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障害者運動/学於日本・8――「生命倫理」との関わり

立岩 真也 2010/08/30
[English][Korean]

/ 8/


cf.
◆Tateiwa, Shin'ya 2009/12/01 「Bioethics: Sharing Japan's Masterpieces with the World」, 『Japanese Book News』62 [Japanese]

 基本的に私は以下のように考えている。

 「生命倫理学において争点を形成している主題の多くには障害が関わっている。多くの技術は人間の性能・能力(ability)に関わっており、すなわち障害(disability)に関わっている。障害の視点から生命倫理を問題にするとは、生命倫理総体を問題にすることにほぼ等しい。」(立岩[2007])

 実際、障害学は所謂「Bioethics」の諸主題を重要なものと考え、取り組んできた★01。そして、所謂「Bioethics」と日本で考えられてきたこととの関係については、いま冒頭部分を引用した立岩[2007]○にいくらかを記した。ただこれは日本語版しかない。上記した、この主題で日本で刊行され翻訳されることが望ましい本を挙げた文章(国際交流基金が発行している英語雑誌『Japanese Book News』に掲載された)に、短くではあるがいくらかのことを記したので、まずはそれを読んでいただきたい。そこには以下に記すことに関係する主題について英語の書籍として出版された加藤雅枝(Masae Kato)★02の Women’s Rights? The Politics of Eugenic Abortion in Modern Japan(Kato[2009]○)も挙げてある。以下では、この主題についてなにかまとまったことを述べる――私については、それらはいくつかの著作において行なってきている★03――というより、いくつかのできごと、挿話を記しておく。

1970

 [1]でも脳性まひの障害をもつ子ども――2歳の女児だったそうだが、どの程度の障害をもっていたのかは知らない――の殺害への減刑嘆願運動への反対運動が障害者運動の転換の時にあったことを述べたのだか、この運動についてかつて次のように書いた。

 「この主張は従来欠落していた部分を指摘するが、人権の擁護という観点からそれなりに理解されないのではない。だが障害を持つ存在を否定するなという主張はここにとどまらない。七三年五月、障害を理由に堕胎を許容する条項を含む優生保護法改定案が国会に上程されると[…]」(立岩[1990:176]○)

 つまり私は、問題が出生前診断・選択的中絶[English])ということになると、生殖に関わる自由(reproductive freedom)とのかねあいの問題が出てきて問題は難しくなる――実際、このことをめぐって女性たちと障害者たちとの間に齟齬もまた生じたのだった――のだが、「殺すな」は自明のことであり、そこには倫理的な是非の問題は存在しない、我々の価値・規範の内部にある、そんなことをこの文章で言っている。ただ、御存知のように、障害をもつ新生児・子どもを、本人の意志――むろん多くの場合それを聞き取ることはできない――ゆえにというのではなく、殺してかまわないという主張がある。そのような主張をしている人としてよく知られているのはPeter Singer [Japanese]であり、彼がドイツで講演をした時に反対運動に会い、それに対する不満を述べている――日本語に訳されている(Singer[1991=1992]○、市野川[1992]○)――文章があったり、また、米国の大学に就任した際、安楽死に反対する障害者の組織「Not Dead Yet」★04が抗議運動を行なったといったことも知られている人である。そのことを思うと、ここまでは当然のことである(がそのさきに難しい問題が現れる)とも言えないのだろうとも思える。

1970's〜1980's

 優生保護法 (Eugenics Protction Law)――その法律は、実質的には人工妊娠中絶全般を許容する法として機能していたが、その第一条には「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。」と明記してある――の改定反対の運動があったことは[1]でも述べた。
 1970年頃には改定を目指す動きと反対の運動は既に始まっていたのだが、1972年に胎児の状態によって中絶を認めるとする条項を含む改定案が上程され、1974年に廃案になるまで反対運動が続いた。また、1982年には、「経済的理由」による中絶を認める条項を削除する改定案が提出された時にも反対運動があった。この時も改定はなされなかった。また、例えば兵庫県では1966年から「不幸な子どもの生まれない運動」が始まり、69年には衛生部に対策室が置かれた。73年から74年に抗議を受け、一部事業や対策室の廃止、名称変更がなされた(兵庫県における運動とその運動への抗議行動について松永[2001]○)。
 女性たちの運動は基本的には生殖に関わる自由(reproductive freedom)を擁護しようとするものだったが、障害者たちには出生前診断・選択的中絶に疑問をもつ人たち、反対する人たちがいた。そこにはなかなか一致しない部分もあったが、その間で議論はなされ、女性たちの中でも生命の選別につながる技術を肯定しないという立場を明確にしたグループも存在した。例えば、この時期以降生殖技術について議論し社会に訴える活動を続けているSOSHIREN[Japanese]にはポリオによる下肢障害をもつ米津知子(1948年〜)もいて、障害をもつ女性として思考し行動した。
 そうした運動において「優生保護」を第一の目的におく法律そのものをなくすことが目指されたのだが、それはなかなか困難なことに思われた。だが1994年、カイロでの国連国際人口開発会議で、骨形成不全の障害をもち私たちの本『生の技法』[Korean][English])の共著者の一人でもある安積遊歩(1954〜)が、女性障害者の子宮摘出問題と優生保護法を告発する。国家は国際的な評価を気にする。そんなこともあって優生保護法は廃止され、母体保護法に変わった。(cf.齋藤編[2002]○。)

2002

 こうした運動や議論を受け止めて書かれた書物として森岡正博[English]『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』(森岡[2001]○)がある。また私は『私的所有論』(立岩[1997]○、[English])第9章で考えてみた。それが翻訳されるなら、その時に論じられたこと、私が考えたことを知ってもらうことができるろう。
『世界の障害者 われら自身の声――第6回DPI世界会議札幌大会報告集』表紙  ここでは一つのできごとだけを記しておく。2002年10月、DPI(障害者インターナショナル)――1981年結成、結成前後とそれからしばらくについてDriedger[1988=2000]――世界大会が日本の札幌であった。112の国・地域から参加があったその記録が公刊されている(DPI日本会議+2002年第6回DPI世界会議札幌大会組織委員会編[2003]○、以下数字はこの本の頁を表示)。11の分科会の中に「生命倫理」の分科会もあった。本ではこの分科会について約50頁の記録がある。この分科会に4つの集まりがあった。遺伝学と差別/生命倫理と障害/QOL(生活の質)の評価/誰が決定するのか。
  カナダ障害者協議会(の国際開発委員会の委員長)S・エスティの報告に次のような部分がある。「地元に一人しかいない健康保健学の教授が、病院の倫理委員会のメンバーに任命され、いくつかの教育訓練コースを受講し、生命倫理学者を名乗る場合もあります。」消費者・障害者でなく、医療とケアの専門家、「学術的関心」をもつ者が「生命倫理学者」になり、「その結果、「能力主義」が生命倫理の定義となり、医療モデルとして語られていくのです。」(p.275)「私は、倫理学者が病院の倫理委員会に含まれているのを知って、ショックを受けた。この委員会は、医者が治療をやめ、患者の死を幇助するのを認めている。[…]倫理学者が倫理委員会に加わり、これらの患者への医療サービスあるいは患者の生そのものを否定する方法論によって、死刑執行産業の設立を基本的に支援することになっている。」(p.276)そして(今ある)生命倫理に抵抗する別の生命倫理を示していくことが呼びかけられる。
  こうして安楽死にも言及されるが、より多くの時間話し合われたのは遺伝子検査、出生前診断のことだった。日本からは米津知子や安積遊歩等が発言した。マルティナ・プシュケはドイツでの「私たちは着床前遺伝子診断に参加しない」と呼ばれる運動を紹介した(pp.262-263)。
 他にも、それぞれは短いのだが、様々な主題、論点が示された。クリストファー・リーブ――頸椎損傷で首下が麻痺した「スーパーマン」の俳優で、どうしても回復するという堅い信念をもっていたことにより全米で人気があり、同時に少なからぬ障害者には不評な人物――が支持するES細胞の利用について(p.244-245)。ろうの親がろうの子が生まれることを望んで技術を利用することについて(問われた2人は反対だと答えた,p.248)――この主題について書かれた文章に長瀬[1997]がある。障害をもって生まれてきたのは医師の過失だと本人や親が訴えるロングフル・ライフ、ロングフル・バース訴訟について(p.236,268-269,287)。2人の筋ジストロフィーの子どもがいて「このような苦労を二度は経験したくありません」(p.254)という日本の男性の発言を巡る議論(p.254-256)、等。WHOとユネスコの対応の違いについて述べたりもしている(p.267,281-282)
 DPI札幌宣言(DPI[2002a]○)にはとくにこれらの主題についての直接的な言及はないのだが、DPI札幌綱領(DPI[2002b]○)には「生命倫理」の項目があり、以下のように記される。

 「私たちは遺伝学や生命倫理の議論で主要な役割を果たすべきである。私たちは異なったままでいる権利を主張しなければならない。「人間」の能力を1セットの揃いでみる概念やそれに関連した議論を私たちは否定しなければならない。学問の領域において、肯定的な視点から障害のイメージを変えようとしている障害学を推進しなければならない。」

 分科会で出された声明はさらに踏み込んだものになっている。

 「私たちには違ったままでいる権利があり、障害を根拠とする出生前選択は行うべきではない。[…]パーソンという概念は能力とは関係ない」(p.250)、「選択的中絶は、リプロダクティブ・ライツの中に入らない」(p.289)、等。
 そして、この分科会でG・ウォルブリング(Gregor Wolbring)★05は次のような発言を残している。

 「子どもをもつ権利と、特定の子どもをもつ権利とを分けて考えることが必要だと考えてきましたが、それを説明するのに非常に苦労しています。私のような考え方をする人は、北米では少数派だと感じています。今回、前の米津知子さんの発表を聞いて、彼女も私と同じ考えであることがわかりました。」(p.283)

私たち

 私(1960年生)の世代は、[1][2]/にすこし記した動きから10年から20年遅れてきたから、その前半については直接には知らない。書かれたもので知ったり、話を聞いて知ったり、またその後、1980年代以降の動きをいくらか知ったり、ある人たちは、その社会運動なるものにいくらか関わったりしてきた。学生のときに、普通学校・学級への就学運動といったものを知った人、いささかの関わりのあった人もいるし、とくになにもなかった人もいる。とくに「学問的」な、ということでは必ずしもなかったりするつながりから知ったり、考えたりしてきた。さきにもふれたように「介護」に関わった人もいる。あるいは、むしろ研究を始めてから、読んだり聞いたり、また集まりに呼ばれたりして、組織や人を知った人もいる。
 大橋由香子斉藤有紀子玉井真理子柘植あづみ松原洋子といった人たちは、さきにあげた「阻止連」→「SOSHIREN」といった集まりに直接に関わった人もいるし、主体的に関わったというのでないにしても、その集まりやそのメンバーの関係があったりした。また、小松美彦土屋貴志市野川容孝といった人たちも、ものを書く前に、あるいは書き始めてから、人や人の動き・主張を知ることになった。さきにあげた森岡[2001]といった著作もその一つである。そして私もそのような人たちの一人ではある。
 研究者として、生命倫理の問題を障害者の主張・運動との関わりで、すくなくともそれをいくらかは知りながらで論じることは、この国で、比較して他よりは多くなされてきたのではないか。いくつかの運動があって、それを受けたりそれに関わったりしながら書かれてきたことがあり、それなりの蓄積がある。それらをみな一括りにすべきではなく、その評価は個々になされるべきだろうが、生命倫理に関わる研究、文章の全体の数自体が多くはない中で、障害者の運動・主張を受けて書かれたものが相当の数ある。それらの紹介もまた別のところでしたいと思う。

[英語版では略]

★01 日本語訳のある障害学の本における記述の紹介として以下。
 「マイケル・オリバー『障害の政治』は英国の障害学の著作としてよく言及・参照される本だが、中絶法(the Abortion Act, 1967)に言及した箇所がある。「中絶の決定は二人の医師の手中に収められることとなった。はじめは障害とハンディキャップを定義することの難しさについて議論がなされるが、最終的には[医師]個人の私的な判断にもとづいて中絶の決定がなされるだろう。しかし、その医師は、どのような訓練を受けたとしても、彼らが健全な心身をもつ個人のイデオロギーの拘束から逃れることはできないのである。」(Oliver[1990=2006:106-107]○)
 そして次の二つの文献を引用している。
 「障害者が優生的中絶を正当なものであると認めるならば、そのことによって自らの人生の価値を傷つけることになるということは、一般的に一致した意見である。」(Graham Monteith[1987:38]○)
 「もし健常者社会において障害をもつ人々が権利を有する対等な人間であると承認されるなら、スクリーニングと中絶が社会に利益をもたらすという考えや、ハンディキャップをもった人は社会のために早めに殺されたほうがよいとする考えは破棄されなければならないだろう」(Davis[1987:287]○)
 次にやはり英国で障害学のテキストとして出されたバーンズ他『ディスアビリティ・スタディーズ』
 「つい最近の欧州における障害者会議において、障害者インターナショナル(DPI)が作成した基本的人権の一覧(DPI[1982]○)に、”生きることの権利”や”親になることの権利”を含むべきだとの勧告があった(CSCE[1992]○)。なぜこのような権利が障害者にとって差し迫った問題になっているのだろうか。」(Barnes et al.[1999=2004:286]○)と始まり、中絶、安楽死、新しい遺伝学についてのいくらかの記述があり、障害胎児の中絶について、先に引かれたのと同じディヴィスの、1989年の文章が引用される。
 「多くの障害者にとって、このようなことはインペアメントのある人々に対する一般の人々の敵意のあらわれと感じられる。二分脊椎者または脳性麻痺者は、このような理由に基づく中絶を容認するような社会的傾向によって、自分たちの価値がおとしめられていると感じる、あるいは恐怖を感じるようになっている。障害者の生まれる権利を否定する一方で、生きている障害者の平等権を正当化するのは無理がある。「もし、胎児が特定の状況にあるために、殺すのが正しく適切だと決定されるのなら、なぜその胎児と同じ状況にある人々が、単に年齢を経ているというだけで、権利を認められるのだろうか」(Davis[1989:83]。」(Barnes et al.[1999=2004:288]○)
 その「学」と、そこでなされている議論がどの程度のものとして認知されているのか、それもよくはわからない。ただ、主張が取り上げられ、主題的に論じられることもないではない。例えばBuchanan et al.[2002]○では、「障害者の権利擁護派」の議論が紹介され、それを批判して遺伝子介入・積極的優生学を擁護しようとする(この議論をさらに検討し、批判しているのが堀田[2005]○)。
 たぶん、議論になることは、無視されることよりはよいことではある。そして、議論が始まった以上は続けるのがよいのではあろう。私たちもまたそこに参加するのがよいのかもしれない。たとえば先に紹介した2冊での記述については、すぐさま、「いや障害者に敵意は持っていない、否定はしていない」といった反論があるだろうが、さらにそれに返す言葉はある。しかしそれに対して今度は「やはり障害はない方がよいではないか」などと言われる。するとそれについて考えることになる。ここではその検討・考察は行なわない(立岩[2002b]で、いくらか、行なった)。ただ、学問は論理が勝負を決めるとはいえ、その社会における大勢というものがあり、めったに疑われることのない価値があり、それに乗っている立場に対するのは、ときに疲労を伴う。
 世界に批判は存在してきたし、存在している。ただ、同時に、そのことが言いにくいそうではあるように思う。例えば英国でも、出生前診断について批判的な言辞が表に現れるのは、そう以前のことではない。田中耕一郎は、英国と日本の障害者運動の歴史(の並行性)を記した著書の一部で、優生保護法に対する青い芝の会、全国障害者解放運動連絡会議(全障連)の主張に簡単にふれた後、英国での議論を短く紹介している。
 「イギリスの障害者運動において、比較的早くからこの優生問題を論じたきたモリス(Morris[1991]○)は、イギリスにおける障害胎児の中絶が障害者運動内部においても最近まで重要な問題として取りあげられてこなかった理由の一つとして、イギリスの個人主義の伝統によって、障害児の養育が伝統的にパーソナル・コストとして捉えられてきたことをあげている。」(田中[2006:179]○)
 なかなか難しい。その感覚が共有されうる場があると、それが表出される。次に紹介する場はそんな場だった。」(立岩[2007]○)
★02 オランダ在住の日本人で、ライデン大学アジア研究所所属。本文に記した著書の他、 「障害を持つ人達への不妊手術――個人主義の中の「優生」?」(加藤[2003]○)、「オランダにおける中絶と選別的中絶」(加藤[2009]○)等の論文がある。
★03 本文で後に記す出生前診断・選択的中絶についての章を含む著書の他、安楽死・尊厳死についての言論を検証し、考察している『良い死』 [English](立岩[2008]○)、『唯の生』 [English](立岩[2009]○)等。
★04 以下のように日本の人たちに紹介してきた。
 安楽死「反対派の重要な一翼をになっているのは、障害者のグループ、団体である。書籍等でそれをきちんと紹介しているものを私は知らないが、ホームページでは以下がある。
 International Anti-Euthanasia Task Forceそして、Not Dead Yet。前者は「反安楽死国際対策本部」、後者は「まだ死んでないぞ」という米国の草の根のグループ。これらも当方のホームページからリンクされているし、その内容の一部の日本語訳を置いてある。かなり詳しい情報がある。ヘムロック協会やキヴォーキアンに対する具体的な批判もある。そして、自己決定を強力に主張してきた集団が、安楽死には反対する。その意味を考えることが、安楽死を考える上でもっとも基本的なことだと私は考えている。」(立岩[2001-(4)]
 2001年2月に放映されたNHKの番組で安楽死の問題が取り上げられ、私はコメンテーターとして発言した。きわめて限られた時間の中で「4月号に記した米国の障害者団体のホームページを紹介して、その部分を問題にしている人たちがいることはなんとかつけ加えた。反対派というとすでにカトリックなどの宗教勢力が持ち出されるが、影響力の大小はともかく、他にも批判はあり、それは病や障害に関わる価値のあり方、社会のあり方を問題にした。それは同じ号に著書を紹介したヘンディンのように自殺を求めることを精神病理として見るのとはまた異なる立場からの主張である。」(立岩[2001-(6)]
 「安楽死に反対する人たちは外国にはいないのかといえば、そんなことはない。そして反対者はカトリックなどの宗教的生命尊重主義者たちに限られるかと言えばそんなこともない。例えば米国には『まだ死んでない(Not Dead Yet)』というホームページがあり、次のようなことが書いてある。《障害をもつアメリカ人は、あなた方の憐れみもいらないし、私たちを死に追いやる慈悲もいらない。私たちが欲しいのは自由だ。私たちが欲しいのは「生」だ。》。また探してみると、「反安楽死国際機動部隊(International Anti-Euthanasia Task Force)」などという組織もあるらしい(私のホームページですこし紹介している)。
 こうした組織がどれほどの規模のものなのか、またどのくらいの影響力があるのか私は知らない。大きな組織だとは思えない。論文や書籍で紹介されているのを見たことはない(そんなわけで私は、二〇〇一年二月、NHK教育テレビ〈人間ゆうゆう〉の「安楽死法成立・あなたはどう考える」という回に呼んでもらった時、こうした組織のことを無理やり、短い時間に押し込んで話した)。ただ、生きたい人はどこにでもいるということだ。日本で生きているALSの人たちは外国の会議に出かけていって、そのことを言ってきた。」(立岩[2004:341)
★05 1962年ドイツ生まれ、カナダ在住の生化学者、世界サリドマイド者連盟の設立者の一人、「生命倫理と障害」国際ネットワークの主宰者、カナダ障害学研究所副所長。日本語に訳されているものとしてWolbring[2008]○。また、2002年10月19日、障害学研究会関西部会[Japanese]第16回研究会で報告を行なってもいる。

■文献→別頁

*関連英語文献
◇Morita, Kazuyo 2001 "The Eugenic Transition of 1996 in Japan: from law to personal choice" Disability & Society 16-5:765-771
Tsuchiya, Takashi October 31, 1997 "Eugenic Sterilizations in Japan and Recent Demands for Apology: A Report", Newsletter of the Network on Ethics and Intellectual Disability 3-1(Fall 1997):1-4


UP:20100817 REV:20100821, 26
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇障害学
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