HOME > Tateiwa >

本年その一

唯の生の辺りに・11

立岩 真也 2011/03/01 『月刊福祉』93-(2011-3):
全国社会福祉協議会 http://www.shakyo.or.jp/

                  10  11  12


歴史の方にシフト

  他の生物は殺して食べたりしなから、人は特別扱いにするそのわけを言えるだろうか。すこし考えてみたが、うまくいかない。拙著『私的所有論』(一九七七、勁草書房)の第5章「線引き問題という問題」の第3節「人間/非人間という境界」に書いたことはある。そして書いたことに「穴」はある、これでよいのかと思うところはある。だが、それ以上のことをすぐに書けない。ご勘弁を。続きはどこかで書けるかもしれないし、書けないかもしれない。それであと二回、何を書いたらよいかと思ったのだが、結局、今年、私が出していくことになる仕事、あるいは私が関係して出版されるだろう本の紹介をさせていただくことにする。
  初回に「〈生存学〉創成拠点」というプログラム、立命館大学の「生存学研究センター」のことを紹介した。その雑誌『生存学』の第3号第4号が、三月、五月と続けて出る。ちなみにこの雑誌は生活書院の刊行で書店で購入することができ、その創刊号はめでたく売り切れということになった。増刷は考えていないので、後は昨年からにわかに多くの人が口にするようになった「電子書籍」といった媒体(に近いもの)で公開(販売)ということも考えてみようかと思っている(目次等はHPをどうぞ)。
  そこで、私は同僚の天田城介さんに応えるかたちで長い話をしている。あまりに長くなってしまって(薄くはない本の半分ぐらいの分量がある)、その二つの号に分けて掲載されることになった。こちらで院生他が行なっていること、これからどんなことをしようとしているのかについて話をしているのだが、一つに、そこでは、歴史、といってもそう遠くない、日本の、過去の様々を記録し記述しておくことが大切だと話している。
  それはこのところ思ってきたことで、その雑誌の創刊号も含め、幾度か書いてきた。どんな意義があるのか。一般論としては、過去の上に現在があるというのが「正解」ということになるのだろう。そして、意外なほど実際に研究がなされていないということがある。そして「ひとまずは」だが、そう難しいことではない、自分が考えたりする前にまず過去を知るということもしてよいだろうということがある。そして日本のことならおおむね日本語ですむ。そんなに昔のことでもないなら調べれば何かは出てくる。だが同時に、一九六〇年代辺りから活躍し、ここ数年に亡くなられた人がずいぶんおられる。いつまでも話をうかがえるわけではない。今しかできないこともある。
  社会福祉の世界でも、例えば糸賀一雄といった有名人であれば、その人のことについての書きものはあったりする。けれどもそれほどの人でないとしても、その思考や活動が記録されてよいと思う。たいがいの人たちはそうびっくりするようなことを書いたり語ってはいない。ただ、とくに今までと違ったことをしようとした人たちの多くの生涯は悪戦苦闘の生涯でもあった。それだけの理由によっても、とまでは言わないが、まるきり放っておくのは、そのまま埋もれさせるのはよくないだろうと思うところがある。
  人のことに限らない。そんなに昔のことではないのに、私たちは多くのことを忘れているか知らない。ただ、こんなことを漠然と書いても具体的ではない。さきほどの雑誌の第3号の精神障害・精神医療の特集に投稿してくれた人たち他、このごろそういう方向の研究をしている人がわりあいたくさんいるということもあり、そのインタビューでは、一つ、とくにどの辺の研究がなされていないのか(なされたらよいのか)について、そして一つ、私には「時代(の変化)」どんなふうに見えるかを少し話した。

私も少しはと思い

  そんなことを話すのは、私自身は時間もなく、具体的にものを調べたりすることができないから、その代わりに、ということでもある。ただそれでも、手抜きであっても、すこしはできることをしようとは思ってきた。かつては聞き取りやらしたこともあるが今はできないから、ここ十年ほどの間にやってきたのは、座っていてもわかることを集めること、例えば本をまとめて買って集めて、流し読みして、そこから拾えるものを拾って、つなげていくといったことだった。『ALS』(医学書院、二〇〇四)も『税を直す』(青土社、二〇〇九)も、また『唯の生』(筑摩書房、二〇〇九)の一部もそうしてできた本だ。
  そして今年は、月刊誌『みすず』に連載した文章をまとめなおし、みすず書房から出してもらう予定。仮題は『分かること逃れることなど――身体の現代・1』。締まらない題なので、多分変わると思う。「身体の現代」というからには、なにか基本的な「見立て」のようものを書かねばとも思ったが、それにはさらに時間がかかりそうだから諦め、連載で書いたことにほぼ限ることにした。
  そこで取りあげているのは、ここ十年ほどの間にずいぶん出た「アルペルガー症候群」とか「高機能自閉症」とか呼ばれる人たちが書いた本たち。一つ考えてみようと思ったのは、障害や病という「名」を得る・与えるということがどんなことであるかだった。「医療化」という言葉は「医療社会学」といった業界ではよい意味では使われず、むしろ医療の生活への「侵入」といった文脈で捉えられる。だが、自分は病者だ障害者だという認識が本人たちに歓迎されることもある。そこはいったいどうなっているのか。そんなことを考えて書いてみようとした。

◆立岩 真也 2011/**/** 『分かること逃れることなど――身体の現代・1』(仮題),みすず書房


UP:20110116 REV:20110118
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
TOP HOME (http://www.arsvi.com)