HOME > Tateiwa >

障害論

立岩 真也 2011/05/20 戸田山・出口編[2011:220-231]



Tweet

■戸田山 和久・出口 康夫 編 20110520 『応用哲学を学ぶ人のために』,世界思想社,380p. ISBN-10: 4790715272 ISBN-13: 978-4790715276 2940 [amazon][kinokuniya] ※ p.

 以下、「障害」と私たちが呼ぶものに関係しそうなことが五つはあることを述べる。その上で、(3)苦痛と(4)死の到来という契機はひとまず「病」の側にあるとして外し、(5)加害性と(2)好悪に関わる部分について、考られてよいこととしてどんなことがあるのかを記す。次に、(3)できる/できないことについて言えると私が思うことを述べる。

■それは多くのことを考えることだ

■加害性のこと

■好悪について

■できる/できない

■まず知ってほしいと思うこと

 私は、狭い意味での「障害者」に格別の関心があるわけではない。「誰もが障害者になる可能性がある」といったことが言われるが、そんなことの手前で、誰でもできる/できないことがあって、そのことについて書いてきた。ただ、その普通の意味での障害者の人たちの言うことややっていることにいくらかの関心を払ってきたのは事実だ。それはつまり、できないことがより多い人は、より大きく損をする人で、そのままだと損をし続ける人で、文句を言うのだが、文句を言うだけでも損はし続けるから、社会が変わってもらわねばならず、社会とけんか別れをしてすむわけではない。具体的にどんな社会がよいかを面倒でも言わねばならない。となると――しばしば、考えてものをいうのが仕事のはずの学者たちより――考え続けること言い続けることをせざるをえない。(実害がそれほどでもない人たちは、文句を言ってみるとしても、結局、社会のことを考え、社会と付き合うことから逃れることができる。)
 それは当人たちにとってみれば疲れることだが、まともに人・社会に対しているから、聞くべきことがあると思う。それでこれまで出されてきた本のいくつかを紹介してもきた。横塚晃一の『母よ!殺すな』の新版([横塚 二〇〇七])の解説を書かせてもらったりしてきた。そして、その人たちの主張・運動と連動して、「障害学」というものもある。日本でも[石川・長瀬編 一九九九][石川・倉本編 二〇〇二]をはじめとして、何冊か本が出ている。私も一九九九年の本では「自己決定」について書き、二〇〇二年の本では(障害は)「ないにこしたことはないか・1」といった文章を書いている。そして今本を一つ用意している([立岩 二〇一〇])。読んでいただけたらと思う。
 哲学がものを(ふだんの人々より)考える学であるとするなら、また応用哲学というものがそうして考えていくことで「現実」に向かおうというのであれば、否応なく仕方なくものを考えてきた人たちの先を行ってもらわなければならない。(それは――社会を考えることになっている学であるはずの――社会学を仕事にしている人についても同じことだ。)そうであるべきなのに、例えば――そのことをこの章で述べてきたのだが――ごくざっくりと、多様な面をもつものを一つに括ってしまって話を始めてしまったりする。すると議論はおかしくなる。ならばわざわざこの主題を取り上げてもらってもかえって迷惑だ、と思うことがある。とりあえず分けられるものは分けたりして、順番を踏んで考えていってもらいたいものだと思うし、そのためにも、これまで仕方なく考えたり主張したりしてきた人たちの言ったことは知るようにしてほしいと思う次第だ。

■文献
石川准・倉本智明 編 二〇〇二 『障害学の主張』明石書店。
石川准・長瀬修 編 一九九九 『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』明石書店。
佐藤幹夫 二〇〇五 『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』洋泉社。
―――― 二〇〇七 『裁かれた罪裁けなかった「こころ」――17歳の自閉症裁判』岩波書店。
立岩真也 一九九七 『私的所有論』勁草書房。
―――― 二〇〇八 『良い死』筑摩書房。
―――― 二〇〇九 『唯の生』筑摩書房。
―――― 二〇一〇 『人間の条件――そんなものない』理論社。
―――― 二〇一〇 『人間の条件――そんなものない』理論社。
―――― 二〇一一 『(未定)』生活書院。
横塚晃一 二〇〇七 『母よ!殺すな』生活書院。

UP:20110627 REV: 
哲学/倫理学  ◇障害学  ◇立岩 真也 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)