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本年その二

唯の生の辺りに・12

立岩 真也 2011/04/01 『月刊福祉』94-(2011-4):
全国社会福祉協議会 http://www.shakyo.or.jp/

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書き留めること

 宣伝のような自己紹介で始まり、前回とこの最終回と、宣伝で終わらせていただく。前回は『みすず』での連載を使い「身体の現代」といった副題の本を出そうと思っていることを記した。ずっと続けさせてもらっている『現代思想』の連載も、このところそんな話になっている。
 第5回(昨年九月号)で紹介したが、その雑誌に、故・多田富雄氏たちのリハビリテーション制限反対の運動について書いたことがあった。それはもっともな主張だとして、他方に、その「過剰」を言った「本人」たちもいた。すると、する/しない(しなくてよい/するべきでない)の境い目はどの辺に、どのような理由で引かれるのかという話になる。そこで、身体をなおすことより社会を変えることを強調した「障害学」の「社会モデル」を検討することになった。そしてそして、という具合で、流れ流れて、今は一九六〇年代から一九七〇年代の社会運動・学生運動と医療改革、そして精神医療改革の運動との関わりの辺りを、古本を買い集めたりしながら、見ている。
 とくに精神障害・疾患の場合には、それが「なおる」ということは、単純なことである場合もあるが、そうでない場合、そうもいかない場合もある。そんなことを巡ってどんなことが言われたりなされたりしたのか。私も含む多くの人は、それらを知らない。覚えている人もいるが忘れていく、忘れられていく。それで何も知らないながらに書いてみている。本格的にやろうとすると時間がかかる。私の仕事は中途半端の手前ぐらいのものにとどまる。それでも、これもそのうち本にしてもらうことになるだろう。(余談だが、ずっと以前、偶然本誌『月刊福祉』の一九七〇年前後のものを目にしたことがあり、現在の、というかここ数十年の本誌とはずいぶん「風合い」というかが違うものだなと感じたことがある。いろいろなことがいつのまにか変わる。)

特集「精神」

『生存学』3 表紙  初回では私の働き場所のことも書いたのだが、そこの雑誌で前回すこし紹介した『生存学』第3号がこの三月に刊行された(第4号は五月)。前者の特集はずばり「精神」で、読み応えのあるものになっている。掲載論文名を列挙する。
 自閉者の手記にみる病名診断の隘路――なぜ「つまずき」について語ろうとするのか」「ネオ・リベラリズムの時代の自閉文化論」「「医療化」された自殺対策の推進と〈家族員の義務と責任〉のせり出し――その理念的形態について」「テレビドラマにみる精神障害者像――「きちがい」から「心の病」へ」「わが国の精神医療改革運動前夜――九六九年日本精神神経学会金沢大会にいたる動向」「心神喪失者等医療観察法とソーシャルワークとの親和性について」「クラブハウスモデルの労働とは何か?」「レジリエンスを基礎にした精神保健福祉士養成――ACTの取り組みからの示唆」「乱立するセルフヘルプグループの定義を巡って――可視性と想像性という観点から」「精神障害当事者が参画する社会福祉専門教育――精神医療ユーザーとともに行う精神科診療面接場面の質的分析」。
 そして第3号・第4号とインタビュー「生存の技法/生存学の技法」が収録されている。私たち――狭くとれば、大学院などにやってくる(そのかなりの部分は「社会人」の)人たち――が何を調べて知ったらよいと思うのかといったことを話してもいる。書店で買えるこの雑誌の詳細情報はHPに掲載してある。

性分業・ケア

 そして、性分業だとかケアについての本も、と思っている。一つは、『家族性分業論前哨』(仮題、生活書院)。そもそも『現代思想』の連載はそんなことについて考えようとして始めたのだが、それが最初の一〇回ほどで中断。連載がまるで連載の体をなしていない。それはそれでそのうち「落とし前」をつけようとは思っているのだが、しばらく先にはなるだろう。一九九〇年代の前半、この主題にしばらく関心があって、論文を書いたことがある。それらはずっと放置されていた。その先をどのように続けるかが問題で、それで連載も始めたところがある。ただ、今回はいくらか説明を足した上で、それらの幾つかをそのまま掲載することにした。我ながらなんでわざわそんな昔のものをとも思ったが、その時はその時として、書いた範囲の中では間違ったことは書いていないとも思う。それはそれとして読んでいただいてもよいのではないかと思った。論文「夫は妻の家事労働にいくら払うか」の全文を公開していた時に、不思議にアクセスが多かったということもある。
 その後、いくらか前に進んだと思うところもないではない。だいたいこんなことが言えるのではないかという粗筋のようなものを二〇〇三年に『思想』という雑誌に載った「家族・性・資本――素描」という文章で書いたことがある(それからだって七年も経っている)。それを加えれば、いくらか私が言いたいことの全体も見えてくるのではないかと思った。そんな文章を集めた本になる。それにこの主題についてのここ数十年の言論を村上潔さんが紹介する部分が加わる。
 もう一冊は『ケア労働――展望・論点』(仮題、青土社)。この仕事を巡って有償/無償を巡る議論があった。また個々人の違いにどう対応するのかという問題がある。堀田義太郎さんとの共著でと思っている。ここで紙数が尽きた。情報はHPに掲載していきます。さようなら。

◆立岩 真也 2011/**/** 『分かること逃れることなど――身体の現代・1』(仮題)
 みすず書房
◆立岩 真也 2011/**/** 『家族性分業論前哨』(仮題),生活書院
◆立岩 真也・堀田 義太郎 2011/**/** 『ケア労働――展望・論点』(仮題),青土社→2012刊行予定


UP:20110215 REV:20111209
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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