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まずは少し自己紹介

唯の生の辺りに・1

立岩 真也 2010/05/01 『月刊福祉』93-7(2010-5):60-61
全国社会福祉協議会 http://www.shakyo.or.jp/

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◇私がしていること

  これから一年、続きものを書かせていただくことになった。私は社会福祉の学界・業界にいる者でもなく、社会学をやっていて、御存知ないのは当然のことだから、まずはすこし自己紹介を。
  何をしているか、どんなものを書いているのかについては、名前で検索すると出てくるHPをご覧ください。一九六〇年佐渡島生。単著が七冊、共著が七冊。最近、この三月の刊行が、共著で『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(青土社)。そして監訳書ということでトマス・ポッゲ『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』(生活書院)。二〇〇九年は『唯の生』(筑摩書房)、共著で『生存権』(同成社)、『税を直す』(青土社)。二〇〇八年には『良い死』(筑摩書房)、共著で『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(生活書院)。
  務めているのは京都にある立命館大学の大学院。先端総合学術研究科という名称のところ。二〇〇三年開設。そのために、その前の勤め先だった信州大学医療技術短期大学部(松本市)を辞して、二〇〇二年にこの大学にやってきた。学部はなく大学院だけの大学院。一学年の定員は三〇人。基本は五年一貫の博士課程ということになるが、このところ、他の修士課程を終えて三年次入学でやってくる人の方が多いぐらいだ。また二年の前期課程を終えて修士号をとって卒業する人もいる。さまざまな人がいるのだが、開設以来、病い障害系などと自嘲気味に括っている、そういう関係の人が多い。一つの種類としてはいわゆる社会人。専門職・資格職者としては看護師、医師、作業療法士、精神保健福祉士、…。現場で働いている人もいるし大学等の教員もいる。民間組織で働いている人もいる。事業所を経営している人もいる。年齢もばらばら。「中高年」の人たちも多い。
  もう一つ、「本人」が、他と比べれば、多い。視覚障害を有する大学院生は今年度一人減って一人増えて六人、車椅子の利用者が四人とか(+教員で昨年事故にあったという人が一人)。そして、精神障害とか発達障害とかの診断名の付いた人、付きそうな人たちも、これはどこでもそうだろうが、多い。制度上「障害者手帳」の対象にならない人も、手帳をもっていても文部科学省の予算による大学の支援の対象になっていない人も――どうやら精神障害はそういうことになってしまっているらしい――いる。脳性まひとか馴染みのある障害の人もいるし、SJS(スティーブ・ジョンソン症候群)だとか、CRPS(複合性局所疼痛症候群)だとか、そんな人が入学してきて不勉強な私は初めて知ったというものもある。そしてもちろん、その他もろもろ雑多な人がいる。

◇卓越した拠点?

  なぜこんなことになってしまったのか。それはまたそのうち、ということにして、そんなこともあったので、今私たちは、正式名称としては〈立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造〉という、長い名前の研究企画を二〇〇七年度から始めている。五年もので、二〇一〇年度は四年目ということになる。「COE」は訳すと「卓越した拠点」ということになってしまうのだが、文部科学省が選定する。全国で一四〇あるようだ。数としては自然科学系がずっと多い。大きめの予算を出すから研究業績をあげなさい、とくに大学院生の業績を増やしなさいということになっている。実際には私たちの拠点の予算は、慎ましやかな額で出したらさらに大きく値切られてしまって少ないのだが、大学の支援を受けてまあなんとかやっている。私はその拠点リーダーという役をしている。関係する教員が他に一六人いる。政権交代その他で、このCOEというもの、「二一世紀COE」の五年の後、「グローバルCOE」(私たちはここから)の五年は続くが、その先はないという観測もある。ただ、COE採択の前からも含め、ここまでやってしまっているので、「そういう種類」の大学院生が一定入ってくる限りは、続けていくことになるだろう。

◇医療現場への問い

  その教員・院生の仕事はHPでご覧になれる(「生存学」で検索)。また雑誌『生存学』がある。第二号がこの三月に出た(生活書院刊)。そしてもう一つ、『現代思想』(青土社)の三月号の特集が「医療現場への問い――医療・福祉の転換点で」。「病苦、そして健康の影――医療福祉的理性批判に向けて」を寄稿している小泉義之(哲学)と「家族の余剰と保障の残余への拘留――戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産」の著者の天田城介(社会学)が研究科の同僚であり、またCOEのメンバー(事業推進担当者)。「人工内耳は聴覚障害者の歌を聴くか?」を書いた上農正剛がこの研究科で昨年博士号を取得した修了者(現在九州保健福祉大学教員)。そして、性同一性障害の本人でもあり、その関係の医療過誤裁判の原告でもある、こちらの院生でこの四月から日本学術振興会特別研究員でもある吉野靫が「ヒポクラテスの切っ先」を書いている。また「医療的ケアに踊る――ALS−D 08−10」の著者の岡本晃明は京都新聞の記者だが、こちらの大学院生たちとALSの人の支援に関わっている。私は「「医療的ケア」が繋ぐもの」という題になったインタビューを医師の杉本健郎さんにしている。今回はこんなところで。次回からはなにか中身のあるお話をと思う。


 
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■送った原稿(分量圧縮前)

  これから一年、続きものを書かせていただくことになった。私は社会福祉の学界・業界にいる者でもなく、社会学をやっていて、御存知ないのは当然のことだから、まずはすこし自己紹介を。
  何をしているか、どんなものを書いているのかについては、名前で検索すると出てくるHPをご覧ください。幸いなことにというべきか、同姓同名という人はいないようで、あまり面倒なことにはならない。一九六〇年佐渡島生。単著書が七冊、共著書が――編者が別にいてその分担執筆者というものを除き、共著の最初の本である『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』の初版(一九九〇年、藤原書店)と同書の増補改訂版(一九九五年)を二冊と数えて――七冊ある。最近、この三月に出してもらったのが、一つは齊藤拓との共著書で『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(青土社)。そして監訳書ということでトマス・ポッゲ『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』(生活書院)。前年の二〇〇九年に出してもらったものでは、『唯の生』(筑摩書房)、共著で『生存権』(同成社)、『税を直す』(青土社)。二〇〇八年には『良い死』(筑摩書房)、共著で『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(生活書院)。雑誌にいくつかの連載をもっていたりして、それらがだんだんと本になっていくはずである。
  務めているのは京都にある立命館大学の大学院。先端総合学術研究科という名称のところ。二〇〇三年開設。そのために、その前の勤め先だった信州大学医療技術短期大学部(松本市)を辞して、二〇〇二年にこの大学にやってきた。学部はなく大学院だけの大学院。一学年の定員は三〇人。基本は五年一貫の博士課程ということになるが、このところ、他の修士課程を終えて三年次入学でやってくる人の方が多いぐらいだ。また二年の前期課程を終えて修士号をとって卒業する人もいる。さまざまな人がいるのだが、開設以来、病い障害系などと自嘲気味に括っている、そういう関係の人が多い。一つの種類としてはいわゆる社会人。専門職・資格職者としては看護師、医師、作業療法士、精神保健福祉士、…。現場で働いている人もいるし大学等の教員もいる。民間組織で働いている人もいる。事業所を経営している人もいる。年齢もばらばら。「中高年」の人たちも多い。
  もう一つ、「本人」が、他と比べれば、多い。視覚障害を有する大学院生は今年度一人減って一人増えて六人、車椅子の利用者が四人とか(+教員で昨年事故にあったという人が一人)。そして、精神障害とか発達障害とかの診断名の付いた人、付きそうな人たちも、これはどこでもそうだろうが、多い。制度上「障害者手帳」の対象にならない人も、手帳をもっていても文部科学省の予算による大学の支援の対象になっていない人も――どうやら精神障害はそういうことになってしまっているらしい――いる。脳性まひとか馴染みのある障害の人もいるし、SJS(スティーブ・ジョンソン症候群)だとか、CRPS(複合性局所疼痛症候群)だとか、そんな人が入学してきて不勉強な私は初めて知ったというものもある。そしてもちろん、その他もろもろ雑多な人がいる。
  なぜこんなことになってしまったのか。それはまたそのうち、ということにして、そんなこともあったので、今私たちは、正式名称としては〈立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造〉という、長い名前の研究企画を二〇〇七年度から始めている。五年もので、二〇一〇年度は四年目ということになる。「COE」は訳すと「卓越した拠点」ということになってしまうのだが、文部科学省が選定する。全国で一四〇あるようだ。数としては自然科学系がずっと多い。大きめの予算を出すから研究業績をあげなさい、とくに大学院生の業績を増やしなさいということになっている。実際には私たちの拠点の予算は、慎ましやかな額で出したらさらに大きく値切られてしまって少ないのだが、大学の支援を受けてまあなんとかやっている。私はその拠点リーダーという役をしている。関係する教員が他に一六人いる。政権交代その他で、このCOEというもの、「二一世紀COE」の五年の後、「グローバルCOE」(私たちはここから)の五年は続くが、その先はないという観測もある。ただ、COE採択の前からも含め、ここまでやってしまっているので、「そういう種類」の大学院生が一定入ってくる限りは、続けていくことになるだろう。
  その教員・院生の仕事はHPでご覧になれる(http://www.arsvi.com、「生存学」で検索してください)。また雑誌『生存学』がある。市販されている。発売は生活書院。第二号がこの三月に出た。そしてもう一つ、青土社が出している『現代思想』という雑誌がある。その三月号の特集が「医療現場への問い――医療・福祉の転換点で」。「病苦、そして健康の影――医療福祉的理性批判に向けて」を寄稿している小泉義之(哲学)と「家族の余剰と保障の残余への拘留――戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産」の著者の天田城介(社会学)が研究科の同僚であり、またCOEのメンバー(事業推進担当者)。「人工内耳は聴覚障害者の歌を聴くか?」を書いた上農正剛がこの研究科で昨年博士号を取得した修了者(現在九州保健福祉大学教員)。そして、性同一性障害の本人でもあり、その関係の医療過誤裁判の原告でもある、こちらの院生でこの四月から日本学術振興会特別研究員でもある吉野靫が「ヒポクラテスの切っ先」を書いている。また「医療的ケアに踊る――ALS−D 08−10」の著者の岡本晃明は京都新聞の記者だが、こちらの大学院生たちとALSの人の支援に関わっている。私は「「医療的ケア」が繋ぐもの」という題になったインタビューを医師の杉本健郎さんにしている。今回はこんなところで。次回からはなにか中身のあるお話をと思う。


UP:20100415 REV:
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