がときにはあること、よいパターナリズムもあることを否定しない。
[*7]参照: 立岩真也「少子高齢化は『大変』か」『高等学校 新現代社会改訂版』清水書院、2007(前掲『人間の条件──そんなものない』)など
[*8]港町の原型的な例: エーゲ海セラ島(出典: B・ルドフスキー『建築家なしの建築──都市住宅別冊●集住体モノグラフィNO.2』渡辺武信訳、鹿島出版会、1975〔原著1964〕、p.124)
[*9]大澤真幸・多木浩二「エアポート」『10+1』No.2、1994.11
[*10]石上純也による《グループホーム》(2012年竣工予定)は、その期待に応えうるものかもしれない[*11]。主に認知症高齢者を対象にしたその介護施設では、認知症の進行を遅らせるため、集団生活のなかでコミュニケーションを多くとることが求められる。同時に各個人の寝室の確保も必要とされ、かつ入居者は日々の外出が難しいので、基本的に施設内がその住む世界になる。こうした条件に対して石上は、解体予定の木造家屋を各地から曳家で集め(軸組+屋根)、それらを組み合わせて建築を設計している。その空間は、内部/外部、個/共同、家/都市などの性質を合わせ持つ。各家屋は木材の古色を残しつつフレームとして抽象化されるが、部材にまで解体して再構築されるわけではないため、その材質や寸法、工法など、かつて家屋を統合していたシステムは維持される。そうした固有性と抽象性のバランスは、入居者同士や職員との間だけではない、建築に内在する他者や文化とのコミュニケーションも可能にさせるのではないだろうか。(図版: 石上純也建築設計事務所)
[*11]参照: 石上純也インタヴュー「PLOT 『グループホーム』編」『GA JAPAN』112、2011.9
[*12]参照: 坂口恭平『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』太田出版、2010、p.114
[*13]立岩真也・村上慎司・橋口昌治『税を直す』青土社、2009
[*14]一般に自由と平等は対立的に考えられがちだが、立岩さんは「自由の平等」を言う。以下、立岩真也『自由の平等──簡単で別な姿の世界』(岩波書店、2004、pp.3-4)より。
自由を尊重すると言い、国家による税の徴収とそれを用いた再分配を不当な介入だと批判する人たちがいる。しかしその批判は自らを掘り崩す。[…]自由の主張からはむしろ分配が擁護される。得られることはよい。それは生きられるのがよいことの一部であり、そのことによって自由に生きていける。自由がよいものなら、それは誰にもあってよいとしよう。つまり自由が普遍的に、誰にでも認められるなら、分配が支持される。だから自由を主張するなら、自由のための分配を主張する立場の方が一貫している。
[*15]後日、国税庁のホームページで調べたところ、大雑把には、相続などによって取得した財産が基礎控除額の「5000万円+1000万円×法定相続人の数」を超えると、その額に応じて納税が必要になるらしい。税率は、基礎控除後の遺産1000万円以下で10%、3000万円以下で15%(控除額50万円)、5000万円以下で20%(控除額200万円)、1億円以下で30%(控除額700万円)、3億円以下で40%(控除額1700万円)、3億円超で50%(控除額4700万円)。
[*16]クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ』平田翰那訳、鹿島出版会、1984
[*17]http://www.arsvi.com/(立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点)
[*18]牧紀男『災害の住宅誌──人々の移動とすまい』鹿島出版会、2011
[*19]鴨長明『新訂 方丈記』市古貞次校注、岩波文庫、1989
[*20]立岩真也『私的所有論』勁草書房、1997
[*21]出典: 前掲『人間の条件──そんなものない』pp.141-142
[*22]ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994
[*23]本誌前号p.127参照
[*24]前掲『私的所有論』第4章「他者」第2節「境界」
[*25]ロックはその労働所有論において、p.39の引用文でも「共有物として他人にも十分な善きものが残されている場合には」とあるように、私有に一定の制限をしている(参照: 前掲『完訳 統治二論』後編第5章「所有権について」)。また少なくともその章では、私有にともなう物への愛着といった質には触れておらず、食物や水、土地など、いわゆる生きるために即物的に必要な所有の側面を主に論じている。
[*26]ロックの思想は後世のリベラリズム、そしてリバタリアニズムに大きく影響しているとされる。リバタリアニズムについて、前掲『税を直す』の橋口昌治「格差・貧困に関する本の紹介」では、「リベラリズムが平等を実現するために政府による再分配を志向するようになると、個人の自由を最大限に尊重すべきだとするリバタリアニズムという政治思想が現れた」とされ、代表的文献として、F・A・ハイエク『隷従への道』(1941)、ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』(1962)、ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア──国家の正当性とその限界』(1974)が挙げられている(p.304)。
[*宣伝]立岩です。電子書籍(の中でも視覚障害の人が聞いたりできる形式のもの→EPUB3)の販売を始めるつもりです。私のページhttp://www.arsvi.com(「立岩真也」で検索すると最初に出てきます)にそのうち広告へのリンクが掲載されるはずですのでご覧ください。あとツイッターもしばらく前からやっています。同じページから(あるいは直接にはhttp://twitter.com/#!/ShinyaTateiwa)入ってくださいませ。

▼プロフィール
【たていわ・しんや】社会学者。1960年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。主な著書『私的所有論』(勁草書房)、『自由の平等──簡単で別な姿の世界』(岩波書店)、『希望について』(青土社)、『所有と国家のゆくえ』(稲葉振一郎との対談、NHK出版)、『ベーシックインカム──分配する最小国家の可能性』(齊藤拓との共著、青土社)、『人間の条件──そんなものない』(理論社/イースト・プレス)など。




……もとの版……

立岩真也氏インタヴュー
2011年7月28日@北山ランタン(京都市北区上賀茂今井河原町10-68)
聞き手=長島明夫/建築と日常

▼約20600字
立岩 生産した人が生産物を所有する、それがこれからはいいんだぜという考えは、ジョン・ロックの本に出てきますけど、彼が発明したというわけではないでしょう。そのころ、いわゆる市民革命の時ですよね。それは単なるアイデアではなくて、近代社会の根底的な決まりでもあり価値だと思う。かつて身分によって、例えば王の権力によって土地なりが分け与えられ、所有権が決まっていた時代が変わった。それは多くの人たにとってよいことではあったでしょう。そのことはわかった上で、僕はそれを検討あるいは批判して別のことを考えましょう、言いましょうという感じでやってきました。
 つまり、所有権というのは何は誰のものかということで、私は生産者による所有という規則・価値を否定・批判してきたときいうことです。ただそれとすこし別に、所有権の「強さ」というか、その面での変化もあります。どういうことかと言うと、近代における所有概念というのは非常に強い権利なんです【民法第二百六条】。つまり自分で持っているものは、売ることもできるし、捨てることもできるし、焼き払ってしまうこともできる。言ってみればなにをしてもよい。それはそれ以前の日本社会あるいは他の地球上の地域においても、そう見られなかったことです。たとえば入会地というのがありますよね。そこでは個人がその土地を譲渡したり、売り払ってお金に換えようなんていうことは認められていないわけだけれど、そこに入って木を拾うとか、利用する権利は認められている。基本的に公的なものというのはいつの時代でもあったのでしょうが、たとえば山や林が今で言う公園や宅地のようなものではなく、みんなのものであるけれども、個々人がその分に応じて使うことができた。つまり近代の所有概念よりもきめ細かな仕組みで世の中が動いていた。そこのところを単純化してきたという歴史であったと、大雑把には言えると思うんです。そこが歴史的にどう変わってきたか。建築物と土地はまた別物ですけども、少なくとも土地の所有は社会にとって非常に大きな問題であってきましたから、それに関する歴史研究も膨大にあります。僕はそういった領域の知見は持ち合わせていませんけど。
───近代において所有権と処分権が重なったこと、今回すこし勉強してみて、それが建築の公共性や私的所有を考える上でも重要なのかなと思いました。私的所有自体は別に悪いことではなくて、いろいろ状況はあると思いますけど必要だとしても、自分の物だからといって、町中の建物を鏡張りにしたりだとか、風俗店を住宅地につくるだとか、そういう自由が許されるのかというところが建築や空間を考える上で大きいのかなと。
立岩 それは僕も大切なテーマだと思う。でも僕としてはちゃんとした結論が出ていなくて、どうしたものやらという感じに近いんです。京都は歴史的な街だということで、この辺りはそうでもないですが、もっと街の中は改築や新築の時にいろんな条件が課されたりしています。そういった景観の統一性や落ち着きは、住む人にとっても、あるいはそこを訪れる人にとっても大切なことだと思うわけです。
 ただそれと同時に、都市のなかには無秩序で雑多な建てられ方、配色とかも全体としては滅茶苦茶で、という街もある。人によって、趣味によって、ただ不快だという人もいるのでしょうけど、あれはあれで僕はそうでもなかったりする。それもけっこういいという感じがあるんです。楳図さんの家【『建築と日常』No.1、74-75頁参照】は見たことないですが、ずっと前に三鷹に住んでいたことがあるので、なんとなくあの周辺の雰囲気は分かって、まあ近所の人がムッとくるのも分かりつつ、絶対だめと言うのはためらいがある。
───実際にその場に行くと、目立つけれどもそこまで非難することはないなと僕は思います。知り合いの建築家は、ああいうのは個人のエゴだと言ったりしますけど。
立岩 その辺ってけっこう微妙なところだと思うんです。伝統伝統と言ってるけど、どこまでどうなのかって。この近くにも上賀茂神社があって、本当に千年続いているものもありますけど、キャッチーというかポップというか、突然そういうものが現れて、それが五〇年くらい経つといつの間にか伝統だ、みたいなことになることも実際にはよくありますよね。そういう意味で言えば、キワモノみたいなものが持つ力もどこかにはあると思うし。ですから基本的には、このままだと消えてしまって、我々が見てやっぱり心が落ち着いたり、あるいは華やかになったりするものが残って欲しい、とは思いますけれど、じゃあどこまでという明確な線は引きにくい。
───都市論の文脈でも、日本ではずっと、ヨーロッパの街並みが綺麗だという話がありつつ、ヨーロッパの建築家からすると、東京のアジア的カオスに魅力を感じるということもあります。
 たとえば今、ヨーロッパの旧市街みたいなところで新しい建物を建てようとすると、すごく法的な規制が厳しいと思うのですが、でもそれはやっぱり伝統的な街並みを持続させることになって、それはそれであったほうがいい。ただ京都、私が前回来たのは一昨年に知り合いの建築家が銀閣寺の近くで住宅を設計して、それを見学した時なのですが、やはり建築家からすると、景観条例で勾配屋根にしないといけないだとかは煩わしい。その建築家にしても別に好き勝手に街並みを崩すようなことをするつもりはないわけです。景観条例に則ってつくったものが果たして生き生きと、伝統が持続するようなものになるかと言うと、どうもヨーロッパのようにいくのかどうか疑問がある。それはもともとの建築や都市のかたち、あり方の違いが前提になっていると思いますけども。
 ともかくその辺りで、どこまで権力や法律の側から個人の所有や自由に関与するのか。あるいはもっと別に、教育などの方向からアプローチする仕方があるのか。それは立岩さんが、建築のことではないにしても色々考えられていると思いますので、伺ってみたい気がします。パターナリズムという言葉【註】、僕は知らなかったのですが、自由な自己決定ではなく、それも重要だと思いました。
立岩 少なくとも、土地の所有者あるいは建て主であるからなんでもできるというのは、ある特殊な社会が与えた決まりであり価値観であり、思い込みに過ぎない。建て主なら建て主に、絶対的な、なにをしてもよいという権利があるとは言えない、ということは確実に言えると思います。ただ、そのことを確認した上で、どこまでだったらよいのかという具体的な線引きはとても難しくて、誰がやるのかということもありますよね。京都市なら京都市の行政がやっているわけですが、決まりというのは常に、屋根の傾斜は何度でなくてはいけないとか、外壁は何色でなくてはいけないとか、そういうふうにしか決められないところがある。それを杓子定規だと言った時に、代わりにどういうやり方があるのか。僕はそれに関してうまいアイデアはないです。ただ、面倒かもしれないけど、役所の条例でこれ以外できないというよりも柔らかいかたちで、相互に調整して、建築や景観の専門家が介在してバランスをとっていくというやり方はありうると思います。ヨーロッパでも、古い街並みにあえてギョッとするような新しい建物を建てて、市民たちも概ねそれを受け入れているところもあったりしますよね。
───個人の所有物に対して他者なり権力なりが干渉しようという時に、建築や都市の場合は、コミュニティづくりのようなかたちで、局所的な解決がありえますよね。個別の解決というか。たぶん立岩さんが研究されているような、もっと抽象的な富や資本の所有だと、そういうあり方は成り立ちにくいと思うんです。国家や法律の単位になる。そこは建築との違いかなと思います。
立岩 むしろ僕の話は基本は簡単な話なんです。お金って右にも左にもどちらにも元来は行くわけです。大半の物もそうですよね。だけどみんなケチなので(笑)、たくさん持っていたい人は持っていたいし、それですったもんだ延々と起こるわけですけど。だから現実的には、所有のあり方を変えましょうと僕が本に書いたくらいでどうなるものではないですが、原理的にはお金の所有の仕方の変更なんかいちばん簡単です。
 それに比べて土地や建物はその場所にあってしまう。僕は美術館とかその類の建築は基本的には好きで、京都駅なんかもまあまあ好きなんです。ああいうのはああいうので楽しむというか、こんなふうに物をつくれるんだみたいにね、建築家に敬意を持っている部分はいっぱいある。そういうものにいて誰がどんな権利をもつかについて、そうすっきりしたことは言えない。それがさっきの話です。
 他方、一人一人にとっては自分の住むところとしての住宅がある。やっぱり日本の戦後の長い時間において、特に都市部では、土地や家が人生の足枷というか、大きすぎる比重を占めてきてしまっている。それは誰もが認めるところだと思うんです。そうした時に、たとえば公営の住宅を増やすとかその類のアイデアは昔からありましたし、僕も少なくとも今よりは、そういうものが沢山あっていいという立場に立ちます。でも持ち家とかそういうこと自体をぜんぶ真っさらにしてしまうというのは現実的でもないし、そんなに無理してやるほどのことではない。
 日本のこの五〇年なり六〇年なりが異常な時代だったとは言えると思うんですよ。人口が都市に集積していくなかで、市場価格プラス資産価値、将来の見込みも含めて土地に高い値段が付いてしまった。ただ、僕はこの一〇年二〇年で見ても、それはそう続くものではないとは前から思っていたんです。
 今、人口の減少とかそういうことについてネガティヴな人たちが沢山いますけど、僕は昔から少子高齢社会はよい社会という意見だった。単純に言って日本は狭い。人が住めるところはさらに狭い。でも山林を開拓してというのもあまりよい手段ではない。そうした時に、有限のものを余裕を持って使うという意味で言えば、人間は少ないほうがいいわけです。人口がこれ以上集中しない、あるいは増えないとか減ること自体は、基本的に一人一人が使用できる土地なら土地を広くしていく。単純な割り算の話ですよね。いろんな混み合い方がすこし緩くなっていく。住宅にしても、人口が増えていくなかで買い手のほうが多ければ、価格は上がっていくわけだけれども、人口が維持されたり、あるいは減っていくなかでは空き家も出てくる。土地そのものに対する神話――というか神話ではなくて、ある時期リアルに地価が上がっていったのだけど、僕はそれはバブル以降で収まったと思っていますし、これから一、二度、人がまた夢を見て、小バブルみたいなことはあるかもしれないけど、長期的なトレンドとしては、土地にべらぼうな値段が付いて、そのために人生を捧げるみたいな度合い、言ってみれば家を買うために働くということの厳しさは自然に減っていく。これは政策がどうこうという以前の話として、言えると思います。
───少子化問題が言われる時に不思議なのは、地球規模で人口の増加が問題になっているのに、なぜ日本が少子化でそれが問題視されるのか。
立岩 そうですね。やっぱり矛盾してると思いますよ。そういう基本的なところから考えていかないと、いろんな意味で誤ると思う。有限のものを有限であるという前提で使う、余裕をもって使うということを考えたら、使う人が少なくなるというのはぜんぜん悪いことではない。もちろんそれ以外にいろんなファクターがあるから人口の問題は単純ではないですが、でも土地や家に限らず有限のもの、資源とかゴミの話も含めて、そういう原理はある。
 日本でもずいぶん時間がかかりましたけど、土地に対する命がけみたいな状況は若干緩和されています。そうすると色々な考え方があるわけですよ。本当に公地公民みたいな、一人ずつに土地を割って分けるとか、そういうやり方もあるにはある。それがすごく突飛な考え方かと言うとそうでもないだろうと思うのですが、ただ、同時にある種の自由というか、住み続けてきたところに住みたい、あるいは新たなところに住みたい、そういう欲望は認めたほうがいい。たとえば、不便だけど色々いいことはあって、土地の値段はあってないような田舎に住むのか、様々な利便を得つつ土地は仕方なく田舎よりは高い都会に住むのか、本人が天秤にかけて選択する。マーケットが持っているそういう合理性も、むげに否定はできないですよね。
 ただ、とはいえ放っておいたらうまくバランスが取れていくかと言うと、そこはちょっと難しいかもしれない。つまり一定以下のレベルに人口なり利便性が落ちてしまうと、本当に物好きというか、仙人みたいな人以外はやっぱり住みにくい。そういうこともあるから、単に土地は安いのだから田舎に戻る人も出るだろうというほど楽観的ではいられないと思いますけどね。
 今、限界集落とか言われたりする場所は、高齢化率五〇%とか六〇%とか、そういうふうになっているわけです。私はそちらの領域の研究もしているからあえて肩を持って言うところもあるのだけど、そうしたなにも無いようなところでも、あるものはあるわけです。つまり生きている人はいる。それは爺さん婆さんで、爺さん婆さんは元気にやっている人もいますけど、やはり割合としては足腰が弱くなって病気がちになっているわけです。そうした時、その土地で暮らせるために生活を支える、それは介護や介助、医療も含めてですが、そこにもっとちゃんとお金をかけていく。まあ、一人の人に一人ということもないでしょうけど、若い人が──若くなくてもいいんですけど──行って、爺さん婆さんたちの世話を仕事にできる状況があれば、もちろんその人自身はご飯も食べるし、買い物もするでしょうし、その他いろんな経済活動をするわけですよね。それを今までは道路を造ったりして、雇用を生んでいた。それは田舎での暮らしを維持する、あるいは政権が田舎の票を維持するためのひとつの政策だったわけですが、そうして昔みたいに一から造るという仕事は少なくなってきていますよね。だからそれの代わりに、爺婆と暮らす若い人を迎える。その若い人には子供もいたり生まれたりするでしょうし。

───少子高齢化で一人当たりの面積が増えるというのは、住宅のストックが増えるということでもある。そうすると、それをどう分けるかが問題になりますよね。高齢者の介護者の人数が足りないというのと、失業率が上がっているということのいびつさをどこかで書かれていましたが、そういうこととも近い問題のような気がします。ある種のシステムがどう分配させるのかというか。
 住宅の場合、余っている住宅をどうするかという時に、最近よく言われるのがシェアです。ただ、こうして震災と重なってしまった時に、私有していた家が津波で流されてしまった人に対して、じゃあみんなでシェアして一緒に住みましょうねとはなかなか言いづらい。私的所有という形式を見直さないといけないと言っている人はけっこう多いわけで、見直さないといけないのは確かにそうだと思うのですが。
立岩 コーポラティブハウスとか、みんなでお金を出し合って住むというアイデアは、前からありますよね。それ自体は、うまくいけばぜんぜん悪くないと思うんです。でもやっぱり人間って、究極的には好き嫌いで生きてるみたいなところがあるから、うまくいかない時もあるわけですよね。そしてお金の問題がどうしても絡む。マンションの建て替えとかってそうして面倒なんですけど、うまくいくぶんにはぜんぜん反対しない。むしろ促進して、容易になっていったらいいと思いますが、ひとつの知恵として、自分の私的な領域、他人に煩わされない領域があることのメリットは否定できない。
───その私的な領域の境界は、戦後にどんどん明確になっていったと思うんです。古い日本映画なんかを観ているとその境界が曖昧で、近所の人がいつの間にか家のなかに入り込んだりしている。それは所有形式とも関わってきますよね。つまり最初のお話にあった所有権の排他性は、空間の排他性にもなる。と同時に、たぶん家族制度も関係していて、日本の戦後、持ち家にしても団地やマンションにしても、核家族を想定して、大きな家族を分解していったわけです。そうして私的所有の境界とコミュニティの境界がともに明確化して、フレキシビリティを許容しなくなっている。そのほうが商品も売りやすいし、政治的にも統治しやすい。
立岩 そこはけっこうデリケートというか、難しい問題だと思うんですよ。一方ではそういう核家族のなかに、建物も含めて閉じられている部分があって、それが「ファミリー」ということで何事もなくやっていることになっているわけだけれど、実際にはなにごとかが起こっていることが沢山ある。子供の虐待とかも含めてね。昔だったら壁が薄くて、隣の子供の泣き声が聞こえてきたりとかもあっただろうし。
 でもそういう時に、昔の長屋を美化すればよいかと言うと、私も大学の時の下宿はそんな感じでしたけど、隣からあらゆる音が聞こえてくるような関係も、やっぱり違うだろうと。一人暮らしで孤独でいることがネガティヴなことかと言うと、ある種の思い込みみたいなところもあるわけで。僕は佐渡で生まれた田舎者なので、田舎の鬱陶しさも分かっているつもりですし、都市の孤独もあまり嫌いでないところがある。だから東京に出てきたみたいなところもあるんですが。
 だから孤独とかいうことも含めた私的な領域の確保、固持が必要であるというかな。閉じ方と開き方の両立というか、誰か面白いことを考えてくれたらいいなと思います。たとえば上がぜんぶ個室で、一階に共有の部屋があるというのは、今どきいくらでもありますよね。で、それがなにか楽しい感じがするかと言うと、そうでもない。もう一工夫二工夫できるような気がする。まあ思いつきで言っていますけど、港町みたいな、閉じている部分、逃げ込める部分もあるのだけど、人が流れる曖昧なかたちというか……。そういうはっきりしないイメージが子供の頃からあって、それは日本の港町よりむしろ地中海なのかもしれない。行ったことないので分かりませんけど、そういう場所の工夫や建物の作られ方、つながり方って楽しい感じがします。たぶんそれは土地の傾斜にも関係していて、港町って基本的に海に向かって坂になっていますよね。そうすると必然的に建物の形状や街並みが複雑になって、均等に区画されていなかったり重なったり。それで農民ほど土地が命ということでもないし、都市の住まいというのでもない。いや、本当にいま話しだして思い出したんですが、そういう街がないかなっていうのは、子供の頃に夢想していて。宮崎駿の一連の映画とか、あれもけっこう港町が舞台になっていて、建物のかたちもそんなに単純ではないですよね。で、爺さん婆さんが住んでいたり、猫がいたり。
───きっと空間の力は大きいと思います。やっぱり空間は権力と似たところがあって、知らず知らずのうちに生活を規定して、良くもさせれば悪くもさせる。坂があるというのは港町でなくても魅力がありますよね。
立岩 面倒くさいですけどね、上がるの。
───でもその高低差がある種の階級の領域を生み出したり。
立岩 ああ、実際になってますね。高台に住んでいる人は金持ちでというふうに。
───僕がけっこう尊敬する建築家の方が、空港のロビーのような空間がすごく好きだと言われているんです。広い空間にいろんな人種や言葉が違う人が集まって、でもある種の孤独というか、同じ目的に一直線に向かっているわけではない。ざわざわしているというか。
立岩 それ、昔、多木浩二が似たようなことをエッセイで書いていた気がします。
───あ、その建築家は多木さんと仲が良かったんです。だから必ずしも空間のかたちの問題だけではなくて、その場所のシステムやプログラムにも関係して、開放性やなにかが生まれたりする。
立岩 僕はたぶんそういうことについて具体的に真面目に考えたりすることはないと思うんです。他のことで手一杯という感じで。だけど、なにか面白いことをしてくれたら楽しいなという感じはすごくします。
 僕は基本的には理論的な仕事が多いんですけど、一方で病気や障害を持っている人たちの暮らす場所というか、別に暮らす場所に関心があるわけではなくて暮らしに関係してしまっている場所というかね、ああいうものにしたって、いろんな試行錯誤があってうまいこと行ったり行かなかったりしてるのでしょうけど、空間的なやり方は色々あるのだろうなと思う。実際にはそんな悠長なこと言っていられなくて、今でも六人部屋八人部屋が当たり前という状況をなんとかするのが先決だろうというのはその通りなんですけど。今、老人ホームとかも個室化、一人一部屋の流れがあって、僕は基本的にはそれに賛成なんです。ただ、それだけでうまくいくものでもないし、それでかえって閉じられてしまうこともある。個室と共用スペースという、結局はその2つしかないのかもしれないけど、そこのところをうまい具合に考えてくれる人がいると面白いなという期待はありますね。

───所有という話に戻すと、空間ってたとえば段差を作ったり、距離と移動の問題であったり、ある種の弱者を生み出すものですよね。ただ、空間のひとつの可能性は、これは俺の物だという所有の明確なラインを曖昧にさせるようなところにあるのではないかと思うんです。たとえば宝石やお金はポケットに仕舞えたりタンスに仕舞えたりしますけど、空間って誰のものかよく分からない感じがする。さっきの空港の例がまさにそうで。もちろん所有者はいるにしても、所有者のいない感じがある。それは自分より大きくて自分を覆うというサイズの関係でもあるかもしれませんが、所有を曖昧にさせる力が空間の可能性かなと思うんです。
立岩 基本はそういう雰囲気がいいとは思いますけど、具体的に空間のあり方に落としていった時にどういう感じになるのかな。むしろそういうことを仕事にしている人に考えてもらいたい気がします。
 今、公共空間と言われている場所にしても、問題が起こるとかなんとか言って、高いフェンスで夜には鍵をかけられたりするところが多くなっていると思うんです。僕らも安全ということは大切だと思っているから、一理あると言えばあるのだけど、やはりちょっと違う気がする。公的な空間だと言って、結局たとえば市営の公園だったら市が強固な主体として出てきて、なんだかんだとなったりする。でも公園や河川敷で暮らしている人も沢山いるわけです。それをある種の公共性の名の下に、暴力的に追い出しにかかる。新宿の西口のほうは本当にそうなりましたよね。大阪でもこの数年、公園の美化、クリンナップがされている。最初の話に関係あるかもしれませんが、日本の場合だと東京オリンピックの時に、恥ずかしいところを見せたらいけないとかいうことで、スラムをかなり強引に取っ払って、外見を小綺麗にしてということがあった。韓国から留学生として来ている大学院生が、ソウルオリンピックの時にもそういうことがあったと言ってましたけどね。空間はそういう側面もあるわけです。保たれていて美しいのはそれはそれで結構だけれども、テントであれスラムであれ、そこに生きている人のリアリティはあるわけで。
 さっき所有権という権利の問題として、所有物を自由に譲渡することが可能になってきたという話をしました。でもやっぱり土地や住居はただの物ではない。身体の延長ではないにしても、もっと自分に関わりのある物で、そこには時間がへばり付いていたり、他人との関係がくっついていたり、するわけですよね。それは時には鬱陶しいのだけど、でもなにかしらの意味がある。それに対して、美化と言われて歴史的になされてきたことの乱暴さは、ちゃんと押さえておかないといけない。たとえば一八世紀一九世紀のパリはひどいところも沢山あって、確かに衛生状態が悪くて都市行政で改善して伝染病が少なくなったのはよかったかもしれないけど、そこでちょっと目障りな奴を別のところに押し込もうみたいな意図もあったわけです。あらゆる国家が美化や衛生にかこつけて、いろんなものをかなり乱暴なやり方で壊したり移したりしてきた。
───日本は全体的にはスラムクリアランスがされていますけど、坂口恭平さんという、路上生活者と仲良くなっていろいろ調べている人の本を読むと、局所的にはそれでも所有が曖昧になっているところはあるみたいなんです。隅田川の河川敷でも、警察官が来て、ここは区の管轄だから困るけど向こうは国の管轄だからある程度自由にしてもよい、みたいなことを言って、そこに移り住むというような【註】。それも実際の所有者とは別に、空間が曖昧に現象しているということだと思います。そこをことさらありがたがっても希望はないのかもしれませんけど、ギリギリそういう部分も残っていると。
立岩 土地はそういう意味で、一方で日本の戦後の持ち家とか、私有したいという力学もあるのだけど、一方で国家や地方行政のターゲットでもある。その裏表がある。あまり綺麗事ばかりでも嫌ですよね。土地はそれこそ地権利権が絡みますから、そんなに優しいことばかりでもやってられないぞというのは、それも分かる気がする。ただ、そういう力が、衛生・安全・美化という名目で働いてきたことの功罪というか、現にそれで住む場所を追われてきた人たちがいるわけだから。
───僕は建築学科で勉強してきて、だいたい建築史の教科書に載っている素晴らしい建築というのは、富の偏りのなかで生まれている。ピラミッドなんてまさに奴隷によってつくられているわけです。僕自身は世の中それなりに平等であったほうがいいと思っている人間のつもりですが、いちおう建築の分野の片隅にいる人間としては、そういうアンビヴァレントな感じもあります。

───あと富の偏りということで、ひとつ気になっているのは相続です。相続というのは富の継承で、そこに相続税というものがかかって富をならす、平等化するという構図があるわけですよね。
立岩 そこは重要な問題ですね。相続税は大きな税ですから、法律の技術論的には法学者たちがいろいろ言っていると思うんです。それはそれで結構なのですが、もっと原理的にも面白い主題だと思っています。
 基本的には私は相続税強化賛成派です。資産と所得に対する直接税の課税をちゃんとやれという主義で、『税を直す』(青土社)という本も書いてます。さっき言った、生産できる人が採れると言ってもそれは一代限りのことなわけですが、それが蓄積されることによって格差は確実に拡大していく。それは単に土地や家屋の継承だけではなくて、教育に対する資本投下とか、ぜんぶ引っくるめてです。だから普通に考えて、放っておいたら格差が大きくなるのは当たり前なんですけど、それが大仰に言えば正義に適っているのか。僕はそうは思えない。このことは近代主義的なロッキアンにとっても共通することなんです。別のロジックだけど同じことを言っている。要するにその人たちは自分が作った物は自分の物だと言うわけだけれど、相続では他人が作った物を相続することになるのだから、相続権は存在しない。そういう意味で、相続権の制約が正当化される。
 ただ、いくつか考えないといけないことはあって、やはり人間は小利口ですから、たとえば相続税一〇〇%ということを考えたとしても、いわゆる生前贈与というかたちで合法的に、あるいは非合法的に相続がなされて、技術論的にもすんなりはいかないだろうという問題がひとつ。あとは先ほどの話ですが、土地とか建物はたんなる物ではないということがある。たとえば、昔はお金があって土地が維持できたけど、今は金がないと。で、親が死んでとか色々あって、必ずしも自分の意志ではなく、記憶とかいろんなものがまとわりついている物から離れないとならない、という問題も起こる。そういうことも考えないといけない。
 でもその上で、相続税の現状において言えば、ぶっちゃけほとんどの人は払っていない、に近いですよ。お金をいっぱい持っている人たちはいろんな利口な手段を使って、富を分散させたり会社組織にしたりして。そういう意味で、人がぶつぶつ言うほど相続税は機能していない。だから伝来の土地を追われる可能性があるにしても、今よりは相続税はもうすこし機能させてもいいとは思っています。
 住まいに関わる工夫というのも二、三〇年前から、高齢化が話題になりだした頃から出てはいるんです。自分が死ぬまでは住まわせてもらう、だけどその後は市なら市に渡すとか、うまく行っているのかどうか知りませんが、そういうやり方もある。だから爺さんが亡くなったからといって婆さんがその家を追われて、知らない土地のアパートに住まないといけないという、それほどの乱暴なことはせずに、でも納めるものはちゃんと納めるというやり方は、工夫次第だと思う。具体的にそういうことに関わっているわけではないので、それ以上のことは言えないですが。
───相続ということで、都市の問題でひとつ思いつくのは、たとえば東京なんかで戦前から続く大きな家が相続される状況があったとします。僕はそこで実際にどのくらい税金がかかってということは知らないのですが【註】、相続税が高いということで、土地を離れたり切り売りしたりすると。で、そこの細かくなった土地に建売住宅が建ったりする。大きなお屋敷は、それを外から見る庶民にルサンチマンみたいなものをもしかしたら抱かせるかもしれないですが、一方でその土地はその所有者だけの物だったのか。つまり、家や庭の文化的価値だけでなく、もっと直接的に、敷地の木が道に陰を落とすとか、鳥を集めるとか、あるいは無意識に歴史を感じさせるというようなことも含めて、そういう日常的な価値を周辺と共有していることもあると思うんです。そうやって建築や文化のことを考えると、富の堆積が必ずしも悪いこととは言えない。
立岩 そういうのはありますよね。僕は昔から京都に住んでいるわけではないですが、この辺は京都で言うと、まあ田舎なんです。基本的には農地で、今でもけっこう大きな家がある。そういうところが今、相続か後継者不足か、というよりはむしろ今このくらいの土地で農業をしていても割に合わないのか、アパートを経営したほうがいいという判断もあるわけです。それでも農業を続けている人はいて、地元名産の京野菜とかを作ってたりするんですが。まあ確かに、今まで田んぼだったところがアパート群に成り代わっていくのは、なにかしら悲しい気持ちはします。だけどさっき言ったように、そういった流れは僕はどこかで止まらざるをえないと思う。人は増えない。六〇年代みたいに山林をガンガン切り開いていく、そういう時代は終わったと思うんです。
 だからどうしたらいいんだろうな。都市部の邸宅というのは、たとえば建築学的に貴重だったり、残すべきものは残したほうがいいだろうと思いますよ。でも、鳥や蛇、あと猫とか、そういう者たちにとってみれば人がつくった境界は勝手に跨いでこれるけど、やっぱりお屋敷である限りにおいては、近所の人にとっては中に何があるか分からないというか(笑)、そういう歴史的な存在であってきたと思うんですよね。で、それが切り売りされてコンクリート群になっていくのは確かに悲しい気はするんですが、じゃあそのまま細々と続いたらいいのかと言うと、そうでもない。その時に、なにを我々は求めているのかと言ったら、ある種の土地の形状の多様性であったり、木が植わっていることであったり、あるいはある意味での無駄なスペース、なんだかよく分からない場所が残されていたり、という感じなんですよね。だから誰かの財産が失われるというよりは、そういう半公共的なものが失われることをどうしたらよいかということかと思います。
───確かに仰る通りだと思います。ただ、大きなお屋敷というのは例外的で、より切実なのは、生け垣に囲われていて多少の庭があるような家かもしれなくて。建築学的な価値は見いだしにくくても、そういうものが街の雰囲気をつくっている。相続税以外にいろんな要因はあると思いますけど、そういう家が無くなって新しいなにかが建つという時に、ほとんどの場合、前よりよくなるということがないんですよね。
立岩 この辺で土地を切り売りしている元農家の人たちにしても、やっぱり建蔽率なりなんなり、目一杯建てて、それは家賃収入が多いに越したことはないですから仕方ないだろうなと思いつつ、うちの近所もそうなっている。それをどうしたらよいかは分かりませんが、ここからここまではアパートで、たまに四角い公園があって木が植わっているというよりは、多様な空間性と言うのかな、それはなにか一工夫二工夫あればできるような気がして。たとえば道なら道というもののあり方を考え直してみる。ただの道ではなくて、ちょっと広かったりとか、曲がっていたりとか、いろんなやり口はあるような気がします。さっきは港町の話でしたけど、僕は前に三鷹に住んでいて、玉川上水の辺りを歩いたりして、あそこでは上水というものが大きな意味を持っていた。やっぱり居心地がいいんですよね。それは都市計画というのとはちょっと違う雰囲気なのかな。つまり、いまだと中国が上海なんかでやっているような大規模な、ざーっと均して、そこにいた人を強制移住させるような、すっきりしているけど乱暴というやり方ではない。
───クリストファー・アレグザンダーという建築家が、七〇年代に『パタン・ランゲージ──環境設計の手引』(鹿島出版会)という本で、そういう個別の場所の工夫みたいなことと都市計画を繋げるような試みをしています。ただ、普遍的な解や公式を求めようとするとなかなかうまくいかなくて、やっぱりひとつひとつ丁寧に対応するしかないのだろうなと。

───たとえば東京は関東大震災と戦災によって、ある意味で近代的な都市を白紙から計画できた部分があった。災害によって新しい都市ができていくというのは往々にしてあることですが、それが今、津波の被災地では起こっているわけです。すこし前にニュースで、家が流された自分の土地に勝手にプレハブを建ててしまったというのがありましたけど、それを「勝手に」と言っていいのかどうか、所有の問題としてありますよね。権力の側からすると面倒くさい。所有者の自由や、そこに住みたいという気持ちは無視できないけれども、みんなで足並みをそろえていかないといけない部分もある。
立岩 僕は何事を言う立場でもないですけど、津波で真っ平らになってしまったような場所と、そうでもない場所でも、かなり事情が違うでしょうね。跡形もなくなってしまって、また津波がくるかもしれない、そういう場合、やはり高いところへの移住は真面目に考えないといけないと思います。僕も海が見えるところで育ったので、海に対する愛着も分からないでもないですけど、やばい時にはやばいわけですから。
 あとは福島ですよね。ぜんぜん事情が違う。土地に対する愛着もあるでしょうけど、福島に行ってきた人に聞くと、みんな暗いと。本当にかなりやばいと思っている。だから最低限、逃げたいなら逃げられるようにしておかないとだめですよね。それを、その人たちは土地に愛着があるんだからと言って、せいぜいグラウンドの土を換えるぐらいでなんとかしましょうというのではよくない。
 さっきも言いましたが、僕は病気や障害を持っている人たち関係の仕事が自分の仕事の一部なんですけど、そういう人たちこそ物理的な援助がなくて移るに移れないか、移るとしても見ず知らずの土地になるという問題がある。たとえば身体障害者療護施設というのは全国にあるのだけども、空きが一人分二人分あると、本当に知らない土地に、言ってみれば移送されるわけです。近い親類がいなければ連絡を取る人もいなくて、場合によってはその場所で一生を過ごすことにもなりかねない。それはやっぱりまずい。そういう意味で、阪神淡路を体験した人たちが、たとえば西宮なら西宮の公営住宅を市と掛け合って、車椅子を使っている人でも入れる一階部分を何十戸か用意するから来たければどうぞみたいな活動をやり始めたりしているんです。それは僕は大切なことだと思うので、うちのホームページ【http://www.arsvi.com/】とかでもその情報提供をやっている感じです。
 だからやっぱり土地っていうのは難しいですよ。確かに愛着の対象であるのだけど、その名の下に動けなくさせたりとかを一方でしてしまう。美化や整備、安全とか、それ自体はプラスのことでもそれによって排除をしていくという歴史もある。僕は愛着も美観も安全も大切だと思うから、留まることもあるいは移ってもらうことも、ぜんぶは否定できないですけど、でも今現在の福島を見ても、かなり乱暴なことが行われているというか、あるいは何事もなされていないというか、そういう状況があるので、そこは慎重に、正しい名の下に間違ったことをするようなことは避けないといけない。
───牧紀男さんという建築の災害の研究者の方の本では、土地の愛着とかその場所を離れたくないという心理は戦後の幻想だと書かれているんです【註】。つまり、持ち家政策や消費社会の構造などによる所有意識の高まりと、たまたま戦災以降、阪神淡路まで都市部で大災害が起こらなかったことを原因として。で、調べてみるとそれ以前の人たちは大災害が起きるとけっこう簡単に土地を移動していた、だからもっと移動してもいいのではないかという言い方をされているんですが、でも現に幻想であれ、移動したくないと思ってしまっている以上……
立岩 そう。思ってしまっているというリアリティはありますよね。だけど少なくとも、日本人はもともと土地に根付いた民族であってとか、そういうことを言ってはいけないと思う。そんなことは本当かどうかも分からないし。たとえば都市に住む九〇何%の人は元田舎の人ですよ。田舎から移動してきた人が圧倒的に多い。それはやむをえずということでもあったのだろうけど、日本人は定住民であるという言い方に対して、そうでもないよという確認はしておいたほうがいい。
───日本の住宅像を描いた古典と言われるものとして、鴨長明の『方丈記』がありますけど、あれはむしろ災害後に移住した話ですよね。僕はやっぱり、みんながみんな鴨長明のように達観できないことに、人間の生活の重要な部分があると思うのですが。

───『人間の条件──そんなものない』の「他者がいた方がよいと思っている」という節は『私的所有論』からの引用ですが、この部分の記述は特に興味深かったです【註】。
ある意味で、建築を体験することは他者と関係を持つことだと思うんです。先ほど言ったように、建築は自分の物だとしても自分の物になりきらない雰囲気がある。そもそも社会的に大勢の人によって建てられるし、大勢の人で使う。あるいはもしその建物を自分一人で建てて自分一人でしか使ってなかったとしても、日本人だったら靴を脱ぐようにするかもしれないし、窓の開け方とか、ある種の文化的な形式性を帯びたものにならざるをえない。そこで無意識のうちに他者や共同体と関わっている。「他者がいた方がよいと思っている」という言い方は、建築のそういう性質と通じるような気がしたんです。たぶんアーレントの『人間の条件』にも、そういうことが書いてあると思うのですが【『建築と日常』No.1、p.127参照】
 ただ、立岩さんがそこでなぜそういうことを書かれたかと言うと、自分で作った物は自分の物というロック的な所有観に対して、でもやっぱり世界は自分の物になることはないと言うためなわけですよね。
立岩 そういう所有観は、基本的に自分が手を加えたものを自分の物にする、そうして自分の領土を拡張していくという思想なんです。でも、直感的に言って、自分をそんなに大きくしたってべつにいいことはないよという感じがする。もちろん自分は自分で大切なのだけど、でも自分が自分のことをそんなに面白いと思わないというか、自分が一人だけいたって面白くない。自分の領土を拡張していって、その土地や物がみんな自分色になっていくのはある種の快感かもしれないのだけど、なんかつまらない。そうではなくて、自分ではないものがよそにあって、それは時々攻撃的で、もうよしてくれということもあったり、そんなに嬉しくなかったりすることも沢山あるのだけど、そういうこともありながら、やはり自分ではないものがあることが楽しい。その他者は他人もそうだけど、人だけではなくて、世界のぜんぶのもの。言いたいことはそれに尽きる。どこかに書きましたけど、世界は必ず自分より大きい、自分より豊かだ。だから自分も大切だけど、というか自分が大切だからこそと言ってもいいのだけど、自分ではないものも大切にする。それが望ましい。
───ただ、たとえば企画書で引用した『星の王子さま』は、一人で小さな星に住んでいたりして、けっこう孤独で、確かに自分が尽くした花だからお前は俺の物だという言い方はロック的だと思いますけど、でもそれはぜんぶ無限に世界を自分の物にしようというよりは、世界は自分の物にならないと思っているからこそ、その一輪の花が特別な物になるということのような気がするんですよね【註】。
立岩 たぶん両方なんでしょうね。僕が言ったような、世界は自分の物にならないからこそ気持ちいいというのは、一面の言い方だと思うんですよ。自分で作った物が愛しいというリアリティはやっぱりあるわけで、それはそれでけっして否定できない。家屋や土地がたんなる物ではないというのも、そういう部分だと思うんです。
 ただそこには、自分で作ったからには俺の物だ、他の者には触らせないという話と、自分たちが生きてきて、手塩にかけたり愛情を注いだりした、だからそれはそう簡単に他人が手にかけていい物ではないという話が、ふたつあるんですよ。ほんとにその人たちが、それをいくらもらっても手放さないというなら、それはその人のもとに置いておこう、その人のものとしよう。自分が作り出すということも含めて、そういう経験のなかで蓄積されたものはやっぱり大切にしないといけない。それと近代的な所有のスキームは、似てるようであるけれども違う。だから自分にとって近しい物、手放せない物を大切にしようという話と、自分が作った物は必ずしも自分の物ではないという話は両立する。僕の世代だと三里塚のこととかそういうことを思ったりしながら、そう考えるわけです。自分が作った物はすべて自分の物になるわけではない、でもどうしても手放せないと、本当にそう言うのなら、その人のところに置いておこう、その代わりその人はそれを誰にも渡してはいけない、それを交換の対象にするのなら、そもそもそれは自分の物でなくてもよいということだから、本来自分の物であると言う権利もなくて、みんなで決めることだよね、──そういう仕掛けの話なんです。何が誰のものなのか、今の決まりを否定するだけじゃなくて、別の所有についてのきまりを示す。それが最初の本『私的所有論』を書く時に一番苦労したところで、おもしろいところのはずなんです(第4章「他者」第2節「境界」)。でも誰も読んでくれてないところだと思います。
 さて、それをたとえば相続という問題に応用するとどうなるか。たとえば先ほどの話で、自分が死んだらかまわないけれども、ここは自分にとってかけがえのない物なので自分が死ぬまでは住まわせてください、誰にも売ったり譲ったりしない、と言うのだったら、その間は相続税でその土地を追われるということはしなくて済むようにするとかね。そういう応用問題の解決にも関係するかもしれない。

───星の王子さまみたいな感情は個人の感情としてすごく正当で、ただ、それが抽象的な理論になって、社会システムのようになってくると、色々まずいことも起きてくるという。ちょっと話は変わりますが、それを理論化したのがジョン・ロックという人だと。でもロックは、絶対王政に対して個人の所有を正当化したわけですよね。だからロックさん自身はむしろ平等化を目指してそういうことを言った【註】。
立岩 もちろんそうだと思います。だからそれは圧倒的に魅力的だったわけですよ。だって王様がほとんどの富を持っていて、下々がそれに従属しているという時に、そうではないという仕掛けを言ったわけですよ。それはかなり多くの人にとって大歓迎ですよね。
 僕が前から言っているのは、たとえば王様が九〇%の土地を持っていて、下々がちょっとずつ持っている、その割合が先祖代々決まっている、その仕組みは悪い。それに比べてロックが言ったことはまだましだというか、納得できる。だけどそうやって王様だからこれだけ所有しているとか、社会学で属性原理と言いますけど、それがまずいということが、イコール近代社会が代わりに持った原理が正しいということにはならない。あっちが×だとしてもこっちが○になるとは限らないし、△かもしれないし、ある意味こちらも×かもしれない。そういう話です。
───ロックはその時にそういうことを言って、世の中的にはというか、歴史的にはよかったんでしょうか。言わないほうがよかったんですか?
立岩 言わないよりはよかったんじゃないですか。そしてロックが発明したという話でもないと思うんですよ。その頃に市民階級、ブルジョワが台頭してきて、支配者の言う通りにはさせないぞという、そういう時代を代表して書いたというか。昔の学者は本当にいろんなことに口を出していて、彼もマルチな知識人で、教育論なんかも書いているし。代表してというか先導してというか、両方でしょうけど、それがいろんな意味で現在まで引き継がれている。
───これは僕の個人的な疑問なのですが、ロックさんはそういう時代に正義感で平等化を目指したと。で、ロック的な現代に至るリバタリアニズムといった思想の人も、みんなそうした正義を目指しているのでしょうか【註】。立岩さんとは立場を異にしていても、そういう人たちにも正義の信念は感じられるでしょうか。というのは、たとえば現代の日本の政治において、規制緩和とか事業仕分けとか、原発を継続すべきとか、そういう論理があって、その理屈はあくまで理屈としていちおう分からなくもないとしても、それを言っているリアルな人たちが実際に正義の気持ちで言っているかと言うと、かなり怪しいところがある。完全な悪意というわけでなくても、傲慢や無知があると思うんです。で、現にリバタリアニズムとかネオリベラリズムというものがよくない状況を生んでいるとは言えると思うのですが、その理論を言っている人は、そういう状況に与するつもりではなくて、やはり正義のために言っているのか、どうなんでしょうか。
立岩 それは個々別々に色々でしょう。政治家や官僚の利害みたいなものと政策の妥当性の関係も、一概には言えないとしか言いようがない。ただ、ロッキアン的な原理は、みんなの持てる力が同じだったら、明らかに世界を平等に向かわせるんです。同じだけ働けば同じだけ得られるということですから。俺は少なくてもいいから働きたくないという人はそれだけの取り分になる。そういうのはある意味で理想的というか、けっこういいと僕も思うんです。でも僕の考えは、そうは言ってもじゃあみんな同じだけ働けるのか、同じだけ才能があるのかということなんです。そういうところから個々の人たちの道のりが始まるわけですけど、そこの出発点が違うだろうと。みんないろんな芸を持っていて、だけど受ける芸もあれば受けない芸もある。ひとりにひとつ必ず光るものはあるというのは嘘ではないかもしれないけど、かなり眉唾だと。みんな勉強すれば同じだけできるようになるというのも、学校の先生はそう言うけど、それも本当は違うだろうと。教育をちゃんと整備すれば同じだけの成果物を得られる能力を持ちうるなら、それでかまわない。でも実際には違う。その実際には違うということが格差を生み出して、それが世代を継承していくことで拡大していく。それは僕は嫌なんです。

───かなり無理なインタヴューを受けていただいて、どうもありがとうございました。必ずしも立岩さんの専門分野ではないことに関しても、率直にお話しいただいて感謝します。立岩さんに聞いてみたいと思ったのは、当然ながら「所有」の研究をされているということがありましたが、専門外の建築の話であれ、柔軟に、プラグマティックに考えていただけるかなと思ったからなんです。
 確かに所有を考える場合、平等や自由は大切だと思うのですが、立岩さんはあまり原理主義的ではない。ご本を読ませていただくと、ひとりひとり、いわゆる弱者を救うという感じよりは、ある具体的な社会システムを問題にして、なるべく全体のマイナスをプラスに換えるというような、そもそも「弱者」を生ませないというか。いい意味でのアバウトさと言うと、やっぱり失礼かもしれませんが。
立岩 たいがいのことはアバウトにできるんですよ。お金のこととか、そういうことはざっくり足し算して割り算すればすぐできる。増税とかすごく大変なことだとみんな思っているかもしれないけど、それほどでもないよというのはひとつ言いたいことなんです。ざっくりやれる部分はけっこうある。と同時に、愛着だとか離れがたさとか、そういう個別のこともある。なんか二枚舌みたいですが、そういう他人から見たら価値がないような物を一人一人が大切にするためにも、アバウトなところでアバウトな平等が必要なんです。
───僕の勘ぐりですけど、その考え方の根本には、平等や富、あるいは自由がイコール人間の幸福になるわけではないという認識があるのではないでしょうか。平等至上主義や自由至上主義になってしまうと、本来の目的とするべきことを見失う。幸福を考えた時には、それらはあくまで手段でしかない。
立岩 それは大前提ですよね。事実です。
───改めてそういうことを聞いてみれば、誰もがそれはそうだよと言うと思うんですけど、意外とそれぞれの書いてあるものを読むと、そうでもないと思えるようなものが多いというか。それは他者に関与することの可能性と不可能性の認識も背景にある気がします。『人間の条件──そんなものない』の帯に、「泣く子も黙る『生存学』のたおやかな巨匠」と書いてあって、意味はいまいち分からないところもあるんですけど(笑)、でもたおやかというのは重要だと思いました。
立岩 僕はでも、今の日本の言論状況のなかで言えば、かなり極端な平等主義者だということになっていると思いますよ。僕も別にそれでいいと思ってますけど。だけど平等でみんなが幸福になるなんてことはありえない。そんなことは当たり前なんだけど、じゃあなにもしなくていいのと言うと、そうじゃない。そのくらいの話ですよ。
───じゃ、こんなところで。


UP:20111213 REV:20120622, 20130123
立岩 真也 
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