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ただ進めるべきこと/ためらいながら進むべきこと

立岩 真也 2010/01/19
Special Education and Multi-Knowledge Convergence
於:韓国・大邱大学 http://jpn.daegu.ac.kr/ [Korea] / [English]

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自己紹介

 日本の京都にある立命館大学からまいりました立岩真也と申します。今日はお呼びいただきたいへん光栄に思います。
 まず、私は障害者と教育という主題を専門に研究している者ではないことをおことわりします。特殊教育の分野はまったく不案内です。もうしわけありません。専攻は社会学です。ただ実証的な仕事はあまりできておらず、規範論的な仕事が多くなっています。一つは財や労働の所有と分配に関わる議論です。『私的所有論』『自由の平等』といった著作があります。最近の共著の本では『税を直す』という本があります。次に一つ、さきの主題と私は深い関係があると考えているのですが生命倫理と呼ばれる領域に関わるような仕事があります。最近の本では、『良い死?』『唯の生』といった本があります。昨年11月には、この主題に関係するソウルの国会議員会館で開催されたシンポジウムに呼んでいただきました。そしてこれらはいずれも、障害(dis-ability)・能力(ability)に関わっています。他に、比較的記述的な著作として、1990年に初版が出版された共著の『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』があります。これは日本での自立生活運動の展開を追い、その意味を考えた本です。増補改訂版の韓国語訳の出版準備が進んでいると聞いています。また2004年の著作として『ALS――不動の身体と息する機械』があります。最重度の身体障害者者とも言えるALSの人たちが自ら書いた文章を引用しながら、その人たちの思いと行動、生活を描き、そこに現れる問題について書きました。

自明に必要な活動

 そして、そんな研究をしつつ、立命館大学の大学院先端総合学術研究科の教員をしています。また、日本の文部科学省が選定し資金援助を行うグローバルCOEプログラムの一つ〈「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造〉のプログラムリーダーを務めてもいます。研究科には現在、視覚障害をもつ院生が6人、車椅子の利用者が3人、等、障害をもつ本人、また関係者が多くいます。そして私たちのCOEで唱っていることの一つに、障害や病をもつ本人が研究を担っていくこと、またそのための仕組みを提示することがあります。例えばその成果の一つとして『視覚障害学生支援技法』の刊行があります。これには韓国語版(冊子+ウェブ掲載)と一部の英語版(ウェブ掲載)があります。
 こうした部分で、私たちは、実践的に障害を有する人たちの教育・研究という主題に関わっており、関わらざるをえないでいます。そして私は、これらが疑いなく必要であるあるからには、どのような学問の名称のもとであれ、進められる必要があると考えています。関係して、これは教育・研究の場面だけに関わることではありませんが、視覚障害、聴覚障害、そして身体障害による発話困難者のコミュニケーションに焦点を当てた、「異なる身体のもとでの交信――本当の実用のための仕組と思想」という名称の研究を開始しています。本日のシンポジウムは「学際的なアプローチ」を主題とするものですが、この私たちの研究は、文部科学省による「新学術領域研究(研究課題提案型)」という範疇の資金援助を受けているもので、この研究には、哲学、社会学、経済学等人文社会諸科学の、とくに若手の、研究者が参与しています。むろんここでは科学技術の役割がときに決定的に重要なのですが、この研究自体には自然科学の研究者は入っておりません。そうした研究開発の重要性を前提としつつ、その技術をどう使うか、その制度的な仕組みや、社会のあり方について検討し、可能な方向を提案しようとしています。例えば、視覚障害を有する人が書籍などの文字情報をコンピュータを使って聞いたり拡大文字にする際の、情報提供の仕組み作りや著作権法上の問題の解決のあり方を検討するといった課題があります。
 ただ、繰り返しになりますが、必要なものは、とくに何学という名称のもとでなくても、進められていくべきものだと思います。私たちの活動の名称としての「生存学」も、人が生き延びていくために必要なことを調べ考えていこうという趣旨のものです。そして、「障害学」と呼ばれるものもまた、その大きな部分において、実践的なものであり、社会改革・変革を志向する学問です。障害をもつ人が、教育を受けたり研究をしたりすることに関わる様々な困難を指摘し、その改革を提言してきたものでもあります。日本の障害学会は2003年に発足し、私もその会員・理事としていくらかの参与をしてきました。昨年2009年の学会大会は立命館大学で開催され、そのシンポジウムの一つは、私たちの研究科の大学院生が実質的に企画を担当した「障害学生支援を語る」というものでした。既に身体障害者や視覚・聴覚障害の学生支援についてはかなりのことが言われ、そしていくらかのことがなされているということもあり、内部障害、精神障害、発達障害を有する大学生を招いて、報告をしてもらいました。

しかし争いもあったこと

 こうして、障害をもつ人たちの教育・研究への参画をより活発にする容易にするという、その目的がはっきりしており、またその正当性が確かなものであり、そのために使えるものをなんでも使う、できることはなんでもするという方向で進んでいけるし、また進むべきであるという部分が大きな一つとしてあります。
 ただもう一つ、いまだ論争があり、考えるべきことが終わっていない部分があります。もちろんそれは、統合教育・特殊教育を巡る論争のことです。この主題を巡って、この40年余り、日本であったできごとをお知らすることに一定の意義があるように私は考えています。時間も限られておりますし、また私の知識も限られていますので、ごく簡単にせざるをえませんが、日本での歴史を短く振り返りたいと思います。
 日本では、第二次大戦後わりあい早く盲学校・聾唖学校は義務教育の中に位置づけられていきますが、身体障害や知的障害の子どものための養護学校は義務教育の中に位置づけられない時期が長く続きました。その中で、普通学校・普通学級に通う障害児もおり、普通学校の特殊学級に通う障害児もいたのですが、とくに重度の障害児は、「就学猶予」「就学免除」ということで、そもそも学校に行くことができなかった状況がありました。私の知る1930年代から1940年代生まれの障害者運動の指導者の中にも、学校にまったく行っておらず(行くことができず)、独学で文字を学んだという人が幾人もいます★01。そうした中で、1971年から73年にかけて、養護学校の整備の方向が示され、養護学校を義務教育の中に組み込むその施行期日が1979年4月1日と定められました。具体的にはこの1979年の「養護学校義務化」を巡って、関係者・当事者は、それに基本的に賛成する側と基本的に反対する側とに二分されることになります。つまり、一方に、それを障害児教育の発展と捉える人たちがおり、他方に、それを障害児・者の隔離であるとして批判し、あくまで普通学校・普通学級での教育を求めた人たちがいました。対立は、養護学校義務化を推進する政府と反対する側との対立でもありましたが、同時に、当事者・関係者の内部での争いでもあったわけです。

小さな「政治」が絡んだこと

 ここにはいくらか日本に固有な「政治的」事情もありました。学会等ではおそらくあまりあまり話されることのないことだと思いますので、あえてすこしふれておきます。世界の複数の地域・国にも起こったことですが、日本では、1960年代後半からしばらく、ベトナム反戦運動、大学の管理・研究・教育体制、等々を巡り、全国の大学等をその場として「大学闘争」とか「大学紛争」と呼ばれる相当に激しい社会運動が起こりました。その時、それを担ったのは、「新左翼」などとも呼ばれる諸党派、また「全共闘」といった人の集まりでした。それらは多様で、統一もとれておらず、厳しい内部対立もあり、それが後の運動の退潮の一因にもなるのですが、日本共産党を敵視することでは一致していました。そこでそれらと、日本共産党とそれに関わる学生組織の側が、対立することになります。そこには日本と米国の関係や帝国主義の理解を巡る対立といったものもあったのですが、学問や教育、医療や福祉といった領域においては、前者(「新」左翼)の方が、従来の学問等々に対してより懐疑的・批判的であり、「改良」では手ぬるいとし、ときに「解体」を叫んだりしました。(ときに自らが専門家でありながら)専門家支配を反省したり攻撃したりしました。心理学、精神医学等の学会に一時期存在した「学会改革」もそういう流れにあるものでした。
 もちろん日本にあっては、これら「左翼」はいずれも社会全体の中では少数派でした。ただ、福祉や教育の領域では、革新政党、そしてその一部である日本共産党側の勢力が一定の力をもっていました。とくに障害者福祉・教育の領域では、大学の研究者、教育者、そして福祉や医療関係の仕事に就く人、そして家族などが関係する全国的な組織が相当の影響力をもっていました。そしてそちらの側は、1979年の養護学校義務化の際、政権側の保守政党と基本的には同じく賛成の側にまわりました。そこにはもちろん当時の障害児教育の貧困を踏まえ、その改善がいくらかでも見込めるという判断もあったでしょう。また、マルクス主義のある部分にも含まれている人間・社会の進歩への信頼ともつながる「全面発達」という考え方を前面に出しました。その当人にあった環境を用意し、専門家の科学的で適切な助力によって、潜在的な能力を可能な限り開花させ向上させるのがよいと主張します。
 それに対して、別の人たち――他のことでもこの党やその関連組織と対立していた人たち、また政治的な争いから離れた人や、最初から嫌いな人たち、また政治的な争いには無関心な人もいました――は、養護学校義務化を、障害者の健常者社会からの隔離であり差別であるとして、反対しました。普通学校への修学運動はそれ以前からありました。私の知る限りでは、1967年に当時26歳の脳性まひの人が地域の小学校への就学を求める運動をし1970年に実現させます。各地で普通学校・普通学級への就学をめざす小さな集まりが現れるのは、1971年、1972年あたりからです。それには、先述した学会改革に関わってもいた大学教員も関わっています。また、1976年に結成された障害者の全国組織「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」といった組織が義務化に強く反対しました。また、義務化後の1981年には、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」が結成され、各地の就学運動をつなぐ役割を果たすようにもなりましこた。この組織は今も活動を続けています。
 ちなみに私が大学に入学したのはその1979年という年でした。大学の学生自治会の大会でこの問題が争点になっていました。当時、まだ相当数の大学自治会では、大きくは上述の2つの勢力の間で主導権争いのようなものがあったのです。それでこの主題が大会の議案の一つになっていたわけです。ちなみに私は、その時「隔離反対」の立場に立つことにし、それは基本的に今でも変わりません。そのために私の報告にいくらかのバイアスがかかっていることがありえます。公平のためにそのことをお知らせしておきます。

どんなことが言われたか

 さて、なぜ、わざわざ一つの国の、その国の当事の人々の多くは知らなかったし、現在ではさらに少ない人しか覚えておらずまた知らない話を、ここでしたのかです。対立、とくに政治的な対立には、ときに対立のための対立といった事態も生ずることがあり、しばしば消耗なものです。ただ、同時にそうした対立は、ときに主張を深化させ、問題の全体、その可能性を示す、すくなくともそのように読むのことできるものであることがあります。
 この問題については、多くの人が、「両方が大切」が答であると思われると思います。つまり、隔離されないことは基本的に正しいことであり望ましいことであるとした上で、一人ひとりの能力・学力を高めることもまた大切であろうと、だから両方を追求することそして両者のバランスをうまくとっていくことが大切である、それが答ではないかと。私自身もほぼそう考えます。基本的に異論はありません。
 ただ、ことはそう簡単ではないようにも思います。2つの大切なものはそう簡単に両立するものなのか。そして各々を、なぜ、どの程度大切にするのか。そういった問いは残ります。すると、じつは相手の言うこともわかりながら、「あえて」片方の極端な立場を取った人たち、その立場を貫いた人たちが言ったことについても考えてみるのもよいことであるように思うのです。
 この主題について、1970年代の後半から、日本ではかなりの多くの書籍が刊行されています(日本語で恐縮ですが我々のサイトにその一部のリストや年表などがあります)。また養護学校義務化(反対運動)のを大きなきっかけとして1978年に発刊され、この主題を年に1回は特集し続けている『季刊福祉労働』といった雑誌があります。機関誌なども多くあります。そこで何が言われているかです。
 「どの子も地域の学校で」という標語が掲げられます。「共に学ぶ」という言葉が多用されます。「共生・共育」という言葉もあります――日本語では「教育」の「教」の字と「共生・共育」の「共」の字は同じ発音をします。学校を生活の場であると捉え、勉強ができるようになることよりも、自分でできることが多くなることよりも、そこで障害をもった子と持たない子が出会い、暮らすことの方が大切であると言います。
 また、『反発達論』(1977年)、『知能神話』(1980年)、『「早期発見・治療」はなぜ問題か』(1987年)、『治療という幻想』(1988年)といった題の本が心理学の研究者や学会編の本としてまた医師が書いた本として出されます。それらのかなりの部分では、論敵として、今記してきた「賛成派」の学者たち――その人たちはまた特殊教育や障害者福祉の学会の中心的な人物でもありました――の説が引かれ、かなり立ち入った検討・批判がなされています。
 そして1986年と1989年には「0点でも高校へ」という副題をもつ本が1冊ずつ出ています。これらは障害児の親が書いた本です。身体障害の人たちが普通学校に行くのはだんだんと認められるようになります。養護学校の小学部・中学部に、そして普通の小学校・中学校に行く人も増えていきます。そうした時に高校に行こうと、そして入学試験は0点でも高校にという主張が出てくるのです。ここでは、しかるべき支援があればこの子は勉強ができる、できるようになるのだからという論の立て方はなされていません。勉強ができなくても、できるようにならなくても、高校へという主張がなされます。

障害学との関係

 障害学会といった学会に関わる人の中で、実際にその運動にどこまで関与したかは様々であり思いの強さも様々でしょうが、また学会員の中にはほとんど今述べたようなことを知らない人も相当するいると思いますが、それでも、「共生・共学」の方に賛同する人が多いだろうと思います。代表的な著作としては、この学会の理事も務めている堀正嗣の大著『障害児教育のパラダイム転換――統合教育への理論研究』(1994年)があります。
 まず障害学は、英国でも米国でも――とくに英国についてはそう言えるのだろうと思いますが――障害者の社会運動と強く結びついて興ってきた学であり、基本的に反差別、反隔離の運動に結びついています。隔離に対して統合を対置します。とすると、教育の場を分けることにも基本的には反対することになります。ただ、言語的・文化的少数者として捉えることのできる障害者、とくにの聾者、その学校・コミュニティとしての聾学校については別途の議論、主張があることについてはみなさん御存知だと思います。
 そしてそれは、専門家支配を批判し、本人を中心に据えるべきことを主張します。家族、とくに親、そして医療や福祉や教育の専門家が中心になって活動を進めるのは、さきに記した「義務化賛成派」の団体に限らず、旧来の障害者関連の団体において一般的なことでしたが、それに対し、1970年代以降、本人を中心に据えた運動・組織が現れてきます。さきにあげた全障連そして脳性まひの人たちの組織である青い芝の会といった組織がそのような組織でした。実際には「義務化反対派」にも教育者や医師など非障害者はずいぶん含まれているのですが、その人たちにしても、まず本人たちの主張を聞こうとはしました。
 そして、その障害者運動・障害学の中心には、問題を自分の問題、自分の身体(もちろん知的能力を含みます)の問題としない、社会の問題とするのだという主張があります。「できること」に価値を与え、またできることが実際に有利に作用するこの社会において「できないこと」としての「障害」を有する人が困難を抱えてしまうという認識があります。その基本的な主張は、自分でやれないなら自分でしようと無駄な努力をすることはない、街を改築するにせよ、機会を使うにせよ、あるいは人の手を借りるにせよ、そうすればよいというものでした。このことからそれは「共育・共生」の主張により近いことになります。

何を問うことになるか+私見

 しかし、教育という場所は、普通、基本的にそういう場ではないものと考えられています。例えば、小学校・中学校の教師を長く務め、また「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人を務め、多くの著書・編者でもある北村小夜は、視覚障害者の点字による受験が正当なものであるとするなら、知的障害者が他の人の頭を借りて受験してなぜいけないのだと問うたことがあります(このエピソードは拙著『私的所有論』にも出てきます)。しかし、もちろん、試験というものが、その本人の、知的能力を測るものである以上、他の人の知的能力を借りてはならないということにはなります。ただ、すると次に、なぜ、その人はそこでその自らの能力を測られ、そしてその結果が何かの可否につながるのか、それでよいのかという問いが続きます。
 日本での思考・主張は、ともに体制に批判的でありながら、(「正しい」意味での)発達と教育を主張する側と、その真剣さと善意とを認めつつなおそれを懐疑する側の間の確執があったことによって、能力について、非−能力としての障害について、能力を高めることについて、これから私たちが考えていくための手がかり――答ではないと私は思っています――を与えているのではないか。私はそのように考えています。

 では、私自身はどのように考えるのか。それは長い話になってしまいます。ただ、いくつか、その根拠を省いて、手短かに列挙できることもあるだろうと思います。
 1)できることによって本人が益を得るようにたしかにこの社会はできている。だから事実、できるようになることは本人に益をもたらす。しかし、そのことに原理的な正当性はない。
 2)できるようになることは、社会にとっては必要でありよいことである。しかし、1)の社会の現状を離れて考えていくと、できること・できるようになることは、本人にとっては、私たちがすぐに思うほど、当然にそしていつもよいことではない。そしてとくに、できることが確かによいことであるとしても、そのために本人が支払うものがなんであるのか、双方を天秤に乗せたらどうなるのか、そのことに注意するべきである★02
 3)様々な人が存在して暮らしていることをたんなる知識としてでなく経験していることは、ときに、他のことを学ぶことより大切である。誰と教育を受けるか(誰とは受けないか)を選ぶ選択の権利は絶対的なものではない。この点で「共育・共生」派が主張したことには理がある。
 4)教育は否定されないし、本人に合わせた教育も否定されない。必要であり、有効であることがあり、なされるべきである。ただそれは、上記1)〜3)を踏まえながらなされるべきである。
 しかし、現実には、教育という装置は1)と2)を見えなくさせる装置として機能してきたところがある。また、本人のためという理由によって、その存在が煩わしい人たちが、その人を遠ざけ、別の場に遠ざけることがなされてきた――これは3)に反する。すくなくともこれらについてより自覚的である必要かある。

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■注

★01 ここは国によって事情が違っているようです。米国であれば、エド・ロバーツといった人はカリフォルニア大学バークレー校の学生であったわけで、そこで運動を始めました。韓国では、ポリオなど比較的軽度の人――エド・ロバーツもポリオでしたが、彼の障害はかなり重かった――が大学まで進み、当時の学生運動の主張や方法を採り入れていくといった経過もあったと聞いています。日本で大学出の運動家が一定の割合を占めていくのは1980年代以降ではないかと思います。軽度の障害の人は多数派の社会に同調しようとする傾向が大きい(そして実際ある程度可能である)ということで、運動の前面に現れることはむしろ少ないのかもしれませんが、他の重度の人たちがまだ活動しにくい状況において、また学生運動が大きな力をもっている中でその中にいてその力と知恵を得た人がまず活動の前線で戦ったというのが韓国で起きたことなのかもしれません。
★02 このことについては、立岩「ないにこしたことはない、か・1」(石川准・倉本智明編『障害学の主張』、明石書店、2002に収録)等。

cf.テグ大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%82%B1%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%A0%A1


UP:20090106 REV:20110204, 20141224
障害者と教育  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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