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人間の条件→そんなものない

立岩 真也 2010/11/01
『バクバク』92:9-29


バクバクの会結成20周年記念総会,「今こそ“いのちを考える”人工呼吸器からつながる未来へ世界へ」,於:東京

*バクバクの会のHPに掲載されている記録(ほぼ同じ、だと思います。)
 http://www.bakubaku.org/20shuunen-kichoukouen-tateiwa-san.html

*以下でお話している、昔話を、という企画は実現し、公開インタビューの記録が2回にわたり『季刊福祉労働』に掲載されました。お買い求めください。  また、その企画の準備・録音データの文字化をすべて担当してくれた八木慎一さんが引き続き調査を進めており、その調査研究の結果の第一弾が以下に掲載されました。全文をお読みいただけます。

◇八木慎一 2012/03/31 「小児在宅人工呼吸療法の開始と普及において果たした親の役割について――『人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉』の活動の視点から」『Core Ethics』Vol.8:385-396 [PDF]

◇2011/07/27 公開インタビュー「人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉の成り立ちと現在」,於:立命館大学朱雀キャンパス
◇2011/12/25 「人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>の成り立ちと現在(第一部)」(公開インタビュー)
 『季刊福祉労働』133:8-31
◇2012/03/25 「人工呼吸器をつけた子の親の会<バイバクの会>の成り立ちと現在(第二部)」(公開インタビュー・司会)
 『季刊福祉労働』134:8-31

 ※以下からが掲載予定。立岩の発言部分以外はこれから手が加わることがあると思います。ということで草稿です。バクバクの会入会して機関誌送ってもらってください。なお講演?させていただいたのは8月1日でしたが、当日に合うせて、『人間の条件』の見本(たくさん)作ってもらって、会場で販売することできました。


*以下、いただいた「障害者運動とそのいのち観」という題名と違う話をしています。前夜の懇親会のベリーダンスにやられたから、ってわけではなくて、もっと「深い」わけで、空前絶後、絶不調でした。懇親会(ただただ楽しうございました&踊ってはおりません)の後の某所での酒・他でということもあり、自律神経もかんぜんいかれてました。すみません。穏土(おんど)さんから送っていただいた録音記録、しばらく怖くて開けませんでした。以下、すこし手を入れて、いくらかは正常化(ノーマライゼーション?)してます。
 話の中でも言ってますが、『人間の条件――そんなものない』読んでくださいませ。あと、障害者運動については、ずいぶん前に『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(安積・岡原・尾中・立岩、1990年、増補改訂版1995年、藤原書店)を書きました――「堅い」本ですけどいい本です。障害者運動(と障害学というもの)のことについては近々また書きますので(たぶん生活書院という出版社から出ます)、読んでいただければ、さいわい、です。すみませんでした。(2010.9.7 立岩記す)

とりあえず始まる

穏土:それでは、これから、基調講演に入らせていただきます。立岩先生には、昨夜もバクバクの会の交流会に出ていただいて、バクバクの会にひどい目(?)にあって、今日は壇上にお見えにならないのではないかと恐れていたのですが(笑)、今日は、ありがとうございます。立岩先生は、立命館大学の大学院の教授でいらっしゃいまして、生存学の研究をされているんですよね?

立岩:違うと思います。

穏土:違うと思います?(笑)…それでは、自己紹介ということで、講演の中でお話ししていただきたいと思います。立岩先生の講演のテーマは、「障害者運動とそのいのち観」なんですけども、きょう、出来立てホヤホヤの本を持って来ていただいて後ろに置いてあるんですけども、今日は、その本の内容とも絡めながらお話しして下さるということで、どうぞ、よろしくお願いいたします。

立岩:今、紹介をいただきました立岩と申します。
 ぼくは、書くものは非常に評判が悪いんですが、しゃべるときは、そんなに間違えてなくて、ちゃんとしたことを普通にしゃべれる、だいたい(笑)。ですけれども、今まで一回ぐらい間違ったことがあって、それが同じ会場〔オリンピック・センター〕だったんですけども〔「ケアする人のケア研究集会」、2001年10月〕…。たぶん、だから、ここは、鬼門なんです(笑)。今日は、ほんと、たぶん、何にもしゃべれない…感じがします。30分くらいでやめて、さっさと帰ります(笑)。なんでそうなのかというのは、この地が悪いのか…。それは…。いや、そうじゃなくて、いろいろ言っていただければ、それにお答えしたいと思っています。
 ここの会場にもいらっしゃると思いますけど、『そよ風のように街に出よう』っていういい雑誌があって、そこにぼくも今5回くらい続きでものを書かせていただいているんですけが〔「もらったものについて」、75号、2007年11月〜〕、その雑誌を立ち上げた河野〔秀忠〕さんに、昨日、何か変わったことをしゃべれと言われて、それがプレッシャーになって、しゃべれない…んじゃないんです。ただ、何を話していいか、ほんとにわかんないです。ぼくは、今、大学院生を相手に仕事をしているんですが、その人たちに向かってしゃべれと言われれば、何十時間でも話ができるんだろうと思います。学者相手の話も簡単です。それから、それぐらいのことを知っててよという「市民」相手に話すこともたくさんあります。でもみなさんは、基本わかっていて、そしてちゃんと生きている。その人たちになにか言うことがあるかということです。ほんとはないんだと思います。
 もろん、基本わかった上で、細々と考えざるをえないこと、言わざるをえないことははあります。でも、それは、ややこしくもなり、学者相手ならともかく――その人たちなら、ややこしいことでも、それが仕事なんだからがまんしろと言えます――そもそも話すという方法が適していないというところがあります。
『人間の条件』表紙  それでも何かしゃべります。そうですね。ぼくが何をほんとは言いたいのかということに関しては、今日届いた『人間の条件』〔『人間の条件――そんなものない』理論社・YA(ヤングアダルト)新書「りみちパン!セ」〕に書いてあります。冗談みたいなタイトルですけれども、「そんなものない」っていう副題の方が大きくなっています。要するにそういうことが言いたいんです。それに書いてあります。もし、よろしかったら、それを見ていただこうかなと思っています。でも、もっと何か言えって言われれば、がんばってもっとしゃべりますので、あとで言って下さい。

ようするに

 ぼくは、何が気になってものを書いているかっていうか、何を言いたくてものを書いているかというと、多分、ほんとに一つだけのことで、この世、われわれが住んでいるこの社会っていうものは、「できる」ということがあって、「できない」ということがあって、「できる」と「得をする」、「できない」と「損をする」というか、「生きていられない」という、そういうふうになっているわけですよ。それが、ぼくには、どうしても、なにかいいことだと思えたことがなくて、でも、それがいいと言う人もいるので、そのことについて、「いや、ぼくは絶対そう思わない。」ということをどういうふうに言ったらいいのかということを考えてものを書いてきたら、30年ぐらい経っちゃったみたいなことなんですね。
 なんで、ぼくがいいと思えないことを、いいと言う人がいるのかとか、「でも、そんなの仕方ないじゃない」と言う人がいるのかとか、そういうことについては、今まで書いてきたものに入っているし、これからも多分繰り返してして語ることだと思います。それについて、今日、何か付け加えてしゃべる気があんまりないんですけども、でも、ものすごく簡単なことだと思うんですよね。
 つまり、みんな生きているわけです。それで、ぼくらは何のために働いているのかとか、何をしているのかというと、生きるためのことをしているわけですよ。そういう意味では、ぼくらは生きることがいいことだとして、いいかどうかほんとは分かんないですけれども、でも現に生きてしまっているわけだから、そのために必要なことっていうのは、必ずある。まずは、必ずあることができるってことは、きっといいことですよ。でも、それって、人々が生きていけるために必要なだけ、十分なだけあればいいわけじゃないですか。
 ただ、ぼくらの世界はそういうふうになってなくって、「自分ができる範囲で、自分のことをしなさい」あるいは「自分ができて、稼いで、それでいいことがあったら、それはあなたのものにしなさい」、そういう社会なわけです。そうすると、自分ができないことがある人は、自分が受け取れない、生きていけないことが起こるわけですよね。それが、多分、多分じゃなくて絶対いいことじゃないっていうふうに思って、そのことを書いてきました。
 ひとりずつが、「自分の分」って考えたら、ぼくはできるかもしれない。自分の分と他人の分と交換なんかしてね。だけど、そうはいかない人もいる。けれども、ここにいる人たちっていうのを、さらに全部の人たち考えてみたら、動く人の方がたくさんいてしまうわけですよ。それで、親とか家族とか狭い範囲じゃなくて、もっと広い範囲で、ならしていったときに、今、生きている人たちが、全部生きていくために必要なことをするだけの力というものが、わたしたちに、わたしたちの社会に、ないんだろうかと考えるわけですよ。そうすると、けっしてそんなことはないことすぐにわかります。
 例えば、ぼくらの社会には、働きたくても働けてない人がたくさんいます。それは、政府の統計で言うと失業率が5%とか6%とか言うんだけど、そんな数字は、基本、嘘で、それは違うわけです。それは、職安に行って、職を探して、でも職がなかったっていう人を集めると、そういう数字になるんです。だけど、そうじゃなくて、今働けて、働いてもよくて、その用意がある人たちというのは、もっと何倍もいて、そういう人たちは力を持て余しているわけですよ。そういうことも全部考えたときに、人が働くっていうことは、人が生きるためなわけでしょ。だとしたら、人が、全部の人が生きるために働ける力っていうのが、われわれの社会にないだろうかというふうに考えたときに、そしてそれは、今、そうやって働きたくても働けないという人もいるわけだから、そういう人も含めて考えたときに、絶対それはできるだろうと、誰でも思うはずなんです。
 全部(の人)ができないなら、それは困るんだよ、ほんとに。だって、生きていくためには、誰かはできないと困るから。だけど、それは、全部の人ができなきゃいけないってことをけっして意味しなくて、できなくてすむ人がかなりたくさんいても、20%とか30%とかいても大丈夫なはずなのに、なんかすごいそれを心配したり、ダメだって言ったりする。そういうのっておかしい。
 だけれども、この誰でも思うことを、みんなあまり言わない。ぼくは、なんだかそれがとっても不思議で、そのことについて、どうだこうだということを考えて言ってきたということです。でも、ほんとはそれはどうなのかということがもしあったとしたら、あとで、できるだけお答えしたいと思います。

前にいた人たちのこと・逃げなかった(逃げられなかった)人たちのこと

 ぼくは、そのことを考えて書いてきたんだろうと思います。それは、多分、自分ひとりで考えてきたわけじゃなくて、「なんでもあり」みたいなことをちゃんと言ってきてくれた人っていうのが、ぼくたちの前にいたから、言ってこれたということがあるんだろうと思うんです。ぼくは1960年の生まれで、あと数日で50歳になるんですけども、ぼくらの10年とか20年前とか前の世代に、ぼくが今言ったようなことを言い始めた人がいた。
 つまり、今まで、この社会は、「どうやって人間たちができるようになろうか」、「できることをいっぱいにして、いいものをたくさん作って、そういう社会を作ろう」というふうに思ってやってきたんだけど、そんなことに「なんか疲れちゃったよ」みたいな。そういうことを思った人たちっていうのは、たしかにぼくたちの前にいた。そういうことを、ぼくは、多分聞いたんだろうと思う。ぼくは、今度の本でも書きましたけど、そういう人たちに付いてきたという思いはあります。
 ただ、ぼくも含めてですけど、たいがいの人たちは、とことんできないということはあんまりないですよ。なんかできてしまう。例えば、今、ぼくは、大学で職をもらって、給料をもらっているわけで、そういうことができちゃっているわけですね。そういう人たちは、どこかで「できないってことは、なんで悪いんだ」ということを考えなくてもすむ。就職して、飯が食えるようになったら、それで当座、死ぬまで生きていけるわけですから。そういうことを言い続けるっていうのかな、たいがいの人たちはそういうことをしなくてすむ。例えば、ぼくはしなくてすむわけですよ。それは簡単なことで、そういうことを考えたり、言わなくても、飯が食えるからです。そんな感じだと思うんです。そうすると、「できることがなんだ」って言った人たちは、いいことを言ったのに、そこで半端に終わってしまう。
 さて、ぼくは、今、もらったタイトルの話をしてるんでしょうか。してることにして、続けます。というのは、障害って、簡単にいえば、できないってことです。どうしようもなくできなくて、でも、生きたい人がいて、そういう人たちとか、その人たちを支える人たちがいて、そういう人たちがどうやって生きていくかってことをちゃんと考えている人たちっていうのが、ぼくの前にいてくれて、だから、その人たちが言ったことを、なんか言葉を足して言うとどういうふうに言えるかってことを、ぼくは多分言ってきたんだろうと思います。だから基本は簡単です。「いのち観」ったら、生きているんだから生きさせろ、みたいな、それだけです。ただそこにちゃんととどまって、そこから現実を作ろうとしてきた。それは当たり前のことであるけれど、えらいことである。そこから学び、自分たちも考えよう。そんなところです。
 言いたいことはそれだけで、じゃ、なんでそういうことが言えるのかとか、なんでそういう当たり前な単純なことに文句を言うやつがいるのだとか、その文句に対してどういうことを言えばいいのかとか、そういうことは、まあ、今日出してもらった本にも書きましたし、見ていただければいいかなっていうふうに思います。そういうことですね。
 学者は、簡単なんですよね。いつも、そうやって、文句を言うのをやめることができる。いや、学者じゃなくても、「できる人」というか、世の中にさんざん文句を言っても、さんざん文句をいう社会で生きていける人は、「ああ、ちょっと文句言っちゃった」、けど、でも、その社会で生きていけるから、ある時に、仕事を得て、そのまま生きて、それでやっていける。でも、そうじゃない人がいて、でも生きたい人がいて、その人たちが、どういうふうに生きていくかということをやってきたということ。それは、例えば、ものを書くという人たちではなくて、そうやって生きることから抜けられないというか、降りられないというか、そんな人たちがいた。いる。ぼくたちの前に、そうやって降りて下りて行った人たちがたくさんいて、ぼくもそうかもしれないんだけれども、でも、降りられない人たちというのがいて、その人たちが、なんで生きてくかということを追いかけて、そして、書こうと思って来たというのが、ぼくとか、ぼくたちの仕事なんだろうと思います。

知ることで気持ちよくなる

 言いたいことは、それに尽きます。だから、ここで終わってもいいんですけど…。
 昨日、バクバクの会の交流会に出してもらいました。だいたい、ぼくが、なんでバクバクの会のことを知ったのかというのはよくわかってなくて、いつの頃からか会報を送っていただいています。もう、昨日、話をここの古い人たちからうかがって、ほんとに面白くって、それは、どういうふうにみなさんが、あるいは、みなさんの周りの人たちが、生きてきたかということなんですね。
 あの、今、うしろの方にバクバクの会の会報があって、ぼくは、途中からいただいて読ませていただいているんですが、昨日、ぼくは、ほんとに何にも知らないなということを改めて思ったわけです。それは、業界で「淀キリ」と言ってますけど、「淀川キリスト教病院」という、まあ、業界では、そこそこ名の知れた病院が大阪にありますけれど、その病院の中で、生きているけれども生き難い子どもがいて、それからどうしようかということを、最初は病院の中で考えて、ものを言って、でも、それが結局、病院とか医療とか、そういう枠の中では、埒(らち)があかなくなったんでしょうね。そうやって広がっていった。その様子を、昨日酒を飲みながらですけども、少しうかがうことができました。例えば、そんなことなんですよね。降りられない人が、どうやって降りられないままで、生きてきたかということを、ぼくらは、ほんとに知らないし、その一つひとつがとても大切なことに思えました。
 どうやって、みなさん、今、ここに集まっておられる方が、どういうふうに、今ここにおられるのか、ぼくにはわかりませんけど。例えばね、昨日、聞いた話というのは、保育園だったかなあ。なんか、子どもたちが、古新聞の紙をなんかごちゃごちゃしていて遊んでいて、そしたら、その子どもの誰かが、その古新聞の記事の写真を見て「この子は、あの子に似てるよ。」と言ったんですって。つまり、たぶん、呼吸器をつけて、ストレッチャーか車いすかわかりませんけど乗って、そうやっている。その子は、多分、字とか読めなくて、なんか、あなたに似ている人がそこにいると言って、その新聞をもらったと。で、それをそのお母さんが読んで、うそみたいな話ですけど。いや、昨日、酒を飲みながらなので、うそかもしれないんけど(笑)、それで、バクバクの会って言うのを知った。それで電話をして、それで入会して、そしてそれ以来っていう話だったりするわけですよ。例えば、そういうことなんですよね。
 ぼくらが今したい、ぼくがしたい――ぼくは、今、ほんとに忙しくてできないんですけど――と思っているのは、そういう、ともかく、そうやって生き延びてきたり、生き延びている人がいることを知って、「あ、だったら」と、自分も、あるいは自分の子どもも生きていけることを知って、そして、それからのことがあって、そしてこの20年というものが、例えばこの会であれば、続いてきた、そういうことは、どうしても、ちゃんと書いて、…書いてというか、知らせたいと思うんです。学者というのは、ほんとにたいしたことなくて、ただ一つにそんなことをしたらいいと思っているのです。
 昨日も言ったんですけど、こうやって今この会場にいる方々、特にその会を切り盛りされている人たちというのは、例えば、民主党か自民党かわかりませんけれども、まあ余計なことをいろいろ言ってくるわけですよね。厚労省もそうです。そうやってやってくる。余計なことをしなくてもいいのに、してくる。それに対して、どういうふうに反対しようとか、どういうふうに対案を出そうかとか、そういうことを、毎日せざるを得ない。運動というものはそういうもので、前に進んで、日々のことをぎりぎりのところでやっていかなければならない。それはそうだと思うんです。それが悲しくもあるんだけれども、そういうことだと思うんです。ただ、そうやっていく中で、そういったこと――どうやって人を知り、生きていく術を知り、今まで続いてこれたかということ――を書くとか、知るということが、本人たちは、よく知っているんだけど、伝えるひまがなくて、それで、ほんとに、ぼくも含めて、ほとんどすべての人は何も知らないということが続いてしまうということなんですね。
 それだけはよくないことだと思っていて、ぼくはそうやって今まで生き延びてきた人たちとか、生き延びる術を知って今まで生きてきた人たちのことを書いて、字にするっていうんですか。それが、一つの仕事、学者はたいしたことはできないけれども、一つの仕事だというふうに思っています。
『生の技法』表紙  考えてみれば、1990年ですからもう20年も前ですけれども、つまりバクバクの会ができた頃ってことですか、ぼくたちは、「自立生活運動」というものについて本を書いたことがあって〔前記した『生の技法』〕、それからものを書いています。それは、今まで、施設にいて、それか親と一緒に暮らしていて、もうそれが嫌になってというか、居づらくなって、暮らし始めた人たちのことについて書いた本なんだけれども、その本を出して、もう20年になるんですけど〔初版1990年、増補改訂版1995年〕、そのときもそういうことを思ったんです。つまり、そういう人たちはいるんですよ。いるんだけれども、そのときに、ほんとに思い知ったんですけど、その人たちのことについて、書いたものがなかったんですね。なんでそうだったのか、しゃべるといくらでも話せますけど、そういう日本の障害者の運動が嫌いな人たちがいて、その嫌いな人たちがものを書いていたからです。だから、社会福祉とか障害者福祉とか、そういう本の中には、なんにも、そういう人たちのことは出てこなくて、出てくるとすれば、アメリカにそういう人がいますよとか、イギリスにそういう人がいますよとか、そういう話だったわけです。日本に1970年代の前半から、20年も前から、そうやって暮らそうという、実際、暮らしているという人がいるのに、そういうことは何にも書いてない。だけれども、いるんですよ。そういうことを伝えたくて、ぼくは、本を書いて、それからです。
 ぼくは、言葉の力って、あんまり信じてなくて、ほとんど信じてないんですけれども、さっきの、なんか子どもが拾った新聞の写真を見て、「あ、こんな人がいるんだ」と思ったのと違って、ぼくは字しか書けないんだけれども、それでも、「こういう人がいて、施設に暮らさなくてもいいし、親がかりの生活をしなくてもいいし、生きていけるという人が、現にここにいる」ということを、ぼくらが書いて、それを知ったことによって、そうしようと思って、なんと実行してしまって、今別のところに暮らしている人が何人もいる。そのことを語ってくれる人がたまにいて、驚くことがあります。それは、ぼくらの言葉の何かではなくて、「そういう人がいる」ということが、言葉を介して、知られた。そしたら、「できると思った」ということなんですよね。例えばそういうことです。
 そういうふうに考えますと、呼吸器をつけて生きていくということを巡っても、みなさんは、今ここにいられる方も、そうやってできているし、その呼吸器の周りでみんな生きているから、よく知っているだろうと思うんだけれども、何か知っているつもりになっているぼくでも、ほんとに昨日話していて、何ひとつ知らないということを、思ったんですよね。かつて、呼吸器というものがどういう大きさで、どういう値段で、どういう形をしていて、それが使えたり使えなかったりということが、どういうことだったのかということなんですよ。
 そうして時間が経って、今は、比べれば生きていられる人がとりあえずはいる。これからどうなるのか分からないんだけれども、でも、それはそうだと。ぼくも、10年前のこと、20年前のことを知らない。「昔は大変だったよね」っていうことがあって、その昔が大変より、今の方がいいわけだから、「昔が大変だ」ということを、知ってそれで、どうなんでしょうかね。今でもぼくはまだよくわかんなくて、教えてほしいんだけれども…。でも、知った方がいいような気がするんですよ。何でしょうね。
 それは、たぶん、苦労話を聞きたいんじゃなくて、たぶん、「気持ちがいい」からだと思うんですよ。そうやって、そういう人がいて、今があって、だから、今生きていられるみたいなことを知れるってこと? そのためには、こんなことがあった、あんなことがあったということを、知れる、知るってこと? それは、すごく、気持ちのいいことで、だから、次に生きていくことが、なんかそういうふうに、気持ちのいいことだと思えると思うんです。
 だから、大変だった昔を、ここ発足して20周年というですけど、振り返るということは、ただ、それだけのことじゃなくて、振り返れるから気持ちよくなれるっていうか、元気になれるっていうか、そういうことがあると思うんですね。だから、ぼくらは、ぼくらはっていうか、ぼくは、今は、京都の大学で仕事をしていますけれども、今日、ほんとに思ったのは、みなさんの20年間というものを、ほんとに、はじからはじまで聞いて、文字にしたいということでした。それは、ほんとにそう思っています。それが一つです。

日常的に政治的になる

 きょうしゃべった話は、まず一つ、中身の話はもう全部しなくて、ぼくは、とにかく、できない人間が損をする社会というのは、気に食わなくて、ものを書いてきて、そうですって言いました。どういうふうに、それを、ものを言ってきたかっていうことは、きょう、ぼくは、もうしゃべらない。っていうか、しゃべることをしないっていう。あの本〔『人間の条件―そんなものない』〕も今日出たしね、あとはそちらでどうぞ(笑)…ってことが一つ。
 そしてもう一つ、そういうことは、普通は、あんまり考えなくていいことかもしれなくって、でも、考え続けてこれて、じゃ、どうしようかっていうことも考え続けてこれったっていうのは、それじゃほんとに困る人が、「じゃ、どうやって生きていこうか」ということを、ほんとにちゃんと考えてくれて、「ああ、それってけっこういいかも」とか「すごいかも」とか思って、それを別の言葉にしてみるとか、そういうことをぼくがしようとして来たからだということをお話しました。
 そして、さらに一つ、そういったことごとは、すべて、今より過去に起こった出来事なんだけれども、それは、たんに、前に起こった、なにか大変だったねということじゃなくて、なんでしょう…、「気持ちのいいこと」である。だから、この20周年、20年間というものは、ほんとに気持ちのいいことである。そんなふうに思うんですね。だから、その気持ちのよかった20年というのかなあ、そういったものを、字を書いて、字を残す。私たちは、せめて、自分たちが気持ちよくなりたいからですけど、わたし自身がですけれど、そういうふうに思ったことをお話し申し上げました。
 もう一つ、言って終わりにします。もう一つ、そうですね。日常的に政治的になるっていうんですかね。そういうことを加えて言おうかなと思います。
 昨日、酒を飲みながら話をしていて、それはいろんなことがあって、アンパンマン体操もあったんですけど、ぼくは、正直、アンパンマンはそんなに好きになれなくて、なんか性格的な問題なんですけれど、バイキンマンとか、ああいう絵に描いたみたいな勧善懲悪っていうか、まあ絵に描いたってほんとに絵なんですけど、なんか、まあいいや(笑)。言いませんけど(笑)、なんかそういう構図とか…。まあ、いいんですけど、いや、顔が嫌いなだけかもしれないんですけど。あの丸い、なんか。それは、まあ、いいんですけど(笑)…。
 えっと、昨日の交流会とかで楽しいことがたくさんあったんですけど、ぼくも含めてですけど、何かそうやって日々を生き抜いていったり、楽しくやっていくということと、なんか政治というか、そういうものというのが、なんかそぐわないなという感じがあると思っていて、ぼくもほんとにその通りに思っていて、だから、ぼくは、政治はいらなければそれにこしたことはないと思うし、政治家というのもいなければそれにこしたことがないと思っているし、投票とかそういうのについても、そう思っています。
 どうしてそう思うかという理屈はあるんですけど、…めんどくさいからですよね。端的に言うとね(笑)。それをもっとちゃんと言おうと思ったら、理屈が長くなるんですけども。でもね。もっと、くだらなくなく政治が語れるし、考えられるっていうふうに思っているんですね。どういうことなんでしょう。今、今日は日曜日なのかな。テレビをつけると、石毛さん〔石毛えい子議員〕は出てないけれども、そういう人たちが出てきてしゃべっていますよ。ほんとにくだらない(笑)。どういうふうにくだらないかという話はいくらでもできますけど、それは、それを話すこと自体がくだらないので話しません。
 だけどね。たとえば、今、日々生きていくために、誰が、何をしていいのかということは、そういうくだらない話とは別に大切なことですよ。
 つまり、口から食えないから別のところから食う。それは、胃を通したり、鼻を通したりして食う。肺がちゃんと動かないから、肺の動きがちっちゃいから、息を別のところから吸う、別の手段で吸う。痰が出せないから、それを機械使って吸う。それを誰が、どういうふうにしていいのかっていうことは、そういう、今、多分、テレビとかでやっているくだらないことじゃなくて、大切なことです。それが、残念ながら、政治の場で語られ、議論され、決められようとしているわけです。政治のほかのことには、何の関心を持たなくていいから――持たなくていいからってか、持つ必要、ほんとうにないです、えっと、いや、それは違う(笑)、私も税金の話とかに書いたりしてます――けれども、そういうことについては、普通に言えばいいと思うんですよ。
 今起こっていることは、というか、この10年前、もっと前から起こっていることは、とっても単純なことです。みんなが生きていくために必要なことを他人がしなければいけない。さっき言ったけれども、その他人というものが、この世の中にいないのか? 山ほどいるわけです。余るほどいるわけです。だから、すべての人が生きるために、生きるだけの手段っていうのは、現にこの世に全部あるわけです。だけれども、それを制限する。「この人しかできない」「あの人しかできない」というふうにするとすれば、その理由は何かっていうことを、例えば考えることなんだろうと思うわけですよ。
『唯の生』表紙  深読みするとね、これはある種のいやがらせのようなものであって、ほんとは長生きしていてほしくないという動機があって、それで人が生き難いような制度に変えたがっているのだということになります。これも当たっていなくはないと思います。そういう暗い話を、そう暗い話をしているという自覚もなく人々が語り、そしてその方向に現実が動いてきた、それはだめ、という話は、『唯の生』という本(筑摩書房、2009)に書いたので、よろしかったらどうぞ。ただ、この10年、そしてまた今検討会で検討されていて、もめているのには、別の面があると思います。
 この間(かん)起こってきたことは、一つに、その仕事を自分たちの仕事にしておきたい、その部分を保ち、増やしていきたい、そういう人たちの声が大きかった。「この仕事は、自分たちの仕事にしておきたいから、そうさせといて下さい。」「そのまんまでいきましょう。」そう言う。そしてその人たちはそれを仕事にしているから、その主張を仕事として行なえるわけです。利用者の側は違いますからね。それは仕事にはならない。手弁当です。片手間です。そういう力の差もあるわけです。
 ほんとに、自分たちで、その仕事ができきるのであれば、そう言っていいかもしれない――それでも資格で区切るのに反対ですが。しかし、できもしないのに、「その仕事は自分たちの仕事だから、自分たちだけのために取っておいて下さい」ということを言って来た人たちがいて、その人たちが、その仕事を取ってきて、しかしできてこなっかったわけです。例えば、そういったことが、政治という場で行われている。そういったときだけは、日ごろ、政治なんてものはくだらないことなんだから、何の関心も持たなくてもいいけれど、「とんでもない」っていうふうに、ぼくは思うし、文句を言ったらいいと思うんですよ。
 それは、だって、おかしなことでしょう。それで得する人っていうのは、そんなにたくさんいないんだ。そうやって「これが自分の仕事です。自分たちのために取っておいて下さい。」という人以外に、本当は得する人はいないんです。だけれども、ほかの人たちは、さっきも言ったけれども、ぼくのように、みなさんがどうやって暮らしているか、暮らしてきているか知らない。そして、なにか、「専門的」とか、「技術」とか、そういうことって言われると、「ああ、そうかな。大切なのかな?」っていうふうに思う。だから、何にも知らなくて、でも、何かそういうことを言われて、そうだなって思う人たちは、ほんとはなんにも関心がないんだけれども、そっちに反対するということをしない。それが、もう一つ残念なことです。
 だから、そうですね。そういうことだけでいいから、ほんとに、怒るっていうか。で、それは怒って得することです。世の中には、怒っても甲斐のないというか、勝てないというか、そういうことがいろいろあって、疲れちゃうということもあるけど、でも、今、その例えば、そういうことに関しては、勝てるですよ。

わからせればできる

 できない人の全部を生かせるために、この社会を組み立てていけるということ、これは、ぼくにとっては、自明のことだと思うけれども、自明っていうのは、当たり前ってことですけど、これに関してはね、でも、それでも、そうじゃないっていう人たちがいるんですよ。ぼくにとっては、不思議なことに。だから、それは、多数決をとったら、ぼくが負けるかもしれない。今、そうです。でも、それはそれで、言っていかなければいけないと思うし、そのための、気持ちというか、力っていうのをもらったのは、それじゃほんとに困るという人たちだということを申し上げました。そうやって暮らして、言ってきた人たちのことを、どうかして、記したいということを、前半に申し上げました。
 それとね。今、しゃべったことは、それよか、もっと馬鹿みたいなことで、そういう、これから社会をどうするかということよりも、ちっちゃな、つまらない、そういうことで、いろんなことが動いている。仕事をできもしないのに、その仕事を自分のものにとっておきたい人たちが、いわゆる「医療的ケア」という仕事を、ほかの人に渡さないようにしている。これはね。もっと卑俗なことですよ。くだらないことですよ。そういうことに対しては、くだらなくっていうか、普通にっていうか、文句を言えばいいんだし、その文句は、必ず通るんです。社会をどうすればいいかというようなでかいことに関して言えば、それはわからない。でも、そういったくだらないことが、世の中に、たくさん起こってしまっている。そのひとつひとつに、なんでしょう、昨日、食べて踊って楽しかったっていうのと、それと同じレベルでやればいいと思うんですよね。そんなことかなあ。
 そういうことを思います。だから、政治とかくだらないと見限った上で、でも、くだらないことをちゃんと言う。でも、ほんとに、ぼくら学者ふぜいも含めて、「専門性」とか言われると、「へえ」みたいになっちゃって、ことが動いていく。あの、ぼくらは、そういうことはおかしいと思って、それは、理屈で言えることだから、簡単なことだから、理屈を言っていくことをしてきたし、そういうお手伝いかどうかわかりませんけど、してきたなっていうふうに思っています。それが一つです。
 それから、これで終わりにしますけど、もう一回言います。この会が、今年で20周年ということです。そうだな。過去を振り返るってことは、気持ちのいいことだということですよ。こうやって、今、みなさんが、どういうわけだか集い、ここにいて、昨日も気持ちよかったし、今日も気持ちがいいということがある。そのための苦労という部分は、ずいぶんとあったんだろうと思う。でも、こんなことがあったために、自分は今、こんなに気持ちがいいということ、悲しいこととか全部含めてですけど。そういうことを、ぼくは、とにかく、字にして残したいということを昨日思いました。それは、言っただけじゃだめなんで、今年中からはじめて、何かしようと思います。
 ええと、ほんとに、ここは、あのぉ、場所の悪いところで(笑)、5年ぐらい前かなあ、ケアをなんとかなんとかという催しに呼ばれて〔正しくは前に記した「ケアする人のケア研究集会」、2001年10月〕、何をしゃべったか覚えてないんですけども、ダメで、ダメだったですけれど。えっと、恐縮ですが、ぼくは、普通は、もっとちゃんとしゃべれるんです(笑)。書いたものに比べて、しゃべるのは、けっこう上手です。ほんとは。1時間でも何時間でもしゃべれます。でも、今日は、何かもう、最初から放棄して、まあ、でも、ちょっと言いたいことをしゃべって。どのくらい時間がかかったんだろう。結局1時間ぐらい経ってしまったみたいですね。何か、まだ、時間があるのであるとすれば、何か言っていただければ、その間に、気をとりなおしますので、言っていただけたらと思います。えっと、最低でした(笑)。ええと、ありがとうございました。


■■質疑応答

穏土:ありがとうございました。
 あのー、夕べ、(立岩)先生をヘッドロックしながら、コテンコテンにお酒を飲ませて、踊らせてしまったバクバクなんですけど…(笑)。実は、昨日、バクバクの会の交流会がありまして、その席で、バクバクの子どもたち―ちっちゃい子どもたちから、大人のバクバクっ子も―親も一緒にドンチャン騒ぎといいますか、宴会をしたんですね。ひばりクリニックの高橋先生も三線を弾いて下さったりとか、アンパンマン体操とか、ベリーダンスとか、みんなで楽しくやったんですね。
 今、ちょうど、厚労省でたんの吸引などの医療的ケアの検討会なんかされていて、その議論を見ていてすごく悲しかったのが、私たちは、本当に当たり前の生活をするためにどうにかしてくれって要望をしていったのに、人を幸せにするための検討会であるはずなのに、何か、足かせ・手かせをはめてくるというか、何かを言えば言うほど、首を絞められるような感じがしてるんですが、立岩さんのお話を聞いて、「あ!(検討会の)専門家という人たちは、こういうふうに、昨日みたいな宴会をするような生活があるなんて、きっと想像したことないんだろうな。」と思いました。呼吸器をつけたガキンチョから大人までが踊るとか、お酒を飲むとか、そういう日常を全然想像されてないんだなていうのを思ったんですね。私たちは、「(医療的ケアを)生活支援行為として、当たり前のケアとしてできるようにして下さい。」「もう、医療的ケアが壁になって、当たり前の生活ができないんですよ。」って必死に訴えてきたのに、何かやっぱり「経管栄養のチューブをつなぐのは、看護師さんじゃないといけないよ。」みたいなことが専門家の人たちによって一生懸命決められようとしています。
 「アホちゃうか?」って思うのが、普通に考えて、誰にも、宴会がある日もあるでしょうし、ダイエットしたい日もあるだろうし―私は、一日、5食くらい食べますけど(笑)、三食でいい人もいるだろうしってことで、その度に、看護師さんが来て(チューブを)つなぐんかよう?とかって思うんですよね。宴会したいときももちろんあるし、デートしたい時もある。いいムードの時に、「はい!お食事の時間です。」って、看護師さんがチューブつなぎに来たら、絶対ぶち壊しやと思うし、そんなところに、日当を払われても、来てくれる看護師さんなんていないと思うんです。訪問看護も居宅の中だけというふうに決まっていても、ハワイに旅行したい人もいる。みんなが病院の中と同じような生活をしているわけでないのに、そういうことがなぜ通じないんだろうかと思っていたんですが、今日、先生のお話を伺って、「ああ、やっぱり、私たちの幸せを考えてくれとるんじゃなくって、自分たちのお仕事を守りたいんやな。」ということがわかりました。
実は、今回、この集会に合わせて、「私たちの当たり前の生活を知って下さい。」ということで、厚労省に、明日会って下さいってお願いしたら、「バクバクの会さんだけ会うわけにはいきません。」と言われたんです。でも、立岩さんのお話を伺ったら、やっぱり、「厚労省の前とか、看護協会の前をアンパンマンを踊りながら、パレードしてみろ!」って、そういうふうに聞こえたんですが(笑)…。「僕は、学者として、これまでの苦労をみんなに伝えるように、後押ししてあげるから。」と、そういうふうに受けとめていいですかね(笑)?

立岩:目が覚めてきたんで…。
 仕事がちゃんとできるということが、ちゃんと保障されるようになりさえすればそれでいいんです。
 ふつうに物を売り買いする時というのは、物を買う側は、これがいいとか、悪いとかということを判断して、自分にとってよくないものは、買わないとか、買うのをやめるということにしますよね。それですむわけです。それですむんだけれども、でも、例えば、それが、薬を飲むんだけど、飲んじゃったら死んじゃったとか、そしたら、もう文句を言えないですよね。とか、言葉が今は出ないとかということもありますよね。そういう時に、いわゆる「消費者保護」というのが必要になってくるわけです。
 そういうトラブルがなければ、「まずいものは、まずい。嫌なものは、嫌だ。だから買わない、使わない。」ということで、それはそれですむわけです。だけど、そうは、うまくいかない時がたまにある。というか、時々ある。それは、時間がたってしまって、それがいいか悪いかがわかるのに時間がかかったり、それか、そういうことを口に出せなかったり、そういう時があるんです。そういう時にだけ、その消費というか、サービスというものを、あらかじめ良いとか悪いとかということを誰かが判断せざるをえないということが出てくるわけです。で、それには強制力ということが必要になってきますから、それは政治というものが関わらざるをえなくなってきます。それは…。だから、何が必要かというと、そういう特殊な場合、ぼくらが使うものがいいとか悪いとかということを判断するのが、すぐには、簡単にできない場合に、代わりに誰かが判断せざるを得ない。そういう時に、政府というのが仕方なく出てくることがある。
 じゃあ、その時に、何を判断しなきゃいけないかといえば、それが適切に行われているか、行われているかということだけなんです。つまり、そこに、「俗に」――ぼくは、あくまでも「俗に」って言いますけども――「医療的ケア」と言われているものについてはどうかということです。相手側は「こういう人しかできない」ということを、本当にそうであれば、そのことを論証しなければいけない。で、ぼくらの側は、しかじかこういう条件が整えばこの仕事ってことができるということを提示すればいいんです。
 ぼくは、呼吸器をつけたり、吸引したりなんかしながら生きている人たちを2、30年見てきましたけれども、今、厚労省の検討会で言われている、えらい長い時間の研修であるとか、しかじかの資格がないと、そういう人たちの暮らしが成り立っていないということは、全然なかったわけだし、これからもないです。
 だから、どれだけの条件をつけたら、どれだけの商品管理ができるかということです。それを消費者自身にまかせられないことがある。このことを、今、言いましたよね。そうすると、第三者が、そのサービス(の中身)を保障しなければいけない。で、それをどこで折り合わせるかということなんです。それは、誰か?、資格なのか?、時間なのか?そういうふうに考えれていけば、必ず、何か合理的なっていうか、ちゃんとしたことは出るはずなんですね。
 そういうふうに考えてみると、この間(かん)、起こってきたことというのが、違っているってことがよく分かるはずなんです。それは言えるはずだし、自分たちの職だけにしてほしいうという人たちは、全国民の中で極めて少数の人たちです。まあ、少数と言っても、何十万人という数ですが。
 いわゆる「医療的ケア」はできるんです。でも、何か事故が起こるかもしれない。でも、何か起こった時に、それをどういうふうに保障するかとか、そういうリスクへの対処へのことはあります。だから、技術の問題とリスクの問題をうまいことやっていけば、それは、できる。みなさんがやってきたことが、できる。今は、そういうふうに議論が進んでいない。それは、無知といささかの利害とが絡んでいる。そのことを申し上げているわけです。
 だから、それは、たぶんいろんなやり方があるんだろうと思います。たぶん、厚労省の前で踊るっていうのが、どれくらい有効なのかぼくには分かりませんけれども(笑)、ただ、そういうことも含めて(笑)、いろいろやりようはあるんだろうと思います。で、今、本当に悲しいことに、そういう時期に差し掛かってしまっていますから、せめてそのぐらいはね、何とかなってほしいなというふうに思っています。

穏土:ありがとうございます。
 みなさんが、いろいろな活動をして来られて、今の"気持ちいい"生活を実現できるまでのいろんな活動があったと思うんですが、今、その生活がどうなるか、危機的状況ではあるけれど、危機だからこそいろんな人とつながれるというのも見えてきたので、立岩さんのお話をヒントに、今から頑張って訴えていかなければいけませんね。
 えー、ここで、みなさんから、質問やご意見を受けたいと思いますので、お願いします。

川口:立岩先生のところで(大学)院生をしています、川口と申します。ALS協会で働いています。
 先ほどの話で出てきました(厚労省の)「たんの吸引等の検討会」に、うちの橋本(操さん)が、構成委員として出られまして、みなさまのご意見を代表してというか、在宅で呼吸器をつけて、普通に、こう、一般市民として好きなことをして暮らしている人たちの代表として、たった1人入っております。
 その委員というのは、先生もおっしゃられたような専門職だとか、あと、それから法律家とか、それから、マスコミの黒岩(祐治)さんとか、まあ、あらゆるジャンルの人たちが入っていて、これまで、第3回まで行われてきて、日程上、(8月)9日に第4回目があるんですけど、本当だったら、その9日に(検討会の)まとめで、おしまいという予定だったんですけれども、ちょっとあと1回だけでは足りないだろうということで、9月にもう1回やって、そこでまとめということになっていて、非常に性急な検討が行われています。
 予定としましては、来年の1月に議員立法で、法律をどういうふうにいじるか、具体的なところはまだ出ていないんですけれども、多分、介護福祉士法の中に、ヘルパーの業として、吸引と経管栄養を盛り込んでいくということになると思いますが、そうなると、いろいろね。法律って1つできると、できなくなることの方が多いので、でも、多分、私たちは、法律ができることによって、被害が生じることで、迷惑を被る方が多いような立場なので、非常にその辺は、要注意なんですけれども。今、みなさんの意見を聞きながら、来週の検討会に向けて、資料を作っているところです。
 それで、先生に改めて質問っていうのも、なんかあれなんだけど…(笑)。
 ひとつは、うちの親がALS患者だった関係で、私はALS(の支援をしているんですが)、ALSっていう、みなさんは、とっくに御存知だと思うんですけれども、人工呼吸器をつけて、中高年グループですね。みなさんは、こう、若者、ヤング・ジェネレーションの支援なんですけど、子どもたちのね。うちは、中高年グループで、(でも)年齢が違うだけで、多分、ほとんど、問題意識とか、問題が重なっているんですよ。
 ちょっと前までは、"尊厳死"とか"安楽死"とか"治療停止"だとか"治療の不開始"というところでもいろいろあって、"終末期医療"っていうふうに言われてしまう括りに入れられて―ちっとも自分たちは"終末期"だと思っていないよね(笑)?いないのに、"end of life"とか言われちゃって、非常に失礼だと思うんですけど―なんか、そのグループに入れられて、「じゃあ、呼吸器をつけないためにはどうしたらいいか」とか、「呼吸器を外せるようにするためには、どうしたらいいか。」ということを、また、それも、専門職の方からそういう話がブワッときて、その専門職って、その場合は、医者だったりなんかするんですけれども、彼らの言い分ってのは、いつも「それは、あなたたちのニーズだ」って、「あなたたちの要求を実現するために、自分たちは代わりに言ってあげているんだ」とか、「そういう法律を作ってあげているんだ」というふうに言われるんですけれどね。
 今回の吸引の問題もそうなんです。「あなたたちが、ホームヘルパーに吸引してほしいって言っているから、今、検討してあげていて、より安全にできるためには、専門職がどういうふうに関わればいいかってことを検討してあげているんだ。」って言うふうに言われちゃうんですね。それが、なんか、非常に、私たちからすると、何も伝わってないような気がするんですよね。
 で、先生に、質問にならないんだけれども。先生は、ずっと障害者の運動で、一緒に来られて、記録をしたりとか、いろいろ助言をしてこられた立場なんですけど、私たちからすると感じる押しつけがましさみたいなもの、専門職だとか、法律を作ってくれる広たちから言われる押しつけがましさっていうものに対して、ストレートに返すと、さっき、穏土さんが言われたように、会ってももらえないというか、バシッとはね返されてしまうんですけども、戦略として、当事者の、こういうなんて言うんですか、「本当に必要なことなんです。」「生きていくためには必要なことなんです。」これを専門職の人たちに、どうやったら伝えられるかっていうか、国の人たちに、どうやったら私たちの意見が受け入れられるか。
 こういう運動をしていると、「あなたたちは、一部の人たちだ。」って、言われるんですよ。「死にたい人とか、治療したくない人は、もっといっぱいいて、その人たちも同じ立場だけど、そっちの意見もあるから。」って言われて、何か過激派みたいに言われちゃうでしょ(笑)?バクバクの会も。さくら会もそうなんですけど。私たちが、「患者の意見を代表していない」っていうふうに言われてしまうんですけれども。そういうふうに必ず言われる。
 その時に、どういうふうにして、こういう意見を聞いてもらい、あるいは、一般の市民の人たちに、そうじゃなくて、これ、本当に大事なことなんだっていうのを分かってもらえるのかなって。そのコツみたいなものを…。まさに、先生のお仕事だと思うんですが(笑)…。

立岩:そんなことがわかれば、誰も苦労していない(笑)。だから、あの、そりゃ、そうだよっていう(笑)。
 たぶん、それこそ、それはほんとに「答えはない」か「(答えは)一つじゃない」と言うしか、言いようがないですね。
 で、ぼくらができることというのは、本当に、多分、限られていて、世の中には、困ったことに、理屈ってものがあるわけです。そういう時に言われることの理屈はだいたいおかしいと、ぼくは思っているんですが、言われちゃっていることはしようがないですよね。だから、それは、嫌いだとか言ってもしようがないんで、「理屈は、仕方ないから理屈で返さなきゃいけない。」ってことが一つあるんですよ。で、ぼくらがやっているつもりのことは、そういうことなんです。
 ぼくは「世の中に理屈なんかない方がいい」と、本当に、かなり本当に思っていて、だけど、妙な理屈を言う人がたくさんいるので、それに対して、どうやってものを言うかっていう、なんか、不毛な、空しい、ある意味、そういうことをやっているというのが、一個ですね。で、これは、本当に、みなさんにとっては、空しいことだから、まあ、学者が、ある意味、金をもらってやらざるを得ない。でも、それは、まあ、世の中に理屈っていうのは、一定の割合を占めてしまっているので、仕方がないから、せざるを得ない。それが一個です。で、ALSの人たちのこと、死ぬの生きるのってことについては、ぼくとしては、今まで書いてきた本〔『ALS――不動の身体と息する機械』『良い死』『唯の生』〕でだいたい言えることは言ったと思います。わからないという人には、何百ぺんでも同じ話を繰り返してするつもりですし、しているつもりですけど、それはこの場では必要ないと思います。
 でも、世の中、理屈で回るはずがないわけで、回ってないわけで、現に。で、どうするかっていうのは、二つ目。
 で、二つ目はないんですが(笑)。ただ、一つは、今日言ったけれども、端的に知らないということが本当にあって、そこに妙な理屈が加わると、なんか話がおかしくなるわけですよね。現にこうやって生きてきて、生きられているということがあるのに、それを知らずに、なんか、例えば、専門性とか、まあいろんな言い方がありますが、知らない人はそうかと思って、それで話がおかしなことになる。本当に知らないことってことがある。それは知ってもらう。それが二つ目です。
 それで、三つめ以降は、あとは、本当に、戦略というか、戦術の問題ですよね。ぼくは、それについては、何をしてもいいと思っています。有効であれば。それは、官僚の上の方に取り入るということもあるでしょうし、国会議員に取り入るということもあるでしょうし、実力行使に出るという場合もあるでしょうし、泣き落としにかかるということもあるでしょうし、何をやってもいい。それは、いずれが、あるいは、いずれかの組み合わせが有効かってことは、それは、ほんとに分からない。それは、理屈の問題じゃないんです。ぼくは、正しいことであれば、極端にいえば、何をしたっていいと思います。そのための手立てを考える。それをする。そういうことを、そうだなあ、楽しめばいいんです。どうやったら相手を落とせるかということを。そういうことだと思います。
 理屈は、理屈で、しようがないから考える。それから、人は、あまりにも知らないから、知らないことを知らせる。その他については、オープン。それは、本当に正しいことであれば、何をしたって構わないというふうに、私は思います。その何が、何であるかというのは、ケース・バイ・ケースです。まあ、そんなお答えです。答えていますか(笑)?

穏土:ありがとうございます。川口さん!戦略を!(笑)ここに、こんなに仲間がいっぱい集まってきているので、これは、みんなでちょっと作戦を立てましょう。犯罪でないことなら何をやってもいいようなので(笑)、はい。他にも、ご意見、ご質問はありませんか。

矢口:ここに来るのが初めてのもので、非常におもしろいお話だったんですけど。先ほどの質問の方とかぶるんですけども、今、専門家と言われる人たちが変な話をしているというようなことで、私も厚労省ではないんですけど、若干、行政側に関わっている人間として、見ていると、どうしても専門家と言われる人たちと、官僚と言われる人たちの間は、ある意味では一体になって動いてしまわれるところがあって、それは私のいるところでも、いわゆる専門家と言われる人たちと、官僚と言われる人たちは、半分、共同体として機能しちゃっているところがあるんですよね。
 で、この場合は患者の人だと思うんですけど、患者の人が話を持っていく時に、まあ、今、戦術は何でもいいというお話だったんですけども、まあ、まず、どう言って間に入ればいいというふうにお考えでしょうか。

立岩:前と同じことを繰り返すことになるんですけれども、まあ、今回、例えば民主党は負けましたけど、それはともかくとして、今、政治とかやっている人たちは、まあ官僚も含めてですけれども、ぼくは、何っていうかなあ、なんか悪徳とか、あんまりそういう話は信じないんですよ。なんか悪だくみをしているとか、私利、私腹を肥やすですとか、それであの人たちは政治をしているんだっていう、そういう類の話を毎日テレビはやっているわけですけれども、その話をぼくはあんまり信じていないんですよ。もちろん、そういう部分もありますけども。だけれども、意外なほどというか、官僚も真面目だし、政治家も真面目だと、ぼくは思うんですよ。で、ただ…、ばかなんです(笑)。そういうことだと思うんです。
 だから、自分が得し、いや、もちろん業界を背負っている人は、業界を背負わざるを得ないから、その利害を背景にものを言うんだけれども、それは、全体から言えば、それは、そんなに多くないわけです。で、それ以外の人たちは、本当に真面目だけれども、ばかなんです。まあ、今日は言いますが(笑)、そんな感じです。
 だって、今、本当に、こないだ民主党が間違って選挙に勝っちゃって、たくさん議員が出てきましたけれども、議員さんたち、だいたい30代くらいなんですよね、20代後半とか…。あの人たちは、まあ、見ると分かりますというか、顔見りゃわかりますけれども、っていうか、話してもわかりますけれども、本当に熱心で、良心的です。情熱もあるし、真面目だと。ただ、ものすごく無知です。それに尽きると思うんです。その無知というのは、具体的な事実を知らないという無知もあれば、社会というものに対する見立てを知らないという無知と、両方あります。で、ぼくは、どちらかといえば、社会の見立てというものがどうなんだということを本に書いています。まあ、読んでもらえるかなと思いながら書いていますけれども(笑)。それはそれとして、(彼らは)もっとこう、具体的なレベルで、本当に知らないんです。あきれるほどそんな感じです。
 だから、自民党でも、民主党でも、何でもいいけれども、30代くらいの、本当に無知な、でもなんか心の清らかな、そういう人たちにですね、やっぱりきちんと話をしていく。これは、けっこう有効だと思います。お答えになっているかどうか、分かりませんけれども、一つの狙い目は、ぼくは、そういうところにあると思います。
 あと、官僚もそうですね。同じだと思います。結局、今、決めているのは、30代、40代前半ぐらいの官僚がいいとこ決めているわけですから、局長とか、そういうのは、ものを知らないでハンコをついているわけですから、その下のレベル(の官僚)ですよ。そういう人たちも、悪い人たちじゃあない。全然給料とかもよくないし、たくさん働いているし、労働条件は全然よくないと思います。だから、ぼくは、世上、言われている、官僚がそれでなんか自分で得をしようとしてるとか、全然そういうことは、思っていません。ただ、そうじゃないところで、彼らは間違っている。そこで、そこんところをどうやって直すかということだろうと思います。

穏土:ありがとうございました。よろしいですか。それでは、次の方、お願いします。

野口:自立生活センター立川の野口と申します。立岩さんには、長い間、当団体の理事をやっていただいてありがとうございます。今日のお話を聞いていて、自立生活運動の話が出てきたので、話をしたいと思っています。
私たちは、地域で生活したいということで、どんな障害があっても施設から出て来て、ヘルパーなり入れて支援を受けながら一人暮らしをつくってきて、今、人工呼吸器を使いながらでも、24時間の(支援)体制で、一人暮らしをしている人たちも何人かいます。
 あらためて、ちょっと今回の"医療的ケア"のことで、やっぱり気になることというのは―。私たちの自立生活運動って、やっぱり自分の今のありようの生活というものを認めてほしいということを、そのままの形で運動として創ってきたことだと思っています。ただ、今回、"医療的ケア"ということについて、ヘルパーが吸引とかそういうことをやる、介護職がやるということを、厚生労働省が検討していくと、介護保険とか、施設とか、いろんな場面の、そういうこと("医療的ケア")が想定されてくると、だんだんと低いレベルの、全体的な合意を得なければいけないっていうのか、そんな話の方向になっていって、この(制度として)全体化していくこと自体が、非常に今やっている実態に(合わない)、そういうサービスを、吸引とか受けながら生活している人たちの生活を、要するに、危うくしていくことじゃないかなというふうに思っています。こんな検討会はやらない方が、私はいいと思っています。それで、実際、そういう実態というのをどんどんと広げていって、気がつけば「みんなそう思ってやっているんだね」というところが認められるのが、一番やっぱりいいんだろうと思ってはいるんですけれど。
 でも、やっぱり、こういう検討会で出てくる議論をつきつめていくと、「その人の"いのち"って誰のもの?」っていう(話になる)。私たちは、自分自身、自分の命で、要するに、自分の生き方は自分で決めてやっていく(と考えている)。ただ、そういった場合に、例えば、医療から見た考え方とか、本人自身が、実際に自分自身でうまく自分のことを言えない、そういった中で、「その人の"いのち"、誰のもの?」っていう問われかけをすると、医療的な方が、口が立つわけですよね。そうすると、その中で議論をすると、そういうふうになってしまう。
 そんなふうかなと思っているんですけど、立岩先生、その"いのち"っていうことって、こういう問題の中で、まあ、つきつめるとそういうことになるんでしょうか。それとも、別な問題として考えた方がいいのかなあ?

立岩:ありがとうございます。野口さんとぼくは、たぶん25年くらいの付き合いなんずよね。僕の先生であってきてくれた。その25年前とちっとも変わんない筋ジストロフィーっていう、そういうのがあるんだっていう(笑)。医者には進行していくって言われてきたんですよね。まあ、いいです、その話はやめます(笑)。
 「いのち」ってことについては、「生きてるんだから、つべこべ言うな」ぐらいのことしか言えない、言わなくていいと思うんですよ。でも「つべこべ」言う人がいるので、困るので、何か言わざるをえない。でもその話はここではそれはいいだろう。繰り返しになりますが、そういうことだろうと。これも繰り返しになりますが、ぼくは、今起こっていることは、かなり、ある意味、卑俗なレベルのことだと思っています。生命観とか、「いのち」とかっていうことも、それはあるけれども、なんか、それと違う。まあ、言い方が悪いですけれども、つまらないところで起こっていると思っています。
 先ほども言いましたけれども、そこには、いろんなことが、でもかなりつまらないことが、絡んでいる。それで、まあ「検討会やんなきゃよかった」っていうのは、そうかもしれないけど、もう始まってはいます。
 それで、先ほど私が申し上げたのは、「消費者自身が自分で事前に決定できない場合は、第三者が一定の消費保障をする必要はある」ってことです。これは、認められるってことです。完全な自由化、誰が何しても自由っていう話はここではできない。
 ただ、我々は知っているように、現実には、そうやって世の中は動いてきた。というか、まあ野口さんにしても、野口さんたちの自立生活センターでもね、そこの中でヘルパーがやってきた。そこで、それを、どういう形のところに、そうやって本人が言わない、言えない、決められないってことも含めた時に、そういうサービスの保障をするか。問題は、その一点なんです。
 「それはいらない」っていうことは、理屈として成り立たないんです。なぜなら、今言ったように、常に、本人が決められないことがあったりして、「本人が決めれば、本人が決めたものが最善である」という前提が成り立たないことがあるからです。であるからには、何らかの形で、第三者が関わらざるを得ない。そこまでぼくは、認めざるを得ないんです。あるいは認めた方がいいと思うんです。そういう意味で言えば、そのあとは条件の問題です。いったい誰が、どれだけの時間を経て、いわゆる「医療的ケア」をやってよいのかっていうところで(どう)折り合うかってことです。
 ぼくは、今、出ている案(※注)っていうのは、明らかに不当だと思うんです。それは、一定の職種に限り、なおかつ、不要な時間を要する講習を受けさせるっていう、その点においてです。

(※注 厚労省の「介護職員等によるたんの吸引等の実施のための制度の在り方に関する検討会」では、いわゆる"医療的ケア"のうち、たんの吸引と経管栄養のみについて検討され、7月29日の検討会で示された試行事業案では、吸引と経管栄養について、あらかじめ研修を受けた看護師が講師となって、ヘルパーに50時間の研修会を受講させた上に、利用者宅での実習を20回ほど講師がつきっきりで実施するとされていた。さらに、経管栄養については、毎回、注入開始は看護師が実施し、その後をホームヘルパーが実施するとされていた。)

 ぼくは、それは条件闘争だと思うんです。だから、向こうが(研修時間を)50時間だっていうことであれば――ぼくは、どう考えても50時間が何が何だか分かりませんけれども――それは、何日なのか、あるいは何時間なのか、そこは、考える余地がある。ぼくは、「0(時間)でいい」とは言う必要はないと思いますし、言わなくてもいいと思います。それが一点です。
 それから、じゃあ、それを介護福祉士なり、看護師なり、そういった医療職、福祉職(介護職)の職に必須でないとする、ということですね。
 その上でです。私が思っているのは、そういった、生活を創る中で今までそうやってやって来た、やって来れた、それで生きてこられたという現実を知らしめるとともに、そうやって医療・介護の資格を持たない介助者が、これからもその仕事を続けていけるという条件をどうやって保障するかっていうことだと思います。それで、その件に関して、一定の証明っていうか、それは、ぼくは避けがたい部分はあると思います。それをどうやって、ミニマムに、しかし、必要な部分で押さえるかっていう、そういう条件なんですね。その時に、ぼくは、いわゆる職(資格)という条件はいらないと思うし、というか、いらないし、その上で、(研修の)時間なら時間というものを、あるいは、そういったことを担う組織なら組織っていうものをどういう形で認めさせるかってことだと思うんです。
 それは徹底的に条件闘争すればいい。それが認められない限り、何をしてもいいとぼくは思う。先ほど、なんか「法に触れないなら」っていうふうにおっしゃいましたけど、別に法に触れたってぼくは構わないです(笑)。それは大丈夫です。だって、理にかなっているわけでしょ。「仕事ができない」「できる」っていうのは、普通は、その仕事を頼む人が選ぶ。でも、それができない時がある。じゃあ、代わりに誰かがそれを決める。それに対して証明書を与える。そこまで言った。問題は、その証明ってものを、誰がどういう形で、具体的に与えるかなんですよ。それに関して、今、言われてることというのは、まったく不当である。だから、そこで条件闘争をする。だから、基本ラインで、どうこうするって話なんです。それに関して、官僚は知らないし、議員も知らない。そこで闘うべきなんです。この闘いは、きちんとやれば、必ず勝つんです。私はそう思っています。

穏土:ありがとうございました。もう、おひとかた。お願いします。

長谷川:福島県のいわき市から来ました。いわき自立生活センターのケアマネージャーをしております長谷川と言います。お世話になります。
 話がちょっと違う話かもしれないので、申し訳ないんですけれども。私も今、ALSの患者さんを4名、5名ほどに関わっていまして、吸引問題だったり、胃ろうの注入だったり、そういった話は興味があって、今日、それで来たんですけれども、今後、介護職にどの程度の研修だったり、まあ、それと条件でですね、医療行為を容認していくかっていう話が、今、国の方でされてるってことなんですが、まあ、一定の、何時間かけての研修だったりとか、どういう資格にするかとか、いろんな話は入ってくるんですけど、それももちろん大切なんですが、それと同時に、報酬面での評価というのを少し考えていただきたいなあというふうに思っております。
 やはり、介護報酬って、今、現在、とても低いので、引き受けてくれる事業所がいないんですね。今、私が関わっている事業所さんには、直接、事業所に出向いて、責任者の方に頭を下げて、こういう方のたんの吸引は、研修はこういうふうにやるんで、是非やってもらえませんかって話をするんですが、だいたいの事業所さんには、お断りされてしまうんですね。仮に、今後、「こうやった研修を受ければ、吸引、胃ろうの注入ができるよ」となったとしても、報酬単価で、一切メリットがなければ、結局、引き受けてくれる事業所がないのはないでしょうかと思いました。心あるヘルパーさんだったり、心ある一部の事業所のみが頑張っていて、そうでない事業所―と言ってしまうと失礼なんですけども―は、関係ないことにということにもつながりかねませんので、介護報酬の見直しというか、簡単に言えば加算をつけることができるような方向にしていくというのも、同時に必要なんではないでしょうかねというふうに思いました。
 それと、ついでになんですけど、加算をつけて、介護報酬上がりました、で、利用者さんの自己負担に跳ね返らないように、だったら、なおさらいいのではないかと思いました。

立岩:ありがとうございます。今日、本当は、その話だけすればよかったのかもしれないと、今、ほんとに思っているんですけれども、ハハハ(笑)。お金の話ですよね。
 ぼくは、それ、一番大切なことだと思っていて、ほかのことはどうでもいいと思ってるんですけれども、ただ、そうですねえ。ほんとうに話せば長い話になるんですが…。
 なんだかんだ言って、この国は、ほかの国々と比べれば、ましになってきたっていう事実もあるんですよ。今、本当に重度の障害を持っている人が、まあ、そこそこ生き延びられるっていう仕掛けというものは、そんなにどこの国にもあるわけじゃありません。
 まあ日本にも、全国津々浦々という意味ではないんですけどね、それでも、できて、増えて、広がってきた。それは、今日、一切お話ししなかった、私がそこから学んできたここ40年の、先ほど、後ろで野口〔俊彦〕俊彦さん〔自立生活センター立川代表〕がお話されたけれども、野口さんたち、その仲間たちが、創って来たものなんですね。それは、1970年代の中盤に始まるわけですけれども、とにかく介護保障というものを制度として作ろう、増やそう、広げようという運動でした。そしてその成果は確実にあった。それでも、お話にあったことで言えば、加算が足りない。その通りです。でもここまでのものを作ってきたという歴史はあります。
 ぼくは、そういう、まあ威勢のいいっていうか、そういう人たちとだけ付き合って来たところがあって、それがなんかワールドみたいになっているんですけれども(笑)。ただね、そういうのと全然関係なく、というか、知らなくて生きてる人たちも、その人たちの運動の恩恵をこうむっているのは、事実なんですよ。子どもたちに重度の障害がある、親がそうである、自分がそうであるという人たちが、今、生きていられるということがあるとすれば、そうやって、自分のために、自分たちのために、介護保障を30年、40年かけて取って来た人たちがいるから、今、日本の人たちは、まがりなりにも、生きられているってことなんです。それを話すと、本当に長くなるから話しませんけれども、それは、知っていただきたい。で、少なくとも、その人たちをリスペクト(尊敬)してほしいと思うんです。関わらなくてもいいから。少なくとも知っていてほしい。
 で、その人たちは、得られるべきを得るためには何をしたかというと、さっき言ったように、それは法律のレベルでもあるんだけれども、こういうことは、法律のレベルだけじゃ動かない。私が知っている人っていえば、野口さんの盟友であった高橋修〔前・自立生活センター立川代表、故人〕っていう人がいますけれども、例えば、野口さんや高橋さんが何をしてきたかといえば、それこそ、立川の市役所の前に、朝、福祉課長が来る前から市役所の前にいて、来るのを待って、交渉して、それで、取ってきた。だから、ぼくは、本当に何でもいいと思う。関わらなくてもかまわない。ただ、そういう人たちがいるってことを知ってほしいと思うし、自分は関わらなくても、少なくとも、その人たちを尊敬してほしいと思う。そういうことが、今の日本の現状を創ってきたし、まがりなりにも、重度の障害を持つ人たちが生き延びられることを、今、可能にしている。
 それでも足りない。その通りです。立法のレベルで動くことっていうのもある。でも、行政のレベルで動くこともある。中央のレベルで動くこともある。地方のレベルで動くこともある。ありとあらゆるところで、どうやって闘っていくかということなんだと思うんです。
 で、それを毎日やってきた人たちを、ぼくは、本当に尊敬していますし、なんだろう。そういうことを知って欲しいなと思っています。バクバクの会もそのひとつだと思います。まあ、そういうことを言うと、気持ちがよくなるんですよ(笑)。
 それで前に動くんですよ。自分たちがやっていることが正しいって思うし、その人たちを尊敬するし、自分はしなくても尊敬するし、だったら、自分も、時には、やってみようっていうふうに思う。そういうことだろうと思うんです。そういうことが、今までを創ってきたわけだし、今までのことをね。それを続けていくしかない。まあ、理屈は理屈ですよ。それは、する。でも、世の中に、理屈じゃあどうにもならないこともある。でも理屈もいる。そんな感じですかね。
 で、加算も、おっしゃる話もその通りだと思います。ただ、あのね、例えばね、ぼくは、京都に住んでいますけど、そういうALSならALSに対する加算があるってことも知らない事業所とか行政担当者がいっぱいいるわけですよ。ぼくも知らなかったんだけど(笑)。例えばそのレベルなんだよ。世の中が今動いていることっていうのは。それで、ぼくは、20年前に本を書いたんだけど。生活保護をとると介護加算がつくとか、介護加算に特別加算がつくとか(※注)。それが場合によったら、月20万くらいになる場合もあるとか、そういうことを誰も知らないし、誰もそういうことを書いてなかったわけですよ。

(※注「他人介護加算」「生活保護の生活扶助の加算の一つ特別介護料に家族介護加算と介護人による介護に対する加算があり、後者を指す。自立生活を始めた人達の要求運動により、1975年度から厚生大臣が承認した場合に特別基準での支給が始まり、介助を得て地域で暮らす上での有力な手段となった。その後基準所長承認による特別基準が設定された。2001年度、一般基準で月72000円、特別基準の基準所長承認では108300円、大臣承認では地域により12〜18万円台。」立岩真也 『現代社会福祉辞典』有斐閣 ただこれは2003年に出た辞典に書いたものなので、データ他は古いです)

 で、それだけは嫌だなと思って(文章に)書いてきたってとこはあります。
 だから、理屈は理屈。だけれども、本当に事実を積み上げていくためには、いろんな手段がある。そのいろんな手段によって積み上がってきた事実そのものが知られてないってことがある。それはもったいないんじゃないかってことです。それだけでも、ずいぶん、前に動く分はあると思うんです。そのために組織があるんだと思うんです。とくに全国組織というのがあるんだと思います。京都なら、京都だけだったら、分からないですけれども、バクバクなら、バクバクっていうのは、全国の組織として存在するから、「ここはもっと取れてる」「あそこはもっととれてる」ってことが伝わります。そのことによって、いくらかでも、物事が進むところは進む。そんなところだと思います。

穏土:ありがとうございました。
 やっぱり正しいことは正しいというか、ちゃんとあきらめずに伝えていくということだと思うんですが、これだけのみなさまが、この問題を一緒に考えて下さって、立岩さんも一緒に考えて下さっているわけですから、この会が終わったらもう終わりじゃなくて、今、まさに正念場というところがありますので、これからも、生の声を「私たちは、こういう暮らしがしたいんだ。そのためには、どうあるべきなんだ。」っていうことを、みんなで、つながって、訴えていきましょう。
 立岩先生、今日は、ありがとうございました。(拍手)
 立岩先生、今日で、ここ(オリンピック・センター)は、もう、鬼門じゃないですね(笑)。鬼門じゃあないです。お祓いしましたから(笑)。みなさん、もう一度、大きい拍手をお願いします。(拍手)

■cf.

◆会報『バクバク』 http://www.bakubaku.org/backnumber-list.html
◆立岩 真也 2008/01/31 「学者は後衛に付く」,『京都新聞』2008-1-30夕刊:2 現代のことば


UP:20100908 REV:20101016
バクバクの会  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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