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本人と家族/家族と社会

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立岩 真也 2010/11/23
於:韓国・ソウル市・中央大学大学院


 この講演は生存学創成拠点2011秋期際企画の一環として実施されたものでもあります。
 児童福祉専攻の院生が多数ということで、子どもと家族、家族と社会との関係についてお話ししました。
 この機会を与えてくださったCHOI Begcheonさんに感謝いたします。
 質疑応答の中にも重要な論点があると思いますのでご覧ください。
 ↓
 その一部は立岩『私的所有論 第2版』補章・1の註16(pp..810-)にも引用してあります。ご覧ください。

■■講義

障害者の自立生活と家族

 みなさん児童福祉について研究なさっているっていうことで、僕はとくに子どものことについて研究したりしてきたものではないので、今日はいったい何を話せばいいかなって思いながらやってきました。個人的なことを言えば、私には二十歳になる子どもがいることはいて、保育園行かしたり、なんやかんやでそういう経験ありますから、あとで日本ではそういうことについてはどうなっているのかとか聞いてくだされば、個人的な経験とか知ってる限りのことはお知らせすることはできます。ただ、先ほどチョ先生からも、今日はとくに児童福祉の専門のところではあるけれども、それに限らずに話してよいとおっしゃっていただきましたので、そういうつもりでこれから少し短めにお話しさせていただきたいと思います。
  今日は、それで何の話しようかということなんですけれども、チョ先生が先週は韓国における障害学っていうものについて説明、解説をしてくださったと。それで、それに引き続いて、日本において、障害あるいは障害者運動、それから障害学っていうものと、それから親と子ども、そしてから家族ですね。そういったものとの関係っていうのが、どんな感じになっているのかっていうことを、ごく大雑把にお話しすればいいかなとさっき思いました。
  僕は社会学をやっていて、とくに障害のことを中心にやっているという研究者ではないんですけれども、自分の仕事の一部分に障害を持っている人たち、あるいはそういう人たちの社会運動とかに関わって研究したり、ものを書いてきた部分はあります。それは今から振り返ればだいたい25年ぐらい前ですかね。そういう研究を始める前、日本で1970年代ぐらいの始め、中ごろから始まった運動ですけれども、障害者の自立生活運動っていうのが展開されてきたわけです。僕はそれを大学生、みなさんとちょうど同じぐらいの年齢だったと思いますけれども、そういったものが起こっているっていうことを、大学の周りとかそういう人たちがボツボツと少しちょっといたものですから、だんだん知るようになりました。そしてその後、大学院生になってその人たちについての調査をして研究して、1990年に初めて出した共著の本が『生の技法』っていう名前の本で、それがラテン語に翻訳すると、「Ars Vivendi」(アルスビベンディ)っていうラテン語にもなるんですね。そしてその本を、今年、今日通訳をしてくれいて私たちの大学院の院生でもあるヒギョンさん韓国語に翻訳してくれて、韓国のみなさんにも読んでいただけるようになりました。
 そしてその本の、第三章「制度としての愛情――脱家族とは」、第四章「施設の外で生きる――福祉の空間からの脱出」では、障害を持っている人と施設の生活との関係、それから持っている人と家族との関係についての分析、記述があります。詳しくはそういった本を借りて読んでいただければと思います。今日は時間もありませんので、ごく短くしますけれども。僕がそうやって付き合い始めた人たちっていうのは、だいたい年齢で言えば、20代、30代ぐらい、脳性まひ等で、若い頃から、むしろ生まれてすぐから障害があって、ずっと子どものときに、親の介護によって育ってきた、そういう人たちだったわけです。
  今日は、彼らにとって施設での生活はどうだったか、どうであるのかについては、全部省略します。家族との話だけにします。彼らにとって、もちろん家族がもう亡くなりいなくなってしまうとか、あるいは、家族が肉体的に身体的にもう世話することができなくなってしまう、そういったことはたいへん大きな問題ですし、あるいは、親に虐待されるとか、放置されるとか、そういったことも現実にはもちろんありますし、それはそれで大きな問題ではあります。
  ただ、彼らは、とくにそういう問題のある家族とか、あるいは家族がいないとか、そういうことだけを問題にしたわけじゃないんですね。むしろちゃんと親がいて、親は優しい親で、いろいろ世話をしてくれる、面倒をみてくれる親なんだけれども、しかし、その関係を自分は20歳超えても、30になっても、ずっとこれまで続けている。そういうことでこれからの人生をずっとやっていくんだろうか、その人生をそのまま続けていいんだろうか。そういうふうに思うようになります。自分の親はいい親なんだけれども、その親と介護とか、介護されなきゃいけないっていう事情があるがゆえに、ずっとその家族と一緒にいるっていう生活を続けなきゃいけない。それは他の人であれば、たまたま身体が動いたりして、学校に進学するとか、就職するとか、結婚するとか、そういうことによって同居するしないとは別にですね、一定の距離感っていうのを持って離れていく。あるいは距離感を持ちながら親と付き合っていく。そういうことが自分たちは障害があるっていうことのためにできない。それはおかしいじゃないか。だから、自覚的に自分の方から、家族から抜けなきゃいけない。家族から脱しなきゃいけない。そういうことをしていこう。そういう運動だったわけです。
  それは家族っていうことだけに限らず考えてみれば、こういうことです。つまり、どんなによい他人がいても、あるいは自分を庇護してくれ保護してくれる人であっても、本人っていうものとその本人を庇護し保護し世話をする人間っていうものは違う。差異がある。それは一緒にできない。そういう自覚っていうか認識だったと思うんですね。

社会福祉学と障害学との関係

  今日課題として与えられた障害学っていうのはいったい何だっていうことは、じつはこの話と直に結びついてるわけです。つまり、社会福祉学っていうのが、基本的には社会福祉っていうものをする、サービスを提供する、与える、そういうサイドからみた、あるいは、その人たちのための実践、その実践のための学問であるわけですね。それは必ず必要なことであります。そういったものの意義を、人は、私も含めてですけれども、否定することはできないし否定する必要はないのです。ただ、本人と、その本人を守るというか本人に関わる側っていうのは、どっちがいいとかどっちが悪いとかっていうことと別にまず違う。そして、そのサービスを提供するサイドからみた学問からだけでは見えないものがやっぱりあるじゃないかと。そこのところがどうなのかっていうことを調べたり考えたりしようと。それは必ずしも障害を持っている本人だけが調べるとか、研究するっていうことではなくて、私自身普通の意味で言えば、障害者じゃないのかもしれませんけれども、そういった人間も含めて、ただ、サービスを提供する対象として、あるいは、サービスを提供する側として、そういう枠組みの中で障害を持つ人間っていうものを捉えるっていうだけでは、障害を持っている人間、人、人の暮らしっていうものを捉えられないだろうと。そういうところから、障害学っていうものは、これは日本に限らずですね、イギリスにおいてもアメリカにおいても、そして韓国においてもそうだと思いますけれども、そういうところから生成した、そして存続、続いている。そういう学問だっと言っていいと思います。
  そういう日本の運動っていうのは1970年代から80年代にかけて、まず身体障害を持ってる脳性まひとか、そういう人たち。そういう人たちは言語障害はありますけれども、言葉がしゃべれる。そういう発言ができるっていうサイドの人たちから始まって展開していったわけです。
  ただそれは考えてみれば、けっして身体障害の人に限ったテーマではないわけです。日本では、精神障害の人、それから知的障害の人の中で、やっぱりそこでも親がいること、家族がいること、あるいは施設の職員がよかれと思ってしていることと自分たちが思っていることは違うぞってことを言い出すっていうのが、例えば日本の知的障害者の場合だと1990年代に入って出てくる。そしてそれが次第に大きくなってきた。そういう状況だと思います。

「社会モデル」

  以上の話は詳しく話せればいくらでも話しますけれども、いったんひとつ目の話はここまでにします。もうひとつの話をしてとりあえず私の話は終わりにします。二つ目の話をこれからします。
  今の話はどっちかというと、どこからものを見るのか、どっから何を出発点にしてものを考えていくか、みていくのかっていう話だったと思いますけれども、二つ目の話は、でも現実に、現実に、たとえば身体に障害があれば自分の身体が動かない部分、分、誰かが何か代わりにしなきゃいけない。そういうことは厳然として否定できない事実としてあるわけですね。それをどういうふうに考えてきたのか、障害者の運動は、それから障害学は、あるいは私は考えてきたのか。そのことを手短にお話ししたいと思います。
  障害学ではよく個人モデルっていうのと社会モデルってものを対置させる、そういう議論がなされるんですね。
  これをどういうふうに理解するのか、解釈するのかっていうことは、一様ではありません。いろんな考え方があります。
  これについては少し詳しい話は、日本語で書いたものを英語に訳してもらっている書きかけの原稿が今ホームページにアップされているので、それを見ていただいてもよいと思いますけども、短く、ごく簡単に言えば、以下のようなことになると思います。
  それをごく簡単に言えばこういうことだと思うんですね。個人モデルっていうのは、要するに自分の暮らしのことにかんしては基本的に自分が義務を負う、自分が責任を負いなさいと、それでもダメだったら社会っていうものが一定支援を与えますよ。そういうことだと思います。それは別の言葉で言えば、自分が稼いだもの、自分が働いて得た、働いて生産したものっていうのは、本来自分のものであって他人に渡す必要なんかないんだ。そういう意味で自分のできることの結果・生産物というものを、自分は受け取る権利もある、それは同時に、その自分が作り出したものによって、その範囲で暮らしていかなきゃいけない、そういう責任というか、義務というか、そういうものを負わす。それが正しいんだって考える考え方だと思うんですね。
  障害学、あるいは障害者運動は、そういった考え方が正しいのかっていうことを問うてきたと思います。そして私自身も20年、30年、そのことについて考えてきたんだろうと思います。
  結論だけ言えば、それは正しくないと考えていいというふうに、私も思うんですね。代わりにどう考えればよいのか。人はそれぞれ生きたいように、人並みの生活ができるようになればよいと。そのために必要なものっていう、そのために必要なものを提供する義務っていうものは、ひとりひとりに別々にではなくて、社会全体に存在する。社会全体はそれを負担すべきであると。それが社会モデルっていう主張の核、中心にあるものだと私は理解しています。

障害学と家族

  ではここに家族というものはどういうふうに位置付くんでしょうか。多分、イギリスとかアメリカの障害学の中では、あんまり家族の話っていうのは出てこないって話は、さっきもコーヒー飲みながら先生としていたんですね。
  本当のところは僕もよくわかってはいないんです。実際には、たとえばイギリスっていう国にしても、たとえば高齢者の介護であるとかそういうものにかんしてはかなりの部分、人が思うほど社会的に提供されているわけじゃなくて、家族介護っていうのが非常に高い割合で存在するっていうことがあるんで、あまり私たちは事態を一面的に見てはいけないとは思ってます。
  ただ、建て前としてはですね、少なくとも成人になれば、本人は家族から独立して生活していくものだっていう建て前は存在する。そうすると家族っていうものは、社会、個人、社会っていうものにプラスもうひとつっていうふうにあまり積極的な要素としては入ってこないのかもしれません。個人と社会っていうものに加えて家族っていうのが、三つ目としてあまり表に出てこない。
  ただ、これは考えてみれば、いわゆる先進諸国という国々においても同じことが言えるはずなんですが、こうなってるはずです。実際には二つじゃなくて三つなんですよね。本人が本人の暮らしを自分で成り立たせていきなさい、これが一番です。それがだめだったら家族が面倒をみなさい、これが二番です。それでもやっぱりだめだったら社会が何か面倒をみます、そういう順番に。これは日本とか韓国とかああいうアジアの諸国だけに限らず、そういう仕掛け、仕組みになってるわけですね。
  とするとですね、さっきの二つで足りないんだとすれば、障害学、あるいは障害者運動の主張の核心っていうことは、次のようになると思います。つまり、今言った、まず個人が、でなければ家族が、でもダメだったら社会がっていう、そういう順番が正しいのか。それを問う。そしてそれが人々にとって暮らしやすいあり方なのか。それを考えていったときに、そうではない、暮らしやすくない、正しくない、そういうことを認識し、それを社会に対して訴えてきた。そういう主張だったと考えます。
  では代わりに主張されるものは何なのか。これは極めて単純な主張です。つまり、社会全体が負担ができる程度に応じて人々の生活というものを支える。これが第一に置かれるべきであると。だから個人が第一なのでも、家族が第一あるいは第二などでもないと。その方が正しいし、人々はよく生きていける。そういう主張だったと、主張であるというふうに、そういう運動だったと思うし、私自身もそのように考えてきましたし、今もそう考えています。

それは家族を大切にすることでもある

  そういうことを言うとよく言われるのはですね、お前はその家族というものの意義とか良さというか、そういうものを否定してるのか、そういうことを言われることがあるんですが、それは全くの誤解です。
  家族は家族として、あるいはその仲のいい人は仲のいい人としてやっていくためには、今日お話した第一の話に即するのであれば、一緒に暮らすという形であれ、あるいは別れて暮らすという形であれ、過度の負担をかけることなく一定の距離感っていうものを持ちながら暮らしていく。それの方が人ひとり、一人ずつが暮らしていくときに、暮らしやすいっていうことが、今日話した第一のことから言えます。まずそれが一つですね。
  今日話した第二の話から言えばですね、家族だけが、あるいは少なくとも他の人たちよりも家族が重い負担を負うことによって、生活が苦しくなる、あるいは家族の仲の関係が悪くなっていく、すさんだものになっていくよりも、たとえば基本的な介護であるとか、あるいは所得、生活の保障というものがなされた上で、その上で家族がやっていける。そういう状態が作られた方が、その人間関係、家族関係はうまくいく。ということは、すなわちそういった社会のあり方の方が、その家族なり、そういう人間関係っていうものを大切にしているっていうことが言えるはずです。
  そしてそれは我々の研究か、あるいはここのパンフレットにあるプログラムがですね、たんに人がどうやって生きてるかを知るっていうだけじゃなくて、どういうふうに社会を組み立てていくのかっていうことを考えるときの、少なくとも私にとっての基本的な視座、スタートポイントなわけです。

記録することの意味

  実は去年の同じ季節でしたか、ヒギョンさんと一緒に、ソウルに住んでいるアン・ヒョスクのお宅におじゃました。それが一つのきっかけになって、2010年の4月から、彼女は僕らのところの大学院生の1年生になって日本で研究を始めたんですが、そのお母さんはALSっていう神経難病にかかっていて、二人で暮らしてきたんです。そういった難病にかかると、そして状態が進行していくと、24時間必ず誰かの介護っていうものが必要になる。そうでないと生きていくことができなくなるわけです。
  そういう人たちに、家族がもう寝ないで介護する、せざるを得ない。そうでないと本人が死んでしまう、あるいは、死んでしまう前に自分でもう死ぬことを選択してしまう。そういう状況になってしまう。それはよくない。だから、そういった形ではない介護の仕掛け、システムを日本でも作ろうとしてきました。彼女はそれを今学びながら自分でも、韓国でもどうやっていったらいいのか考えてるんだろうと思います。
  それから、たとえば今年の夏であれば、そういった同じ、同じではないんですが、子どもは子どもで、たとえば、ウェルドニッヒホフマン病っていう病気・障害の子どものときから重い障害を持ってる子どもたちがいます。そういう人たちの親たちの組織「人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)」という会があって、この夏に私はその20周年の大会で講演させてもらったことがあるんですけど、そこでもやっぱり、その人たちが子どもは大切にしながら、子どもを大切にするために自分たちだけが介護をするんじゃない、そういうことを実現しようとしてきて、活動してきたわけですね。
 私たちはそういった人たち、ALSならALSの人たち、それから子どもの難病の人なら難病の人たちっていうものが、どうやってそういうことを社会に訴えていったのか、それを実現しようとしてきたのか。日本の場合で言えばこれは30年とか40年とかかかった。1970年代の半ばぐらいにそういった公的な介護を保障せよっていう運動が始まるわけです。それからもう数えると40年ぐらい経ってるわけですけれども、その40年間のあいだにそういった動きを少しずつ強くしてきた。まず私たちは、そういった人たちの努力ですね、営みというものをちゃんと記録して、そういった主張、そういった運動っていうものがあった、それに大きな意義があったということを記録し、人に伝えたいと思っていますし、そういったものに学びながら自分たちもまたどういった仕組みっていうものを作っていくのか、そういうことを考えたいと思って、そういうことをしてる。以上です。今日の話はこれで終わりです。
  僕はいつもは通訳にはやさしい人で、ちゃんと一文しゃべって、一文通訳してもらうようにしてるちゃんとした人なんですけども、今日はうちの大学院生たちがちょっと到着が遅れて始まるのが遅くなってしまったのと、それからヒギョンさん僕たちの本を訳してくれたりしてよくわかってくれているので、それにちょっと甘えて、たくさんしゃべっていっぺんにたくさん訳してもらうっていうことをしてしまいました。ヒギョンさんごめんなさい。今日は以上です。ありがとうございました。


■■質疑応答

チョ先生

  やっぱり先生の話聞くと、いろんな先生がいろんなことを言ってきたんではないかというようなことを感じられる。
  だからこそ今やっている障害学の視点とかそういうものが新しい視点なのでそれを伝えたいという、多分気持ちがいっぱいあったと思います、立岩先生には。立岩先生の中で、お話しの中で、いっぱい聞けた言葉が障害者の運動のことだったと思います。その理由は、障害学というものが既存の、今まであった過去のものとは違うことだと思いますけど、難しいことじゃなくて単純です。問題があったら、その問題が誰にとって問題であるか、あとその問題を解決するためには誰の立場で問題を解決していけばいいかっていうことだと思います。だから今まで私たちの福祉というものは十分ではなく、その世界の人たちによって作られたものだと思います。
  またセンターでリサーチしたり、新しく資料を集めたり、その活動に意味を与える研究をやっていることについて話を聞きました。社会サービスを作るときには、国民たちの気持ちや国民たちの感情をよく聞くことがすごく大切に思います。でも社会運動を作って障害者たちの立場は、それが排除されてきたということです。だからこそ、障害者の運動と障害学というものは、切っては切れない、切っても切れないものと思います。そういう話だったと思います。
 立岩先生から話からあったと思いますけれども、先週私の授業でみなさんに自らを批判する学問とかそういう学問の意義を私が先週お話ししたと思うんですけれども、立岩先生の話を聞きながら感じたのは、私たちにとって基本的で正しいものであったものが、そうであったかに疑問を持つように、持つことがすごく大事であるということだと思います。だから、今やっている、今私がしゃっべている問題に対して批判とか疑問を持つことが大事であるということと、先生の話はつながったと思います。
 また、自分は本当に自分のものであるかとか、どの話もおもしろい話だったと思います。ケアとかそういうものも関係だけでなくて社会的な大きな枠の中で入れて考えた方がよいという話だと思います。おもしろい話でした。だから今日、立岩先生のお話しは本当に大事な大切な問題点などを指摘してくださったと思います。みなさん質問してください。

大学院生

  『生の技法』はまだ見てないのですが、障害者がどうやって生活していったりするかとか、そういうことをマニュアル化する作業とかする計画がこのプロジェクトの中にありますか。

立岩

  よい答えができるかどうかわからないんですけど、僕は一方では本当に細々とした手段・機会をどういうふうに使うかとか、そういうことはとっても大切だと思っているんです。そういう意味で言えば、例えばテクノロジーにしても、その具体的な細部っていうか、ものを調べたりっていうこともとても大切なことだとは思ってます。ですから、そういうこともやっていきたいです。
  ただ、僕らは基本的には人文社会系の領域にいるので、実際に技術開発っていうこと自体はできないんですね。ただ、技術開発をしている人たちは、そういう技術が必要な人が本当はどういうものが欲しいのかとか、逆にどういうものがいらないのかとか、そういうことをあんまりよくわかんないでものを作ってたりするんですよ。それはちょっと無駄な場合があるので、こういうのはいらないって言うとか、こういうのがいいって言うか、そういうこう技術者とそれからユーザーとその間ぐらいのところにいて、どういうテクノロジーが欲しいのか、あるいはどういうのがあんまりいらない、歓迎しないのか、そういうことを知らせていきたい。そういうことは僕らの課題のひとつだと思っています。それが一つの答えですね。
  もう一つは、最初に申し上げたことでもありますけど、狭い意味でのテクノロジーっだけではなくて、スタイルとかモードとか、日本語で言うと「ノリ」って言うんですけど、韓国語でいうと何て言うんでしょう。「流儀」とかね。何かそういう人の生き方、それは狭い意味での技術っていうんじゃなくて、人がいろんな身体の状態とかが違うと生き方のモードとかが違ってて、それはそれでおもしろかったりとか、少なくともどっちがいいとか悪いとか言えなかったりとか、そういうのってあると思うんですよね。それはテクノロジーっていうよりは、むしろ、フランス語だったらアール(art)っていうじゃないですか。それから英語だったらアートっていうじゃないですか。それのもとの言葉がアルスなんですけれども。そういった意味合いみたいなのを込めて、どうやって、どういう気分で、どういう姿勢で、気持ち、気持ちっていうか感じで生きてるんだい?みたいな。調べたり、書いたりしたいなっていうのはあります。

質問

 障害児童に対して虐待とかがあった場合、強制的に分離して保護することとか、国としてどういう対処をしてるか、すべきか、どんなサービスを提供してるかという点についてはいかがですか?

立岩

  実は、今、いただいた質問は、僕は今日はできればしたかった三つ目の話なんですね。
  確かに子どもの、本人の思いが大切だっていうことは、僕らは言うし、それ自体は正しいと思います。子ども本人が言うことを第一に尊重すべきだっていうことは、それ自体は正しい。ただ、ではいつもそれで済むか、それで問題が解決するか、問題がないかっていったら、そうではないわけですね。これは子どものこともそうだし、知的障害とか精神障害っていうのが関係してくる場合もそういうことがあります。つまり、たとえば、精神障害で、たとえば自殺企図、その自傷他害ってものに傾くっていう人がいる。そういうときに、その人が今そうしたいっていうからその通りにしたらよいかって言ったら、そんなことはないわけです。そういうことって考えてみればけっこうたくさん、この世で、この社会で起こってることです。
  そうするとですね、時と場合によっては、本人の言うことをそのまま受け取るんじゃなくて、誰かが代わりに、時と場合によっては本人が言うことに反してでも物事を決めたりしなきゃいけない。代理決定っていう言い方もありますけど、そういうことをせざるを得ない場面が必ずあります。
  それを誰が行なうのか、あるいはどういう基準でなすべきなのか。これは哲学的・倫理学的な部分も含む、非常に理論的な大きな重要な課題だと思っています。
  少なくともひとつ言えるのは、この場合に、親が親であるからという理由で他の人に比べて特別の権限を子どもに対して持っているわけではないということだと思います。
  それは一番わかりやすい例で言えば、親だからっていって虐待していいのかっていえば、それは違うだろうっていうふうに僕も思うし、みなさんも思うだろうとことです。日本でも今の政策の状況としては、これまで介入しにくかったっていうところから、たとえば日本だと児童相談所っていうのがありますけれども、そういったところが介入する、介入せざるを得ない、そういうことを認めるっていう方向に少しずつ変わってきてるところはあると思います。
  そういう意味では、私は、家族に対する、あるいは親に対する公権力の介入っていうものが正当化されうる場合があるということを認める立場なんですね。
  しかしながら、問題はっていうか、おもしろい問題は、あるいは難しい問題はここからなんですね。ここで終われば苦労はしないんですよ。
  たとえば皆さんは、チャールズ・チャップリンっていう人の映画っていうのを見たことがありますかね。キートンの方がおもしいとかそういう話は措いといて、チャップリンの映画っていうのは、すごく古いですけれど今でも見ることができますし、それからそういったチャップリンの映画じゃなくても、過去に、たとえば、子どもを施設にさらっていくっていうか、そういったドラマとか映画とかってあって、それで、たとえば浮浪者のチャップリンからそんな男には任せておけないって言って子どもを施設に持っていくわけですよね。そういうのっていっぱいあるじゃないですか。それに対して僕らはどっかでやっぱなんかチャップリンの方が正しいみたいなね。正しいっていうか、なんか連れて行くのってどうなのよって思ったりする部分もあると思うんですよ。
  チャップリンがみなし子とかを勝手に自分と一緒に暮らしてるんだけど、それをアメリカの福祉局かなんかよくわかんないけど車とかに子ども乗っけて施設にブーって持っていく、それ見るとなんかダメなんじゃないとかって思ったりする部分があります。

吉田幸恵

  ちょっと説明しますね。チャップリンと仲良く生活しているわけよ、その子どもたちは。だけどチャップリン自体は浮浪者。だから、そういう浮浪者とかに子どもは育てらんないでしょうみたいな感じで福祉局みたいな人が来て連れてく。でも、映画を見ている私たちは、チャップリンと仲良く生活しているのに、チャップリンの方でいいじゃない、生活楽しいじゃないっていう、なんで連れてっちゃうのっていうように私たちは思うんですよ。

立岩

  そうすると、こういうことです。僕らはどっかで公権力の介入止むなしって思ってると同時に、まったく同時に、そういった介入を時として忌避するというか、危険なものを感じたり、まずいんじゃないかっていうふうに思ってる。そういうことが言えますね。 実は僕はそれは児童福祉だとか、子どもの問題っていうのを考えるときの根本問題、最も基本的な問題だっていうふうに思っています。その答えっていうのは出すのは確かに難しいです。ただ難しいとだけ言っても仕方がないんで、そこからどうやって我々は前進するのかっていうのが学問的な課題だと思います。
  そうすると、まず、たとえば、親なら親の側に、それはたんに暴力を振るうというような目に見えやすいそういった欲望というかだけではなくて、よい子に育てようとかこういう子に育てようとかっていう、なって欲しいっていう欲望があるわけですよね。それはいったい何なのかっていうことも一方でみなきゃいけない。そしてそういうことでいいんだろうか。親だからそういうふうに子どもに期待して、期待通りに育って欲しいっていうふうに押し付けて、そういうことっていいんだろうかってことを考えるってことが、考える必要があるってことが一方で言えます。
  他方、たとえば、国家なら国家に関して言えば、正しく、国家にとって社会にとって役に立つとか、あるべき人間像ってものがあって、それから見た場合に、こういった人に育てられる子どもっていうのはだめなんじゃないかとか、もっと別の環境に持ってこなきゃいけない、そういう利害が働くわけですけど。そういった、たとえば国家なら国家っていうものが持っている利害、その利害に即して人の形を変えるというか、作っていくっていうことが、どこまでよいことなのかっていうことを考える必要も同時にある。
  私は社会科学の基本的な課題の一つはそういうものだと思っています。その上でひとつ加えて終わりたいと思います。
  それは多分ですね、たとえば国家なら国家っていうものがあらかじめ良き人間、正しい人間っていうものを決めて、そっち側から子どもに向かっていくっていうことがあるとすると、もちろん親とか家族にでもそういうのはあるわけですが、だけれども一般には後者を優先するべきだと思える、それには理由があるっていうこと一つ言っておきたいんですね。
  それはいささか楽観的な物言いでもあるんだけれども、親が、それは実の親に限らずさきのチャップリン演ずるような人でもいいんですが、その人が誰か別の人間である子どもと身近で会ってしまうと、人間とはとか、こうあるべきだとか、子どもはこうなってほしいとか思っているんだけれども、それは具体的に無理だっていうか、難しいことがわかってしまう。人間ってそういうもんじゃないっていうことがもうわかってしまう。そこでその親っていうのは、まぁ仕方ないなっていうふうに思って子どもと接していく、そういうことってあると思うんですね。そしてそのことが、子が育っていく、子を育っていく、人が人を認め接している上でよいことであると私たちは考えている、考えるべきだと思っているのではないかということです。そういう意味において僕は、国家の介入が必要であるっていうことを認めつつ、でも基本的には近くにいて子どもに接してしまう人間の側にまず肩を持とう、そういうは考えています。

大学院生

  自閉症について質問です。自閉症。彼が今そこにかかわってて、そこでやってるのは成人が対象なんですけれども、どうすれば地域でよく、うまく暮らしていくのかに対して考えてる。今かかっているところがレスパイトですね。レスパイトというところなんですけれども、そういう自閉症の人たちが考えているのは、共同体を作ってそこで生活することを考えています。最近韓国では、施設に対するイメージがあんまりよくないので、施設を街とかそういうふうに作ったり、村とか、そういう名前をつけてるんですよね。日本にもありますよね、神戸に。幸せ村とかそういうのがあるんですけれども。そういう幸せ村とかそういうところが施設とどういう違うか。あとは、そういうコミュニティについて、そういう共同体について、日本ではどういうふうに考えているか。

立岩

  今日最初にお話した話で言うと、身体障害の人の場合でも、施設か地域でひとりとか、自分の家族を作って暮らすっていう形だけではなくて、たとえばグループホームっていうアイディアもあったんですけれども、それでも基本的には施設かひとりっていうモデルで割りときたんですよね。日本の場合も、身体障害の場合は。
  日本の場合は1980年代に身体障害の人の間で、グループホームいいじゃないかっていう人たちと、そりゃだって結局施設じゃん、だからやっぱりそれって中途半端でやだっていう人たちが、けっこう論争したりっていうのもあったんですよ。
  ただ、日本の、今の、90年代ぐらいから現在に至る、むしろこれは運動というよりは政策としてですね、障害者の脱施設化みたいなことを政策のサイドもいいこととして言うようになり、その中で特に知的障害の人にかんしては脱施設化っていうのが、実質的には小さな施設というか、日本でいうグループホームっていうのと、韓国で今おっしゃったような形態のものがどこまで、どういうふうに似てて、どういうふうに違うのか、僕は把握していないんですが、少なくとも4人とか6人とかそういう小さい規模のグループホームを代替論として推奨するみたいなことを政策サイドもやってきたわけです。また精神障害の場合で言えば、地域移行、地域に移行するための中間施設みたいなね。そういう言い方で、やっぱり第二の施設と地域の中間のものみたいなものが推奨されるってことも同じ時期にありました。
  それがはたしてよい代替論であるのか、であったのかっていうことは、日本でも議論があります。
  一方のサイドはやっぱりそれは中途半端だと、基本的にはひとりひとりが自分の住みたいところで住むのが基本で、やっぱり小さくても施設は施設だっていう、身体障害のときにあったのと基本的には同じ言い方で、今の脱施設化っていうのが中途半端だっていうことを批判するサイドがあります。
  ただ僕は、基本的にはその人たちの言い分はかなりの程度最もだと思ってますけれども、先ほど話したようなことですね。つまり、いつもではないけど時と場合によっては、代わりに、あるいは場合によっては、その人の決定を止めて決めなきゃいけないとか、そういった場面が出てくるときに、じゃあどういう居住生活の形態がいいのかっていう問題がやっぱり残るとも思います。だから、それは中途半端だっていう批判はもっともなんだけれども、では全部一人ひとりをバラバラにしていったら、バラバラにっていうか一人ひとりが住むようにしていったらそれで何でもうまくいくのかっていえば、そうじゃない場合もある。そこがやっぱり身体障害だけの場合とは違う難しさだと思います。
  最後に一言足せば、僕は甥っ子は一人しかいないんですけど、そいつが小学校1年生なんですが、そっち系っていうか、高機能自閉っていうか、そっちのタイプの男の子で、初めて実物に会ってあぁそんな感じなんだって思って見たりしたんですが、彼はある人たちとは積極的につきあおうとしないけれども、そうでない人たちもいる。とても積極的なところもあるんです。自閉っていうタイプの中でも、これはもういいも悪いもなくて、癖っていうか、そういうもんだと思うんですけど、やっぱり人と群れたい人もいれば、群れたくないっていうかな、一緒にいたりすることよりも単独で行動したりとかっていうものを好むっていう人もいる。これは、僕はどちらがよいとも悪いとも言えない、そういうその人の、なんていうかな、性質みたいなものがある。そういったものを考えに入れたときに、さらにどういう居住の形態、あるいは居住に対する支援が望ましいのかってことはさらに考えるべきことだっていうふうに思います。


*記録の文字化担当:長谷川唯
UP:20101201 REV:20100205(記録掲載), 20110223
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